訪問
森岡蒼士が魔王ジェイガンの身体に乗り移ってから、一週間が過ぎた。
この間、蒼士は着々と自治区の改革に取り組んでいた。
まず、自治区の監視員であるゴブリン達を一掃して、代わりにティーヌが指揮する第三軍の兵士達と交代させた。
第三軍の兵士達は、全員がティーヌを尊敬していて忠誠を誓っているので、彼女の命令に従い、見張りに立っていても、無用に人間を圧迫することはしない。
本当は見張り制度など無くせばいいのだが、あいにくそこまで大胆な改革をすぐに断行するのはまずい……ティーヌはもちろん、蒼士もそこは同じ考えである。
そもそも、ハンティングをほぼ廃止にしただけでも、有り得ないほど大きな改革なのだ。
ティーヌに訊くと、「あの命令以後、魔王はどこかおかしいと噂する者が増えました」とのことである。
もちろん、おおっぴらに非難するほど度胸のある者はいないが……これも噂に過ぎないものの、今は魔界で待機中の第一軍と第二軍の指揮官二人が、自治区の状況に興味を持ち始めたという話もある。
もちろん、具体的にいつ来るという話ではなく、本当に噂に過ぎないが、蒼士にしてみればいい気分ではない。彼らをごまかすのは難しそうだからだ。
「大抵の者はわたしが何とかできますが、さすがにあの実力者二人は無理です。いざとなれば、一戦交えるしかありませんわ」などと、ティーヌですらさじを投げるほどだ。
「それでも、所詮今は噂の段階なんで、彼らはまだいいんだよ」
蒼士は元自分の家のソファーに座り込み、思わず愚痴ってしまう。
今日は、自分の部屋に必要な荷物を取りにきたところで――。
自分自身で運び出すとまずいので、唯一事情を知っている同級生の、紅林亜矢と一緒に来ている。ちなみにティーヌも来たがったが、今は自治区内を見回り中だった。
問題があった時に対処するには、彼女が最適なので。
「他にまだ、問題があるんですか」
隣に座った亜矢は、蒼士以上に心配そうに尋ねた。
例によっていつもの敬語であり、これは未だに直らない。
「まずいというか、魔王の妹でアリアドネって人がいるらしくてね」
蒼士はティーヌに聞いた話を思い出しつつ、教えてやった。
「その人は、魔王の腹違いの妹らしいけど、兄に全然似てなくて、割と理知的な人らしい。そのせいか、彼女に最近の魔王――つまり、俺の行状を訴えに行く連中が多くて、アリアドネは妹だけに、そろそろ様子を見に来るだろうって話なんだ」
「まあ」
亜矢が口元に手をやった。
「え、エグランティーヌさんが、代理で会ったりはできないんですか?」
「……それができれば一番早いんだけど、さすがに無理だなあ」
蒼士はソファーにもたれたまま、天井を見上げた。
「妹のアリアドネは隠れた実力者で支持も多いらしくてね。いわゆる、魔界のナンバーツーに等しいんだって。だから、彼女が会いたいと言えば、ティーヌが代理で出るなんて無理」
「……うっ」
蒼士が衝動に駆られるままに話したせいか、亜矢はかなり怯え始めていた。
この子の場合、自分の身を案じて怯えているわけではなく、純粋に蒼士を心配して、完全に我が事として考えてしまうのである。
それを思い出し、蒼士は気安く話してしまったことを後悔した。
「あの、でもいざとなれば――」
「いざとなれば、わたしとどこかに隠れましょう!」
すっかり血の気を失った唇で、亜矢が勢い込んで言う。
蒼士の手を握り、本気で今にも部屋から連れ出しそうだった。
「秋葉原は、まだまだ広いですもの。とらのあなとかアニメイトとか、隠れる場所はいくらでもありますよ!」
「い、いや……さすがにティーヌに全て丸投げはできないよ」
ていうか、なぜその二カ所なのかと思う。
隠れていても、退屈しないからだろうか。蒼士は苦笑しかけたが、顔には出さずに真面目に言った。
「でも、隠れる気になったら、一番に紅林に声をかける」
「はいっ。ぜひぜひっ。わたし、絶対にご一緒しますから!」
ものすごく熱心に言ってくれて、蒼士はほんのりと温かい気分になった。
……むしろいざという時は、あまり亜矢を巻き添えにしたくない……こっそり、そう思った。
多少の本と勉強道具を亜矢に託し、蒼士は一人、元の部屋に残った。
一緒にマンションを出るとまずいので、少し時間をズラして帰る必要があるのだ。もはや監視員の目はあまり気にしなくてもいいが、人間の目だってヤバいといえばヤバい。
いつどこから、魔族連中に真実が洩れないとも限らない。
「やれやれ、しばらくは用心を続ける必要が――」
蒼士が独白した途端、玄関のチャイムが鳴った。
たちまち緊張して、蒼士は動きを止めた。一度鳴っただけで静かになってしまったが、もちろん、今のは幻聴でもなんでもない。
放置もできず、蒼士は抜き足差し足で玄関口まで出て行き、のぞき窓から外を覗いた。
「……うっ」
思わず声が出た。
廊下には、ツインテールの見慣れぬ女の子が立っていた……ぐったりしたティーヌを肩に担いで。




