魔王の妹、自治区へ向かう
「衛兵、入りなさい!」
声を張り上げると、ちょうど轟音に驚いて安否を尋ねようとしていた衛兵達が、大挙して雪崩れ込んできた。
「あ、アリアドネ様、これは一体!?」
床に平べったく潰れた二人を見て、衛兵達は度肝を抜かれていた。
「第34軍と35軍の指揮官二人が、兄上に対して不満を語り、しかもこのアリアドネに謀反への荷担を要請してきました。よって、兄上に代わってこのアリアドネが断罪したのです……嘆かわしいことです」
アリアドネがわざとらしく思いため息をつくと、衛兵達は顔を見合わせた。
アレクサスとヨーウィンの二人が、ハンティングの中止について不平を洩らしていたことは、既に周知の事実であり、衛兵達も特に不審そうではなかった。
そもそも、彼らは上に甘く下に厳しい将の典型で、配下達には好いている者も尊敬している者も皆無なのだ。
それがわかっていたからこそ、アリアドネも躊躇なく始末している。
「皆には申し訳ないが、後片付けを」
「ははあっ」
もったいなき仰せとばかりに衛兵達が一斉に跪く。
そんな彼らに優しく頷きつつ、アリアドネは謁見の間を出て行く。
……私室に戻ると、抑えきれぬ笑みがこぼれた。
「兄上……いえ、魔王ジェイガン。貴方の悪運も、ついに尽きたと見えますね。よもや、人間の少年にしてやられるとは」
先程そうしていたように、アリアドネは私室の窓に歩み寄り、夜を迎えた魔界の領土を眺める。ところどころに青白い魔力付与の街灯が見え、黒い建物が多い魔界内を不気味に照らし出している。
長らく、身内である兄さえ騙すほどの完璧な演技で魔界に名を知られてきた自分も、そろそろ本性を現す時が来たのだろうか?
……窓辺に立つアリアドネは、軽く小首を傾げた。
外から見ると、息を呑むほどの愛らしい少女に見えるが、あいにく彼女の外見と内面は全然違う。
その本性は魔王その人よりも遥かに苛烈であり、しかも容赦ない性格だった。
ただ、日頃は穏やかさと公平さを強調し、余人の目をごまかしているだけだ。魔王その人の目さえごまかしてきたのが、このアリアドネという女性である。
とはいえ、アリアドネは今すぐコトを起こし、兄に代わって魔王として即位するつもりはない。彼女は良くも悪くも慎重であり、だからこそ、これまで敵を作らずに過ごしてこれたのだ。
「波風を立てず、魔王に警戒心を抱かせず、そして配下達にも嫌われない……この信条のお陰で、アリアドネはこれまで穏やかに生きてこられたわ。だから、即位までもう少し待つくらい、なにほどのことでもない」
自分に言い聞かせるように、アリアドネは呟く。
それに、白状すれば幾ばくかの好奇心もあった。
なにしろ、アリアドネですら手を出せずに来たあの男を、ソウシという少年は見事に片付けてしまったのである。ジェイガンの残した手紙だけでは詳しいところはわからないが、一体どんな手を使ったのかも興味深い。
もっと驚きなのは、あのエグランティーヌがその少年に従っているらしいことだ。
少年を立てる振りをして、自らが魔界を掌握するつもりかと当初は思ったが……情報を集めてみると、どうもそういう様子はない。
明らかに、エグランティーヌはソウシとやらに従っているのだ。
死を賜ってさえ、ジェイガンに抱かれることを拒んだ戦士にしては、驚くべきことだった。
一体、ソウシとはどういう人物なのか?
「自治区に行って、その少年に会う必要があるわね……幸い、アリアドネには、誰にも知られていない能力もあることだし」
その力を使い、ひとまずソウシとやらに近付いてみよう。
先程の二人と同じく、このアリアドネにとって益なしと思えば、その場で殺してしまえばよい。
決意すると、アリアドネは早速、踵を返した。
そうと決まれば、すぐに自治区に向かいましょう。




