腹違いの妹
蒼士が魔王とすり替わってから、数日が過ぎた頃、魔界では異変が起こっていた。
広大な魔界の中心に位置する漆黒の城は、もちろん魔王の居城となっている。
ただし今、その魔王ジェイガンは人間達が囚われている通称「自治区」で過ごすことが多く、現在は腹違いの妹が留守を守っていた。
アリアドネ……それが、彼女の名前である。
魔王ジェイガンの妹にしては公平無私であり、しかも判断力に優れ、さらには兄を立てて決して自らを主張しない。
……そのような噂が囁かれるほど、アリアドネの評判はよい。
魔王とは腹違いなせいか、ツインテールにまとめた長い髪は白銀であり、しかも活発そうな髪型の割にいつも落ち着いていて、誰かを大声を上げて罵ったりもしたことがない。
魔界では当たり前のように行われる告げ口なども、決してしたことがなかった。
兄のジェイガンとはまるで性格が違い、穏やかなお方である――魔界の住人からは、そう思われている。
……だからこそ、訴えに来た戦士二人も、安心して捲し立てることができるのだ。
「今申し上げましたように、ここ数日の魔王様のご様子は人が変わったかと思われるほどです」
第34軍の指揮官であるアレクサスが唾を飛ばして熱弁すると、彼と同僚である第35軍のヨーウィンもしっかりと捕捉した。
「事実、魔王様は自治区のハンティングを中止したばかりか、次回のハンティングの日程も決めておられない。それどころか、どうもハンティングはこの先も行われないという噂すらあります」
「……それは、どこから流れた噂ですか?」
跪く二人の将に背を向け、窓の外に目をやっていたアリアドネは、ようやく興味を持ったように振り向いた。
「ここしばらく、魔王様がおそばに置いている、例のエグランティーヌ殿がそう申しておりました」
アレクサスに続き、ヨーウィンも負けじと主張する。
「その通り! こう言ってはなんですが、一時は処刑される寸前だったのに、ここ数日のエグランティーヌの言動は、明らかに僭越です。魔王様のご威光をかさにきているのではありますまいか」
「決めつけるのは、早計ですよ」
アリアドネは微笑してたしなめ、ゆっくりと歩いて自分の椅子に座る。
つまり、魔王が座る玉座の横に置かれた、小さな赤い椅子だ。この謁見の間で配下達と接する時、魔王ジェイガンはしばしばアリアドネも呼ぶのである。
そのため、妹たる彼女専用の椅子もちゃんとあるわけだ。
好き嫌いの激しい魔王様ですら、アリアドネ様はお気に入りらしい……皆にそう噂される所以である。
「しかし……そうですか、エグランティーヌをおそばに」
長い足を組み、アリアドネは小首を傾げる。
上はコルセット着用のドレスだが、下はフリルミニに近いようなスカートである。
お陰で、黒いストッキングを履いた両足が太股のかなり上まで見えてしまい、部隊を率いる指揮官ともあろう二人が、たまらず視線を殺到させていた。
「確かに兄上としては珍しいことですね。一度処刑を決めた後、それを翻したというのは、はじめて聞きました」
「そ、そうです、そうなのですっ」
「訝しいことです、本当に!」
慌ててアリアドネの足から視線を逸らし、二人は大いに声を張り上げた。
しかも、アリアドネは笑顔でこうも言った。
「そう言えば、数日前に兄上はこのアリアドネを呼び、こう仰いました。『三日経っても俺から連絡がなければ、俺の部屋の引き出しに入った手紙を読むがいい。それを読めば、何が起こったかわかるだろう』と」
『して、その手紙はっ』
配下二人が同時に叫んだ。
アリアドネは魔法のようにすっと封書を持った右手を持ち上げてみせた。
「これです……ちなみに中身は、もうアリアドネが読みました」
途端に、勢い込んで身を乗り出そうとした二人に向かい、アリアドネは笑顔のままで左手を軽く振った。
その瞬間、謁見の間を揺るがすほどの大音響が轟き、恭しく跪いていた二人の指揮官が、その場に叩きつけられた。
それぞれ、魔界ではそこそこの実力者として知られる男達なのに、車に牽かれたカエルのような有様になり、床に平べったく潰れてしまっている。
「ふふふ……アリアドネの重力魔法の味はいかがかしら? と言っても、もう聞こえてないわよね」
とんでもないことをやらかした割には、アリアドネは平和な顔で囁き、また席を立った。
主人に直接訴える度胸を持たず、こっそりぺらぺらと悪口を並べるような者は、どのみちこの先も使いものになるまい。
このアリアドネには、不要の人材だわ。




