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しきびと  作者: 叶星玄
そして3人は3人と出会う
9/10

第1話「出会い~直衛彼方と大地吉宗の場合~」第8幕

 気づけばいつも、一つところに留まらず芸を磨いてただ生きていた。

 時に両腕で長さ25m・高さ3mの綱の上を渡り切り、かと思えばつま先のみで番傘をぶんぶん豪快に振り回す傘回し芸で多くの観客を湧かしている時も。

 仲間達と共に同じ釜の飯を突いて馬鹿をやっている時も、常に考えていることがあった。


 ――ここじゃない場所へ行きたい。行かなければならない。


 そういうフレーズはコッソリノートに書いて引き出しに仕舞って数年後に見直してみた方がいい思い出になるぞ、と座長辺りからニヤニヤとアドバイスされはしたが、あまり真面目に取り合っている訳でないのは明白だったので聞き流した。他の面子には言い難いというより、そもそも現在進行形で巡業という旅の只中なのに何を、という思いから、胸中を口にしたことはない。

 そんな引っかかりを抱えたまま『今回の件』が飛び込んできて、一人行動することになったからだろうか。駅舎を抜けて、この白鐘市まちへと単身足を踏み入れて、滅多に口にしない言葉を呟いた時は、本当に驚いた。



 ――ただいま。





 未だ名も知らぬ少女の手を引いて走っている間、まるで新幹線の中から流れていく窓の景色を見るかのように、吉宗は白鐘の街の景色を流覽りゅうらんする。艶のある黒の瓦屋根が如何にも古色蒼然とした木造の旅館や、鮮やかなのぼりをはためかせた丁度いい感じに気安い土産物屋、遠目に見える白亜のリゾートホテル群。

 今までの旅と同じだ。見たことのない景色は自分にとって、肉や魚と同じ位の最高のタンパク質で、カンフル剤である。踏んだことのない土をめば両足は跳ねるように喜び、両目は見えるもの全てを網膜に焼き付けよ@限界まで開かれる。そして知らず知らずに笑っていた。


 そして、この街に足を踏み入れてからの、あの桜の木から落ちてからの得体の知れない感覚を、何の理由もなく、本当に唐突に思い出した。


 覚えているのは少しだけ。まだ頭の中で顔がぼやけた『誰か』の身体を暴力的ともいえる強さで押さえつけたこと。いつまでも反芻したくなるような甘い感触が、唇に、舌に、口内の全てに広がったこと。 そして今現在、キレのあるストレートでも喰らったように現在進行形で痛む頬。

「なー! ちょっと聞いてもいいかなー!?」

「え、あ、何ーっ!?」

 どうして走っている時って、無闇やたらに声を張り上げて会話したくなるんだろう。でも止められない。

「オレ、さっきひょっとして何かやったのかー!?」

 少女の口が、まるでチャックで引き絞られたみたいに不自然に沈黙した。息切れの音すら漏らすまいとしているようなそれは、吉宗の懸念に対する何よりの証左しょうさだった。自然、スゥッと冷えた頭により声のトーンも通常に戻り、走りながら耳打ちするという小器用さで彼女に再度問いかける。

「あ、やっぱそうなの? 実を言うと野外で寝て起きた直後って大抵怒られるから、今回それなかったんでおかしいなーっ、って思ったんだけど」

「常習犯!? ていうか、腹踊りとかどイナバウアーはまだセーフかも知れないけどまさか何回もキスとかは――」

「へ?」

 こちらが疑問符混じりの声を上げた瞬間、少女は『しまった』と言わんばかりに己の口を塞いだ

 しばし、言われたことの意味を咀嚼して、移りゆく街の景色を眺めながらその意味を考えて――

「わかった責任取る」

「いやいやいやいや! 飛躍し過ぎだから! 被害に遭ったの別の人だから!」

「ふーん。……まあ当事者じゃないよなーっていうのは、雰囲気で何となくわかってたけど。……ごめん、今のなし。なかったことにしてくれ。友達に戻ろう」

「よくわかんないけど、何かわたしがフラれたみたいな形になったーっ!? そもそもわたし達さっき会ったばかりでもう友達だったの!?」

「オレ的にはもうバッチリ心の友認定なんだけど。……けどお前じゃないとしたら誰? 何であの場にはいなかったんだ?」

 これだけ走っててもツッコミの大音声を上げてるってスゴいな、と感心しながら、吉宗は更に問いかける。

 途端、少女は目を背けて頬に幾筋もの玉の汗を流して、

「そ、それは……訳あって名前も性別も言えないというか」

「ふーん」

 はて、そういえば。こんな市街の大通りを騒がしい漫才混じりに走っている子供二人なんて、注目されても可笑しくないと思うのだが。

 ……都合よく通りに人っ子一人見当たらない、なんてこと有り得るんだろうか。

「性別言えないって辺りで何となくわかったけど。漠然と覚えてる記憶で言うと、オレが押し倒してちゅーっぽいことした奴って男ってことになるのか。ちょっとビックリした」

「……しまったぁぁぁっ! 『性別』の項目は余計だった!?」

 今世紀最大の失敗を悔いるように頭を振る少女。それを横目に、何となく風を受けてひんやりしてきた唇に触れてみる。


 男とちゅーをしたらしい。それも自分の方から、積極的というか強制的に。


 結論から言うと初めてのちゅーにあたるけど、その辺りに別段思うところはない。

 普通ならショックを受けるべき場面でショックを受けられない自分のず太く鈍い感性は今更だが、ちょっと気にかかることが一つあった。

 実に単純な事実。この街で出会ったのなら、捜しさえすればいずれまた会えるのでは、という可能性についてである。

 

「なー! 提案なんだけど、いっそこのままその……何て言う奴なんだっけちゅーの相手って!?」

「え!? な、直衛さんって呼ばれてたけど……」

「そう! その『なおえ』って奴のこと捜しに行こうかと思うんだけど、手伝ってもらってもいいか!? ちゃんと直に話してんのお前だけだし」

 しばしの沈黙(忙しい足音は響いていたが)の後、返ってきたのは『はぁ!?』という裏返った声。

「な、何でそういうことになるの!? っていうか、捜してどうするの、正面から謝ったところで気まずいことになるか、直衛さんにもう一回ストレート喰らいそうなイメージしか浮かんで来ないよ!?」

 ああ、やっぱりこの顔面の痛みには理由があったのか。成る程殴られた瞬間は思い出せないけど、結構いいパンチだったようである。――ではなく。

 ――目の前の彼女は何を言いたいのだろうか、と考えながら、吉宗は答えにするまでもない大前提の気持ちを表した。


「そんなの、会いたいから捜すに決まってんじゃん」


 会いたいと思ってる。直に言葉を交わしたいと。この街のどこかにいる筈の、さっき唇を交わしたという『誰か』に。 

 それだけでもう、よくわからない期待と昂揚がこみ上げる。わからない筈なのに、不思議と怖くはない。

 ポカン、という文字が背後に浮かんでいそうな表情の少女が、ボーッと口を半開きにした顔でこちらを見やる。「え、えーと……」っと何やら混乱しているらしい頭をポリポリと掻きながら、


「……それは、直に会って誠意を以て謝りたいとか、そういうことなのかな?」

「は? ……まあ確かに酷いことしたかなーとは思うけど、そこはマケドのバジルニンニクフレーバーポテトで手打ちってことにしてもらおうかなー、と」

「いや誠意軽すぎだから。……何で? 何か男の人とキスしたって聞いてそこまでショック受けてなさそうな時点でも凄いと思ったけど、どうしてそこまでして会いたいの?」

 理解出来ない、という今まで何度も見てきた表情。それもしょうがないか、なんて思いつつ吉宗はサラリと続ける。

「……それこそ考える必要あるのか? 少なくともオレは、会いに行く為に動くことに気持ち以外の理由が必要だっていうのなら、それって窮屈だし肩凝るなーって思う。許してもらうとかもらえないとか、そういうのは関係ないよ」

 きっと、彼女が求めているのはそういう説明じゃないと、何となくわかってはいた。敢えて彼女が納得出来そうな理由を上げるなら、あの『直衛さん』を見た時に感じたあの爆発するような情動の高まりが当てはまるのかも知れない。


 でも、何となくだけど話したくなかった。自分にしかわからないであろうあの感覚を、誰かに明け渡したくないという、彼にしては珍しい意地のような感情の働きが、そこにあった。


「わかんないけど、会いたいんだ。よくわかんないけど、会ってみたら全部わかるし納得できそうな気がする」


 最早、目の前の少女というよりも、むしろ自分の心に言い聞かせている体だった気がする。――そもそも、取り立てて彼女を納得させようと思って話し始めた、という意図は吉宗にはなかった。


 案の定、少女はまだ困ったような表情で『うーん』と唸っている。

 でも、しばらく経ったその後で頭を掻いてから、息を切らしながらもハッキリこう言った。


「わかった」


 その瞬間に感じたことは、ああ、どもったり慌てたりしない話し方も出来るんだな、という間の抜けた感想。

 気づけば、繋いだ手はするりと離されて、それまで勢いよく走っていた筈のお互いの足もピタリ、と停止していた。

 振り向いた先にあったのは、短い時間で見慣れてしまった八の字眉毛の困り顔でもない、それこそ普通に友達のちょっとした頼み事を受け入れた時みたいな、『仕方ないなあ』みたいな表情。でもその顔からは、さっきまでの混乱に戸惑うような頼りなさは消えていた。

「えーと、その……キミが何で、そこまでして会いたいのか私にはわからないし、無理に教えてくれなくてもいい。でも、手伝うよ。――わたしも何となくだけど、直衛さんとはこれきりになりたくないから」

 ――正直、意外という他なかった。

 そして意外と思うと同時に、軽い気持ちで親友認定した筈の彼女に対して、吉宗に欠けた良識とか倫理観を持っている『ちゃんとした』側の人間である、という無意識の隔意があったことを気づかされて、そんな自分を若干恥じた。誰に何を言われようと己の性分に引け目を感じたことなんてなかったけど、この時ばかりは自分が情けなく思えてならなくて、羞恥に思わず顔を俯かせた。 

 実際、吉宗のいうことに、多分そこまで納得した訳じゃないのかも知れない。というか、まだ微妙に眉が寄ってるので確実にそんな気がする。


 と――そこまで思考が行き着いて、初めて吉宗は気がついた。

 まだ、彼女の名前も知らないこと。そんな相手にごくごく軽い気持ちで、どこにいるともわからない相手を捜すのを手伝ってほしいなんて、見当違いもいいところなお願いをしていたことに。

「……あー、えっと……」

 本当に、本当に困った。こういう時、謝ればいいのか、それとも『しなくたっていい』と撤回すればいいんだっけか。――駄目だ、女の子以前にこういうリアクションを取る相手が初めてな分、尚更勝手がわからない。


「あ。そういえば――」


 だから、彼女の方から気づいてくれたのは本当に僥倖といえた。ポン、と手を叩く様子を見せてから、ぎこちなさげな笑顔を作って、


「まだお互い自己紹介もまだだったよね。わたしは、玖堂皐月っていいます。えっと……キミの名前は?」


 そっと伸ばされた手には躊躇いも何もなくて。そっちの認識が確かなら自分は、ここにはいない伊吹いぶき流に言うなら『ノンケでも構わず喰っちまった男』という奴の筈なのに呑気に構えてていいのか、なんて思ったりもしたけれど。

 当たり前のように名を尋ねられた。それだけで、口の端が自然と吊り上がる。

「――お前、マジでいい奴だな」

「は?」

 本気でわかっていないといった感じの顔。でも、お構いなしにこちらも負けじと勢いよく手を差し出して、


「――大地吉宗だ、よろしくな、親友!」


 多分、この土地に着いてから一番の笑顔を以てそう応えた。

 そして、少女――皐月に抱いた『仲良くなれそう』という直感が、間違いではなかったことを確信する。

 きっとこいつは、友達になったら楽しそうだし、困ったことがあれば力になってくれる。そう感じたのだ。


 そうして、二人が自然と固い握手を交わした瞬間――




「――あれ?」

 

 丁度、『よもぎ商店街』と彫られている緑一色のファンシーな青銅せいどう製アーチを潜った瞬間であった。

 猛ダッシュを終えた疲労状態で、すぐさまその異常に気づけたのはひとえに吉宗の野生に近い直感の賜物だ。そして何より――

 とりあえず、今握手を交わしたばかりの新たな親友の頬をつねることから始めてみた。

「あ痛たたたたっ!?」

 柔らかかったし、向こうも痛がっている。うん、間違いなく現実だろう。

「何!? 親友宣言って嘘だったの、わたし何か悪いことしたかな!?」

「いやゴメン、ちょっと今が夢かホントかわからなくなって」

「わたしの存在幻影扱い!?」

「いやお前じゃなくて……周り、ほらよく見てみろよ」

 納得のいかない顔をしながらも、皐月は素直に首を回して周囲を観察してみる。

 成る程、一見すると確かにごく有り触れた商店街ではある。

 泥つきの野菜が店先の発砲スチロールに積まれた青果店せいかてん、その他あまり見たことのない店名のマイナーなコンビニチェーンや、年季の入った信楽しがらきたぬきを入り口に置いた蕎麦屋そばやとか。

 しかし、目を眇めれば眇めるほど、皐月の様子が生まれたての仔鹿のようにガクガク震えていくのが目に取れた。

 理由は、考えるまでもなくわかる。

「見事なまでにないないづくしだよな。さっきまで確かに賑やかな街だったと思うのに」

 何がないかというと人がいない、物音がしない。そして、光っているのはわかるのに、直視しても太陽が全く眩しくない。

 

 空気に色を付けるなら、灰色。音と光と生き物の気配も、全て死に絶えたような。

 眼前に広がるのは、そんな世界だった。




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