表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/8

7

 豪雨のために駅のどこにも人の姿はなく、眞一郎の背中は、すぐに見つけることができた。

「橘さん!」

 乱暴に傘を畳み、地下鉄への入り口を抜けて階段を降りた晴太は、今まさに改札をくぐろうとしていた眞一郎の名前を叫んだ。その声は壁に反響し、眞一郎の耳に届いたらしく、彼が自分へと振り返る。遠目だけれど、彼の表情が、とても驚いたものへと変化したことが分かった。

 驚きのあまりその場で立ち止まった眞一郎に、晴太は急いで駆け寄る。眞一郎がまだ改札を抜けていなかったために、そのまま彼の手を引き、自分が入ってきた出入り口へと歩を進めた。

「せ、晴太、なんで……っ」

「追いかけてきた」

 階段まで残り半分ほどの距離で、眞一郎が立ち止まる。さすがに大の男を無理やり引っ張って行くことはできなくて、晴太もそこで足を止め、眞一郎へと顔を向けた。

 ふと彼の左手を見れば、その手には折り畳みの傘が握られていた。晴太の家のものではない。最初から用意していたのだろうか。

「そんなこと、分かってる。そうじゃなくて、なんで……」

 眞一郎は言葉を続け、しかし最後まで言わずに言葉を濁す。その声は、微かに震えていた。

 すぐに晴太は、眞一郎が、何故自分を追いかけてきたのか知りたいのだと理解する。

「このまま義父さんと橘さんが別れたら、俺が後悔する気がしたんだ」

「え……?」

「俺別に、義父さんと橘さんのこと、反対する気はないんだ」

 先ほど優人に伝えた言葉を、再度口にする。すると眞一郎は、信じられないとでもいうように、瞳を大きく見開いた。

 自分を見つめてくる彼の視線に耐えかねて、晴太は一度俯き、大きく息を吸った。自分を落ち着かるように深呼吸を何度か繰り返し、頭の中で次の言葉を探す。

 ゆっくりと、顔を上げた。

「だから……」

 一緒に帰ろう、と。瞳でそう告げれば、眞一郎の瞳が困惑に揺れる。晴太の言葉を信じていいのか、悩んでいるらしい。

「で、も……」

「何?」

「でもやっぱ、嫌だろ?」

「嫌じゃないってば」

「だって、父親が二人になるんだぞ?」

「気にしないし」

 もしここに他人がい、二人の会話を聞いていたら、一体どういうことかと目を剥いたことだろう。だがここには、駅員の姿も見当たらない。雨のせいで全く人がいないから、なんて、油断でもしているのだろうか。まあそれは、今の自分達にはありがたい。

「お前に悪影響、とか」

「俺もう十七だよ? 別にないって」

「だけど……やっぱ、気持ち悪い、だろ?」

 小さく、悲痛な面持ちで呟かれた言葉に、晴太は唇を噛んだ。

 眞一郎へ背を向け、晴太はまた、歩き出した。動こうとしない彼の手を強く引き、無理やりにでも歩を進めさせる。

「お、おい!」

 強引に歩きだした晴太に、眞一郎が声を上げる。

「そんなの気にしなかったらいいじゃん。好きなんだったら好きで、一緒にいたらいいだろ。他人なんか気にせずにさ!」

「っ!」

 自分の意見をぶつけるために叫んだ途端、勢いよく、手首を掴んでいた手を振り払われた。手から消えた感触に驚き、思わず眞一郎へと振り返る。

「簡単に言うな! そういうわけにもいかないんだよ!」

 叫ぶ眞一郎の声は、晴太が初めて聞くような、暗い響きを持つようなものだった。このまま泣き出してしまうのではと勘違いしそうになるほど、ひどく掠れている。

「好きなだけで一緒にいれたら苦労しないんだよ! あいつにとってお前は大事で……。オレは他のやつに何を言われたって我慢できる自信はある。けど、お前が嫌だって思うなら、気にしないわけにはいかないだろ!」

 大事なあいつの、大事な人なんだから。

 眞一郎の言いたいことは、なんとなく晴太にも理解できた。大事な人を傷付けたくないという心理は分かる。

 しかしそれでも、無性にイライラが募った。

 どうして分かってくれないんだ。自分はさっきから、こんなにも言っているのに!

 晴太は右足を振り上げた。そのまま、眞一郎の足を蹴り飛ばす。靴越しに、固い感触が、響いた。

「だから俺は、嫌じゃねえっつってんだろ!」

 蹴られた痛みにひるんだ眞一郎の襟を掴み、晴太はぐいと顔を近付けた。睨むように眞一郎を見、感情のままに唇を開く。

「好きなんだったら一緒にいるべきなんだよ! 今ここであんたがいなくなったら、絶対に後悔する! あんたも義父さんも――俺もッ!」

 もう自分は見たくないのだ。大切な人を失くして悲しむ人の姿を。それでも懸命に笑う、大切な人の姿を。

 今ここで眞一郎を引き止めなければ、きっと自分は、優人の悲しむ姿を見てしまう。

 それに知ってしまったのだ。眞一郎がいい人だと。もうきっと、嫌いにはなれないと。

 だから、絶対に。

「行こ……?」

 眞一郎の襟首を掴んでいた手を離す。呆然としたように自分を見つめる眞一郎を見上げ、何か言いたげに、しかし言葉を発さない彼に、笑む。

 なんだか体がふわふわしていた。興奮が限界でも超えてしまったのだろうか。

「俺、二人の関係認めてるんだよ。だから今さら、別れないでよ」

 眞一郎が目を大きく見開くのが、ぼんやりとする視界に映った。体がだるくて、立っているのもしんどい。ぐらりと体が、揺れる――……。

「! 晴太!」

 近くにいるはずの眞一郎の声が、やけに遠くから聞こえてきたような気が、した。


* * *

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ