ep.13-3・高貴なる賓客(2)
式典のために整えられた司教の立つ壇はすっかり片付けられ、いつの間にか片隅に待機していた進行役——辺境伯ハッケネスが声を上げる。
「これよりパーティーに移らせていただきます」
その宣言に会場内がにわかに色めき立つ。
何しろ今はお昼どき。そして辺境伯領は食料生産の一大拠点であると同時に美食でも知られる土地なのである。
どんな料理で舌鼓を打つことができるだろうか。どんな飲み物で喉を潤すことができるのだろうか。そんな期待が祝福の端々から滲み出ていた。
だがそれを制するようにハッケネスは手のひらを打ち鳴らした。
「開宴に先立ちまして、本日ご臨席を賜りました、レヴィアテレーズ皇女殿下ならびに“青の神子”イロハ様よりお言葉を賜りたく存じます」
そんな進行役の言葉に、会場はしんと静まり返る。
レヴィアテレーズは澄ました顔のまますっと立ち上がり壇上へと向かった。
イロハはいきなり指名されたことに驚いたらしく、周囲をきょろきょろと見回し、おっかなびっくりといった足取りでレヴィアテレーズを追いかける。
レヴィアテレーズは悠然とした様子で壇上に立つと、会場に向かって淑女の礼をしてみせた。やはりその仕草は指先まで優雅で洗練されている。
「本日は急な参加にも関わらず、快く迎えてくださった辺境伯家の者たちに感謝します。先にも申したとおり、本日のわたくしは長らく姉のように慕ってきましたセレスティナの祝福に参った、ただの少女に過ぎません」
そこで言葉を切り、セレスティナの方へ視線を下ろした。
「兄上——ルシュリエディト皇太子の愚行によりセレスティナには苦労をかけました。寄る辺ない地に送られたと聞き心配しておりましたが、その表情を見ればわかります。まるで軛から解き放たれたかのよう……良き婚約者を得たようですね」
「もったいなきお言葉ありがとうございます」
レヴィアテレーズの言葉にセレスティナがそう返せば、レヴィアテレーズはサファイアの瞳を細める。群青の虹彩には大きな喜びと少しの寂寥を帯びていたように思われた。
「ディートヴェルデ・“ドヮヴェール”・ド・サヴィニアック」
名を呼ばれ、ディートヴェルデはぴしっと背筋を伸ばす。
レヴィアテレーズがディートヴェルデを見下ろしている。その視線はまるで見定めているかのように思われた。
「セレスティナのこと、どうか頼みましたよ」
一言で締めくくられたのが逆に怖い……。
ディートヴェルデはそんな感想を抱いた。背中に嫌な汗が流れているのを感じる。
「はい。この身に代えましてもセレスティナを守り、支えていく所存です」
ディートヴェルデは胸に手を当て、そう宣言する。
漢気に溢れるディートヴェルデの宣言を聞き、レヴィアテレーズは満足げに頷いた。
「ソルモンテーユ皇国皇帝グランクロワ陛下の名代として、わたくしレヴィアテレーズがこの婚約の証人となりましょう」
そう、レヴィアテレーズは皇帝の名代としてこのパーティーに出席している。
もともと皇太子の婚約者だったセレスティナの扱いはデリケートだ。
皇太子の一存で婚約破棄されたとしても、すぐに他の誰かと再び婚約するわけにもいかない。貴族としての立ち位置や権力の均衡に気を使わなければならないためだ。
それでもディートヴェルデとの婚約がこんなにもスムーズに結ばれたのは、ひとえに皇帝からの後押しのおかげである。
レヴィアテレーズの宣言は、そんな皇帝の意向を示すのにこれ以上ないほどの効力を持っている。
「わたくしからは以上です。それではイロハに代わります」
そう言って下がったレヴィアテレーズに代わり、今度はイロハが壇上に立った。
イロハは誰が見ても分かるくらいに緊張している様子だ。
だが宮廷と違って温かな雰囲気に包まれている会場にほっとしたらしい。一度深呼吸をして落ち着いた口調で話し始めた。
「セレスティナ様、ディートヴェルデ様、ご婚約おめでとうございます。そしてパーティーにお招きいただきありがとうございます。大好きなお姉さまのお祝いに駆けつけられて嬉しいです」
イロハが、セレスティナのことを『大好きなお姉さま』と呼んだことにパーティー会場が再びざわつく。
だがイロハは気にする素振りもなく続けた。
「巷でいろいろと噂されているのは知っています。けれど、わたしにとってティナ様はこの世界での最初のお友達です。何も知らないわたしに常識だけでなく礼儀作法やお勉強も教えてくれました。本当のお姉さんみたいにお世話をしてくれたおかげで、学院で楽しく過ごすことができました」
キラキラとした笑顔でそう語るイロハだったが、ふと言葉を区切り、少し悲しそうな顔をする。
「卒業式であんなことになってしまって、本当に悲しくて心配で……」
イロハの言う『あんなこと』とは皇太子による婚約破棄騒動のことだろう。
イロハはその場に居なかったが、婚約破棄の理由として名前を使われ、騒動の渦中に引きずり出されたのだ。自分が原因で『大好きなお姉さま』を傷つけ、さらには彼女の評判まで貶めることになったことに負い目を感じずにはいられなかったらしい。
イロハの語りに、会場には涙ぐむ者も現れる。
でも……とイロハは顔を上げ、再びキラキラとした笑顔でセレスティナとディートヴェルデを見た。
「でも、こうして婚約者さんの隣で微笑む姿を見て安心しました。ディート様は優しくて頼りになる人です。きっとティナ様を幸せにしてくれると信じています」
イロハは力強く宣言し、レヴィアテレーズに倣ってだろう、会場にも聞こえるようにこう告げた。
「お二人に祝福がありますように。“青の神子”として、二人の幸せをお祈りさせてください」
“神子”直々の祈りを目の当たりにして、会場のどよめきが一段と大きくなった。
“神子”は神の祝福を受ける存在。国においても皇族より尊いものとして扱われる。そんな“神子”が二人の婚約の祝福を願い、祈りを捧げた。それはつまり『この婚約は神々にとっても歓迎されるものである』という証明に他ならないのだ。
皇族だけでなく“神子”からも祝福される婚約など、前代未聞である。
普通ならこの栄誉に対して萎縮してしまうのが普通だというのに、セレスティナとディートヴェルデは仕方ないなぁ……という顔で苦笑している。
その落ち着き払った態度に賓客たちは畏怖の目を向ける。
まだまだ若く未熟な少年少女と思われていた二人だが、実はとんでもない大物なのかもしれない。
皇都の愚かな貴族たちは辺境伯領を侮っているが、本当にものをわかっている者たち——例えば世間の流行り廃りに敏感な商人たちから見ればここは宝の山であり、無限のフロンティアだ。
これからそれを統べる次期辺境伯と貴族たちの跳梁跋扈する社交界を生き抜いてきた公爵令嬢……この二人が経済に、ひいては政治にどれだけの波乱を起こすか、想像するだけで期待に胸が膨らむというもの。
招かれた親族たちは鼻高々に微笑み、両家の交友関係から招かれた貴族たちは二人とより深い親交を結ぼうと虎視眈々と狙い、そして商人たちは是が非でも青田買いをしようと舌なめずりをする。
それぞれの思惑が絡み合いつつも、婚約披露パーティーは祝福の温かみを帯びて和やかな雰囲気で開宴したのだった。




