ep.14-1・お待ちかねの午餐会
辺境伯領はソルモンテーユ皇国の食糧庫と呼ばれるほど食物の生産が盛んであり、穀物や野菜、肉といった基本的な食材はもちろんのこと、酒のような嗜好品も数多く生産している。
シャンパングラスの中でとぷんと揺れる甘露もまた辺境伯領で生産される恵みの一つだ。
冬の最も深くなる闇昇節の直後、新たな年を迎えた時期に収穫したリンゴで仕込んだシードルである。
寒さ極まる闇昇節を越えたリンゴはこれ以上ないほどに甘く芳醇な味わいになる。それを贅沢に使ったシードルはリンゴの果汁そのままの甘さと芳醇な香りを帯びつつ、弾ける炭酸とキリリとした酒精が爽やかな後味を引き出す。
食前酒にぴったりの逸品だ。
サンクトレナール公爵家の小さな子どもたちをはじめ未成年のグラスには、ノンアルコールのアップル・サイダーが注がれている。
酒精が無くともリンゴの甘さと香りは顕在だ。大人の気分を楽しめるということで好評を得ている密かなベストセラーでもある。
招待客全員がグラスを手にしていることを確認し、サヴィニアック辺境伯ハッケネスは声高々と宣言した。
「喜ばしき今日に、そして若き二人の未来に……乾杯!」
その言葉とともに無数のグラスが軽く掲げられ、光を反射してきらきらと輝く。
パーティーといえば、皇都では立食形式で社交に時間を費やす場として認識されている。
しかし今回は辺境伯領で行われるということもあり、自慢の食材をデモンストレーションする目的も兼ねて、半ば晩餐会のようなスタイルを取っていた。招待客の数を絞るからこそ実現できたスタイルとも言える。
招待客数人につき一テーブル用意し、料理を楽しんでもらうのだ。
食事の時間が終われば場所を変えて、皇都と同じく社交をメインとした立食形式に移る予定となっている。
辺境伯領で生産された新鮮な食材を使った料理……それは皇都貴族であろうと垂涎する一品である。
たとえ皇都の有名な料理人を呼び寄せても味は敵わないだろう。素材はそれほどまでに料理へ影響する。
期待に胸をふくらませる招待客の前に前菜が運ばれてきた。
真っ白な角皿のキャンバスに五つの花が咲いているかのようだ。
中心の小さなガラスボウルにはサラダが盛られている。みずみずしく少し苦味のあるレタスに、焼いて皮を剥いたパプリカを添え、サウザンドアイランド・ドレッシングをかけたサラダは、シンプルながら素材の良さが生きる一品だ。
トマトやアスパラガス、ヤングコーン、オクラに人参など彩り豊かな野菜をコンソメ味のゼリーに閉じ込めたゼリー寄せは、暑気の厳しい夏にぴったりの一品と言えるだろう。
カプレーゼはふつう大ぶりなトマトとモッツァレラチーズをスライスしたものを重ねて作る。だが、この皿にはころんと可愛らしいミニトマトにチーズとバジルを挟んだ一口サイズのものがのっていた。これならトマトの汁で衣装を汚す心配もしなくていいし、淑女でも周りの目を気にせずに食べられる。
2種類のピンチョスには生ハムが使われている。
ひとつは薔薇の花を模してロールされた生ハムと口当たりまろやかなクリームチーズ、そして干し柿を重ねたピンチョスだ。生ハムの塩味とねっとりとした甘さの干し柿をクリームチーズのまろやかさがまとめ、後引く味わいが人々にワインを求めさせる。
もうひとつのピンチョスも生ハムとクリームチーズを使っているが、こちらは千切りされた胡瓜とともにスライスしたラディッシュにくるりと巻かれている。生ハムの塩味とクリームチーズの濃厚な味わいが、みずみずしい胡瓜と少し辛みを残したラディッシュのシャキシャキした歯ごたえと香りと良く合い、爽やかな後味を演出するのだ。
定番のブルスケッタには、小麦の香りが全粒粉を用いたパンを使っている。貴族が口にする白いパンより濃い色のパンをスライスしてカリカリに焼き上げたものを土台に具材が盛られていた。
このパーティーで提供されたのは2種類——ひとつは薄くスライスされたトマトとナスとズッキーニ、香味野菜と煮込まれたそれはラタトゥイユだ。家庭料理として知られる料理だが、具材の切り方一つで印象がガラリと変わる。
もうひとつはキノコのマリネが添えられている。くどくないオリーブオイルの香りとビネガーの酸味が絶妙な一品だ。
どれも一口ほどで消えてしまうサイズ。食べてしまえば無くなってしまうのがひどく口惜しい……だが料理はまだまだ待ち受けている。
前菜の次はスープ。
本日の品目はスープはさらりと飲めるビシソワーズだ。
通常はポロ葱とじゃがいもから作られる真っ白なスープだが、今回は枝豆を大胆に混ぜ込み、柔らかな新緑に仕上げている。とろりと広がる枝豆の風味とは裏腹に、隠し味のサワークリームが後味を爽やかにしてくれる。
野菜ばかりの料理を前に、サンクトレナール公ギュスターヴは、少しばかりの懸念を覚えていた。
まだ小さな息子ヴェスペリアスは好き嫌いが出始めてきたばかりである。それにルナスターシャも少しばかり好き嫌いの残る子どもだ。
こんなにもたくさんの野菜を食べられるだろうかと心配していたが、どうやらそれは杞憂のようだった。
「おとうさま、このサラダおいしいです! それにこれも、これも……すごくおいしい!」
目をキラキラさせて、精一杯美味しさを伝えようとするヴェスペリアスの姿はとても可愛らしい。
その隣でルナスターシャはむすっとした顔でカプレーゼのミニトマトを突いていた。少し青臭さの残る味と汁でびちゃびちゃになるので、トマトがどうしても好きになれない。
しかし弟ヴェスペリアスがあまりに美味しそうに食べるものだから、興味を惹かれているのは確かだ。
父ギュスターヴが喜ぶのはいつものこととして、普段は表情に乏しい母オフェリアがミニトマトのカプレーゼを口にして表情を綻ばせたのを見て、ようやく決心が固まった。
(えいっ!)
ぱくりと口に含み、驚きに目を見張る。トマトのようでトマトではなかった。そんな味がした。ぷちっとした食感と甘酸っぱさはベリーに似ている。それでいて青臭さとはまた違うが独特の後味は、それが野菜だと主張しているのだ。
(トマトってこんなに美味しかったのね!)
新発見に心を踊らせるものの、ミニトマトはすっかりお腹の中。皿には残っていない……そのことに落胆しつつ、今度からこのトマトを取り寄せてもらうようお父さまに頼もうと決心した。
さて、コースにおいてスープの後は魚料理と相場が決まっている。
しかし残念ながら辺境伯領ではあまり魚が獲れない。海に面した皇都や美しい湖畔で知られる領地と比べると、どうしても劣ってしまうのだ。
それゆえ魚料理を省略することも珍しくない。
スープの次は氷菓子が来るだろうと待ち構えていた招待客に提供されたのは、なんと鶏肉を使った料理だった。
淡白な鶏のむね肉がそのまま貴族の食卓に上がることはほとんどない。脂が少なく、パサパサとした食感になってしまうためだ。
そのため貴族に供されるにしても、フリットとして揚げたり、シチューのように味の濃いソースと煮込んだりしたものが献立として挙げられる。
招待客に饗されたのはポシェで火入れし、薄くスライスされた鶏胸肉だ。
淡白な味わいのむね肉には、ハーブの散る淡黄色のソースがかかっている。こってりと濃厚な食感と酸味の利いたそれはマヨネーズをベースにしたものである。
新鮮な卵がなければ作れないマヨネーズは、貴族であってもなかなか口にすることが難しい。
たとえ卵が手に入ったとしても、腕のいい料理人がいなければ作ることすらできない。文字通り水と油である材料を混ぜ合わせ、上手く撹拌することのできる腕を持つ者は少ないからだ。皇城に勤める宮廷料理人か、公爵家レベルの家に仕える料理人、あるいは高級料理店の筆頭料理人でなければ難しいだろう。
そんなソースを惜しむことなくたっぷりとかけ、桃色の粒胡椒を乗せたそれは、まるでレースのハンカチのような上品さを漂わせていた。
「おや、考えましたね」
レヴィアテレーズは鶏むね肉のポシェを一口含み、感嘆の吐息をつく。
魚料理の代わりに淡白な鶏むね肉を使うアイデアは斬新だ。
そもそもコースにおいて肉料理の前に魚料理を提供するのは、肉よりも淡い味わいの魚を先に提供することで料理の味がぼやけてしまうのを防ぐためである。
とはいえ、形骸化しているところもあるのか、揚げ魚の後に脂と香辛料をたっぷり使ったステーキなんて組み合わせも往々にして存在し、ひどく胃をもたれさせる。
そのためレヴィアテレーズは、この組み合わせを以て主催者の格を見極めることにしていた。
今回のように魚料理を鶏肉で代用してくるパターンは初めてだが、なかなかどうして悪くない。
淡白な鶏むね肉は、丁寧に調理されたそれはしっとりとした食感で噛むとほろほろと繊維が解けていく。
マヨネーズソースはとろりと濃厚だが酸味とハーブの香味が爽やかな味わいだ。
レヴィアテレーズはあまり酒を好まないが、この料理には白ワインがよく合うことは間違いないと確信する。
きりりと淡麗な味わいの白がよく合うはずだ。
そう思う間に自然と手がグラスへ伸びていた。
次は口直しの氷菓子だ。本日提供されるのはレモンシャーベット。
真夏の、完熟の一歩手前で収穫したレモンは酸味が強く爽やかな香りがする。蜂蜜でマイルドにしつつも、甘さ控えめで口当たりのいいシャーベットに仕上げたのがこの氷菓子だ。
雪よりも儚く口の中で溶けるシャーベットが、これまでの料理の余韻を残しつつ口の中をすっきりさせてくれる。
氷菓子の器が片付けられると、招待客たちは目に見えてそわそわし始めた。
そう、口直しをしたあとは肉料理だ。何が出るのだろうかと期待した様子を見せている。
興奮に満ちたパーティー会場を見て、やっぱり……とセレスティナは肩を竦めた。
本当ならディートヴェルデとセレスティナで各テーブルを回って招待客に挨拶をするつもりだったが、誰もが料理に夢中になりすぎて挨拶どころではない。
招待客は王侯貴族、それから彼らを相手取るレベルの商人たちとあって、がっつくような真似はもちろんしない。完璧なテーブルマナーを守ったまま上品に、しかし貪欲に料理を味わっている。
邪魔をするのは野暮というものだろう。
「挨拶は後にした方が良さそうだな……」
「ええ。わたくしたちも先にいただいてしまいましょう。この後は飲み物をいただく暇すら無いと思いますわ」
半ば諦めた顔のディートヴェルデを誘い、セレスティナはテーブルについた。
メニューの企画段階から関わっていたこともあり、二人とも既に料理は試食済みである。
だが簡易食堂で口にするのとパーティー会場で口にするのとでは天と地ほども違う。料理は味ももちろん大事だが、場所や雰囲気だって立派な調味料なのだ。
「いただきます」
「いただきます」
二人とも手を合わせ、ナイフとフォークを手に取った。




