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第八〇話 「最強を目指せ!/其の六」

 昭和15年10月24日。

 かねてより支那事変の影響で疲弊していた日本国内において、この日、米穀管理規則が閣議決定された。国家が国内に流通、備蓄される穀物の管理統制を行う事となり、全国の市町村別に穀物の割り当てと供出の義務が与えられる事になる。いわゆる年貢を納めていた300年以上も昔の事と同じで、前時代的な国家運営もせねばならない程の疲弊ぶりは明治の建国以来、近代国家として目覚しい発展を遂げてきたこの国にとってもはやその面影すらも窺えない代物であった。併せて既に10月4日には砂糖とマッチも配給統制となる事が閣議決定されており、この両国家運営法案は来月の一日から正式に施行と決定。紙幣に代わり配給切符が導入される事になったのもこれと同じ時期であった。






 しかしこんな国内の日常も軍艦旗を翻す艦艇が多く集う呉の波間に顔を覗かせる事は無く、ぽかぽかと陽気すらも帯びた絶好の秋晴れである本日を艦魂達は心待ちにしていた。何といっても今日という日は、退屈な休暇の日々の中で企画された艦魂達の一大体育祭。(くれ)鎮守府所属の駆逐艦の中で最も強健な艦魂を柔道の試合で決めるという、柔道の大会が催される日なのであった。


 試合会場となる所は呉にて錨を下ろす様々な艦艇の中でも最も広い甲板を持つ艦艇と定められ、その役を今回担当するのは呉鎮所属で現在は特別役務艦とされている航空母艦の龍驤(りゅうじょう)艦だった。もちろんその艦影の大部分を占める広い飛行甲板の上が会場である。

 空母としてはベテランの域に当たる龍驤艦は最新型の蒼龍(そうりゅう)型よりもずっと小さい小型の空母で、今でこそ艦隊勤務からは外れているが来月の艦隊編成では帝国海軍初の航空母艦である鳳翔(ほうしょう)艦とコンビを組み、これまた帝国海軍初となる3つ目の航空戦隊である第三航空戦隊を編成する事になっている。5年前の第四艦隊事件で艦橋が一部圧壊する憂き目に会って以来の艦隊復帰で、艦魂である龍驤は長いリハビリ生活の終焉が近づいている事と、久々に集った同じ帝国海軍の艦魂達を数多く瞳に映せた事に心底喜んでいた。

 おかげで張り切る龍驤は広大な飛行甲板の真ん中に、本来は露天繋止した航空機を風から守る為に用いる遮風柵を展開し、そこに艦内倉庫から持ち出した天幕を張って記念すべき今日の大会の大会本部を一人設けていた。これには現在の呉軍港内では最も偉い立場に当たる伊勢(いせ)も喜び、せっかく用意してくれたのだからと各艦艇常備の折り畳み椅子や小さなテーブルを運んできて大会本部の体裁を整えてやる。立派な大会本部はすぐに伊勢や日向(ひゅうが)最上(もがみ)を始めとする七戦隊等の巡洋艦の艦魂達、艦の主である龍驤、今は桟橋にて余生を過ごしている大先輩の浅間(あさま)、等といったお偉方が集まり、一応は本大会での医務全般を担当する明石(あかし)もここに詰めて見守る事となる。

 左腕につけた赤十字の腕章を輝かせる明石は同じ軍装を着ていてもよく目立ち、参加者である駆逐艦の艦魂達は憂いなく全力を試合に出せると安堵の息を漏らす。今回の大会の発起人である吹雪(ふぶき)もそれは同じで、本部へとやって来て龍驤や伊勢に挨拶するのと同時に明石にも深々と頭を下げていく。明石も怪我人が出た場合の全力での対応を約束し、吹雪は喜び勇んで大会本部を背にすると号令を放った。


『全駆逐隊員、整列!』


 11駆に属する彼女には所属も違うその他の駆逐隊への指揮命令権など無いが、帝国海軍の駆逐艦の中でも数人しかいない下士官に当たる上等兵曹の階級を頂く彼女の声に、飛行甲板のあちこちにて小さな集団を作っていた駆逐艦の艦魂達は一斉に走り寄って、大会本部と吹雪に正対する形で整列を始めた。各々が司令駆逐艦を勤める者を先頭にして各駆逐隊毎に横列で並ぶ姿は中々壮観で、無数の足音と供に木霊する木甲板特有の打楽器の様な音色が見物人達の耳を撫でる。すっかり寒くなった時期に合わせて黒い第一種軍装を身に付ける者が多い中、列の中にチラホラと見える柔道着を着た者の淡い真珠色もまた、明石を含めた見物人達の瞳に映る色合いに花を添える。

 綺麗に整列し終えた8個駆逐隊28名に登る駆逐艦の艦魂達が視線を集める先で吹雪は姿勢を正すと短い訓示を行い、続いて再び眼前の仲間達へと口を開いて号令の言葉を投げる。


『艦種歌! 歌い方用意!』


 響きの良い緊張感も幾分篭った吹雪の声を受け、その場に整列した駆逐艦の艦魂達は左手にこれから歌う艦種歌の歌詞が記された紙を持つと左腕の肘を伸ばして肩の高さに掲げる。吹雪にあっても同じ様に紙を手にした左腕を肩の高さで前に伸ばした。

 それは彼女達の分身で励む乗組員達が行う軍歌演習の際の歌い方用意と全く同じで、今から歌おうとする彼女達の言う所の「艦種歌」も、元は乗組員達が歌う数ある軍歌の中の一つ。やがて高らかに響いた吹雪の号令に併せて、駆逐艦の艦魂達は一斉に左手をそのままにその場で足踏みを始め、各々が踏み鳴らす木甲板の音を伴奏として歌声を奏でる。

 29名の艦魂達が一糸乱れぬ足踏みとテンポで歌うその歌は、世界に誇る重雷装を特徴とする現代の帝国海軍駆逐艦事情を由縁とする。今から45年前に艦砲ではなく雷装を主な武器として戦った、自分達へと繋がる先人達の軌跡を歌にした物であり、現代の駆逐艦の艦魂達が自分達を示す歌として一様に決めていた歌であった。




月は隠れて海暗き

二月四日の夜の空

闇をしるべに探り入る

我が軍九隻(くせき)の水雷艇


目指す敵艦沈めずば

生きて帰らじ退かじ

手足は弾に砕くとも

指は氷に千切るとも


(おぼろ)げながらも星影(ほしかげ)

見ゆるは確かに定遠(ていえん)

いざ一うちと勇み立つ

将士の心ぞ勇ましき


(たちま)ち下る号令の

(もと)射出(いだ)す水雷は

天地も震う心地して

目指す旗艦に当たりたり


走る稲妻打つ(あられ)

襲わば襲え我が艦を

神はいかでか義に背く

敵の勝利を護るべき


見よ定遠(ていえん)は沈みたり

見よ来遠(らいえん)は沈みたり

音に響きし威海衛(いかいえい)

早や我が物ぞ我が土地ぞ


ああ我が水雷艇隊よ

(なんじ)(ほまれ)は我が軍の

光と共に輝かん

かかる愉快は又やある




 普段の教練でも歌う機会を設けているこの歌は、明石も何度か耳にした事がある。何故だか艦魂の世界で歌われるようになって最後の8番は欠落するようになってしまったのだが、水雷を主な武器として戦う者達を褒め称える終わり方は駆逐艦の艦魂達の気分を一気に高揚させてくれる物だ。まして28人の仲間が斉唱するその様子はとても迫力があり、大会本部に詰めてそれを見守る明石達は一様にどよめきを放つ。長く帝国海軍に属して励んできた大先輩である浅間も、昨今の後輩達の勇壮な姿を目にして大変に喜んだ。

 やがて大会の開会を宣言する伊勢の言葉を受けて一時的にその場は解散となり、さっそく駆逐艦の艦魂達の中でも今回の大会に参加しない者達は自ら進んで、大会本部の目の前に当たる部分にこれから仲間達が死闘を繰り広げる事になる試合場を作っていく。試合場と言っても各艦より持ち寄ったマットを敷いて繋ぎ合わせてそこそこの大きさに仕立てただけの質素な物であったが、いつも狭い甲板の上で教練に励んできた駆逐艦の艦魂達にあってはとても立派な柔道場として見栄え良く瞳に映る。おかげで彼女達が今大会に賭ける意気込みは更に(みなぎ)り、飛行甲板左右に陣取った各駆逐隊の集団の中には自作ののぼりを立てて自隊の選手を鼓舞する姿もチラホラと出る有様だった。


 しばらくして試合場の準備が終わり頃には呉軍港にて雑役船として働いている曳船や交通船、給水船等といった小型船舶の艦魂達も大挙して龍驤艦の飛行甲板に集まり、大会見学者は悠に100名を越える数に登る。伊勢が持ってきてくれたパイ缶を頬張りながら明石達も談笑し、今大会へと参加する各駆逐隊と選抜された選手達の名が書かれた一覧表に目を通した。

 それと時を同じくして二水戦所属の駆逐隊は神通(じんつう)の周りに集まり、上司が教えてくれる各駆逐隊と選手達の特徴に耳を傾けている。まだまだ若い(かすみ)雪風(ゆきかぜ)を始めとする部下達であるから、呉鎮所属の各駆逐隊の面々を始めて目にした者も少なくない。故に長く呉鎮所属の艦艇として勤めて来た神通に、これから自分達が相対する事になる先輩方の事を訪ねたのだ。


『そうだなぁ。まずは、あそこ。飛行甲板の向こう側で一番右端にいるのが─。』


 囲むようにして腰を下ろした10名近い部下達の前で、神通は説明する駆逐隊の方に都度顔を向けながら声を放つ。それは小さな「私立神通学校」の授業の様相を呈し、部下達は自分達以外の駆逐隊に対する理解を深めて行くのだった。




 まず呉鎮所属の駆逐隊の中でもトップナンバーを頂くのは、大会発起人の吹雪が属する第11駆逐隊。吹雪とその姉妹の三隻編成の部隊で、所属は明石や二水戦と同じ第二艦隊の第二航空戦隊だ。彼女達のような航空戦隊所属の駆逐隊は所属の空母の運用における補助を担当し、「とんぼ釣り」とも呼ばれる墜落機の搭乗員救助など地味な任務に励む物で、水雷戦隊に所属する駆逐隊に比べれば普段のお仕事に派手さや迫力が伴わない事は否めない。だがそんな吹雪達とて世界に誇った特型駆逐艦の一員にある事に代わりは無く、一昔前までは花の二水戦に所属していた経歴を持つ立派な小型戦闘艦である。現代の艦隊型駆逐艦の艦魂である霞や雪風からすると正統な先輩方に当たり、その中でも吹雪は今大会の優勝候補筆頭と目される艦魂だ。


 12駆も同じく吹雪の姉妹に当たる者達で構成され、4隻編成。こちらは第一艦隊の三水戦所属であり、三水戦は神通の姉である川内(せんだい)が率いる戦隊。口にこそ出さないのものの、上司が姉に対して負い目を抱かせないようにと企図する霞や雪風にあっては、今回負けてはならぬと心に強く決めている部隊の一つである。


 続いて13駆は型式の古い若竹(わかたけ)型の駆逐艦によって編成されている部隊で、長女の若竹を始めとして、呉竹(くれたけ)早苗(さなえ)の三隻編成。上司と同じく大正生まれの彼女達は植物の名前を冠している事からも解かる通り、これまでの所では帝国海軍で建造された最後の二等駆逐艦であり、霞や雪風達と比べてもその分身は1000トン以上小さい。現在は呉防備隊という港湾の防御を担当する部隊に所属していて、旧式小型である事から大海原を走り回って艦砲や魚雷を撃ちまくるような激しいお仕事からは身を引いている隊であった。今回の柔道大会でも参加はしつつも選抜の選手は出しておらず、もっぱら試合での審判を担当する事になっている。


 お次の14駆は昨年に解隊され、現在は欠。


 15駆は陽炎(かげろう)型の姉妹で今年の8月末に編成された最新鋭の駆逐隊で、親潮(おやしお)艦、夏潮(なつしお)艦、早潮(はやしお)艦の三隻編成。現在は部隊としては未所属であるが、嬉しい事に来月には雪風の隊から黒潮(くろしお)を転出させた上で正式に二水戦に加わる事が決まっている。15駆の面々は既に新編成に供えて呉で待機している事から、今回は陽炎を始めとする姉達や霞や(あられ)といった先輩達との顔合わせも兼ねての見学となっていた。新たな仲間や姉妹、そして来月から上司として頂く事になる神通の姿は、まだまだ幼心の彼女達の瞳にはどう映ったであろうか。


 16駆は言わずと知れた二水戦の駆逐隊で、選抜選手は雪風。現状の二水戦では最も若い部隊であり、来月からは15駆に転籍となる黒潮に代わって、つい明後日に竣工を予定している天津風(あまつかぜ)という妹を加える事になっている。まだ天津風は呉に来ていないが、雪風はまだ見ぬ妹を胸を張って迎えられるようにと大会に向けての意気込みをさらに重ねているのだった。


 次いで17駆は現在は欠番であるが、12月には陽炎姉妹の最新鋭艦をあてがって編成される予定である。ただし所属予定の艦はまだ就役にも至っていないので、呉にはその姿はまだ無い状態であった。


 そして18駆は二水戦所属で、言わずと知れた霞を選抜選手とした駆逐隊。基本的に同型艦で構成される駆逐隊事情にあって、朝潮(あさしお)型2隻、陽炎型2隻で編成されているという非常に珍しい部隊である。しかし8駆を除いている今の二水戦では彼女達18駆が最も経験を積んだ駆逐隊であり、神通が褒める程の指揮官の才能を有する霞の能力も手伝って結束も硬い。俗っぽく言えば、今の呉で一番に活きの良い駆逐隊こそ彼女達である。


 続いて19駆はこれまた吹雪の姉妹4隻で編成されており、所属は第一艦隊の第一航空戦隊。


 最後の20駆も吹雪の姉妹で編成されており、12駆と同じく第一艦隊三水戦の所属部隊だ。




 さすがに15年以上も帝国海軍の艦魂として励んできた神通。部下の少女達はその説明によって普段は余り会う事も無かった諸先輩方の状況をよく知る事ができた。神通の周りを囲むようにして座る彼女達はまだまだ10代後半の容姿を持ち、これまで余り意識して来なかった先輩に当たる駆逐艦の艦魂達の存在をこの時強く意識し、同時にまだまだ若輩な自分達の身の程を思い知るのだった。

 ただ、大会に参加する霞だけは周りの仲間や姉妹とは違い、説明してくれる上司の表情にどこかサッパリとしない顔色が滲んでいるのを見逃していない。やはりちょっぴり冴えないその胸の内は、自身の部下を持って自慢話をせずに他の水雷戦隊の者の話題を自らの口からだすもどかしさがあるのだろう、と霞は一人察する。特に三水戦の駆逐隊は上司の実の姉が率いる部隊であり、その実力や経験、果ては今大会の下馬評に至るまで自分達とは段違いであるのだ。


『この中ではお前達はまだ若輩に当たるが、戦の場面において年齢なんか気にする事は無い。猿も犬もアイツ等の胸を借りるつもりではなく、倒す事をしっかり目標に掲げて励むんだぞ。』


 横目に認めていた吹雪を始めとする先輩達の姿に対抗心を募らせる霞には、その正面に正対する形で仁王立ちしている上司の訓示が言い渡される。その言葉は遠慮など気にする必要も無いという許可のような物で、生来が勝負事を前にして闘争心を燃え上がらせる性分の霞は、隣に立つもう一人の二水戦選抜選手である雪風と供に大きく張り上げた返事をした。


『『 はい! 』』


 元気の良い返事は、二人の若さがこれから挑むであろう相手達に対して武器へと変貌した事を神通に示してくれる。かつては自分もこのようにしてお師匠様に声を返していた事を少し思い出し、彼女は僅かに口元を吊り上げて大きく一度頷くと、今度は周りに腰を下ろしている霞と雪風以外の部下達に向けて声を放つ。


『よし。お前達も猿と犬の応援にはしっかり声を出すんだぞ。例え個人戦であっても選手の所属駆逐隊、その上級部隊である各戦隊の評判は応援の可否でよく見られてるモンだ。私達二水戦には仲間が戦ってる時に知らんぷりをかます様な大馬鹿者は一人もいない。戦ってる猿や犬の評判だって掛かってるんだ。みんなの代表である二人に恥を掻かせるんじゃないぞ。解かったな。』

『『『 はい! 』』』


 一糸乱れぬ調子で放たれる少女達の声は龍驤艦の飛行甲板の上に木霊し、他の駆逐隊や大会本部に詰めていた明石達の視線を集める。神通の仁王立ちを囲むその姿は怖い上司と怯える部下の構図と紙一重ではあるが、彼女達が放つある種の雰囲気というものがそこに恐怖を伴っていない事を示しており、その場に居る二水戦以外の者達は見事に一致団結した手強い若者達にこもごもの想いを巡らせるのだった。




 それから十分ほど経った頃、審判を勤める13駆の呉竹が大会本部前のマットに進み出て勝ち抜き戦の一回戦を始める旨の声を上げる。


『傾注ー! これより一回戦を始めまーす!』


 少し騒がしかった飛行甲板も呉竹の一声で静けさを取り戻し、天幕を張った遮風柵の下で他愛無い雑談や大会の下馬評について声を飛び交わせていた明石を含むお偉方も声を静めて眼前に敷かれたマットに視線を集めた。

 そしてまだ一回戦にも関わらず、明石の瞳に移った第一試合の選手の一人は早くも知り合いの者であった。思わず彼女が呟くような声でその者の名を口に出す前に、呉竹の選手を呼び出す声が響き渡る。


『右舷側、第19駆逐隊、綾波(あやなみ)二曹! 左舷側、第18駆逐隊、霞一水!』


『はい。』

『はい!』


 呼ばれた者が各々の部隊から上がる声援を背にマットへと歩み出る。その内の一人は明石の友人である霞だった。白い柔道着と反する陽に焼けたような麻色の肌の持ち主である霞は見間違えようも無く、早速の友人の出番に明石は超の手に軽く拳を握ってはしゃぐ。大会本部の中でも伊勢や日向といった古参の者達が声を弾ませ、ここ最近は部隊としての雰囲気もガラリと変わった事で噂の種である二水戦の登場に期待を示した。


『あら、いきなり二水戦じゃない。』

『まだ若いけど、去年からまた戦隊長に戻った神通のトコの部隊は最近すこぶる成績が良いらしいな。』

『さっそくメーンな感じの試合だなぁ。どれどれっと。』


 お偉方の一部はそんな言葉を放ちながら腰掛ける椅子を少し前に運び、今まさに始まろうとしている第一試合を間近で見ようとする。明石も邪魔にならぬように隅っこに椅子を運びつつ、凛々しい表情で仲間達からの声援と上司の視線を背中で受け止める霞の姿に目を凝らした。




『正面に礼。』


 呉竹の指示に従い、霞と綾波はまず審判である呉竹とその背後にある大会本部に正対して一礼する。その最中、霞はふと腰を折りつつも、呉竹の右手に魚雷や艦砲の使用時に人間達が使用する懐中時計に似た形の団着時計が握られているのを認める。どうやらその時計をもって試合時間を正確に測るらしく、試合中の一挙手一投足、特に攻める事に億劫になった場合の指導判定に気を付けようとそっと胸の中で呟く。上司譲りの素早い動きの戦い方を用いる霞であるが、その反面、試合ではそもそもの彼女の体格が小柄である事からあまり組み合いに挑んでゆく様な事が無い為に「勝負から逃げている。」という判断を見る者に与えてしまう事と隣り合わせなのである。

 そんな事からこれから挑む試合の戦う計画を少し見直していた霞の耳には、続けざまに放たれた呉竹の声は響いてきた。


『お互いに礼。』


 少し慌てて霞はこれから挑む先輩、綾波に身体を向けて頭を下げる。霞にとっては初めて目にした綾波は、試合を前にしても顔色一つ乱していない大人しい感じの艦魂で、頬が隠れるくらいの長さの髪を小さく後頭部で結っている。10歳近くも歳が離れている為か顔立ちは霞と違って完全な成人女性のつくりをしており、その胸もお尻もペッタンコの霞とは歴然の差がある。随分と静かで落ち着いた様子で、綾波は少し細くした黒い瞳を瞬きも数える程にしてじっと眼前の後輩の目に向けていた。

 先輩にじっと見られるのは霞でなくとも少し気が乱れてしまう物で、彼女は少々動揺が滲んだ声を放って先輩への挨拶とする。


『ね・・・、願います・・・!』

『願います。』


 不気味な程に落ち着いた先輩の姿は、ただでさえ150センチメートル台の身長である霞との体格差もあってとても大きく見える。霞は礼を終えて少し後ろに足を進めつつ、軽く拳を握った両手を口の前に近づけて暖を取るように息を吹きかけた。それは彼女が緊張の糸を胸の中に張っている時に見られる独特の癖で、陽に焼けた様な麻色の肌が持つ元気の雰囲気は傍から見ても少し色褪せていた。

 だがそこですかさず上司の神通はマットに向かって響きの良い甲高い声を放って、教え子の身体に纏わり付こうとする緊張を自ら解す事が出来るようにしてやる。それは普段から二水戦の教育日課で教えて来た事の復習であり、問い掛ける形の神通の言葉に霞は我に戻って振り返る。


『猿。一分の兵法とはなんだ?』

『いちぶんのへいほう・・・。』


 突如として背後から響いた声であったがその周りにいる仲間達と同じ様に、霞は瞬間的に上司が放った言葉に関連する記憶を脳裏から検索してみせる。そして声に出す事無く、胸の中で上司の示そうとしてくれた文言を唱えた。


 「一分の兵法も、敵になりておもふべし。兵法よく心得て、道理つよく、其道達者なるものにあひては、必ずまくると思ふ所也。能々吟味すべし。」


 それは人間達と同じく月曜日の午前に行われる教育日課で上司より教えてもらった一節。武技教練や水雷、砲術のお勉強ともまた違った教育内容は時に小難しい物でもあったが、かの有名な剣豪、宮本武蔵の綴った一節であった事から霞も興味を示して覚えようとした言葉で「五輪書・火の巻」と呼ばれる本に記載された一文である。織田信長公の熱烈な崇拝に始まる帝国海軍艦魂社会一の「歴女」っぷりを示す上司は、この古い文書の中から霞を含めた部下達へと教育を授ける事が間々有り、その内容と篭められた意味合い、そして生かし方までもしっかりと教えていた。

 その内に霞は一呼吸置いて表情を正すと、自分に向けられたままであった上司の鋭い鋭角で構成された瞳に眼差しを返す。


『敵になる事・・・。負ける可能性を必ず頭に入れて工夫を凝らす事・・・。』

『そうだ。』


 呟くように放った霞の言葉に、間髪を入れずに上司の返事が木霊する。普段から部下の前で悩んだりするような所を殆ど見せない神通の返事は、何かを含んでいる様な様子も無くサッパリとした物であった。だがこの引きずるような物言いが無い彼女の返事だからこそ、霞はいつの間にか息を吹きかけていた両手を下ろしていた。

 やがて上司より肯定してもらった自分の答えを、霞は視線を正面に戻して相対する綾波へと脳裏の中で当て嵌めていく。刹那、麻色の肌で成る霞の顔からは緊張の色が完全に消えた。


 そうだ。きっと綾波さんも負けるかもと思いながらあそこに立っている筈。感情が滲んでいない様な物言いや表情は、それをなんとか悟られまいとしているからだ。


 そこまで考えた霞はようやく腕を胸の高さに掲げ、戦いに挑む姿勢を取る。肩の広さよりも少し狭いくらいの間隔で脚を開き、半身にした上半身をやや前屈みにしたその姿は、神通や仲間達には一目瞭然の霞なりの臨戦態勢であった。

 やがてそれを認めた呉竹が右手を挙げると同時に、霞の眼前では綾波が前髪を邪魔にならぬように掻き分けつつゆっくりと腰を落として身構える。伊達に長く駆逐艦の艦魂として生きてきた訳ではないらしく、顎を引いて上目遣いで放つ眼光の鋭さに神通の周りにいる少女達はほのかに恐怖心を抱いてしまうが、霞にあってはその限りではない。元来、自分の窮地に陥った状態を知ると逆に闘争心を燃やす性格の霞は、先輩であっても負けじと睨み返して呉竹の合図を待っていた。もちろんその根本にある負ける事を彼女に意識させたきっかけは上司のお言葉で、霞という部下の性格を曇りなく読み取っていた神通の成せる業でもある。

 やがて呉竹の声が甲板に響き渡り、それを合図として本日の大会の最初の試合の幕が切って落とされた。


『始め!』




 試合の開幕と同時に霞はそれまで狭くしていた両脚をいきなり大きく開いたかと思うと、綾波の腰の位置よりも低くした上半身を潜らせて距離を詰める。対して綾波は小柄な霞の体格からすばしっこそうな所を幾分は予想していた為、即座に後ろに跳び退いて霞の接近を一時的に封殺した。霞にあっては素早さを生かす為の布石として動きを見せておく事を意識しただけでこの接近は飽くまで牽制であり、綾波が跳び退くやすぐさま脚を元の間隔に戻して最初の立会いを同じ姿勢へと戻る。




 ただこの小さな攻防で見せた霞の動きに、早くも龍驤艦の甲板にはどよめきが起こった。


『おおお! 速い!』

『ひゃ〜〜。あの小っちゃいの、なんちゅーすばしっこさ。』

『すっごい。どういう足腰してんのよ、あの子。』


 それは一様に霞の動きの速さにこもごもが驚いた事を示した物で、明石が詰める大会本部の中も例外ではない。思わず口を押さえて目を丸くする伊勢の横から、妹である日向がそっと顔を寄せて声を掛ける。


『ね、姉さん。今の見ましたか・・・?』

『あはは・・・。いやあ、これは驚いた・・・。金剛さんの柔道もあんな感じだったけど、動きの速さだけは手荒くあの霞って子の方が上だよ・・・。』


 お偉方のひそひそ声は明石の耳までしっかりと流れており、友人である霞の評価が早速上がった事を喜んで思わず笑みを溢す。第二艦隊の一員として一年近く励んできた中で、あの霞が怖い怖い上司の下で頑張ってきたのは何度も明石は見てきた。ここ最近の特訓だって目にしており、余りの激しさに彼女をちょっと可哀想に思う事だって何度もあった。でも今やその修練の結果をして将官クラスの艦魂達を唸らせている霞の姿は、明石なりに見てきた彼女の汗と努力が報われたかの様に見えてならない。当の霞が抱く目標はもっと上、即ち決勝にまで至る全ての戦いに勝利し、呉鎮最強と称される駆逐艦の艦魂となる事であるのは良く解かっているが、ずっと近しい間柄で見てきた友人の姿は明石の胸の中を安堵にも似た嬉しさで満たして行く。

 そしてどうやらそんな心根を抱く人物は、明石以外にももう一人いるらしい。明石はそれを、マットの上で戦う仲間に必死で声援を送る二水戦の少女達のちょっと後ろ側に立っている親友の姿に認める。勝負事を目にしているからか腕組みをしてじっと視線を向けているその瞳は日本刀の切っ先の様な鋭い釣り目であるが、そんな神通の口元は正面にて展開される接戦に集中している部下達に見られる憂いが無い為に大きく緩んでいるのだった。




 一方、得意の脚を使った柔道が好評の霞はその熱血な性格を発揮して極めて高い集中力で綾波との試合に挑んでおり、周りの自分に対する評価や感心の声なぞちっとも耳には入っていなかった。どうやら綾波という先輩は組み合いに持ち込んでの勝負を企図しているらしく、霞が懐に飛び込もうとすると彼女は上から覆い被さる様にして襟や袖に手を伸ばしてくる。決して無我夢中で攻めている訳ではない霞はそんな綾波の動きを着実に見切り始め、組み合いの始めとして先に伸ばしてくる手が右手ではなく左手である事、そして袖を掴んでも霞が反撃とばかりに腕を絡めようとしたら必ず右足を残して後ろに跳び退こうする事を癖として読み取っていた。ついさっき一度だけ組み合いの形になってみたのも功を奏しているのか、綾波は重心をやや後ろ寄りにして手を前に伸ばすような姿勢で霞の動きに備えている。

 ここに至って霞は今度こそ本気で相手を投げに行く事を企図し、綾波の不意の反撃に注意しつつも跳ねるような脚さばきで少しだけ前に踏み出してみた。


『ぬん!』

『む・・・!』


 霞は踏み出すやすぐに上半身を後ろに戻し、牽制の為に手を胸の前で小さく振り回して袖を取るふりをする。しかしその最中に彼女は、綾波が後ろに跳び退こうと重心を後ろに傾けながら、それでも組み合いに持ち込もうとして手を伸ばしてきた一連の動作を見逃していない。先輩の事であるから甚だ失礼と思いつつも、綾波のそれはなんとも中途半端にして柔道の戦いでは極めて危険な身のこなしであった。故に霞は自身の企図が成功する事を確信し、綾波の胸の辺りに視線の焦点を併せてタイミングを窺う。

 お互いの呼吸のテンポ、脚や腕の位置、重心のかかり具合、そして神通よりしこたま教えられた戦という物に必ず存在する"流れ"という概念。

 それら全ての点が霞の意識の中の一角で線として繋がった瞬間、彼女は意を決してそれまで肩の幅くらいの間隔で開いていた脚を大きく開いて踏み込み、綾波の腰の帯を目掛けるように突進した。


『でりゃああ!』

『むうっ!』


 全身の毛を逆立てる程に叫んで飛び掛る霞は、動きのキレも速さも試合開始の時より少しも劣化がない。ここ最近、毎日の様に教練の最中に甲板の脇から嘔吐を繰り返し、アザが出来る程にお尻に浴びてきた神通の愛の鞭が、霞の土壇場での精神力と体力を支える。まるでその突進の様子は彼女と綾波の分身を含めた帝国海軍の駆逐艦が誇る魚雷の駛走その物で、綾波は腰の辺りから突き上げてくる霞の顔を胸で受け止めるようにしながらその奥襟と袖に手を伸ばす。しかし既にこの時、霞の柔道を知る二水戦の艦魂達からは勝負が決まった事を示す歓声が上がっていた。


『あ! 霞姉さん、行きはったわ!』

『でたー! 霞さんの大内狩りだぁ!』


 試合中に技の名前を口に出してしまう事は手の内を教えるのと同義なのかも知れないが、この状態で綾波がそんな歓声を耳に入れても手の施しようは無かった。突進してきた霞を受け止めた綾波は後ろに上半身が倒されていくのに気付いて即座に左足で踏ん張ろうとするも、残る脚は右足で踏ん張るのはその逆である事を先刻お見通しであった霞はまさにそこを狙う。


『うわっ・・・!!』


 左足の感覚を研ぎ澄ませようとした矢先、綾波の左足は膝の裏から貫通するような衝撃を受けてカクンと折れ曲がる。もちろんそこには綾波の股の下を潜り、器用に曲げて正確に彼女の膝の裏に埋め込むようにあてがわれた霞の右足があった。次いで突進の力を身体全体に帯びた霞の身体は支えを失った綾波の身体を大きく後ろに傾け、背中から仰向けでマットの上に崩れる綾波に正面から霞が抱きつく形で倒れていく。

 刹那、呉竹の判定の声は寥々と響き渡り、晴天に向かって右手が真っ直ぐに伸ばされた。


『一本! それまでぇ!!』


『『『 おおおおおーー! 』』』


 この瞬間に先輩相手の大金星が確定し、龍驤艦の飛行甲板上は落胆と歓喜の声が混じった喧騒に飲み込まれる。大会本部に詰める明石達も驚愕の声を上げたまま開いた口が塞がらず、眼前の試合場に起きた快挙に瞬きも忘れた視線を送るのみ。その中心にいるのは立ち上がって拳を強く握った右手を高々と空に伸ばす霞で、彼女の口から放たれた勝鬨の声は瀬戸内の穏やかな潮風を物ともせずに果てしない空へと一直線に昇って行く。


『おっしゃーーーっ!!!』


 仲間の殊勲にハラハラしながら応援していた二水戦の少女達はやんややんやの大騒ぎとなり、天敵のめでたい事を『ケッ!』と鼻で吹き飛ばす不機嫌そうな雪風を例外として、皆一様に隣の者同士で抱合ったりして喜びに打ちひしがれる。その背後にいる神通は腕組みをしたまま表情を微塵も変える事は無かったが、その胸の内が目の前にいる少女達と何一つ変わっていない事を、その場を流れていく瀬戸内の潮風だけが緩んだ彼女の口元で聞いていた。


『ふん。あの猿め・・・、やりやがったぞぉ・・・。』




 こうして呉鎮最強の栄冠を目指す本日の大会で、早くも二水戦には勝ち星が一つ付く。だが戦はまだまだこれから。鬼の上司と少女達の奮闘はまだしばらく続くのである。

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