表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/171

第七九話 「最強を目指せ!/其の五」

 気温が低いながらも気持ちの良い秋晴れの天気の中、間宮(まみや)艦から戻った神通(じんつう)は自身の分身の甲板上に白い光を伴って現れる。


 約一名のうるさい奴を宥めるのに真昼間から一苦労してしまった彼女はちょっとお疲れで、清々しいお空や瀬戸内の潮風に口元を緩ませる事はない。足取りからも若干力が抜けており、溜め息混じりで足元に視線を落としながら艦首甲板に向かう。それはもちろん、彼女が教練をつけてやっている部下達が今日もそこにいるからで、間宮艦へと赴いている間は自主練習の名目を与えて励ませていた。

 ただ、部下達がちゃんと真面目に練習に取り組めているかどうかは神通としても大いに疑問である。なんといってもその部下とは犬猿の仲である(かすみ)雪風(ゆきかぜ)だからで、戦隊内の武技教練で行う柔道の試合では必ずなんでも有りの乱闘になってしまう程である。この二人はとても優秀な部下ではあるのだが、大きな欠点としてお互いに一致団結する事が出来ない。未だにその根本が上司である神通にもよく解かっていないのだが、とにかく霞と雪風は顔を合わせる事すらも内心は嫌だと思っているらしい。仲良しになれとまでは神通だって言わないものの、せめて同じ戦隊に所属する仲間として上手くやってくれない物かと願うのがここ最近の彼女の日課であった。

 しかし残念ながら今日もまた彼女のささやかな上司としてのお願いは、足を進める先である艦首甲板より響いた二人の怒号で粉微塵に砕かれる。


『テメエ、いまアタイの足踏んだだろうが! 卑怯だぞ!』

『アンタが勝手に転んだだけでしょ! さっすが犬! 負け犬の遠吠えは上手だよな!』

『なにを、猿めぇ!!!』


 もはや日常茶飯事のやりとりを耳に入れて大きく溜め息をしながら足元より視界を上げる神通。やはりそこには既に取っ組み合いの大喧嘩をしている霞と雪風の姿があり、少しも自分の願いを察しようとしていない二人に彼女は小さく舌打ちをする。一応はこうはならないようにと、間宮艦へと赴く前に従兵として仕えるもう一人の部下、(あられ)をこの場に派遣していたのだが、大人しい霰を二人の間に置いた所で残念ながら何の効果もない。彼女なりになんとかしようと頑張っているのは、霞と雪風の間に割って入って仲裁を試みている霰の姿に認めることが出来るが、すっかり頭に血が昇った二人にかかっては身体も小さく華奢な彼女では何の障害にもならない。必死に両脇の仲間に戒めの言葉を放ちつつ、霞と雪風がそれぞれに天敵へと伸ばす手で両頬を圧迫されて酷い顔になっているのが関の山であった。


『でえい! この猿が!』

『負け犬め! おりゃあ!』

『け、喧嘩はあかんや・・・! 喧嘩はあかんやっ・・・!』


 姉と友人の双方によってもみくちゃにされている霰の無力さは声のトーンにも現れており、野性味も混じった怒号の中に混じる霰の鼻から息が抜けたような声はとても頼りない。例え霞や雪風と同じ淡い真珠色の柔道着を身に着けていても、心優しく市松人形の様な容姿の霰には腕力で相手をなんとかする事なども到底不可能だった。

 神通はそんな光景を吊り上がる瞳に映して大股で近寄っていく。なんとか争いを収束させようと一生懸命な霰は除外するにしても、目の前の天敵をやっつける事を望む今の霞と雪風にはいつもの事とは言え迫る上司の影が見えていない。彼女達が気付くのは決まって後の祭りとなってからの事で、今日も今日とて突如としてその場に現れたご立腹の上司の怒号とげんこつによって終止符を打たされる事になる。


『こんの馬鹿がぁあ!!』


 二水戦名物の大乱闘もこの人のげんこつに抗う事は不可能である。まして生来が気性の荒いこの神通のご立腹は喧嘩の当事者である霞と雪風どころかその場を供にしている霰の脳天をも標的にしてしまい、なんとか止めようとしていた不幸な彼女もまたげんこつによって涙を飲む事になった。


 こんな勢いのままその日の柔道の教練は日が暮れるまで続けられ、1645の『別科止め。甲板諸掃除。』の号令が神通艦全体に木霊するに至ってやっと終了となる。本日も良い様に神通による竹刀でお尻を叩かれて特訓を耐え抜いた霞と雪風は、協力者でもある霰と供に教練に使用したマット等の用具納めを行い始める。

 ただその瞬間も神通は艦側に立って遠くの波間の見るフリをしつつ部下達の様子をそれとなく視界の端に認め、かつての相方である木村より言われた事を脳裏に巡らせながら各々の表情を窺っていた。


 二人の根本にあるのは気合と既成事実を基にした根性だけで、大会に挑む事への重要性を忘れている。


 それが木村の指摘した霞と雪風の状態で、二人の直属の上司に当たる自身の立場、ましてや自分とは違う人間の彼に言われたのは正直な所では神通としては腹が立つ事でもある。彼女達と付き合ってきた時間も、交えてきた声も、絶対に木村よりは自分の方が多いと考えている神通は、そんな自分をさしおいて直属の部下達の事を寸評されるのが心底嫌いであった。その矛先が例え普段から仲良くしている明石(あかし)の様な友人であっても除外されないのは周知の事である。

 ただちょっとその憤りを飲み込み、木村の言葉を脳裏で唱えながら眺めてみた部下達の表情はどこか足元に視線を落とす機会が多く、なおかつやっと激烈な一日が終わった事に安堵する力の抜けた顔。もちろんそれは霞と雪風が今日の特訓において手抜きをしていた事を示している訳ではない。教えた側の神通とてその事を重々承知しているが、大事な何かを忘れているという木村の言葉がどうにも部下達の安堵の表情に符合しているように彼女には思える。


 気付いてやれなかったか・・・?


 声には変えずに胸の中で放った神通の声は、自分の不甲斐なさを探して迷いながらも容赦無く責める代物。逃れるようにして神通は視線を瀬戸内の海原へと戻し、西の空より包んでくる朱色の陽の光に瞳を細めながらふつつつと湧き上がる自己嫌悪の念と戦う。緩く噛んだ唇が、彼女の感情を如実に物語っていた。


『戦隊長。武技用具納め、終わりました。』

『む・・・。』


 孤独な戦いを人知れず繰り広げていた神通の耳に、背後に集まって横一列に並んだ部下達の声が響く。すっかり汗も引いて潮風の冷たさを一際意識できる状態の霞と雪風に、今日は特訓の手伝いを買って出てくれた心優しい霰。皆それぞれが自分の命令を待っている姿をふと振り返った事で神通は認め、彼女達、特に霞と雪風に先程まで巡らせていた考察をついつい忘れて安堵の気持ちを抱く。まだまだ未熟な身の上である自分に対しても後をついて来てくれる3人の姿は、常に戒めや指摘を欠かさない神通にそれを忘れさせるだけの無情の喜びを与えてくれた。

 しかしすぐに神通は無意識に緩みがかっていた口元を右手の手の平で覆い、表情をいつもの自分の物に保とうとする。「上司とは怖いぐらいが調度良い。」という理想を強く意識の中に唱え、釣り上がった瞳の端々をキッと鋭利な角度にしていつもの様に部下達に無言のまま緊張感を与えた。

 もちろん受け取る側の霞や雪風、霰は上司の怖さを身を持って知っている為、神通が向けてきた視線に身体を硬直させて直立不動の体勢を取る。それは普段から気をつけている、上司の命令を授かる際の姿勢だ。やがて神通も口元から覆っていた右手を下ろし、彼女達に正対して腕組みを伴った仁王立ちになり口を開く。


『よし、ご苦労。猿も犬もだいぶ様になって来たな。二人とも自分の長所と短所を解かって来たと思うが、どんな規模でも戦という物の基礎の部分はまず自分の身の程を知る事だ。相手より劣っている選択肢は通用しないし、勝っている選択肢は勝ちを得る為に重要な武器になってくる。その為には敵を知り、かつ己をしっかりと知る事だ。どっちが欠けてもいかん。』


 粗野で荒くれた気性の持ち主である上司から放たれた今日の総括は、その人柄に反して精神的な物に頼らない極めて理論的な言葉。だがそれ故に上司の言葉の中に疑問を抱く事は霞を始めとした部下達には皆無で、3人ともごもっともな事だとその理解を深い物にする。


『知る為には姿勢が重要だ。常に相手から一歩距離を取り、先入観に囚われずじっくり観察し、認める事のできた物事に対して必ず頭を使う事。考える事無く物事が成就するようなら誰も苦労はせん。』


 そこまで言うと神通は組んでいた腕を解き、右手の先で人差指を立てると自分のこめかみの辺りに添えて軽く叩いてみせる。


『いつも言ってるが、戦はここでやるモンだという事を忘れるんじゃないぞ。』

『『『 はい! 』』』


 私立神通学校の授業の終わりは必ずこの言葉で締めくくられるのが常で、一年近くも学んできた霞や雪風、霰は大きな声で返事を返し、今日も無事に、そして有意義に教練の時間を得られた事を確信する。3人の胸には今日という一日の充実感とやり遂げた達成感が満ち満ちており、誰という事も無く返事を放った後に笑みを作り始めた。帝国海軍の艦魂社会でも特に厳しい事で知られる二水戦の日々であるが、押し付けでは無く納得させた形で教えを授けるという教育姿勢を心がけている神通の成せる技の一つが、彼女達のこの笑みである。

 やがて西陽の朱色を湛えた空が紫に変わり、甲板の上を流れていく潮風の肌寒さも段々と増した認めた神通は長居も無用と彼女達に解散を命じようと口を開きかけるが、自分なりに懸命に頭を捻りつつ仲間にも声を掛けて了解を取り付けた明日の予定を思い出し、再び腕を胸の前で組むと部下達に明日の予定を伝える。だが受け取る側の霞や雪風、霰は上司の口から出てきた言葉に一様に驚き、僅かに視線を左右に流してお互いに見合わせるのだった。


『おっと、言い忘れてた。明日は一日まるっと休みにする事にした。犬も猿も真面目にやってるのは解かってるが、下手に教練を積んで怪我でもしたら大会に響く。だから明日はのんびり休んで疲れを取れ。夕飯も間宮に頼んで美味いモンを作ってもらう事にしたから、夕方になったら私の所に来い。』

『え・・・? は、はあ・・・。』


 鬼の上司の意外な指示には唯一雪風だけが呆けたような声で返事をするのみで、霞と霰はお互いに顔を見合わせて首を捻ったりして無言の意思相通を行っている。3人とも大いに昼間に神通の鬼っぷりを体感する事ができていたので、突然に休みを取れと言われたのは予想だにしていなかった。

 また、神通は先程に続けてさらに指示の声を放つ。


『霰。明日の夕飯は二水戦の全員で食うから、今から18駆と16駆の全員の所に行って連絡してこい。場所は間宮の所の大部屋だ。解かったな。』

『は、はい。』


 熾烈極まる特訓の日々の中、神通が突如として部下に当たる自分達の身を労わりだした事にどうにも疑問を募らせてしまう霰だが、指示という形で声を掛けられた以上はその場でボヤボヤしている事など出来ない。返事を放つやすぐに霰はその身を白く淡い光で包み消し、呉軍港のあちこちの桟橋で繋留されている二水戦の仲間達の元へと向かって行く。その場に未だ留まる霞と雪風も中々上司の胸の内が把握できていないのだが、神通はそれに対して理解を求める為の方便の言葉を掛けてはやらずにいつもの鋭い眼光で波間を眺めるのみだ。

 もっともその理由は難しい物ではない。

 明日の休みを企図するそもそものきっかけになったのが戦隊部外者である木村の一言だったという事実を、普段からよそ者の口出しを事の他嫌っている自分が取り入れた事は、彼女にとっては口が裂けても声には出せない話だった。先日の木村の言葉を耳に入れた事は既にその日の内に同席していた最上(もがみ)鈴谷(すずや)に他言無用をお願いしており、先程部下達に伝えたばかりの夕食の件で準備を担当してくれる間宮や明石にも彼の名前は一切出していない。そしてそれは彼女が木村というかつての相方を嫌っている事とは実の所はほとんど関係が無く、神通はただ単に戦隊部外者の意見を聞いた自分を部下達に知られたくなかっただけの事。つまる所、部下達からも抱かれる鬼の戦隊長の対面が成り立たないのだ。神通なりの理想の上司像であり、同時にそんな理想像を頑なに守りつつすがらなければ部下を始めとした他人と接する事が出来ない彼女の弱さでもある。

 霞と雪風を前にする神通は彼女達と自分との間に流れるしばしの沈黙に不思議とそんな自分の胸の内を悟られるような気がし、ふと視線を部下達にまた戻すと彼女達が自分への考察を巡らせる事ができないように声をかける。


『猿、犬。何か欲しいモンはあるか? 羊羹やモナカみたいなお菓子くらいなら間宮が用意してくれると言ってる。』

『ほ、欲しいもの、ですか・・・?』

『え、えっと、そッスねぇ・・・。な、何かあるかなぁ・・・。』


 またまた上司の口から出てきた意外な言葉は、明日の夕飯時に望む物があるかという質問。神通のちょっと変わった言動に軽い混乱状態にある霞と雪風にとっては即答する事など出来ず、二人して足元や空に視線を向けて歯切れの悪い声を返す。ただ怖い上司の表情は別に笑みを伴っている訳ではないし、釣り上がったその瞳はやはりいつもと同じ角張った鋭角で構成されている事から、霞と雪風は呻き声にも似た声を放って上司の質問に対する回答を考え始め、神通の企図した通りに彼女達は上司の胸の内に関する考察を完全に脳裏から除外したのであった。

 当の神通も眼前の二人が頭を捻っている様子にそれ認めて胸を撫で下ろす。安堵の念は軽い溜め息として表れ、同時に少し意地悪な物言いを彼女にさせる原動力となる。見ればもう既に空には星がチラホラと輝き始めており、甲板上から艦内に戻っていく乗組員と同じく太陽もまた今日のお仕事を終えて既に水平線の向こうへと去っていた。朱色の陽の光の余韻は遠く西の空の一角にあるのみで、甲板の上で立ち話をする残り時間はもう殆どない事を示している。その事から神通は部下達に回答を急ぐよう促したのだが、完全に安堵の念に駆られていた神通にはそんな部下の一人より意図せぬ返事がなされた。


『そら、早くせんか。このままじゃ今日の晩メシの調達ができんぞ。』

『は、はい・・・。え〜と・・・。』

『そ、そうだ戦隊長・・・! 何でも良いんスよね?』

『ん?』


 何やらその大きな釣り目を輝かせて口を開いた雪風。さっきまで困ったような表情で視線を右往左往させていたのが嘘だったかの様に白い歯を見せてニヤニヤと笑っているが、今度は逆に神通が彼女の胸の内が解からずに困惑してしまう。まして二水戦きっての大問題児である雪風が望む物の限度を訪ねてくるのであるから、すぐさま神通は声を返して先程いった言葉の外郭を示してやる。


『私に出来る事ならな。それと艦隊司令部の人間達が食べるような洋食のフルコースなんてのも無理だぞ、犬。』

『いえ、そんなんじゃないッスよ。しかも戦隊長の胸三寸で決まるッス。』

『ほう・・・。』


 僅かに覗こうとする心の動揺を抑え付けながら神通は平然とした顔で雪風に応じたが、次の瞬間、部下から放たれた意図せぬお願いに神通は声を荒げた。


『戦隊長は確か、三戦隊の金剛(こんごう)少将の下で修行してたんスよね。アタイ、その時の事が聞きたいッス!』

『な、なにい・・・!? 黙れ、馬鹿者! ダメだ、そんな話は!』


 雪風の口から出てきた金剛とは第一艦隊所属の戦艦である金剛艦の艦魂で、雪風や霞が教えを請う上司にとってのお師匠様。先月に行われた観艦式において二人はその関係を初めて知り、しかも雪風は金剛に捕獲されて散々に尻を叩かれて可愛がられてしまった経験を持つ。その時は踏んだり蹴ったりの想いで泣く一歩手前だった雪風なのだが、それと同時に彼女は金剛の言葉として、上司にあたる神通がかつては自分とよく似た顔つきをしていたという事実を耳にしていた。雪風の隣にいる霞もそれは同じで、金剛と直接声を交えた事は無いにしても神通の過去を少しだけ垣間見る事の出来た稀有な出来事である。ついさっき望む物があるなら言えと神通より言われた事もあり、声を荒げだしている上司に怯えつつ彼女もまた望む物として神通の過去のお話を所望する。


『せ、戦隊長。わ、私もそれ聞きたいです。え、えへへ・・・。』

『だ・・・、黙れ、猿! ダメだと言ってるだろうが!』


 自分から望む物を尋ねておいて、いざ部下達が望む物を口にしたら怒って却下をくれる神通。なんとも理不尽かつ自分勝手なお話であるが、神通とてその事は十二分に承知している。顔を真っ赤にしてご立腹の表情を瞬時に浮かべた彼女の様子こそその証明で、いつもなら言い終えた後に二人の脳天に向かっていくげんこつも今はなりを潜めている。私立神通学校の日常では身勝手な振る舞いを犯した者を標的とするのが神通のげんこつなのだから、これまでの部下達とのやりとりを鑑みると責められるのは神通の方であるのは一目瞭然だ。

 だがそれでも神通が頑なに二人の願いを却下するのには訳がある。霞はその事を少しだけ知っているのだが、神通の過去を示す経歴という物の中では、「美保ヶ関(みほがせき)事件」という名の余りにも大き過ぎる惨事がかなりの幅を占めている。神通という艦魂の人柄、能力、信条、想いの全てがそこに起因しており、霞や雪風らに見せる彼女の教育姿勢ですら例外ではない。話題に挙がった金剛という師匠との出会いだってその惨事が事の始まりでもあったし、しかも具合の悪い事に、多くの乗組員、そして同じ艦魂の仲間をその手で殺してしまった「美保ヶ関事件」の当事者、否、加害者であるのがこの神通なのである。大事な部下達に対する教育の一環で話す事は希にあったりはするが、それはこの惨事から学ぶ事の出来る知識を可愛い部下達に授ける為であり、楽しい晩餐会の一端で話題に出せるような物ではないのだ。

 また、「部下から尊敬されなくなったら終わり。」、「上司とは怖いぐらいがちょうど良い。」といった師匠からの教えを金科玉条として励む神通に、まだまだ未熟で鼻っ柱の強かった事から帝国海軍艦魂社会において最も怖い者として知られるお師匠様に毎日の様にケチョンケチョンにされていた、という自身の修行時代の思い出話を話す事は到底できない。霞と雪風の人柄を否定するつもりは微塵もないが、「鬼の戦隊長だって自分らと同じだ。」と見くびられてしまう事態は何としても避けねばならなかった。

 ただそれらを踏まえても今の神通には部下達の申し出は都合が悪い。抑えつけ様と声を荒げても彼女達はすっかり上司の胸の内を推し量ろうという気が無くなっており、これまた神通自身が企図してそういう風にさせてしまったのである。やがて部下達より放たれた矛盾を指摘する当然の言葉は、神通の拒否の姿勢から明確さを段々と薄めさせて行く。反論できるだけの道理を不覚にも神通は持ち合わせていないのだから無理も無い。


『でも、戦隊長。私に出来る事ならって言ったじゃないスかぁ。』

『む・・・。』


『柔道とかも金剛少将から教えてもらったんですよね? 戦隊長がどうやって覚えたのか、前から聞いてみたかったんです。』

『むむぅ・・・。』


 霞にも雪風にも上司を困らせるつもりなどは微塵もない。夕闇が辺りを包み始めている中、お互いに大きな瞳を輝かせて迫ってくる二人にあるのは、純粋な神通という一人の艦魂に対する好奇心である。如何せん形勢が不利な上に霞の一言により、神通は何故にそもそもこうして二人に矛盾を指摘される憂き目に会っているのかと考え、そのきっかけであるつい先日木村より受けた助言を思い出した。

 眼前にいる霞と雪風は元気こそ今はあるが、厳しいここ最近の特訓を根性だけで過ごしている様だと彼は言う。もちろんそれは悪い事だとは木村は思っていなかったし、神通とて二人の頑張る姿を見ていた上では問題はないと思っていた。だが最近行っている柔道の教練は霞と雪風に修羅の道の如き厳しい日常を与えるのがそもそもの目的ではないし、それを願い出てきた際の二人の言葉も厳しい特訓を課してくれという物ではなかった。


『戦隊長! 呉は何が何でも私達、二水戦の駆逐隊が相当するべきだと思うんです!』

『6駆は四水戦で、27駆は一水戦っス! アタイら"花の二水戦"の駆逐隊は、帝国海軍の全駆逐隊中最強じゃなきゃダメッスよね!?』


『だから試合が行われるまでの間、私に柔道の教練をつけてください!』

『絶対に勝ちたいんス! お願いします、戦隊長!』


 記憶の中で木霊する霞と雪風の言葉。それは自分達が属する二水戦という隊の名誉の為にと、二人が決意して懇願してくれた事を明確に物語っている。彼女達は別に仲間や姉妹の誰かから頼まれた訳でも、良い所を見せて上司に覚えを良くして貰おうと考えている訳でもない。自分がいる、姉妹がいる、仲間がいる、上司がいる、まさにみんなの居場所である二水戦の為、苦行も辞さずに更なる力が欲しいと願い出たのだ。その上で今、神通の眼前にいて好奇心を溢れさせている霞と雪風はほんの少しだけ本来の航路から逸脱しかけているが、それは彼女達の若さと人並み外れた熱血な性格の副産物であり、別に意図した上でそうなったのではない。大事なここ最近の日々を重要と思うばかりに、言うなれば「艦首の向こうの目的地から足元の甲板に視線を逸らしている」だけなのだ。だから二人がそれぞれに考えている事は、お叱りの声を上げて否定できる様な変な代物ではない。むしろその姿勢を正してやるのは、二人に教えを与える神通のお仕事である。

 そしてそんな神通は大会へ抱く部下達の意気込みや姿勢を改めさせる為、わざわざ友人達に頭を下げて明日の晩餐会を催した。そこで美味しい物を食べさせてやるだけで事足りるかは神通にも解からないが、結局無駄に終わったとして大会当日に散々な結果を残してしまう部下を、神通は見たくは無いと素直に願う。二水戦の名に泥を塗るからではない。若い二人が彼女達なりに抱いた想いや意地が、大勢の者達によって見られている前で無残に打ち砕かれてしまう事になるからだ。


 しばらくして神通は逃げるように逸らしていた視界を、大きく見開いた目を輝かせて上司の了解の言葉を待つ霞と雪風の顔にゆっくりと流し、その表情が涙としわで歪んでしまうのは望まない、許せないと自身の胸の奥に湧いた危機感にも似た気持ちを素直に認識する。刹那、神通の脳裏からは、二人から発せられた願いを断る気など毛頭なくなっていた。


『アタイも戦隊長がどうやってあんなに柔道やら銃剣術やら覚えたのか聞きたいッスよ。全部金剛少将から教わったんスか?』

『金剛少将って怖いので有名じゃないですか? 先月の横須賀にいた時なんですけど、曳船や交通船の艦魂(ひと)達ってみんな名前出しただけで震え上がってましたよ。金剛少将は今は佐鎮ですけど、昔、横鎮だったからですか? 戦隊長が修行してたのもその頃なんですか?』


 考えを改めている上司の気など意に介さずに二人は揃って質問を投げる。しかし神通は二人に対して『黙れ!』とさっきの様に一喝する事はなく、わずかに口元を緩ませて苦笑にも似た歪んだ笑みを浮べる。もはやそれは誰から見ても神通の了解の意。続けざまに彼女の唇から漏れてくる言葉は歯切れが悪くともそれを明確な物とし、耳に届いた上司の言葉に雪風と霞はお互いにはしゃいで明日の休日に前向きな望みを募らせる。


『ふん・・・。解かった、解かった。・・・明日の夕飯の時に聞かせてやる。親方の下で勉強してた頃の事をな・・・。』

『マジっスか!? やった!!』

『すんごい楽しみです! 戦隊長、忘れないでくださいね!』


 大喜びの部下を前にしても神通の笑みは増す事は無い。その歪んだ具合は半分はついさっきまで改める前の自身の保身にも似た考えを嘲笑う物であり、もう半分は自分の様な嫌われ者にも関わらず上司と慕って後をついてきてくれる部下の有難さに感謝した物。正直な所、未熟っぷりが目立つ恥辱にまみれた過去の自分を曝け出さねばならない事に神通の心は後ずさりしようとするが、そんな彼女の心の背中を押すのは部下達の笑みを守らねばならないという一つの小さな願望。その為に身体を張れるのは自身しかいないのだと神通は悟り、わーわーと声を上げて上司の昔話を聞く権利を勝ち取った事を祝う霞と雪風を、流線で構成されたその瞳に映すのだった。






 翌日、ゆっくり昼まで寝た霞と雪風は勇んで晩餐の場である間宮艦の中甲板の一角にある大部屋へと集合。配膳や目玉である大鍋を烹水所から台車を用いて運んだりと仲間の全員でお手伝いに励む。やがて上司が姿を現して軽い挨拶と供に晩餐が始められると、霞と雪風は神通がお酒を口に運んだ頃合を見計らって上司の下積み時代のお話をせがむ。


『はぁ〜・・・、やれやれ・・・。しょうがないな・・・。』


 その言葉を皮切りにして語られるのは、今よりももう少し背が低くて肩幅も狭い代わりに、今よりももっとその鋭い日本刀の様な目が顔に比して大きかった頃の上司の昔話。現代において霞や雪風を含んだその場を供にしている少女達が学び舎とする「私立神通学校」ではなく、今から10年ほど前に繰り広げられたいわゆる「海軍砲術学校金剛艦分校」の日常だ。


 『たわけ!』の一言に続いて鉄材をへこませる程の威力を持つげんこつを貰い、戦艦の艦魂である金剛が得意とする砲術のお勉強ではお尻にアザができるまで木刀で叩かれ、武技教練などでは疲労の末に倒れでもしたら顔を横から踏んづけられて罵声を浴びさせられるという毎日。神通の他にもこの人を師匠として仰いだ艦魂は何人かいたらしいが、余りの厳しさに今は上海に派遣されている朝日(あさひ)出雲(いずも)、そして当時から横須賀在泊であった富士(ふじ)に泣き寝入りする"生徒"もでたという有様で、その場にいる少女達はただただ唖然として開いた口が塞がらない。一年余りも神通と付き合ってきた彼女達は上司の激しい気性の事はよく知っているが、上には上がいるという言葉をこの時初めて思い知る。「鬼の戦隊長」との異名をとる神通をも上回る峻烈な性格の持ち主。それが、彼女達が観艦式前の宴にて給仕として励んだ際に見た帝国海軍金剛型戦艦一番艦の艦魂、金剛なのであった。

 鼻っ柱の強い雪風ですらも思わず生唾を飲み込み、気の弱い霰が震える自分の肩を両手で抑える中、手酌で碗に酒を注いでいる神通が放った言葉は恐怖の鬼教官の怖さを如実に示す。


『親方は、・・・とにかく怒ったら何をするか解からん艦魂(ひと)でなぁ。あの頃の親方は横須賀で改装に入ってたから艦隊に属してなかった分まだマシだったんだろうが、おかげで横須賀巡航の言葉に艦隊勤務の連中はみんなビビってたモンだ。でも比叡さんとかの姉妹とは仲が良かったから、艦隊から外れてても艦隊訓練の成績なんかは逐一耳に入れてたらしい。演習が終わって横須賀に入港した瞬間、いきなり親方が現れてぶん殴られた事なんか何回もあったモンだ。』


 普段は真っ直ぐに伸ばした神通の背筋が、お酒が回ったのか真っ直ぐに維持するのが難しくなる。背にしていた壁に寄りかかって彼女は軽く首を捻って見せるが、その際に視界に映ったのは戦慄の表情で凍り付いている部下達の姿。怖さという点では彼女達にとっては代名詞的な存在である筈の上司が語るのだから、話題に上がる金剛という上官が持つおっかなさとその現実味、迫力は生半可な物ではない。当の神通だって当時はベソを掻き、自身の分身にある自室に戻って青く腫れた頬を擦りながら独り泣いたりもして励んでいたくらいだ。

 もっともこれでは柔道の大会への気持ちの切り替えも何もあった物ではないと神通は察し、そんな中で自身がどうやって成長してきたのかを語り出す。そして大事な事として、そんな鬼教官であった金剛という艦魂だけが美保ヶ関事件の名と供に仲間殺しと陰口を叩かれて蔑まれていた自分の面倒を見てくれた人物である事をしっかりと教え、部下達がこれから金剛に接するに当たって偏見などを持たないように企図した。


 それは、怖い怖い「海軍砲術学校金剛艦分校」の日常においてもちゃんと示されている事だった。神通が部下を教育するに当たってはこの様な事はしないのだが、金剛は神通と師弟関係を結んでからという物、同じ泊地や軍港などで居場所を共にする都度、毎度必ず神通を自分の傍らに置き、課業の終始や神通の私的な時間などの一切を考慮せずに風呂や自室、何気ない甲板での散歩、時には仲間内での打ち合わせの場にすらも同行させたのだという。なまじ帝国海軍の戦闘艦艇の中でも最後の異国生まれの艦艇である金剛は金髪碧眼にして奥まった目と高い鼻を持つ完全な西洋人の顔立ちであるから、まだまだ幼い東洋人の顔立ちを持つ神通を身の回りの世話役にしているその光景はまさに貴族の婦人と雑用をこなす下々の者。奴隷と言っても差し支えないくらいで、入浴の際には背中を流させ、洗濯物は全部押し付けて落ち難い油汚れであっても真っ白にする事を命じて朝まで甲板で洗濯をやらせ、比叡(ひえい)榛名(はるな)といった姉妹との会話や戦隊同士の打ち合わせ等では椅子に腰掛けて悠々と話をするその足元で靴磨きまでさせていた。

 まるで家畜同然のその扱いは先輩方から非難の的になるも、金剛は頑として聞く耳を持たずに神通をコキ使う日々を続ける。神通もまた師匠の恐怖に怯え、絶対服従の勢いで『はい。』の一言のみで師匠との一日の会話を終える事も少なくなかった。

 しかしそんなある日、横須賀軍港在泊の折に金剛がいつもの如く神通に靴磨きをさせて姉妹同士でのティータイムに浸っている際、金剛とは同年代の者である河内(かわち)型戦艦二番艦の艦魂、摂津(せっつ)がその場に来訪し、普段から同期という事で遠慮しない会話ができる仲であった事から金剛による神通の処遇に異議を唱えてきた事があった。ただ英国生まれの割りに無神論者である金剛に対し、摂津は日本生まれで信心深い性格を持つ為に二人の仲は極めて悪く、仏教の因果論を持ち出して神通と美保ヶ関事件をある種の罪として断じた摂津の言葉に、その場にいた神通は忘れかけていた記憶に残る惨事を思い出して震え出してしまう。

 だがそんな若き日の神通の様子こそが、触れてはならぬ金剛の逆鱗(げきりん)に触れた。


『ワレェ!! もっぺん言うてみぃや、オラァア!!!』


 同席していた比叡や榛名、霧島といった姉妹達が一瞬にして青褪める程に激怒した金剛は、椅子を蹴り飛ばして立ち上がるや摂津と取っ組み合いの大喧嘩を始める。妹達が強張った表情の中で必死に抑えようと伸ばす腕も体格の良い金剛の憤激に制動を掛ける事は出来ず、騒ぎを耳にして駆けつけてきた朝日や出雲らの先輩達によって力ずくで彼女は摂津から引き離されるのだった。






『こ、金剛さん・・・、そ、そんなに怒っちゃったんスか・・・?』


 ここまで話を黙って聞いていた少女達の中、ちょうど語り部たる神通の隣で聞き入っていた雪風が恐る恐る声を放つ。ただ上司である神通に責を求めようとした先輩の言葉は癪に触ったらしく、雪風は軽く拳を握って神通の返事を待っている。少しだけ先程の硬直した雰囲気が和らいだようで、霞や霰といった他の者達も鍋料理をよそったり漬物を一切れ口に運んでお話の続きを期待して耳を傾けていた。神通はちょっとだけ後頭部を荒く掻いて自分の若い頃を恥じつつも、皆が望む続きを語り始める。






 その後はさしもの金剛も先輩方に強制連行されて別部屋へと身を移し、平手打ちまで含まれた説教をされてしまうのを付き添った神通も目にしていた。

 特にお叱りの先鋒となる朝日は金剛自身が師匠と仰いだ敷島(しきしま)型戦艦一番艦の艦魂、敷島の実の妹で、その昔、日本に来てすぐの頃の暴れん坊で調子に乗っていた金剛を、柔道の教練の最中に伝説の大技「山嵐(やまあらし)」で投げ飛ばしてみせた事があるという人物。その際に土下座の格好で泣いて詫びを入れると同時に、金剛はその言葉の響きから当の朝日が嫌がるのにも構わず「朝日の伯母御(おばご)」という敬称を用いて強い尊敬の念を表す様になっていた。

 ところがそんな先輩を前にしても、この時の金剛は鉄拳こそ用いなかったものの舌での攻撃を休める事は無く、奥歯の一本をへし折ってしまった摂津への詫びにも絶対に応じなかった。

 それどころか騒ぎを聞きつけて集まった名だたる艦魂達が見る前で、彼女は自身の分身の中にあった艦内神社をいつも教育で使用している木刀で粉々に破壊し、仲間達に再び羽交い絞めにされながらも床に落ちた御神体を蹴り飛ばして出雲のお叱りの言葉にドスを利かせたその声を荒げる。


『やめないか、金剛! 神仏に罪はないだろ!』

『罪ならあるわい!! 吉法師(きっぽうじ)のようなガキに試練与えておいて、苦悩してるんも知らんと誰も構ってやらんはどういうつもりや! そのくせ艦魂(ひと)殺しの嫌われモンに仕立てて仲間っちゅう吉法師の逃げ場まで奪いおってからに! 手ぇ合わせて拝んでもろうとるんに何も見抜けず何もせんは、仏の怠慢じゃー!!!』


 もはや先輩への言葉遣いにすらも見境をつけなくなる程に怒る金剛はこの後も30人近く集まっていた仲間とたった一人で押し問答を繰り広げ、最後は朝日と富士の監視の下に同じ横須賀在泊である富士艦最下層の船倉に縄で縛られて謹慎処分を受ける事になった。ただ、幼少時からこの金剛を見てきた富士と朝日は縛られる際も四肢を振り回して叫んだ彼女の言葉にある程度の理解を示してくれ、摂津を始めとした艦魂達に金剛が彼女なりに神通という若者を救うべくこれまで懸命になってきた事を解かってくれと伝える。


『たわけが、離さんかい!! 吉法師の何が悪いんじゃー! 吉法師が何をしたちゅうんじゃー!!』


 その大きな身体と荒い気性で神通をどつき回す金剛の日常は、不慮の事故で心の傷を負ってしまった神通の再起を賭けた教育。暴力まで用いて一点の目標のみに専念させるのは未だ神通自身の胸の中に燻る惨劇の記憶と罪悪感を意識させない為であり、奴隷の様にして自分の傍らに置いたのは自分という強面な存在を身近にさせる事で神通の耳にそんな風評が入る事態その物を防ぐ為だった。それ故に金剛は持ち前の度胸と人柄を生かして残虐な鬼教官として振る舞い、それを真っ向から否定しようとした仲間や先輩、そして神仏にあっても公然と怒りを示して反抗する挙に出た。先輩後輩という社会的な立場や神仏の持つ神聖さすらも言い訳にせず、たった一人であっても考えを曲げない。その真相は神通の非を理解者として一切認めず、可哀想な少女を身命を賭して守ろうとする金剛の信念であり、神通の苦悩をも知らずに襲い掛かってくる誹謗中傷の矢面に自ら立って行った結果なのであった。

 それからしばらくして艦魂社会の長老である富士が働きかけてくれた事により摂津と金剛の一件は神通の再起が適うまで水に流すという事で収まりがつき、金剛も神通への余計な雑音を抑えるよう尽力すると約束してくれた富士の言葉にようやく納得。迷惑をかけた先輩方に対してという前置きをした後に詫びの言葉を放ち、2週間ぶりに甲板の上で陽の光を浴びる事になった。

 この一悶着の当事者の一人である神通は今回見せてくれた師匠の戦ぶりに大変感謝し、金剛艦の甲板上で富士艦最下層より"出所"してきた金剛の出迎えをする。ところがどっこい、怖いお師匠様は彼女の顔を見るなりさっそくその脳天にげんこつを叩き落してこう言った。


『ワレ、なんで戦おうとせんのや!! ワシら艦魂は何も考えへん機械ちゃうやろが!! ワレが悪い思うた事は悪い、間違うてる思うた事は間違うてる言わんかい!! 新人や女や言うてお上品にやっとったら埒が明かんのじゃ!! こんの、たわけが!』


 この一言で自分に自信を持てた神通。同時にこの一言が彼女の性格の根本を形成していく事にさほどの時間は掛からず、言い終えてすぐに再開された厳しい教育を皮切りにして神通はその実力をぐんぐんと伸ばしていく。そして数年後、師匠の愛情と教えをしこたまその身に叩き込んだ彼女は、歴代最優秀の成績で「海軍砲術学校金剛艦分校」を卒業するのだった。






 お鍋のお料理も3分の1程が既に無くなっている中、知られざる上司の若りし頃の奮闘の様子は霞や雪風といった少女達の脳裏にありありと蘇る。まさにいつもの自分達が叩かれて怒られて教えられるのと同じ様に、上司もまたそうやって過ごしてきたのだ。それに加えて怖いながらも道をしっかり諭してくれる師匠の在り方もまた、彼女達にはいつもの日々と重なる部分がある。もちろんそれは眼前で語り部となっている神通の事である。

 だいぶ酒も回ってきたのか神通は自身の昔話を話す事に伴う恥ずかしさを忘れ、記憶に残る金髪碧眼の師の言動を思い出して唐突に笑い出した。隣で耳を傾ける雪風もつられて笑みを作り、上司が笑い声を上げた理由を尋ねる。


『へへ。どうしたんスか、戦隊長?』

『ふははは。親方の破天荒な所は思い出してみると面白くてならん。艦内神社を叩き壊した艦魂(ひと)なぞ聞いた事も無い。戦艦の艦魂(ひと)達が総出で自分の所にある木具工場で直しとったなぁ。ふはははは。』


 嬉しそうに声を上げて神通は笑い、雪風に続いて他の少女達も一斉にどっと笑う。今でも会う度に神通にとっては怖いお人の代名詞であるお師匠様だが、神仏ですらも屁とも思わずに制裁の対象と見なす峻烈な所は、寄しくも神通が尊敬する織田信長(おだ のぶなが)公とぴったりと重なっていく。当時の世相も無関係と、天下布武を合言葉に比叡山の神社仏閣を丸焼きにしてしまったその所業は当時としても物議を(かも)したが、熱心な信長公崇拝者である神通にはただ一人だけ自分を信じてくれた師匠が信長公と重なるのが嬉しくて嬉しくて仕方ない。雪風とは自分を挟んで反対側に腰を下ろしている霞が面白がって放つ言葉も、神通の笑い声トーンを一段高めていく。


『いやあ、金剛少将ってスゴイんですねぇ。仏の怠慢じゃー、なんて人間でも言える人はいないんじゃないですか? あははは。』

『ふははは。傍から見れるんなら面白い艦魂(ひと)さ。でもその後、親方は佐世保で師匠である敷島さんにこっ酷く怒られたらしい。さすがの親方も敷島さんにだけは絶対に勝てんからな。親方が横鎮から佐鎮に転籍したのも、余りにも問題を起すから富士さんと当時から一戦隊であった陸奥(むつ)さんが仕組んで、わざと敷島さんの下に置いておく様にした、なんて噂もあったくらいだ。ふははは。』


 金剛の人物評を面白おかしく話している神通。別に本人が目の前にいないからと言って馬鹿にするつもりは微塵もない。大変に厳しかった教育は今では一端の指揮官を頂いている神通の大事な基礎を作ってくれた物で、最近の柔道の特訓においてもその効果は遺憾無く発揮されている。部下達が一様に目を爛々と輝かせて向けてくる事に上機嫌の神通は、今度はその後の数年に及ぶ金剛との武技教練について語り出す。酒の勢いを借りての思い出話ではあったが、霞や雪風を始めとした少女達は常に自分達に柔道を教えてくれる上司のルーツが聞けるとあって誰という事も無く神通の周りに集まりだし、膝を詰める程に迫って上司のお言葉に耳を澄ますのだった。




 いつもはおっかなくて近寄りがたい雰囲気の上司が、部下に当たる少女達には今日はとても近しい存在に思える。神通が鋭い釣り目を少しだけ細めて語ってくれる事もその理由であったし、その声によってそれぞれの脳裏に描かれる10年ほど前の彼女の姿もまたその理由の一つであった。


 毎日の様に激しく怒鳴りたてて竹刀をお尻に振り下ろす上司は、如何にして今の自分達が味わうような道を歩んできたのか。


 神通以外の全員が胸の中で唱えるその疑問は、この日、上司のお言葉によって一つずつ紡ぎ出されてこもごもの心に縫い付けられていく。そしてその縫い付けられた想いは、自分達が今を生きる場所、即ち二水戦という部隊の名が持つ誇りを装飾する刺繍の一つとなって行く。

 いとおしい姉妹、苦楽を供にした仲間、厳しくもあり優しくもあった上司とそこに纏わる楽しい思い出。


 それは神通や木村が意図した霞や雪風の心への波及に留まらず、そこにいる少女達の全員に連鎖して行った。



 こうして二水戦の纏まりは数ある帝国海軍水雷戦隊の中でも指折りの物となり、彼女達は大会の朝を迎える。皆が愛する「花の二水戦」に属する者達として。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ