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第七八話 「最強を目指せ!/其の四」

 神通(じんつう)がかつての相方の言葉で、『むぅ・・・。』という鳴き声を放つ迷える子羊になってしまった翌日。

 呉軍港の波間のど真ん中で着々と艤装作業を進める帝国海軍最新鋭戦艦の右舷側隣。そこには基準排水量15820トンという大きな艦体を海岸からの遮蔽物とすべく、帝国海軍唯一の給糧艦である間宮(まみや)艦が錨を下ろしていた。乾舷もそこそこの高さを誇る間宮艦は新鋭艦の目隠しとしてはうってつけで、これまで忙しなくあちこちの海にその軍艦旗を進めた経歴を持つ間宮艦はしばらくはこのまま呉での停泊が予定されている。明石艦と同じく軍属の職人さんが乗組員の過半数を占める間宮艦では、厳密には民間人である彼等に最新鋭戦艦を目に触れさせぬよう墓参休暇という名目を与えて艦を離れさせており、帝国海軍の数ある職場の中でも指折りの忙しさを持つ間宮艦も最近は艦内から人間の気配がだいぶ薄れていた。


 しかし艦の命である間宮はその限りではない。

 何を隠そう彼女はすぐ隣にて浮き桟橋に挟まれている巨大戦艦の艦魂に食事を調達するお役目を頂いていて、今の呉軍港内にて停泊している数十隻の海軍艦艇の艦魂達の中でも3人しかいない、新型戦艦の艦魂と直接会う事の出来る人物の一人なのだ。自身の分身の中の人気が少ない事から食事の調達自体は普段より随分と楽にはなってたりするが、この新型戦艦の艦魂こそ時代の帝国海軍実施部隊を率いる立場である者と考えると包丁やお鍋を握る間宮の手にも力が入る。帝国海軍艦魂社会一の料理人を自負する彼女は己が実力の全てを注いでここ最近のお勤めに励んでおり、のんびりと桟橋や軍港内の一角でお昼寝している仲間達とは全く正反対の日々を送っていたのだった。

 ただ彼女も人の子ならぬ、生命力という物がちゃんと在る艦魂と呼ばれる者の内の一人。額を流れ落ちていく汗と供に体力も消耗するし、精魂込めて作った食事の味が新たな仲間の口に合うかどうかと緊張の糸を張って精神的に疲労する事もあるし、疲れた心身を回復する為に自身も美味しい物を食べてしっかり睡眠を摂ったりもする。人間の世界から見ると幽霊やもののけの類にも見られてしまう艦魂だって、地球という大きなお船に乗ってこの世を生きている無数に在る生命達の一員なのだ。




 そしてここ最近のお勤めの毎日ですっかり身体に疲労感が詰まってしまった間宮は、帝国海軍艦魂社会でも自身と同じくそう何人もいないとある業界の第一人者が同じ呉の波間に浮いている事を思い出し、彼女へ身体に溜まった疲労を和らげる処置をしてくれないかと願い出る。

 もちろんその人物とは、帝国海軍初の専門工作艦として建造された明石(あかし)艦の艦魂、明石であった。







『ああぁぁ〜・・・。癒されるぅ〜・・・。』


 間宮艦の艦内にある一室にて、ベッドの上でうつ伏せになった間宮が半開きの目で溜め息混じりの声を上げる。組んだ両手の上に顎を乗せ、今にも眠りそうな目で微笑む間宮は、ゆらゆらと身体を揺らされている今の状態であっても不快感なぞ微塵も抱いていないらしい。間延びした猫撫で声を放って全身から疲労感が開放されていく快楽にどっぷりと浸っている。20代後半の容姿を持ち、自身とはちょっと違って少しぽっちゃりとした感のある頬を下にした自身の手の甲に擦り付けている間宮の表情に、うつ伏せになった彼女の右側に座り込んで背中の辺りに手を当てて身体を揺らしてやっている明石は声を漏らして笑った。


『あはは。マミャーさん、お疲れですねぇ。肩なんかカチカチですもん。』


 親指を立てた手を間宮の背中に押し付けていく明石。柔らかそうな間宮の頬からは予想外な事に彼女の背中は随分と硬い感触となっており、間宮の最近の激務っぷりを明石へと教えてくれる。師匠である朝日(あさひ)よりほんの少しだけ教えてもらった明石の整胎(せいたい)術はまだまだ師匠から見れば拙くて程度は低い代物である事は否めないのだが、長い艦隊訓練の中で長門(ながと)を始めとしたお偉方の身体を懸命に癒してきた事は良き実習の場となっており、少々凝った肩を楽にしてやるくらいは今の明石にとっては造作も無い事。その効能は間宮の寝顔と紙一重な笑みがしっかりと証明し、一端(いっぱし)の軍医としてまた一歩踏み出せた自分を明石に無言で意識させた。


『よっと、ほっ。』

『ふにぃいい〜・・・。ねみいぃ〜・・・。』


 張り切る明石を背にした間宮は早くも睡眠欲の標的となり始め、重くなる瞼を必死に持ち上げようと左右の頬を組んだ手の甲に交互に乗せる。時間は既に昼をだいぶ回っている為、もう少ししたら夕ご飯の準備を始めなければならない間宮。ここで眠ったが最後、間違いなく舷窓のすぐ向こうに浮かんでいる新鋭戦艦の艦魂への食事用意が遅れてしまう。だから彼女は身体の疲れを取るのは結構だが、ここで眠る訳には行かなかった。

 そこで間宮は明石に一度手を休めてくれるようお願いするや、自身のお仕事に大いに関係する物を目に入れる事で睡眠欲の誘惑を断ち切る事にした。


『そうだ・・・。明石、ちょおっとタンマね。』

『およ? どうしました?』


 そんな声を放って明石が手の動きを休めると間宮は背を反る様にして上半身を浮かせ、僅かに体を捻って顔を覗かせつつ明石の背後にある備え付けの机を指差して口を開く。


『机の右端に乗ってる参考書と紙切れ、持ってきてくんないかな。献立考えないと。』

『あ、は〜い。』


 同じ特務艦で朗らかな人当たりの間宮は明石からは10歳程も離れた外見を持つのだが、気さくに声を掛けてくれる彼女は艦魂社会の先輩と言うよりは良き友人として明石には意識できる。観艦式の時より顔見知りになった間宮も明石を慕ってくれているらしく、物言いも丁寧で先輩風を吹かす様な所が無い。故にすぐそこにある机までのおつかいを明石は二言返事で了承し、静かに立ち上がって間宮が普段お勉強や事務仕事に励んでいる机へと近づいた。

 見れば壁に向かって備え付けられた間宮の机は奥側にびっしりと本が並んでいて、その題名が全て小難しい漢字のみで構成されている事からお仕事の為の本である事は疑いようが無い。しかも料理人の彼女らしく、「割烹」や「炊事」、「栄養学」といった文字がよく目立つ。静かに読書するように見えなくとも夜遅くまでしっかりお勉強に励む真面目さを持つのが間宮であり、まだまだこういうお勉強への貪欲な姿勢が自分は拙いと思い知る明石。同じ特務艦を分身とする艦魂の先輩として、明石は尊敬の念を静かに募らせた。 


『これですよね?』


 小さく間宮の人柄を微笑みつつ、明石は机の右端にて斜めに置かれていた本とその下敷きにされていた一枚の紙を手にして声を放つ。間宮は先程まで体を流れていた快楽の余韻が気に入っているらしく、うつ伏せになったまま足を軽くパタパタと振ってまたぞろ猫撫で声を放っていたが、明石の声が木霊するやすぐに振り向いて声を返してきた。


『お〜、それだよぉ。』


 そう言った間宮は明石が再び自身の身体の右側に戻ってくるのを待たずに上半身を起し、手渡された本と紙切れに視線を向けながらすぐさまうつ伏せに体勢を戻して明石の処置を待っている。自分と年齢が10歳以上も離れているとは思えぬ程になんとも無邪気な一面で、明石は笑い声を漏らしながら間宮がお待ち兼ねである疲労除去の続き始めた。

 するとさすがにこの道10余年のベテラン艦魂である間宮。再び身体が揺らされて心地良い明石の手の感触に浸りつつも、今度は瞼の重さと睡眠への誘惑には完全に打ち勝ってしまう。呻き声のような声を小さく漏らしてはいても睡眠欲の強敵さをさっきの様に訴える事は無い。明石の耳に木霊してくるのは、いつもの調子でお仕事に向き合う良き先輩の声であった。


『昨日は秋刀魚だったから、今日はお肉がいいかな? あ、でも牛肉はあんまりないのよねぇ。豚の肩の肉がちょっとあるから・・・、野菜で水澄ましした煮物でも良いかなぁ。・・・お、なんだ馬鈴薯(ばれいしょ)と味噌も余ってるじゃない。うん、それが良い。煮物で行こうっと。』


 しきりに紙切れと無造作にページを捲って行く本に目を通す間宮は、なにやら考え事をそのまま声に出して緩く頭を左右に捻っている。海軍軍人の一張羅である濃紺の第一種軍装を身に着けている割には出てきた言葉はどこか家庭的に過ぎるが、艦魂社会の主計科員のような存在である間宮にとってのそれは大切なお仕事。明石が衛生科を示す赤線の入った襟章を身に着けているように、主計科を示す白線の入った襟章を間宮が着けているのも伊達ではない。間宮が手にする紙切れは箇条書きの文の羅列が記されているが実はこれは自身の分身の中にある各食料品の倉庫の状況をメモした物で、彼女は常にそれぞれの食品が、どこで、どのくらい、どのような状態で保管されているかを自身の仕事の一環として管理しているのだ。なまじ間宮がお料理を作る際、それらの原材料はこの食料品倉庫からの銀バイになるのであるから、彼女は人間達が原因不明の食料品の紛失によって困らない程度の銀バイっぷりが求められる。だから数の面においても、艦内での食品生産計画から鑑みての消費量においても、間宮はいつも細心の注意を払いつつ調達の目処が付いた食品類を総合して献立を考えている。きっちりとした計画性が無いと絶対に遂行できないお仕事だった。

 しかしこんな先輩のお仕事の裏側を明石は察する事は無く、彼女はようやくお仕事の道筋を付けて喜ぶ間宮の背中を揉みながら間宮が放った『煮物』の二文字に口を半開きにして薄ら笑いを浮べていた。その脳裏にはもちろん、碗の中で湯気と香ばしい香りを立ち上らせて箸につつかれるのを待っている煮物料理の絵が浮かんでいる。まして間宮はお料理に関しては専門家であり、その腕前が非常に良い事は観艦式のあった横浜沖での日々で明石はよく知っている。間違いなく絶品の料理に違い無いと確信し、生来が食いしん坊な明石は次第に力が抜けた舌を口から垂らして脳裏に浮かぶお料理に思いを募らせるのだった。

 呆れた奴である。




 するとその時、間宮の部屋には隔壁の一角にある金属の扉をノックする音に続き、間宮と明石が共通の友人とする者の声が木霊してきた。


『間宮、いるか?』


 女性にしては平均的な高さの声色だったが、そこには幾分の緊張感が張り詰めた様な感じがあり、静かな部屋の中では色んな意味で響きの良い声だ。そしてこの特徴を間宮と明石は耳にした瞬間から意識し始め、すぐに記憶の中から声の持ち主である者の名を検索してみせる。


『あ、神通(じんつう)だ。』

『こら珍しいなぁ。・・・はいよ〜。入りなよ、神通〜。』


 間宮の上げた声を合図にして金属音を放ちながら扉は開かれ、スラッと長身の神通は大きく扉を動かさずに静かに部屋へと入ってきた。いつもどおり角ばった瞳をキッと鋭利にしつつ眉間にはしわも作らずに冷めた表情であるその顔は、神通が間宮の下へと訪ねて来るのに憤りの感情を伴ってはいない事を明石と間宮に教えてくれる。部屋に足を踏み入れる際の足の運び方も肩をいからせるような所は見受けられず、胸を張った堂々たる歩き方は彼女の(ゆか)しい武人の一面を綺麗に明石と間宮の瞳に写していた。

 その一方で神通は部屋へと入って僅かに歩いた所で視界を上げ、そこにお目当てのこの艦の主以外にもう一人の友人がいる事に小さな驚きを抱く。もちろんそれは明石の事だ。


『なんだ、お前もいたのか、明石。間宮に身体を揉んでくれと頼まれたか?』


 うつ伏せのままの間宮とその横で彼女の身体に手を伸ばしている明石の姿を認め、神通はほんの少しだけ片方の口元を吊り上げて声を放つ。喜怒哀楽の怒の部分が極端に表面に出やすい性格の神通だが、例え二人が仲の良い数少ない艦魂とは言えこうも易々と笑みを覗かせるのは珍しい。

 その事から彼女が間違いなく上機嫌であろう事を明石は察し、間宮へと伸ばした手を動かしながら自然と作られた笑みと跳ねるような声を返す。同時に部屋には和やかな空気が瞬時にたちこめ、3人はそれぞれに遠慮などという物を微塵も込めない言葉を口々に放ち始めた。


『うん。マミャーさん、結構お疲れなんだよ。肩なんかガッチガチ。』

『ほう。間宮が疲れたなんて言うとは、珍しい事もあるもんだ。例の新鋭艦の世話はそんなに大変なのか?』

『私だって疲れるさ、神通。それにアンタが私の所に来るなんて方が珍しいわよ。』

『ふん。そうだな。』


 弾む会話に今日は積極的に参加する神通。その表情も落ち着いた物で、小さく微笑を浮べながら間宮と明石のいるベッド脇まで足を進め、手近にあった机から椅子を引き抜いて枕元の辺りに運んだ所で腰を下ろす。同じ時期に同じ造船所で建造された神通と間宮の間柄は勝手知ったる仲その物で、椅子を無断で使用する神通は部屋の主である間宮に断りを入れる事は無く、間宮にしても友人のそんな行為を咎める声を上げない。

 以前からこの二人がいわゆる幼馴染である事を知っていた明石だが、実際に神通と間宮が声を交えているのを見たのは実は今回が初めてだ。間宮と神通は観艦式前の横須賀で少しだけ会っていたらしく、その際に出来なかったお互いの近況報告と積もる話を声に変えている。


『私は去年の艦隊編成前まで改装に入っててな。ま、戻り先がまた二水戦だから文句は無いんだが、おかげでしばらく会えなかったな。でも元気そうじゃないか。』

『いやあ、こっちも南洋と支那方面でのお仕事で忙しくてね。呉に戻るのも一年ぶりくらいなのよ。』


 ベッドの上にてうつ伏せになったまま顔だけを神通のいる方に捻って間宮は笑みを送る。対して神通は椅子に浅く腰を掛け、いつもの様に胸の前で腕組みをしつつ長い脚をふてぶてしく上下に折り重ねているが、その表情と声色の明るさは部屋に入ってきた時とは少しも違っていない。その事に二人の仲が極めて良い事を明石は確認でき、仲良し同士で和やかな一時を過ごせる今という瞬間を心から喜ぶ。すると明石の感情によって間宮の背中へと伸ばされた手の動きも無意識に軽やかさを持ち始め、それは間宮の疲労除去の効果をさらに引き立てていく。さらには間宮の声と表情が弾む事によって神通にもその効果は伝わって行き、3人が声を交える事に際して楽しさの色合いを含んだ空気をよく循環させてくれるのだった。

 やがてお互いの話も出しつくした間宮と神通は小さな笑い声を唇から漏らしつつも、どちらからという事も無く一息ついてお互いに良い意味で乱れていた息遣いを整える。そしてその間隙を間宮は逃さず、友人であってもあまり自分の分身へは足を運んでくれない神通が何故に今日はこうして来てくれたのか、その理由を問う事にした。ただ陽気な性格の持ち主の間宮はその言葉の中にちょっとした冗談を込め、生来が真面目な神通も今日は珍しく間宮の声に乗っかって応じてみせる。


『んで、今日はどうしたのよ? こないだ那珂(なか)に渡しといたモナカがアンタの嫌いな"こし(あん)"だったからって文句でもつけに来たの?』

『解かってたなら"つぶ餡"にしてくれ。ま、食い物の事であるのは当たってるな。頼みが有るんだよ、間宮。』


 半笑い気味でそう言った神通は折り重ねていた左右の脚を組み変えると、少し間宮から視線を逸らして頬を右手の指先で軽く掻きながら続ける。


『ウチの戦隊で柔道の教練をやってるのは知ってるだろう? ここ一週間ばかりはみっちり鍛えてたんだが・・・。』


 火の出るような猛特訓となっていた二水戦の中での柔道教練は、明石は勿論だが間宮にあってもその話自体は仲間内から聞いていた。教育の激しさには定評のある神通が友人である事もあり、きっとそこに怒号と竹刀による教育的指導が備わっている事を見もせずに察していた間宮は、神通の声に驚く様子も無くさらに含んでいる事を聞き出そうとする。それに普段から自身が率いる戦隊の事に口出しされるのを極端に嫌う神通が、いくら親しい友人が二人もいるとは言えこうして二水戦の事で相談を持ちかけてくるのは非常に珍しい。だから明石もちょっとだけ間宮の背中に伸ばしている手の動きを抑え、自身の左側すぐ隣にいる神通に顔を向けて耳を傾けた。


『うん、知ってるよ。なんだい、勝った時のご褒美にあげるお菓子が欲しいの?』

『いや、そうじゃない。実は明日、教練を受けてる私の部下には休みをやろうと思ってるんだが、夜にはそいつらに何か上手いモンでも食わせてやりたいんだ。いつもの缶詰のフルコースじゃなくて、何か寒い今の時期に合わせた暖かい食い物が良いんだが・・・。』

『う〜〜ん・・・、神通のトコの戦隊って駆逐艦の子達だけで10人近くいなかったっけ? 全員の分が欲しい?』

『うむ。今は8駆が横須賀に帰ってるが、まあそれでも私を入れて8人もいるからな。なんとかならんか、間宮・・・?』


 部下を気遣う心優しい上司像を見せる神通なのだが、どうにもそれを真正面から自分の持ち味として表現する事に抵抗を抱くらしい。彼女は言い終えた後も視線を間宮に顔に戻す事は無く、隣にいる明石とも合わせたくないのか壁があるだけの室内の一角へと視線を投げている。それは他人にお願いをするだけの態度として相応ではないのかもしれないが、間宮と明石は神通が視線を逸らしている間に笑みを合わせていた。親しい友人にお願いをするという簡単な事でさえ、神通にとっては自分らしくない一面を発揮せねばならない一瞬であり、普段から鬼教官っぷりを遺憾無く発揮している自分には似合わない物だと彼女は思っているのである。たった一言、『頼む。』とすらも言えない程の不器用さを持つのが神通という艦魂の性格であり、間宮と明石はそんな彼女の子供っぽい困った所を嘲りこそしないが可笑しく思えて笑ったのだった。

 もちろん二人の心は不貞腐れるような横顔で椅子に腰を下ろしている神通に指を挿して大笑いするつもり等無く、お願いをされた当人でもある間宮は笑みを正面に向けて、先程まで今日の夕食の献立を練る為に目を通していた紙切れと料理の参考書に再び視線を戻す。神通が訪ねてくる少し前に間宮の献立構想をちょっとだけ耳にしていた明石も声を上げ、本当は心優しい神通のお願いをなんとか実現できないかと間宮の考察に参加し始めた。


『さぁ〜て、どうしたモンかなぁ。』

『ねえねえ、マミャーさん。さっき言ってた煮物って暖かい食べ物になるんじゃないですか?』

『ふぅ〜ん、鍋料理かあ。うん、悪くはないね。材料はっと・・・。』


 明石の提案が神通のお願いした料理の条件を満たしていた事もあって間宮は鍋料理をキーワードにし、紙切れにメモした自身の分身の中に倉庫の中身の品々に検索をかけていく。友人達の声に神通もようやく顔を彼女達の方向に向け、部下達への美味しいお料理がなんとか調達できそうな可能性に胸の内をほんの少し明るくさせた。

 そして神通のお願いであるお料理の詳細を詰めていた間宮は、手にしていた書類に書かれていない品目を思い出す事によって、まず材料の面での一応の目処をつけてみせる。

 少し前の観艦式の準備で横須賀に集結していた際、間宮は同じ特務艦艇に分類されるとある運送艦の艦魂から挨拶を受けると同時に、手土産として塩漬けにされた鮭を一匹まるまる譲り受けていたのだった。そのままでは塩の塊を噛むような味でとても食べれた物ではないのだが、お鍋にぶち込んで煮るのであれば味は汁で薄くなるのでそんなに塩味が際立つ事はない。おまけに強い塩味がこびり付いているのだから、味噌や醤油といった調味料を使用する事無く汁の味も調えられる。できるだけ乗組んでいる人間達にその所業を知られたくない艦魂の間宮にとって、調味料と倉庫の在庫数に響かないその鮭は非常に都合が良かった。


『おお、ナイスだな。なんてったっけ、あの子。・・・あ、宗谷(そうや)だ。宗谷に感謝だなぁ。』


 間宮はついつい嬉しくなって鮭を持って挨拶に来てくれた者への感謝の言葉を並べ、明石と神通は全く意図していなかった共通の知人の名がここで出てきた事に驚いた。すぐさま二人は宗谷と自分達との間柄の事を間宮に教えてやり、間宮も含めた3人は新たに共通の知人の輪が広がった事をそれぞれが祝って喜んだ。

 その後も10人分近い量を作る事から大きな鍋の調達をどうするかという懸案がでるも、友人の為にと協力する3人の考察の流れは懸案という障害で堰き止められる事などない。

 間宮の分身では軍属の職人さん達がほとんど艦を離れているのに併せて、調理器具も清掃の上で取り外されたり修理に出されたりして艦内にある物が少なくなっており、不幸にも使用できそうな設備の全てからはお鍋に当たる部分が取り外されている状態だった。一人分くらいのお料理なら訳も無いのだが、神通を入れて大人数となってしまう二水戦へのお料理は蒸気釜や電熱釜のような大きな設備の稼動が不可欠である。そこでどうしようかと間宮は頭を捻るが、その横から意外な事に明石が解決策を示してみせる。


『お鍋ならあるよ、マミャーさん! 私の艦の鋳物工場で、扶桑(ふそう)さんとか日向(ひゅうが)さん達に使う為のお鍋を作ってたんですよ! 納品は確か艦隊編成直前の来月ですから、一個くらいなら持ってこれると思います!』


 これは全くの偶然で、思いも寄らぬ所で友人達の企図する所に貢献できそうな自分の分身の事情を明石は嬉しく思って声を張り上げて二人に話す。

 幸いにも工作艦である明石の分身では横浜から呉まで来る途中、艦内工作部にては呉工廠で改装工事中である扶桑型戦艦一番艦の扶桑艦、今は練習艦となっているも今度の艦隊編成では艦隊復帰が決まっている伊勢(いせ)型戦艦二番艦の日向艦、そしてそれ以外にも陽炎(かげろう)雪風(ゆきかぜ)の妹にして今度の艦隊編成で晴れて艦隊に編入されるたくさんの駆逐艦達で使用されるお鍋を作っていた。特に扶桑艦と日向艦は乗組員が1千名以上もある大艦であるから製造するお鍋の数も1個や2個の話ではなく、明石の分身の中にある倉庫の中では納品待ちのお鍋がそこそこの数で眠っていたのである。有事は前線基地に進出しての修理作業に就くのと同時に、平時は各海軍工廠の作業量負担を軽くする事を目的に運用されるという明石艦の境遇が、思わぬ形で友人達への貢献に至ったのだった。

 ここまで来ると神通の企図した部下達へのお料理はついに現実味を帯び、間宮が放つ決定の一言で神通はやっと明確な笑みを浮べる。


『よし、なら鮭を使った鍋料理でいこう。この参考書にも書いてある石狩鍋ってやつね。これで良いかい、神通?』

『ああ。有難うな、間宮。恩に着る。』

『あははは。任しときなさいよ、神通。部下の子達にあんたの顔が立つように、とびきり美味い鍋にしたげるよ。』


『やったぁ! いしかりなべ〜!』


 角ばった瞳を流線で構成させた神通のお礼に、幼馴染の間宮が返してくれる頼もしい一言。帝国海軍艦魂社会一の料理人である彼女の腕前なら、その一言に込められる力強さの色合いは生半可な物ではない。故に神通はまずは部下達が舌を唸らせて笑みを溢す機会を保障できると確信し、前日にかつての相方である鈴谷(すずや)艦艦長の木村より言われた事へのある程度の道筋をつけれた事を声には変えずに喜んだ。なんとか今度の大会で部下達に良い想いをさせてやりたいと願う、神通なりの苦労の一幕であった。

 ただここで神通はさっきから右横で両手を挙げてはしゃいでいる明石の言動に違和感を覚え、無邪気な笑みで声を弾ませる彼女に素朴な疑問を投げてみる事にする。それはこれまで3人で頭を捻ったお料理の調達という懸案が、神通が率いる二水戦という一つの部隊にて企図されていた物であり、その上で明石はその二水戦においては全くの部外者である事に理由があった。


『おい、明石。』

『うん? なあに!?』

『お前、もしかして私達が間宮の料理を食べる時、一緒に食べようと思ってるか・・・?』

『もちろん! みんなで食べれば美味しいよね!』

『・・・・・・。』


 どうやら神通が言わんとしている事をまるで明石は考えの中に巡らせていないらしい。手を叩いて美味しい一時が来る事を祝っている明石は神通が口を閉ざしている間も間宮の手元に顔を近づけて、間宮が左手に持つ参考書の1ページに描かれている"石狩鍋"の項目を見て上機嫌となっている。もちろん嬉しい偶然として明石が自分の分身の中にあるお鍋を提供してくれ、そのおかげで今回の二水戦で鍋料理を食する機会が成り立っている事は神通だって百も承知しているのだが、それを差し引いても神通は敢えて明日の夕食の時には明石をその場に伴わせない事にすると決めていた。なぜならこの明石という友人は細身の長身というその身体つきに反して口に物を運ぶ際、その量が人並み外れたとてつもない数量になってしまうからで、神通はその事も伴わせて明石に否の回答を示す。当然、明石にとって神通の放つ言葉は晴天の霹靂だった事は言うまでも無い。


『明石、すまんが今回は例の柔道の大会に向けた猿や犬達の壮行の意味を含んでいるから、私達二水戦だけでのメシにしたい。それにお前が来るとみんなが食べる前に鍋の半分以上が無くなる。鍋の事は有難いと思ってるし恩も絶対忘れんから、今回は遠慮してくれ。』

『えええぇーっ・・・!!!』


 無邪気な笑みは一瞬にして凍り、口を大きく開けて全身の動きが固まる明石。きっと美味しいんだろうなと間宮の鍋料理に想いを馳せていたのも束の間、神通より帰って来た「自分の参加はならん」の一言で大きく見開いた瞳を始めとして思考までも動きがピタッと止まってしまう。

 一方、神通は明石が凍り付いてしまったこの瞬間を逃すまいと間宮に向かって再度のお礼を口にしながら立ち上がり、そそくさと部屋を後にする事にした。


『世話をかけるな、間宮。今日の夜には段取りの打ち合わせもしておきたいんだが、時間は開けれそうか?』

『お任せっと。』


 そう言うと間宮はそれまでベッドの上でうつ伏せになっていた身体を起し、床に揃えていた靴を左右の足に履かせながら自分の胸に親指を突立てて頼もしい声を返す。その言動には幼馴染である神通に対する、間宮の友情がよく示されていた。


『うん、いいよ。明日、準備とかしたりする時間と明石んトコからお鍋を持ってくる時の事だけだし、そんなに難しい事は無いよ。場所も私の艦内で行けると思うから心配なんかないさ。ご飯にお酒、漬物も用意したげるよ。』

『ふん・・・。すまんな、間宮。』


 とても器量が良くて帝国海軍ではかなりの人気者である間宮は、この笑顔と料理人っぷりで神通とほぼ同じ時間だけ励んできた人物。小さな雑役船舶から戦艦に至るまでの艦魂達が一様に慕うその人柄は、彼女と同じ時間を嫌われ者として過ごしてきた神通にとって羨ましいの一言に尽きる。しかしそんな間宮がお互いに幼馴染だと認識して親交を結んだ10余年前より、自身に対して他の連中と同じ様に忌み嫌う態度をもって接してこない事を久方ぶりの再会で確認し、神通は終始笑みを伴ったまま間宮との一時を過ごせた。それは「鬼の戦隊長」との異名を自他共に認めて艦隊勤務に励んできた神通の生活の中で、とても稀有な嬉しい時間だった。


『じゃ、後でな。』

『うん。そろそろ私も例の新人さんの夕ご飯つくるかな。』


 ベッドから立ち上がった間宮は主計科の乗組員が調理をする際に着用するのと同じ白い前垂をベッドの下に入れてあった籠から取り出し、慣れた手つきで身に纏いながら神通と供に部屋を出ようとしている。だが神通のように食べ物の事で目の色を変える明石の人柄が間宮にはまだ付き合いが浅い事から察し切れておらず、軽い流れで声を掛けてしまうその物言いも手伝って彼女は神通が止める前に明石の肩に手を乗せて口を開く。


『明石ぃ、身体も随分軽くなったよぉ。有難うね。』

『あっ・・・。』


 間宮の行動を制止しようとしていた神通が放てたのはその一言だけで、間宮は明石の肩に手を乗せたまま突如として神通が声を上げた事を疑問に思って視線を彼女の顔に送る。すると間宮の瞳に移る神通は額に手を当てて大きく溜め息をしており、幼馴染である間宮であっても友人の様子の理由がよく解からなかった。

 しかし間宮が神通のそんな態度の真相を知るのに時間は掛からない。

 それまで見も心も文字通り固まっていた明石は、肩から伝わってくる間宮の手の温もりと柔らかな衝撃、そして耳元で木霊した彼女の声で我へと帰る。刹那、明石は釣り上がった目でギラリと背後を睨むと、そこにいた標的を捉えて跳びかかるようにしながら神通の袖に手を伸ばした。


『ふんがーっ!』


 こうなると予想していた神通は明石が跳びかかってきても微動だにしない。右手を額に添えて大きく溜め息をしつつ、身体を揺さぶって理不尽を訴える明石に応じるだけだ。


『なんっで私が食べれないの!? お鍋!! いしかりなべーっ!』

『揺らすな・・・。まったく・・・。』

『タダ働きなんかまっぴらだぁ! 私も食べるぅ!』

『はあぁぁ〜・・・。』


 食べ物の事に関しては執念の度合いが一桁違う明石の猛攻は熾烈を極め、神通は身体を揺らされながら空返事にも近い言葉を返す。そもようやく目処がついた二水戦での明日の晩餐には明石からお鍋の提供を受けねばならない事は先刻話題に挙がったばかりであるから、神通にとっては手荒く彼女を振り払ってその訴えを正面から却下する事なぞできない。ヘソを曲げられて協力を拒まれたらせっかく計画できた木村からの指摘、すなわち部下達に羽を伸ばさせてやり大会への心の姿勢を改める機会をご破算としてしまう事になる。明石の訴えを断るに断れぬ、止むに止まれぬ神通の事情なのであった。

 その事からどうすればこのうるさいお人を静めてやれるかと考え巡らせ始める神通の耳には、ちっとも声色に込めた色合いと音階を弱らせていない明石の絶叫が木霊する。


『むきいいいぃ! いしかりなべ!』


 困った事に、先日の鈴谷といった後輩や部下達の様に神通の事を怖がる所が明石には全く無い。心をよく通わせる事の出来る友人の証明でもあり、神通とてその事はよく理解しているのだが、食べ物の事になってしまうと友人の事情をも察してくれない程に憤る明石を宥めるのはとても大変である。


 結局その後、なんとか鍋料理を明石と間宮の晩御飯の分として大目に作り、二水戦の者達とは別室で食する事で神通は明石の了解を取り付ける事に成功。やっとの事でブチ切れ状態の明石を宥める。

 神通が二水戦の事で第三者に相談しに来る事に始まった珍しい事ばかりのこの日、憤る友人を宥めるという構図が神通と明石の間では普段とは逆の形で展開される事になった。なんとも珍しい日だった。

◆作中用語捕捉◆

 本話にて馬鈴薯なる言葉が出て参りましたがこれは現代で言うところのジャガイモの旧名でして、帝国海軍に限らず日本では戦後すぐくらいまではジャガイモの事を馬鈴薯と呼んでおりました。故に今後、作中で馬鈴薯の言葉が出て参りましたら、読者皆様にあってはジャガイモを想像して頂ける様、ご理解とご了承の程をよろしくお願い致します。

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