番外編2.共に歩む道 7
到着した村は人口五十人ほどの小さな山村だった。
歩いて十分ほどで見て回れる村は、山間の村ということもあり、家やお店、集会広場など、全ての建物が木で作られていた。高さは全て一階建て。母屋の傍にはもれなく屋根付きの倉庫があり、そこでも薪として木々が常備されている。玄関口には松明の置き場もあり、当然の事ながらこちらも木であった。
「何にもないけど、自然だけはアスタシア一位だと思うよ~」
リーゼロッテの案内で全ての村人と言葉を交わし、村長の自宅で一泊お世話になる。
村長の自宅も他の家に比べて気持ち広いぐらいで、基本的な造りは変わらない。なんでも宿屋のない村なので、他所から来た人を泊める為だけに、少し大きめの家を作ったのだとか。
冬には雪が積もり、厳しい環境で過ごすことになる村の人たちは、相手を大切にする心優しい人達だった。
――その夜。
あたしは眠れなくて、ベッドから抜け出した。
夜はまだ冷えるからと渡されたストールを肩に掛け、窓のカーテンをそっと捲る。
外は真っ暗だった。
沢山の木々と青い空で満たされていた日中の景色は、深く吸い込まれる様な夜の色で満たされている。
だけど怖くはなかった。
これは真夜中の青。ディーンの色だと、あたしは思っているから。
(――ねえ、ディーン。どうしたら……上手く伝えられる?)
皆が応援してくれて、自分も伝えたいと思っていて。
練習もして。チャンスだってあって。
後は言葉にするだけなのに――……
その『だけ』が出来ない。
溢れる想いを留まらせるこの感情は――……恐怖。
傷つく事を避け、得る為の行動を取らなかったあたしは、変化を恐れていた。
今あるものを失いたくない。
自分が変わる事で、失うものがあるとしたら。
それがもし、ディーンだったら。
考えるだけでも心が凍てついてしまう想像は、今も昔も変わらない。
――コンコン。
突然聞こえた音に、扉の方へと振り返る。
小さく返事をしてみるが、応答はない。
(……こんな時間に、誰も起きているわけないじゃない)
空耳だ。
そう思い、もう一度外を見る。
コンコン。
再び聞こえた音で、反射的に振り返る。
ただこれは、扉を叩く音ではないと気が付いた。
右の部屋にはディーン。左の部屋にはリーゼロッテ。
あたしは窓へ寄り添い、迷わず右を見る。
「あ……」
ディーンがニッと笑った。
横並びに続く部屋の中から。
ガラスを隔てた先で頬杖をつき、愉快そうにこちらを眺めている。
『やっと気がついたか』
そう言われた気がした。
「――……気がついて欲しいのはあたしの方よ」
閉ざされた部屋での呟きは、誰の耳にも届かない。
当然だと思った。
これはただの呟きで。誰にも聞かせるつもりなどないのだから。
「…………」
じゃあ。ディーンへ想いは、どうだった?
ずっとずっと想っていた? ――想っていただけで、伝える勇気は無くしていて。
今も想っている? ――気付いてくれるだろうと、彼の好意に甘えて。
これから先も想っている? ――今までの想いを伝えていないのに、どうやって察しろと?
この想いを届けるには、聞こえるように言わなければならなくて。それは、他の誰でもない、自分がしなくてはならない事。
あたしの想いを伝えて。貴方の想いも受け取って。
そうして共に歩む道をあたしは望んでいる。
それは受け取るだけでは満たされないと。
お互いの想いを交換しないといけないと。
失う事を恐れ、逃げているばかりじゃ、一生得られない。
本当に欲しいものなら、心の底から願わねば。きっと――……手に入らない。
ディーンはまだこちらを見ている。
嬉しそうに、目を細めたまま。
それはまるで。愛しい人との逢瀬を楽しむかのように。幸せそうに見えた。
あたしは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
「……あたしも会えて嬉しい」
久しぶりに会ったって、一度も伝えた事がない。
「……あたしが欲しいのは薬草だけじゃない」
薬草だけがあっても、貴方が居なきゃ嫌。
「…………」
あたしはディーンの目を見て、口を動かす。
声に言葉を乗せる時と同じ速さで、想いを紡ぐ。ゆっくりしゃべって、口元を読ませる気なんてない。
彼は頬杖を止め、瞬いたかと思うと、人差し指を立てた。
『もう一度』
「……また、近いうちにね」
あたしはニコリと笑い、今度はゆっくり「お や す み」と、口元を動かしてみる。今度は読んで。と、その想いを乗せて。
ディーンは頷き、「お や す み」と、想いを返してくれた。
ポッと柔らかな炎が灯る。
じんわりと温かい炎は、まるで陽だまりのようで。
身体の奥深くからゆっくりと広がって行く。
窓に触れ、冷えてしまった頬。
剥き出しになっている手。
いつも冷え切っている指先。
自分の全てが温かな幸せに包まれ、溢れる程に胸が一杯になる。
しばらくの間、窓辺で見つめ合っていた。
もう夜も更けているというのに、離れがたくて。ずっとずっとこのままで居たかった。
ディーンがもう一度「おやすみ」と、伝えてくる。
その表情は穏やかで。決して伝わっていないと思い、再度紡いだ言葉ではなかった。
うん。分かっているよ。
あたしも「おやすみ」と、もう一度伝え、後ろ髪惹かれる思いで窓辺を後にする。
ディーンはあたしが窓から離れるその時まで、こちらを見ていた。
◇◆◇◆◇◆
朝になり、村を後にする。
昨日と同じ道をたどり、ゆっくりと山を降りてゆく。
ひんやりとしていた空気が、段々とその冷たさを失い、下っている事を実感させる。
途中で石を見つけた。
散らばった小石の中には拳大程の大きさの物もあった。
あたしは空を見上げる。
怖くない。昨日の勇気を、あたしは忘れてはいない。
「ねえ、ディーン」
「ん? なんだ」
「あたし……言っておかなきゃいけない事があって」
「ああ」
「それで……」
言い淀み、言葉を切ってしまった。
遠くで鳥の鳴く声が聞こえる。
高く、番を呼ぶ声は、澄んだ空気を震わせるように、山を通り抜けてゆく。
沈黙が流れた。
早く続きをと、焦る。だけど。
今日のディーンはあたしを急かしたりはしなかった。
「……必ず、この視察中に言うから……聞いてくれる?」
言えた。
やっと。やっと言えた。
ディーンはこちらを見て頷いた。
「ああ。ちゃんと聞く」
嬉しくて、彼の胸元に顔を埋めた。
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