1
ネゴスは小さな村である。人口で言えば二百前後。にもかかわらず独立した領地であり、であるからには領主がいる。動乱前は他の領地の一部であり、代官が治めているありふれた村であった。
それが動乱で功を立てた代官に褒美として割譲されたのだ。代官は領主となり、ネゴス卿となったのである。
「こんにちは」
「ほう。こんにちは。お前さん方、見ない顔だねえ、どちらからいらしゃったね」
「ツェント領からよ。わたしはアルハ・ツェント。ネゴス卿に用があるのだけれど、どちらにお出でかしら?」
「ザイス様かい? はて、知らん者をお宅に連れていって良い物か…… おお、そうだ。ザイス様なら毎日領内を見回っておられる。ここいらにも、もう少しすれば来ると思うよ。そうでなければ一番大きなお屋敷に行くと良いが、すれ違いになるかもしれんし、ここで待つのをお勧めするね」
「丁寧にありがとう。お仕事の邪魔にならないようにそちらで待たせてもらうわね」
にこり、と微笑みを交わして離れる。総勢が道の端の木陰に固まり、言葉を交わした農夫が十分に離れたのを確認してクロウエが口を開く。
「貧乏臭え村だな。お前等、こんな所を襲ってたのか? なんだって襲っても食うだけでカツカツのこの村に固執する?」
「クロウエ! 誰が聞いているか判らないのに陰口を叩かない。でも、疑問は疑問ね。もっと豊かな土地へ行こうとはしなかったの?」
盗賊はお互い顔を見合わせながら、恐る恐る切り出した。
「それはまぁ……。ここなら襲っても安全って言うか……」
「気に入らん。実に全く気に入らん」
「わっかんねぇなあ。ここでちまちま稼いでも何にもならねえじゃねえか兵士崩れが三十弱、それに騎士か騎士並みの奴がいるだろうが。もっと大きな村でも襲えるじゃねぇか」
「おい、何を言っている。働きもせずに無辜の民から奪うという行為がだな──」
「……兵の規模とか、実入りとかよぉ。で団の機密知ってやがる?」
「あ? んなもん、練度、装備、分隊の規模から大体は判らあな」
「普通、判んねえよ!」
「しっ、来たわよ」
アルハはネゴス卿の進路をふさがない程度に前に出る。淑やかに腰を折る。
「はじめましてザイス様。わたしはアルハ・ツェント。お話、というかご報告があってお待ちしておりました」
「はじめまして、お嬢さん。確かに私がザイスだが報告、かね?」
知と武でネゴス卿となった男。前線を去り、年を重ねてはいても一介の騎士として恥ずかしく無い身体をしていた。それは、その気が無くとも少女に威圧感を与えるものであったろう。しかし、アルハと名乗った少女は全くの自然体である。興味を惹かれた。
「はい、わたし達はオノトの村を通ってこの村までまいりました。その中途で盗賊に襲われましたの」
賊の三人に前に出るように促し、アルハは続ける。
「襲ってきた賊の数は八人。五人を斬り、三人を捕虜としました。どうぞ、ご確認を」
「む。この場で話す事柄では無いようだな。屋敷にお誘いしても?」
アルハの答えは満面の笑みであった。
「旦那様。今日はお早いお帰りですな。そちらの皆様はお客様でしょうか」
出迎えに出た家令が一礼する。
「ああ、ツェント伯のお嬢さんと、その護衛お二方だ。そっちの三人は不逞の輩。そうだな、離れにでも監禁しておけ」
「承りましてございます。皆様、遠い所をよくお越しくださいました。簡素ではありますが粗茶を準備いたしますので、こちらへいらしてください。」
本来、接客はメイドの仕事であるが、主の口調から重要な客と判断したのだろう。自分から率先して案内を買って出た。
「貴様らはこっちだ。従士長、頼む」
打って変わって賊に対する態度は冷淡そのものである。客に対する時は柔和なだけにその温度差に冷汗をかくのを止められない。自らの処遇に賊達は戦慄するのであった。
家令とメイドの接遇にアスィーラは落ち着かない。こんな経験は初めてなのだ。
「楽になされよ。大したもてなしもできぬ。ただ、心だけは籠めている。楽しんで頂ければ幸いだ。アルハ嬢、お国で飲んでいた茶葉には敵わぬでしょうが、この地で摂れた茶葉も、これはこれで趣があるかと」
「ザイス様、お気になさらず。それはツェントなら高級な茶葉も口にしましたが産地より遠く離れた茶葉など風味が落ちてしまいます。正直なところ、値段だけはともかく、このお茶より劣るお茶などいくらでもありますわ。お世辞抜きで美味しいです」
それを聞いて安心した、とザイスが笑う。楽しそうにひとしきり笑った後、真剣な表情になる。
「街道の盗賊を倒した訳ですな。それに捕虜が三人。よくもまあ、拘束も無しで無事に旅を続けられましたな。」
「はい。護衛が優秀ですから。夜陰に乗じての襲撃、クロウエとアスィーラがいなければ、今ここにはいないでしょうね」
「そうですか。それにしても、八人…… 八人か」
「こちらから口を切るのは心苦しいのですが、討伐料を無心しにまかり越した次第です。」
ザイスは初めて気づいたように顔を上げる。
「あ、ああ、これは失礼。こちらから申し出なければならなかったことですな」
アルハは柔らかく微笑む。ザイスは顎を揉んでしばらく考えた後、答えた。
「一人に付き銀貨八枚。八名で六十四枚では如何か?」
アルハは笑顔で首肯する。対してクロウエは渋面を作る。金額が低いのではない。高すぎるのだ。金額の多寡を理解していないアスィーラだけが自然体だ。
この世界で流通している貨幣は──国による違いもあるが──、プラチナ貨、金貨、エレクトラム貨、銀貨、大銅貨、銅貨がある。プラチナ貨、金貨は貴族や大商人でもなければおよそ使い途も無いだろう。エレクトラム貨は庶民でも裕福な者は貯金に利用するかもしれない。普通の生活には銅貨と大銅貨、それに銀貨でことが足りる。
一食に銅貨十枚も使えばそこそこに旨い物が食べられる。銅貨五枚で大銅貨一枚。大銅貨五十枚で銀貨一枚という変換レートだ。この時期一般的な生活では、一日の生活費に大銅貨三枚と言ったところか。週給は大銅貨、二十枚程度である。
そうすると銀貨六十四枚とは贅沢をしなければ一年近くは遊んで暮らせる収入となる。これは通常の謝礼の二倍近い。
「おうおう。ザイスさんよ。礼金にしちゃ、ちぃと張り込みすぎじゃねえかい。どんな裏がある?」
「盗賊団にはこれまで散々煮え湯を飲まされてきたのだ。それを退治してくれた。恩義に感じて謝礼を多くしたとは考えないのかね?」
「考えねえな」
「慧眼だね。一つ仕事を頼みたいのだよ」
「やなこった」
にべもない台詞だが破格の報酬の後の頼み事だ、面倒なことに間違いない。
「話くらいはきいても良いのではないか?」
「だぁってろ!」
口を挟んだアスィーラにするどく釘を刺す。ザイスは組し易しとみてアスィーラに向けて話を続ける。
「仲間が殺されたのだ。盗賊団の報復があると考えるのが自然だろう。しかし調査の結果、盗賊団はおよそ三十人弱と予想されている。この人数に襲われてはネゴスは滅んでしまう」
「それは」
「八人減らしてやったろうが。後はてめぇらで何とかしろや」
一行は降りかかる火の粉を払っただけでネゴスのために働いた訳ではない。これよりは自分達に関わりの無いネゴスの問題だ。ましてや目的を持った旅の途中、余計なことには関わりたくない。
「こうも言える。君たちが余計なことをしたおかげでネゴスが滅びかけている、とね」
「我々は身を守るために──」
言いかけたアスィーラを遮るようにザイスが続ける。
「盗賊団にそんな理屈は通らないよ。受けた損害をネゴスから補填しようとするだろうね」
「おいおい、領主様よ。領地を守るのはあんたの仕事だろう。それでお飯食っている奴が職務放棄か? この村も軍役をこなしてるんだろうが。民の数から言えば四十は兵を用意できるはずだぜ」
「装備が違う。この村には武器も防具もほとんど無いのだよ。戦乱が終わってからみんな鋳つぶしてしまった。それに戦乱によって男手が減り、兵として出せるのは二十がせいぜいだ」
「サイズやフォーク、鉈でも十分に戦えると思いますわ」
「……練度が違う。そして何より男手が足りない。よっぽどの無理をすれば四十の兵を集めることも出来よう。だが、練度、装備の差で多くの死者が出るだろう。、これ以上男手が少なくなれば田畑を耕す者がいなくなる。それでは結局ネゴスが滅ぶのだ。でなければ盗賊などに村の蓄えをくれてやる理由などない!」
「旦那様」
興奮したザイスを家令がたしなめる。
「失礼。見苦しい真似をした」
「ケッ、四十揃えて勝てねえ相手にたった三人を突っ込ませるかよ。全くご立派なことで」
「無論、我々も兵を出す。指揮をして欲しいのだ。それにアルハ嬢を戦いに出す様なことはしないよ。ここで安全にお守りする」
「いらねえよ。余所者がいきなり頭張っても兵は思う様に動きゃしねえ。邪魔になるだけだ」
「結構ですわ。客人と言う名の人質になるよりアスィーラとクロウエの側にいる方が安全ですもの」
「動くな!」
アスィーラが大喝した。クロウエが危険な声で続ける。
「それを抜いたら、お前ら全員ぶった斬るぜ?」
この場にいた従士長が気付かれぬ様、柄に手をかけたのだった。何故ばれた、と冷や汗が背筋を伝う。
「控えよ。客人には頭を垂れて願い事をしているのだ。剣をもって脅すとは何事か」
「はっ…… はっ! 失礼をいたしました!」
直立不動の姿勢を取る従士長。この者達は自分とは違うのだ。自分達が束になっても敵わない盗賊団と対等に戦えると主が判断した三人。その力の片鱗を見た。
「ネゴス卿? 今の行為が交渉において強力なカードになることはご理解いただけますね?」
ザイスは苦り切った顔で告げる。
「無論だ。こうなった上は願いを取り下げよう。その上で謝罪として」
「もう、結構。わたし、面倒なことは嫌いですの。ここで実りの無い交渉をするのも飽きましたわ。盗賊団の残り二十人、雁首揃えて見せましょう。その方がいくらか面倒が少ないわ。謝礼は旅の用意だけで結構ですわ」
「ああ、結局めんどくせぇことになった。ジャリを怒らせやがって。恨むぜ、おっさん」
「ネゴス卿? 判ってはいると思いますが、くれぐれも約定を違えませぬ様」
硬い表情で頷くザイスであった。