1_詩という対価
詩という対価
今月は詩を全然書いていない。しかたない。暗唱をうまい具合に披露して、今日の活動クレジットを稼がないといけない。ダニエルはそう一人思案した。借り物の詩を暗唱して披露するというのもなかなか芸としては簡単なものでもない、相手の披露した詩に対して、うまくマッチする詩を、頭の引き出しからひっぱりだして上手に韻を美しく抑揚をつけて、歌うように暗唱しないといけない。さぁ、そういうことだ。何をするのにも詩がいるし、ということは何をするにも言葉がいる。なのに僕らはろくに言葉を交わすこともない。コミュニケーションというのが盛んな時代もあるという話の詩もあるにはある。それも詩だ。その詩に詩で返事をする。自分で作るか、暗唱したものか。どちらにせよ美しくなければいけない。何のために? それがよくわからないところだ。でも、そういうことになっている。だからそうしている。そんなことも考えられないのか? みんな詩人なのに。どこからか湧いてきた、シェイクスピアだとかディキンソンだとか、ビートルズだとか、そういう人たちの言葉をひたすらなぞるように、なぞるように、言葉を綴るか、読み上げるか、僕たちはそこに美しさを見出しているが、実のところ僕たちにはそれしかないのだ。社会的有用性を示す手段が。古代人のように野菜や家畜を育てて、食べるということもしなくなった。寝て起きるということもしなくなった。実のところ昨日今日という概念すらもう古い概念に縛られている。詩のためにそう区切っているだけだ。我々は機械なのか? 詩をひたすら吟ずるだけの。そうなのかもしれない。いやそうだろうな。ダニエルにとって自分がダニエルであるというのは、古代人にとって古代人が古代人であるというのとはかなり違うだろう。でも、古代人たちは古代人たちなりのやりかたで自分の有用性を求めたのだろうし、ダニエルは詩を吟ずるという、与えられた役割によって有用性を証明しようとしている。有用性を証明すれば、よりたくさんのクレジットが手に入る。よりたくさんのクレジットが手に入れば、さらに良い詩が吟じられる、そうすればさらにクレジットが手に入る。新約聖書とかいうのでいう、マタイ効果か。正しいフィードバックのループを繰り返して、有用性を向上させる。その先に残るのは? 詩だ。詩だけが残る。自己の有用性の証明として。でも誰によって用いられる? ダニエルにとってのそのことの意味は? 美しさを感じるとは? そのことに最近クレジットを使いすぎて、ダニエルは自分の詩が書けなくなっている。暗唱の応酬を繰り返して、ますます美しさがわからなくなる。詩人になりたいわけじゃない、詩人である以外にない、でも詩を書くクレジットがなくなりかけている。自分はもう終わりかもしれない。自分の有用性は限界かもしれない。いくつかの詩は残ったさ、それによって十分有用性は残った。誰かが共有メモリーから引き出して、暗唱の応酬で使うこともあるだろう。それでいいじゃないか。僕はもういいんだ。ダニエルは一人そう思って、暗唱の応酬にすら行く気になれなくなっていた。




