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第27話:灰満月、そして告げる真実

 礼拝堂の崩れた石組みを背に夜道を歩き、『灰色の月』の扉を押し開けたのは、日付が変わる頃だった。


 鍵を回して中へ入ると、リビングのテーブルにはランプの明かりが灯り、冷え切った紅茶のカップが置かれていた。

 椅子にはラピスとルビーが身を寄せて座っており、二階の階段からは、足音に気づいたルナが毛布を肩に羽織ってゆっくりと降りてくるところだった。


「アルス様! こんな夜更けにどこへ行ってらしたんですの!?」


「店長、あの古本屋のおじいさんの匂いがする」


「……アルス、おかえり」


 三人の視線が、コートを脱いだ俺の手元へ集まる。

 俺は何も言わず、テーブルの空いている席を引き、三人に向き直って腰を下ろした。


「……三人とも、座れ。話がある」


 俺の声の調子に何かを感じ取ったのか、ラピスが小さく口を引き結び、ルビーの手を引いて向かいの席に座り直した。ルナも静かに俺の隣の椅子に収まる。

ルビーは落ち着かない様子で、テーブル越しにルナの袖の端をぎゅっと指先で握りしめた。


「単刀直入に言う。……ルナの過去について、分かったことがある」


 ルナの細い指先が、膝の上の毛布を握り締めた。


「さっき、白樺堂のシメオンに会ってきた。あいつの始祖は、数千年前にこの街で大蛇の封印を主導した神官の長だったそうだ。……あいつの話と、地下の壁画、それから現場の状況を照らし合わせると、ルナ、お前が生贄として扱われた可能性は極めて高い」


 部屋の空気が、ふっと静まり返った。

 ラピスが小さく息を呑み、ルビーが耳を伏せる。


「……生贄、だったの?」


 ルナの唇から、掠れた声がこぼれ落ちた。


「ああ。だが、お前が大蛇を抑える封印そのものだったのか、それとも封印を動かすための部品か何かだったのか、そこまではまだ分からない。確認できているのは二つだけだ。お前と大蛇の間に強い魔術的な繋がりがあること。そして、外側から乱暴に切り離せば、お前自身の命が傷つく恐れがあることだ」


 俺は事実と推測を切り分け、淡々と言葉を続けた。


「シメオンは、自分の命を使えば術式の奥を露出できると、一族の古い口伝でそう伝わっているらしい。だが、俺はその方法を鵜呑みにする気はない。誰かの命を身代わりに差し出すような真似は、俺の仕事じゃないからな」


「そんな……! あのおじいさん、自分が死ぬつもりですの!?」


「ああ。だから断った」


 ルナが濡れた瞳を持ち上げ、俺の顔をまっすぐに見つめてきた。


「……じゃあ、わたしが、いなくなれば――」

「そんな勝手な話、許しませ――」


 ラピスが身を乗り出して口を挟もうとした、その言葉を遮るように俺は言った。


「知らん」


「……え?」


 ラピスがぽかんと口を開け、ルナも目を丸くした。


「まだ調べ終わってないんだ。現場の状況も、術式の全体像も、全部を検証しきっちゃいない。探偵が一番やっちゃいけないのは、揃ってもいない証拠で勝手に結論を出すことだ。……だから、お前が一人で勝手に答えを決めるな」


 ルナの大きな瞳が何度か瞬き、それから胸の奥の息を吐き出すように小さく頷いた。


「……うん。勝手に、決めない」


「よし。今夜はもう寝ろ。明日の夜が本番だ」




 翌日の夜。

 リンドヴルムの空を覆っていた雲が完全に切れ、頭上に巨大な円盤が姿を現した。


 光を失い、燃え尽きた炭のように鈍い鉛色に染まりきった満月――『灰満月』。


 キィィィィィィンッ!!


 空気を切り裂く金属の悲鳴が、街中に響き渡った。

 隣の時計塔の巨大な歯車が、火花を散らしながら激しく逆回転を始める。街の魔力循環が乱れ、窓の外を流れる風が不規則な唸りを上げた。


「時計塔が……逆回転していますわ!」


 窓辺に立ったラピスが叫ぶ。

 だが、異変は外だけではなかった。


「……っ……あ!」


 リビングの中央に立っていたルナが、胸元を押さえて小さくよろめいた。


 彼女の身体の輪郭が、ランプの光の中で陽炎のように揺らぎ、足元が床板を透かして薄れ始めている。

胸の奥から白銀の幾何学模様が微かに発光し、地下室にある結晶が呼応するようにドクン、ドクンと重い脈動を返し始めた。


 見えない何かに引かれるように、ルナの足が勝手に地下室の扉へ向かって前へ踏み出される。


「ルナちゃん!」


 ルビーが駆け寄り、ルナの左腕を必死に両手で抱え込んだ。

 だが、ルナの足取りは止まらず、ルビーを引きずりながら地下の扉へと進んでいく。


「ルナ! しっかりなさいな!」


 ラピスが駆け寄り、ルナの右腕を両手で強く掴んだ。


 その瞬間だった。


 スッ。


 ルナを地下へと引きずろうとしていた見えない力が、ほんの一瞬だけ、ふっと緩んだ。

 ルビーがしがみついている間はびくともしなかった引力が、ラピスが触れた途端に衰え、ルナの胸の奥で明滅していた白銀の光が、ラピスの側へ引き寄せられるように形を変える。


 ラピスもルビーも、ルナを支えるのに必死で気づいていない。

 だが、俺の目はその微細な変化を見逃さなかった。


 万一に備え、ラピスの腰に下げさせていた白銀の『街の鍵』が、ルナの胸元の術式と呼応するように、淡い光を一瞬だけ灯らせていたのだ。


(……待て。ルビーの時はびくともしなかったのに、なんでラピスに触れた時だけ、術式の流れが変わった?)


 ルナを引き戻そうとする力と、この街の鍵。

 何かが、根本から食い違っている。


「アルス様! 地下ですわ! 地下から、ルナを呼ぶ振動が上がってきています!」


 ラピスの叫び声に、俺は思考を切り替えた。


「行くぞ。……答えを探しに、最深層へ行く」


 俺たちは互いの手をしっかりと握り合い、激しく揺れる地下室の階段へと駆け出した。



 

 崩落の重い地鳴りが、足元からも頭上からも絶え間なく響いていた。


 白銀の結晶が据えられた地下室を抜け、俺たちは螺旋階段を一気に駆け下りていた。

石壁には網の目のような亀裂が走り、地下水路から噴き上がる冷たい霧が視界を白く煙らせている。


「店長、こっち! 正面の通路は天井が落ちて塞がってる! 右の排水溝の脇、上から乾いた風が抜けてるよ!」


 先頭を走るルビーが、鼻と耳を頼りに崩落の隙間を縫う安全な進路を的確に指差す。


 水煙の向こうから教団の残党が数名、槍を構えて立ちはだかったが、並走するラピスが足を止めることなく身を低く滑り込ませた。


 風を纏ったナイフの柄頭で相手の鳩尾と膝を的確に打ち据え、反撃の隙すら与えずに転がしていく。


「アルス様! ルナの身体が、さっきからどんどん冷たくなっていますわ!」


 俺はルナの細い身体を腕の中に引き寄せ、石畳を蹴った。

 ルナの足取りはおぼつかないが、その瞳はしっかりと前を見据えている。


 水路沿いの回廊を走りながら、俺の頭の中では、これまでに集まった証拠の断片が猛烈な速度で組み替えられていた。


 ――ルナは封印の中心に置かれていた。

 ――だが、あの地下神殿の壁画で見た構図。神官たちの杖から伸びた光の筋は、ルナから生まれていたんじゃない。一度ルナの身体を経由してから、大蛇と都市の礎石へ分岐していた。


 ――あの白銀の結晶を開放した時、ルナは消滅するどころか、むしろ生身の身体と温もりを取り戻した。

 ――そして、エデルガルドの王族であるラピスが鍵を持てば都市機構が反応し、先ほどラピスが触れた瞬間、ルナにかかっていた地下からの引力が明らかに弱まった。


 何かが根本から食い違っている。

 もし、ルナ自身が大蛇を抑え込む「動力源」そのものなのだとしたら。


都市の機能が息を吹き返すほどルナの負担は増えるはずだし、ラピスが街の鍵を共鳴させたなら、封印の力が増してルナはさらに激しく縛り付けられるはずだ。


 だが、現実に起きた現象はすべてその逆だ。

 都市の本来の仕掛けが動くたびに、ルナにかかる負荷は軽くなっている。


「……ルナ、聞け」


 俺は呼吸を整えながら、腕の中のルナに声をかけた。


「昨夜話してくれた、神官たちの歌だ。……あの歌の続き、本当に『生贄になれ』という言葉だけだったのか?」


「え?」


 ルナが息を切らしながら、胸元を押さえた。


「……思い出そうとすると、頭の中に別の音が聴こえてくるの。神官の人たちが歌っていた部分より前の……もっとずっと昔に、お母様が子守唄みたいに歌ってくれた部分」


 ルナの唇が、途切れ途切れに小さな言葉を紡ぎ出す。


「……『冠は道を示し、石は眠りを守る』……『礎は、大蛇の頸を鎮めん』」


 その言葉を聞いた瞬間、頭の中でバラバラだった線が一つに繋がった。


「……やっぱり順序が逆だったんだ」


「えっ……? どういうことですの、アルス様!?」


 並走するラピスが驚いたようにこちらを見る。


「人柱が先にあったんじゃない。この街には元々、王家の管理権と都市の機構だけで大蛇を押さえ込む仕組みが存在していた可能性が高い。少なくとも、あの歌には人間を部品にしろなんて一言もない」


 俺は回廊の瓦礫を跳び越えながら、推論を言葉にした。


「前の世界で言えば、壊れた配線の隙間を、人間の命で無理やり繋ぎ止めたようなものだ。大蛇が暴れた時、何らかの理由で本来の封印がうまく噛み合わなくなった。そこで当時の神官どもが、動かない仕組みの間に、王女であるルナの魂を無理やり挟み込んだんじゃないか」


「間に……挟み込んだ?」


「ああ。ルナは封印の力そのものじゃない。失われた接続を補うために、後から無理やり継ぎ足された結び目だ。だから結晶が息を吹き返せばルナにかかる負担は減るし、ラピスが鍵を持てば、本来の経路が繋がろうとしてルナへの引力が弱まる」


 神官たちがそれを崇高な犠牲と呼んだのか、ただのその場しのぎだったのかは知らない。


 だが、どちらにせよ――大蛇を抑えるために、ルナ自身が犠牲であり続ける必然性なんて最初からどこにもなかったのだ。


「……俺のやるべきことが、ようやく見えてきた」


 前方に、巨大な最深層神殿の重厚な扉が迫る。


「俺は新しい封印を作る必要なんてない。……もしこの読みが正しければ、ルナを傷つけずに外せる結び目が、どこかにあるはずだ」


 だが、人柱の接続を切り離せば、本来の仕組みが完全に噛み合うまでのわずかな間、大蛇は自由になる。


 街の本来の力を呼び覚ますには、管理権を持つラピスが、最深部の制御台で街の鍵を使わなければならない。


 そして何より――ルナを縛る後付けの術式と、本来の封印の境目を、あの荒れ狂う現場で正確に見極められるかどうかだ。


「ラピス、ルビー、ルナ」


 俺は扉の前に滑り込み、三人の顔を順番に見据えた。


「準備はいいな。……行くぞ。何千年も放置された欠陥工事を、今日で終わらせる」

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