第14話:理を裂く剣、理を紡ぐ指
夜の冷気が、庭先の石畳に張り詰めていた。
銀色の鎧を着た十数名の魔導騎士が陣形を広げ、その先頭で、ヴィクトールが漆黒の長剣をすらりと抜き放った。
刀身は光を一切反射せず、周囲の大気を吸い込むように鈍く沈んでいる。
「……何重もの結界を張っているようだが、小細工だな」
ヴィクトールが静かに一歩踏み出した。
男の義眼が赤く明滅し、庭先に施していた侵入防止の術式を観察する。彼が剣先を軽く振ると、目に見えない圧力の波が走り、俺が玄関前に仕掛けていた空間の歪みがパチンと弾けて霧散した。
力任せの破壊ではない。術式の継ぎ目を見極め、そこを正確に断ち切る太刀筋だ。
「ラピス、下がってろ。こいつの剣は、物理的な装甲を断つものじゃない。術式の構造を斬る技だ」
「構造を……!? 厄介ですわね。でも、騎士団の連中が後ろから回り込もうとしていますわ!」
ヴィクトールを正面に据える俺の死角を突くように、左右の魔導騎士たちが杖を構えて間合いを詰めてくる。
「……ラピス。あいつらを止められるか」
「えっ……。でも、わたくしは」
ラピスの青い瞳が一瞬揺れた。
路地裏で抜き放ってしまった、かつての暗殺の技。その血の感触を思い出し、指先が強張っている。
「殺すなよ」
俺は視線をヴィクトールから外さずに告げた。
「……できますかしら、わたくしに」
「できるさ。あんたはもう、あいつらの処刑役じゃない。俺の便利屋の看板娘だ」
ラピスが小さく息を呑み、それから唇を引き結んだ。
「……了解いたしましたわ。アルス様!」
ラピスが地を蹴った。
風の魔力を足元に纏わせ、弾丸のような速度で前進する。
杖を掲げた先頭の騎士が詠唱を始めるより早く、ラピスは身を低く滑り込ませ、ナイフの柄頭で男の顎を鋭く打ち抜いた。
ゴツン、と鈍い音が響き、騎士が白目を剥いて崩れ落ちる。
刃は使わない。風を纏わせた足払いで軸足を刈り、ナイフの峰で手首を叩いて杖を取り落とさせる。急所を外しながらも、相手の戦闘継続能力だけを的確に奪っていく制圧の連撃。
「な、なんだこの小娘は……!? 騎士団が手玉に取られているだと!?」
「小娘ではありませんわ!」
最後の一人の鳩尾に鋭い掌打を叩き込み、ラピスは胸を張って言い放った。
「わたくしは、『灰色の月』の看板娘ですの!」
返り血を浴びることなく、地面に転がる騎士たちを見下ろすラピスの横顔には、かつての陰鬱な影はどこにもなかった。
「……ほう。技の質を変えてきたか」
ヴィクトールが残された左目を細めた。
「だが、お前のその能力はどうだ、イレギュラー」
ヴィクトールが間合いを一気に詰め、漆黒の剣を横一閃に薙いだ。
放たれたのは、空間そのものを断ち割るような不可視の魔力刃。
俺は避けることなく、右手を前方に突き出した。
飛来する斬撃の軌道、その魔力を束ねている中心の結節点を捉え、人差し指を弾く。
「《終焉の理》」
パリンッ。
硬質な音が鳴り、迫り来る漆黒の刃は俺の目前数センチで構成を失い、ただの冷たい夜風となって霧散した。
「……」
ヴィクトールの義眼が激しく明滅する。
「なるほど。障壁で防いだのではない。私の放った術式の結合点を、直接消去したのか。……理屈は分かった」
男は剣を引き、再び構えを低くした。俺の力の性質を観察し、次の一撃で相殺されない角度と速度を計算し始めている。
底知れない実戦経験と冷徹な頭脳。この男は、単なる力押しの魔導師とは格が違う。
互いに次の一手を繰り出そうとした――まさにその瞬間だった。
ドォォォン……ッ!!
足元から、大地そのものを揺るがすような巨大な地鳴りが轟いた。
「な、何事ですの!? また地震!?」
倒れた騎士たちを押さえていたラピスが声を上げる。
「違う……地下の結晶だ!」
地下室の奥で解いた封印。
時計塔の歯車が軋むような悲鳴を上げて激しく回転を始め、地下から溢れ出した白銀の光柱が、家の屋根を透過して夜空を真っ直ぐに貫いた。
街全体を覆い尽くすほどの、圧倒的な魔力の奔流。
「……っ!?」
ヴィクトールが足を止め、夜空を衝く光の柱を見上げた。
義眼から発せられる警告音が、彼の頭蓋を激しく打っているのが見て取れた。
「これは……個人の魔力量ではないな。地下に何が眠っている……?」
光の渦の中から、ルナの姿がふわりと浮かび上がってきた。
その身体はもはや透けてはおらず、確かな質量を帯びた白銀のドレスを纏い、頭上には細やかな星屑のティアラが浮かんでいる。
街全体の魔力循環が彼女の存在と同期し、荒れ狂っていた風がピタリと凪いだ。
「特務査察官! これは一体……!」
起き上がった騎士たちが怯えの声を上げる。ヴィクトールはルナの姿を一瞥し、それからゆっくりと漆黒の長剣を鞘へと収めた。
「……一時撤退だ」
「引くのですか!?」
「未知の古代遺構が起動した現場に、この戦力で突っ込むのは愚者のすることだ。情報を持ち帰り、態勢を立て直す」
ヴィクトールはマントを翻し、肩越しに俺を見据えた。
「イレギュラー……貴様が何を目覚めさせたのかは知らんが、帝国の監視網から逃れられると思うなよ」
男は短く言い捨てると、動揺する騎士団を率いて、夜の闇の中へと姿を消していった。
光が穏やかな輝きへと収束し、庭先に静寂が戻った。
ルナが地面へと静かに降り立つ。
足裏が石畳を踏みしめる、確かな足音が響いた。
「……ルナ?」
俺が声をかけると、ルナはゆっくりとこちらを振り返った。
その白銀の瞳は澄み渡り、かつての怯えたような影は消えている。
「……アルス。わたし、少しだけ思い出したよ」
「何をだ?」
「……『CROWN-01』。……この街の、王女だったみたい。ずっと昔……この街を守るために、あの地下の心臓に残されたの」
「王女!?」
その言葉を聞いた瞬間、ラピスが息を呑み、目を見開いた。
「ち、ちょっと待ってください! 王女ですって!? わたくしはエデルガルドの王位継承権第三位ですけれど、彼女は千年以上前の古代都市の正統な王女……! 格も歴史も、圧倒的にあちらの方が上じゃありませんの! わたくし、今日からルナに敬語を使わなきゃいけませんの!? 『看板娘』としての立場はどうなりますの!?」
「お前、気にするところがそこかよ」
「大問題ですわ! ……あ、あの、ルナ様? お腹空いていらっしゃいませんこと? 今ならカルボナーラに特別にベーコンを一枚おまけいたしますわよ?」
「……ふふ。ルナでいいよ、ラピス。わたし、ラピスとアルスのことが大好きだから」
「ひぇぇ、王女様に手を握られましたわ!」
ラピスは大げさに慌てながらも、嬉しそうに頬を緩めている。
俺は二人のやり取りを眺めながら、不精髭の顎を擦った。
「なあ、ルナ。一つ確認したいんだが」
「なあに、アルス?」
「この家、元々はあんたの持ち物だったんだよな?」
「……うん。わたしの離宮だったみたい」
「じゃあ俺、今まで他人の別荘を大家から又借りして、家賃を払ってたことになるのか?」
「アルス様! この期に及んでなんて世俗的な心配をしていらっしゃるんですの! 空気を読みなさいな!」
ラピスが盛大にツッコミを入れてくるが、俺にとっては生活に関わる重要事項だ。
「……家賃、いらないよ」
ルナがクスクスと笑いながら言った。
「アルスたちがここにいてくれるのが、わたしのいちばんの安心だから。……好きなだけ、使っていいよ」
「……そいつは助かる。大家さんに感謝だな」
俺は息を吐き、リビングの扉を開けた。
ヴィクトールが帝都へ戻れば、いずれ帝国の本格的な手が伸びてくるだろう。ルナが背負っていた過去の全貌も、まだ氷山の一角しか見えていない。
だが、今はまだ、目の前にある温かい皿に向き合う時間だ。
「さて、と。冷めきったカルボナーラを温め直すか。ルナ、実体があるなら味も分かるはずだぞ」
「……食べてみたい。アルスの作るごはん」
「ふん、わたくしのベーコンは譲りませんけれど、端っこくらいなら分けてあげてもよろしくてよ!」
冷たい夜風が吹き抜ける中、俺たちは灯りの点るリビングへと戻っていった。




