第12話:鉄壁のDIYと、地下に眠る鼓動
帝国の刺客たちを退けてから、数日が経過した。
辺境都市リンドヴルムは、何事もなかったかのように朝の活気を取り戻している。だが、向こうが一度の失敗で手を引くとは到底思えない。
だからといって、こちらから帝国へ殴り込みに行く趣味も度胸もない。俺が欲しいのは、あくまで誰にも邪魔されない静かな生活だけだ。
「……というわけで、まずはこのボロ家の隙間風から何とかするか」
俺は朝食のベーコンを飲み込み、腰の道具袋から金属製の細い棒、前世の記憶を頼りに街の鍛冶屋へ特注した、十字のドライバーを取り出した。
「アルス様? さっきから何をブツブツ言っていらっしゃるんですの? その先端が十字になった鉄の棒は何に使うんです?」
寝癖のついた銀灰色の髪を揺らし、エプロンをつけたラピスが怪訝な顔でこちらを見ている。
昨日の惨劇を乗り越えた彼女は、すっかり普段の調子を取り戻し、今日の昼食のメニューに頭を悩ませているようだった。
「家の修繕だ。前の世界じゃ日曜大工なんて呼んでいたがな。この家は古すぎてあちこちにガタが来ている。少し手入れをしておかないと、冬の隙間風でお前の食欲がさらに増えかねない」
「それは一大事ですわ! でも、そんな小さな鉄の棒で壁を突っついて何になるんですの?」
俺は答えず、壁の隅に指先を添えた。
視界の奥を研ぎ澄まし、漆喰と石材の噛み合わせを観察する。長年の風雨で劣化した脆い結合部、隙間風の通り道になっている細かな空隙。
それらの不要な隙間や腐食部分だけを狙い、《終焉の理》で削ぎ落とす。
パチン、と指先を鳴らした。
余分な遊びや劣化部が消え去り、健全な石材同士が寸分の狂いもなく密着する。外見は古びた石壁のままだが、建付けの歪みが消え、隙間風は完全に遮断された。
「……? 今、壁の軋む音がピタリと止まりましたわね。気のせいですかしら」
ラピスが首を傾げながら、フライパンを洗い始める。俺はその横で、次々と家の修繕を進めていった。
窓枠の歪んだ木材を削り直して蝶番を締め直し、玄関の鍵には不正なピックを差し込んでも引っかからないよう、内部の遊びを精密に詰める。
さらに、隣の時計塔から響く重金属の振動音。壁と共振して不快な唸りを上げていた箇所の接触面をわずかに解体し、室内に伝わる騒音を半減させた。
「……あら? なんだか家の中が急に静かになりましたわね。足元の冷え込みも感じませんわ」
「時計塔の振動が壁に響かないように調整したんだ。これで冬場も快適に過ごせるぞ」
「アルス様、貴方という人は……性格はともかく、便利屋としての雑用技術だけは一級品ですわね!」
ラピスは現金なものだ。さっきまでの不審な顔はどこへやら、快適になった床板に満足げに頷いている。
ついでに、裏庭を塞いでいた大きな庭石の整理にとりかかった。数人がかりでも動かないような巨岩だったが、俺は外殻の形を保ったまま、岩の内部だけを《終焉の理》で蜂の巣状にくり抜き、中空にしておいた。
「ラピス、庭の隅を片付けたい。その石を向こうの塀の際まで運んでくれ」
「無茶をおっしゃらないでくださいまし! わたくしがか弱い乙女だとお忘れですの……って、あれ? 軽っ!? 何ですのこの石、見た目よりずっと軽いですわ!」
ラピスは巨岩を軽々と抱え上げ、目を丸くした。
「私……覚醒しましたわ! 最近のお肉生活で、筋肉がとんでもない成長を遂げましたのよ! 見てくださいこの軽さ!」
「ああ、すごいな。筋肉の勝利だな」
棒読みで応えつつ、俺は道具を片付けた。
過剰な奇跡を起こす気はない。だが、このボロ家を少しでも頑丈にし、彼女が二度と外敵のために血塗られた刃を抜かずに済むよう、できる限りの手入れをしておきたかった。
作業が一段落し、夕暮れが街を包み始めた頃。
台所から香ばしい夕食の匂いが漂う中、二階の階段からルナが音もなく姿を現した。
だが、今日のルナはいつもの穏やかな様子ではなかった。
透き通るような白い肌が微かに波打ち、不安そうに眉を寄せている。
「……アルス。あのね、地下が……変なの」
「地下? 配管のガタつきならさっき直したはずだが」
ルナは首を横に振り、透ける指先で地下室の床を指し示した。
「……違うの。前は何も感じなかったのに……壁の奥に、大きな扉があるの。ずっと昔からそこに眠っていた誰かが、呼んでいる気がして……。アルスが家を綺麗にしたせいで、扉が目を覚ましちゃったみたい」
俺が家の歪みを整え、時計塔との振動の噛み合わせを直したことで、地下に埋もれていた古い構造が刺激されたのか。
俺とラピスは顔を見合わせた。彼女も冗談ではないと察したのか、引き締まった表情で頷く。
「……確認してみましょう、アルス様。地下に何があるのか」
俺たちはカンテラを手に、地下室へと降りた。
普段は薪や保存食を置いている薄暗い石造りの空間。ルナが指差したのは、最奥の何の変哲もない石壁だった。
俺はカンテラを掲げ、その壁に指先を添えた。
視界の奥に意識を集中させると、脳裏に、これまで見たこともないほど複雑で長大な術式の記述が流れ込んできた。
「……っ、これは」
街の衛兵が使う結界や、一般的な魔導具の術式とは根本から構造が異なる。何重もの強固な縛鎖が絡み合い、奥にある巨大な空間を頑然と封じ込めていた。
「アルス様、どうです?」
「巨大な何かが封じられている。……それだけは分かる。だが、中に何があるかまでは読めないな」
ラピスも壁に手をかざし、息を呑んだ。
「……信じられませんわ。こんな古めかしくて重厚な術式、エデルガルドの王宮の書庫でも見たことがありません。まるで……何千年も前の遺物ですわよ」
壁の奥から、ズン、ズン、と微かな振動が伝わってきた。
それは時計塔の機械音ではない。大地の底深くで、静かに脈打っている何かの鼓動のようだった。
「……開けますの? それとも、見なかったことにして埋め戻します?」
ラピスの問いに、俺は短く息を吐いた。
足元に得体の知れない爆弾を抱えたまま、のんびりと日常を過ごせるほど楽天家にはなれない。放置すれば、いずれ向こうから壁を破ってくる可能性すらある。
「……開けるさ。中身を確かめないことには、安全も確保できないからな」
俺は壁の中央――封印の術式を束ねている、鍵に相当する一点の結節点を見定めた。
封印全体を力任せに吹き飛ばすような真似はしない。ただ、その要となる結合の一箇所だけに、《終焉の理》の波導をそっと滑り込ませる。
「……行くぞ」
俺は指先を弾いた。
パリンッ。
乾いた硬質な音が地下室に響き渡り、数千年の封印を解かれた石壁が、静かに奥へと滑り開いていった。




