表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
放課後のふたりごと 〜廃部寸前の放送部で始めた二人だけのラジオが、いつの間にか学校一の人気番組になっていた〜  作者: Studio SASAME
放送室の二人

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/38

放送室の外で

放送室の中では普通に話せるのに、外に出ると途端に距離が元に戻る。それが何を意味するのか、考えないようにしていた。

翌朝。教室に入ると、音羽が自分の席で本を読んでいた。いつもの光景だ。


 俺の席は教室の中央寄り、音羽は窓際の後ろ。直線距離にして五メートルほど。その五メートルが、放送室のテーブルの幅よりずっと遠い。


 昨日の傘のことが気になっていた。あのビニール傘に気づいただろうか。使っただろうか。それとも雨が止むまで待って、傘には触れずに帰っただろうか。


 確認する方法はある。音羽に聞けばいい。だが「昨日、放送室の前に傘があったか」なんて聞いたら、自分が置いたと白状するようなものだ。


 視線を前に戻す。気にしない。気にする必要がない。


「おっす」


 前の席で瀬戸が振り返った。


「真白、昨日めっちゃ濡れて帰ったろ」


「……なぜ分かる」


「駅でばったり会った。走ってきたのが見えた」


「……そうか」


「傘持ってなかったの? 朝は持ってたよな」


「……途中で失くした」


「不注意だな」


 嘘は下手だ。でも瀬戸はそれ以上追及しなかった。


「そういえば、お前のラジオ聴いてるやつ増えてるぞ。隣のクラスでも話題になってた」


「……本当か」


「『放課後のふたりごと』ってやつだろ。名前つけたんだな」


「音羽が決めた」


「へえ。音羽さんが」


 瀬戸の目が一瞬だけ教室の奥に向いた。窓際の後ろの席。音羽の方向。


「あの子、放送だとちょっと喋るんだな。教室じゃ全然なのに」


「……少しだけな」


「声いいよな。小さいけど」


 また、声の話だ。瀬戸は前にも音羽の声に言及していた。別に引っかかることじゃない。音羽の声がいいのは客観的事実だ。マイク乗りがいい。技術的な意味で。


「まあ、放送室だと話しやすいんだろう」


「場所が変わると変わるタイプか。分かるわ」


 瀬戸は素直に頷いた。素直すぎて、逆に刺さる。


 一限目が始まる。席についてノートを開く。


 授業中、ふと後ろを振り返りたい衝動に駆られた。音羽の方を。理由は分からない。振り返ったところで教室の音羽は放送室の音羽とは違う。ガラスの壁を一枚挟んだ向こう側の人だ。


 振り返らなかった。


 昼休み。今日は放送のない水曜日だ。購買でパンを買って教室に戻ろうとしたとき、廊下で音羽とすれ違った。


 正確には、すれ違いそうになった。


 音羽が先に俺に気づいた。足が一瞬だけ止まる。俺も止まる。廊下の中央で、二人が向かい合う形になった。


 周りには他の生徒が行き来している。放送室の防音壁はない。代わりに、無数の視線と足音と話し声がある。


「……」


「……」


 何か言うべきだ。「よう」でも「お疲れ」でも何でもいい。放送室ではあれだけ会話しているのに、教室棟の廊下で顔を合わせた途端、喉が詰まったみたいに言葉が出ない。


 音羽も同じだった。唇が微かに動いたが、声にはならなかった。


 代わりに音羽がしたのは、小さく会釈をすることだった。ほんの一瞬だけ頭を下げて、そのまま俺の横を通り過ぎていった。


 すれ違いざまに、音羽がとても小さな声で言った。


「……傘、ありがとうございました」


 足が止まった。振り返ろうとして、やめた。


 音羽の足音はもう遠ざかっている。追いかけて「あれは俺のじゃない」と言い訳するのもおかしい。そもそも忘れ物の傘を勝手に持ってきた時点で、俺が置いたと見破られるのは時間の問題だった。


 ……バレてたか。


 パンの袋を持ったまま、俺は廊下に立ち尽くしていた。


 放課後。放送室。


 ドアを開ける。音羽がいる。いつもの席。いつもの文庫本。


 俺もいつもの席に座る。鞄から本を取り出す。


「……」


「……」


 廊下での一件には、互いに触れなかった。


 放送室のこの空気は、何も変わっていない。防音の壁。西日。秒針。紙をめくる音が二つ。


 だが、俺の中で何かが変わっていた。


 昼休みの廊下で音羽とすれ違ったとき、声が出なかった。放送室では話せるのに、外では駄目だ。なぜだ。


 答えは分かっている。放送室には「口実」がある。放送の準備、選曲の相談、お便りの整理。話す理由がある。だから話せる。


 廊下には何もない。ただ、同じクラスの、ほとんど話したことのない相手と向かい合うだけだ。そこで声をかけるには、「話しかけたかったから」という動機が必要になる。


 俺は音羽に話しかけたかったのか。


 ……考えるのをやめよう。


「音羽」


「……はい」


「来週のテーマ、何にするか決めたか」


「いくつか候補があります。メモ帳に」


「見せてくれ」


 音羽がメモ帳を開く。候補が三つ書いてあった。「梅雨の日の過ごし方」「忘れられない言葉」「放課後にすること」。


 三つ目を見て、少し迷った。俺たちの番組名が「放課後のふたりごと」だから、テーマとして自然ではある。だが「放課後にすること」と聞かれたら、俺の答えは「放送室で音羽と一緒にいること」になってしまう。それを放送で言うのは、さすがに。


「一つ目にしよう。梅雨っぽくていい」


「……はい。私もそれがいいと思ってました」


 また被った。選曲の感覚に続いて、テーマの好みも近い。


 偶然の一致だ。好みが似ている人間同士なんて、別に珍しくない。


 ……珍しくない、と思いたいのに、胸のどこかが勝手に反応している。うるさい。黙れ。


「あの、真白くん」


「何だ」


「今日の帰り……雨、降るみたいです」


「……知ってる。今日は傘を持ってきた」


「そうですか。……よかったです」


 音羽の声。安心のトーン。声が柔らかくなって、テンポがゆっくりになる。


 分かりたくなかった。でも分かってしまう。


 俺が傘を持ってきたことに、音羽は安心している。昨日の二の舞にならないか、心配していたのだ。俺のことを。


 ……傘ごときで、何を感じているんだ。俺も、音羽も。


 六時。帰り支度。


 今日は音羽と同じタイミングで放送室を出た。いつもは音羽が先に帰るのだが、片づけが長引いて一緒になった。


 廊下を並んで歩く。昼休みのすれ違いとは違って、二人とも同じ方向に向かっている。下駄箱で靴を履き替えて、校舎を出る。


 雨だ。小雨。傘をさすかどうか迷う程度の。


 音羽が傘を開いた。白い折り畳み傘。


 俺も自分の傘を開いた。


「……じゃあ、また明日」


「はい。また明日」


 校門を出て、別々の方向に歩き出す。音羽は左、俺は右。


 十歩ほど歩いてから、振り返った。


 音羽の白い傘が、雨の中を遠ざかっていく。小さな背中。黒い髪。


 視線を戻す。前を向く。歩く。


 放送室の中と外。五メートルと、五十メートルと、もっと遠い距離。


 あの部屋の中でなら普通に話せるのに、一歩外に出ると言葉が出なくなる。このギャップが何を意味しているのか、本当は薄々分かっている。


 分かっていて、名前をつけずにいる。名前をつけたら、取り返しがつかない気がするから。


 雨が少しだけ強くなった。傘を叩く音が、放送室の秒針の代わりに時間を刻んでいた。

放送室の中と外で態度が変わる。それは、あの部屋が特別だからか。それとも、あの部屋にいる人が特別だからか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ