名前のないラジオ
番組に名前がない。それは「まだ何者でもない」ということだ。
放送を始めて一ヶ月。お便りの数が二桁に乗った。
「十二通、ですね」
音羽がクリアファイルから便箋を取り出して、テーブルの上に並べた。最初の三通から始まって、毎週少しずつ増えている。
「前回の放送のお便りが多いな」
「真白くんのコメントが面白かったから、だと思います」
「面白い、か。自覚はないけど」
「自覚がないところが面白いんだと思います」
音羽が何気なく言った言葉に、俺は少し詰まった。面白いと言われること自体あまりない。ましてや音羽から。
「……そうか」
「はい」
音羽は便箋を整理しながら、淡々と続ける。
「お便りの中に、こういうのがあって」
一通を手に取って読み上げた。
「『放送を聴いてたら友達が「何の番組?」って聞いてきたんですけど、名前がないから説明できませんでした。番組名ってありますか?』」
「ないな」
「ないですね」
「『昼休みの放送部です』しか言ってない」
「あれは挨拶であって番組名ではないですよね」
「……確かに」
番組名。考えたこともなかった。月一のノルマを果たすために始めた放送に名前をつけるという発想がそもそもなかった。
「他にも似たお便りがあるんです。『番組名があった方が呼びやすい』『友達に勧めるとき名前がないと困る』」
「勧めてくれてるのか。ありがたいけど」
「名前、つけましょうか」
音羽の目が、まっすぐこちらを見ていた。提案というより確認に近いトーンだった。「つけませんか?」じゃなく「つけましょうか」。微妙なニュアンスの違いだが、そこに音羽の意志が乗っている。
「……何がいいかな」
「考えてきました」
「用意周到だな」
「昨日の夜、寝る前に」
音羽が鞄からメモ帳を取り出した。小さな白いメモ帳に、丁寧な字で候補がいくつか書いてある。
「『放送室ラジオ』は直球すぎるので候補から外しました。『二人のすきま時間』は語呂が悪い。『昼休みのひとりごと』は、ひとりじゃないので不正確。それで――」
音羽がメモ帳のあるページを開いた。そこには一つだけ、丸で囲まれた言葉が書いてあった。
「……『放課後のふたりごと』」
放課後の、ふたりごと。
「放送が昼休みなのに放課後なのは矛盾しますけど」
「いや、放送の準備をしてるのは放課後だから」
「……はい。それと」
音羽が少しだけ俯いた。メモ帳に視線を落として、言葉を選んでいるのが分かった。
「『ひとりごと』じゃなくて、『ふたりごと』。ふたりで話す、ひとりごとみたいなもの……という意味で」
ふたりごと。造語だ。辞書にはない言葉。
だが、的を射ていた。
俺たちの放送は、トークと呼ぶほど会話じゃない。お便りを読んで、短くコメントして、音羽が小さく相槌を打つ。二人でやっているのに、独り言みたいな空気感がある。リスナーが聞いてくれてはいるが、基本的には放送室という密室で、二人が静かに言葉を交わしているだけ。
それを「ふたりごと」と呼ぶのは、なかなかいいセンスだと思った。
「……いいんじゃないか。それで」
「本当ですか」
「ああ。語感もいい」
音羽の表情が、ほんの少し緩んだ。唇の端が持ち上がりかけて、途中で止まる。笑顔の一歩手前。いつもそこで止まる。
「じゃあ、来週の放送から使おう。冒頭を『放課後のふたりごと、始めます』にする」
「……はい」
音羽がメモ帳を閉じた。表紙を指先でなぞる。
「あの」
「ん」
「真白くんに提案があります」
「今日は積極的だな」
「……たまには」
音羽が姿勢を正した。放送室の椅子に座り直して、こちらを見る。
「お便りのコーナーで、テーマを設けませんか」
「テーマ?」
「毎週ひとつ、お題を出すんです。たとえば『学校で好きな場所』とか、『最近見つけたいいもの』とか。それについてのお便りを募集して、次の放送で読む」
「なるほど。お便りの内容が散らばらないから、コメントもしやすいか」
「はい。それと、テーマがあった方がお便りを書きやすいと思うんです。何を書けばいいか分からないから書けない、という人もいるはずなので」
理に適っている。音羽は普段こそ寡黙だが、考えるときはきちんと考えている。しかも今日は自分から二つも提案をしてきた。入部当初の「特には」しか言わなかった頃とは別人だ。
「いいと思う。やろう」
「……ありがとう、ございます」
お便りのテーマを考えるついでに、来週のプレイリストも組む。音羽が持ち込んだ自分のスマホから何曲か候補を聴かせてもらった。桐谷先生に確認したところ、著作権の関係で市販の音源をそのまま流すのは問題があるが、著作権フリーの音源なら大丈夫だとのことだった。音羽がネットで見つけたフリーのピアノ曲をいくつかダウンロードしてきていて、それを試聴する。
「この曲、いいな」
「……私もそう思いました」
「被るな、選曲の感覚」
「……そうですね」
音羽の声が少しだけ柔らかくなった。嬉しいときのトーン。
……だから、なぜ俺は音羽の声のトーンを分類しているんだ。
考えないようにして、プレイリストの作業に戻る。
一時間後。構成が決まった。
「来週の放送。冒頭で番組名を言って、一曲流して、お便り紹介。テーマ発表して、もう二曲。最後に締め」
「はい」
「テーマは『学校で好きな時間帯』にしよう。答えやすいし、パーソナルすぎない」
「……いいですね。それなら私も答えられます」
「音羽の好きな時間帯は?」
「……放課後の、この時間です」
音羽がテーブルの上のメモ帳に目を落としながら言った。声がわずかに小さくなった。言い過ぎた、と思ったのかもしれない。
俺は返事に迷った。
「俺も」と言えば自然だ。事実だし。でも、なぜか口に出すのが憚られた。同じ答えを返すことの意味が、想定より重い気がして。
「……締め切りまでに考えておく」
「……はい」
窓の外は曇り空だった。六月の夕方。夕日は出ていない。いつもなら橙色に染まるミキサー卓が、今日はグレーの淡い光に包まれている。
帰り支度をしながら、俺は「放課後のふたりごと」という言葉を頭の中で転がしていた。
音羽が昨夜、布団の中でこの言葉を考えていたのだと思うと、なんだか可笑しかった。いくつも候補を書いて、消して、最後に丸をつけて。そういう作業を音羽がしている姿は、容易に想像できた。
ふたりごと。二人の、独り言。
その名前は、思った以上にしっくりきた。
名前がつくと、形のなかったものに輪郭が生まれる。「放課後のふたりごと」が番組名になった瞬間、あの十五分間は「俺たちのもの」になった。




