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放課後のふたりごと 〜廃部寸前の放送部で始めた二人だけのラジオが、いつの間にか学校一の人気番組になっていた〜  作者: Studio SASAME
放送室の二人

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沈黙の種類

音楽を流すだけの放送に、飽きが来るのは時間の問題だった。問題は、その先に何があるのかということだ。

週一放送を始めて三週間が経った。六月に入り、梅雨の気配が校舎の隅々まで染み込んでいる。


 放送は毎週木曜の昼休み。十五分間、音楽を流す。俺が最初に一言だけ挨拶して、あとはCDを回す。音羽(おとわ)はCDの入れ替えとミキサーの音量調整を担当する。手順は完全に固まった。


 お便りは、毎週二、三通ずつ届くようになった。「今週の選曲も良かった」「ジャズの回が好きだった」「もっと喋ってほしい」。最後の一通は見なかったことにした。


 今日は放送前日の水曜日。放課後の放送室(ほうそうしつ)で、来週のプレイリストを組んでいた。


 はずだった。


「……」


「……」


 二人とも、テーブルの上の白紙のメモを見つめたまま動かない。


 棚のCDは一通り聴いた。二十枚弱の在庫のうち、放送向きの曲はあらかた使い切ってしまった。同じ曲をもう一度流してもいいが、三週連続で同じ構成というのはさすがに芸がない。


「……ネタが尽きた」


 俺が言うと、音羽が小さく頷いた。


「……そう、ですね」


 沈黙。


 時計の秒針だけが几帳面に刻んでいる。この音は放送室の定番BGMだが、今は沈黙を強調する方向に働いていて、居心地が悪い。


「自分たちの音源を持ってくるか」


「音源、ですか」


「スマホの音楽をミキサーに繋げば流せるはずだ。著作権の問題があるから校内放送でそのまま使えるかは微妙だけど、桐谷(きりたに)先生に確認してみる」


「……あの」


 音羽が口を開きかけて、やめた。視線がテーブルの上を泳ぐ。何か言いたそうだが、言葉を探しているらしい。


「何か思いついたのか」


「……思いついた、というか」


 間があった。


「お便りに、『もっと喋ってほしい』というのが、ありましたよね」


 見なかったことにしていたやつだ。


「……あったな」


「あれを、少しだけ取り入れるのは……どうでしょうか」


 喋る。マイクの前で。十五分のうち、音楽以外の時間を作る。


「何を喋るんだ」


「……分かりません」


 正直だった。


「思いつきで言っただけ、です。忘れてください」


「いや。悪くないと思う」


 音羽が顔を上げた。


「ただ、俺も何を喋ればいいかは分からない」


「……ですよね」


 また沈黙。


 だが、さっきの沈黙とは種類が違った。さっきのは行き詰まりの沈黙。今のは、何かの入口に立っている沈黙だ。


「……試しにやってみるか」


「え」


「今ここで。マイクを入れずに。何を話せるか試してみよう」


 音羽が瞬きをした。二回、三回。提案の意味を咀嚼しているらしい。


「……練習、ですか」


「練習というか、実験。マイクを切った状態で、放送っぽく話してみる。駄目ならやめればいい」


「……分かりました」


 俺はマイクの前の椅子に座った。音羽も隣の椅子に座る。マイクは二本ある。一本ずつ。ただしスイッチは切ったまま。


「じゃあ、始めるぞ」


「……はい」


 沈黙。


 五秒。十秒。十五秒。


 何も出てこない。


 頭の中は真っ白ではない。むしろ色々なことが浮かんでいる。今日の授業のこと、来週の天気、昼に食べたパンの味。だがそのどれも、マイクの前で話す内容としてはあまりにも取るに足らない。


 隣の音羽も黙っている。膝の上で手を組んでいるのが視界の端に見えた。指先が白くなるくらい力が入っている。


 二十秒。


 防音の部屋には、時計の秒針すら遠い。外の音は壁に吸われ、蛍光灯の微かなうなりも聞こえない。


 代わりに聞こえてきたのは、呼吸だった。


 音羽の呼吸。吸って、止まって、吐く。緊張しているのか、少し浅い。鼻から吸って、口からゆっくり吐いている。たぶん本人は気づいていない。


 普段なら絶対に聞こえない音だ。教室でも、廊下でも、空気の中に溶けて消える程度の音量。でもここは防音室で、他の音が何もないから、隣に座っている人間の呼吸がやけに鮮明に届く。


 ……まずい。意識したら、自分の呼吸が気になってきた。


 息を吸う。吐く。音羽が吸う。吐く。


 いつの間にか、タイミングが揃っていた。


 俺が吸うとき音羽も吸って、俺が吐くとき音羽も吐く。偶然だ。呼吸なんて勝手に同期する。隣で寝ている猫の呼吸に合わせて自分も眠くなるのと同じだ。生理現象であって、それ以上の意味はない。


 ないのだが。


 こんなに近くで、誰かの呼吸を聞いたのは初めてだった。


 三十秒。四十秒。


 不意に、音羽の肩が小さく揺れた。


「……っ」


 息が漏れた。笑い声の、一番小さなかけら。


 俺は横を見た。音羽が唇を指で押さえている。目がわずかに潤んでいる。笑いを堪えているのだ。


「……何がおかしい」


「……ごめんなさい。あの、何も喋れないまま一分経ったなって思ったら……なんか、可笑しくなって」


 声が震えていた。笑いを噛み殺している声だ。


 防音室に、その声だけが残った。吸音材に吸われずに、空気の中をゆっくり漂うみたいに。


 ――ああ。


 と、思った。理由は分からない。ただ、音羽が笑った声を聞いたのはこれが初めてだった。「嬉しいですね」のときの柔らかい声とも、「はい」の消えかけの声とも違う。堪えきれずに溢れた、無防備な声。


 防音室の中だけに存在する、外には絶対に漏れない笑い声。


 鳥肌が立った。寒いわけじゃない。六月だ。蒸し暑いくらいだ。


「……俺もちょっと笑いそうだった。真面目にマイクの前に座って、一分間黙ってるってシュールだよな」


「……ふふ」


 また漏れた。今度は隠さなかった。小さかったけれど、確かに笑い声だった。


 その音が消える前に、沈黙の質が変わったのが分かった。さっきまでの「何も出てこない」苦しい沈黙が、いつの間にか別のものに入れ替わっている。


 一分半。


 俺は椅子の背もたれに体重を預けた。


「……駄目だな。喋る方は」


「……はい」


「何も浮かばない」


「……私もです」


 でも、さっきとは声の色が違った。音羽の「私もです」には、諦めと一緒に、小さな可笑しさが混じっていた。


 天井を見上げる。蛍光灯の白い光が目に痛い。


「一人で喋ろうとするから駄目なのかもしれない」


「……一人で?」


「ラジオって、だいたいパーソナリティが二人いるだろ。一人が話して、もう一人が反応して。会話の形になってるから聴いてられる」


「……会話」


 音羽の声が、少しだけ固くなった。


「俺たちは会話が得意じゃない。でも、お便りを読むのならどうだ」


「お便り」


「リスナーが書いてくれた文章を読み上げて、それについて少しだけコメントする。ゼロから話を作る必要がない。台本の代わりにお便りがある」


 音羽が少し考えるように目を伏せた。便箋を読み上げる。それについて感想を言う。確かに、完全な即興よりはハードルが低い。


「……真白(ましろ)くんが読んで、私がコメントする……のは、まだ難しいです」


「逆でもいい。俺が読んで、俺がコメントする。音羽は隣にいるだけでいい」


「……それだと、私は何もしていないことに」


「CDの入れ替えがある」


「……それは今までもやってます」


「じゃあ、頷いてくれ」


「頷く……ですか」


「俺が何か言ったとき、隣で頷いてくれればいい。それだけで、一人で喋ってる感じがなくなる。たぶん」


 音羽が俺を見た。その目は、真面目に検討している目だった。


「……ラジオで頷いても、聴いてる人には見えないですよね」


「……確かに」


 言われてみればそうだ。ラジオは音声だけの媒体なのだから、頷いても何も伝わらない。


「じゃあ、『うん』とか『はい』とか、小さく声を入れてくれ。相槌みたいに」


「……相槌」


「無理にとは言わない」


 音羽は少し黙った。それから、ゆっくりと口を開いた。


「……やって、みます」


 またあの言い方だ。語尾が消えかけて、でもぎりぎり残る。初めて放送部に入ったときと同じ。


 これは俺に対して言っているのか。それとも、自分自身に向けて言い聞かせているのか。


「よし。じゃあ来週からトーク部分を入れよう。お便りを読んで、短くコメントする。音羽は相槌。これで十五分のうち三分くらいは喋る時間になる」


「三分……」


「長いか?」


「……短い、と思います。きっと」


 音羽が小さく笑った。笑った、と断言するのは難しい。口元がほんの少し動いて、息がわずかに漏れた。それだけ。でも放送室の空気がほんの一瞬だけ柔らかくなったのは確かだった。


 帰り支度をする音羽を横目に、俺はメモにざっと構成を書き出した。


 冒頭の挨拶 → 一曲目 → お便り紹介 → コメント → 二曲目 → 三曲目 → 締めの一言


 これなら音楽が主軸のまま、トークを自然に挟める。お便りという第三者の言葉があれば、俺たち二人が直接何かを語る必要もない。


 ……そのはずなのに。


 音羽の「やって、みます」が頭から離れない。あの声には「怖い」と「でもやりたい」が両方入っていた。両方とも嘘じゃない。


 俺は音羽に何を求めているんだろう。隣にいてくれればいい、と言った。それは本心だ。でも、本心のもう少し奥に、別の何かがある気がする。


 音羽の声をもっと聴きたい。


 ――違う。ラジオとしてのクオリティの問題だ。パーソナリティが二人いた方が番組として成立する。それだけの話。


 それだけの、話。


「真白くん」


 帰りかけていた音羽が、ドアの前で振り返った。


「相槌、練習しておきます」


「……相槌に練習がいるのか」


「いります。私は」


 その声は冗談なのか本気なのか判断がつかなかった。たぶん両方だ。


 音羽が出ていった後、俺は一人でメモを眺めていた。来週の放送。初めてトークが入る回。


 やっぱり面倒は増えている。間違いなく増えている。


 でも、面倒だと思えない自分がいる。


 その理由を考えるのは、また今度にしよう。

沈黙にも種類がある。行き詰まりの沈黙と、何かが始まる前の沈黙。見分けがつくようになったのは、いつからだろう。

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