花火と、手のひら
四人で秋祭り。屋台と射的と花火。それだけの、ありふれた夜のはずだった。
十一月の第一土曜日。地元の秋祭り。
なぜこうなったのかを遡ると、瀬戸颯太の一言に行き着く。
「秋祭り、みんなで行こうぜ」
火曜日の昼休みに言い出した。「みんな」とは、俺と瀬戸と橘夏希。そこまでは分かる。
「音羽さんも誘っていい?」
この一言で、四人になった。
音羽澪を誘ったのは夏希だった。連絡先を交換した翌日に「秋祭り行こう」とメッセージを送ったらしい。音羽は三十分迷った末に「行きます」と返した、と夏希から聞いた。
三十分。音羽にしては早い決断だ。
午後五時。神社の鳥居前で集合。
瀬戸がTシャツの上にパーカーを羽織った格好で来た。夏希はデニムにスニーカー。俺も似たような格好だ。
音羽が最後に来た。
白いブラウスに淡いグレーのカーディガン。髪をいつもと違う結び方にしていた。横で一つにまとめている。うなじが見える。
見るな。うなじを見るな。
「ごめんなさい、遅れました」
「時間通りだぞ」
「でも、みんなもう来てたので」
「お前が時間通りなんだから、こいつらが早いだけだ」
瀬戸が「おー、音羽さん来た来た」と手を振った。夏希が「かわいい」と音羽の髪を褒めた。音羽が「ありがとうございます」と小さく答えた。
四人で境内に入る。屋台が並んでいる。焼きそば、たこ焼き、りんご飴、射的。秋祭りの定番が夕暮れの光の中に並んでいた。
「まず腹ごしらえだろ」
「瀬戸、お前いつも腹から入るな」
「祭りは胃袋で楽しむもんだ」
焼きそばを四つ買って、境内の端にあるベンチで食べた。瀬戸と夏希が祭りの思い出を語り合っている。俺は焼きそばを食べながら、音羽を見ていた。
音羽が割り箸を丁寧に割って、焼きそばを少しずつ食べている。風が吹いて、横にまとめた髪が揺れる。屋台の灯りが頬に当たっている。
「音羽さん、祭り来るの久しぶり?」
夏希が聞いた。
「……はい。中学以来です」
「じゃあ楽しまないと。射的行こうよ」
「射的……やったことないです」
「教えてあげる。めっちゃ簡単だから」
夏希と音羽が射的の屋台に向かった。瀬戸が俺の隣で焼きそばの残りを平らげている。
「なあ真白」
「何だ」
「音羽さん、髪型いつもと違うよな」
「……ああ」
「気づいてんじゃん」
「目がついてれば気づく」
「はいはい」
また「はいはい」だ。
射的の屋台で、夏希が音羽にコルク銃の構え方を教えていた。音羽が両手で銃を持って、真剣な顔で狙いを定めている。コルクが飛んだ。的から大きく外れた。
「惜しい! もうちょい右!」
音羽が二発目を撃った。今度はかすった。三発目。当たった。小さなキーホルダーが落ちた。
音羽が振り返って、こちらを見た。嬉しそうな顔。目が少し大きくなっていて、口元が緩んでいる。
不意打ちだった。あの顔は反則だ。
六時半を過ぎると、人が増えてきた。花火の時間が近いのだろう。通路が狭くなり、人の流れが速くなる。
四人で並んで歩いていたが、人混みに押されて隊列が崩れた。瀬戸と夏希が前に出て、俺と音羽が後ろに取り残される形になった。
「はぐれないようにな」
「はい」
音羽の声が緊張していた。人混みが苦手なのだろう。当然だ。教室でさえ居心地が悪い人間が、祭りの雑踏を平気で歩けるわけがない。
前から人の波が押し寄せてきた。音羽との距離が開く。一人分。二人分。間に知らない人が入り込む。
音羽の姿が見えなくなりかけた。
考えるより先に、手が動いていた。
人混みの中に腕を伸ばして、音羽の手首を掴んだ。
細い手首だった。指が一周する。骨の感触と、その下の脈拍。速い。俺の脈拍も速い。
「……っ」
音羽が息を飲んだ。
「はぐれるなって言っただろ」
声が平静を装っている。成功しているかは分からない。
「……はい」
手首を掴んだまま、人混みの中を歩いた。三秒。五秒。前方に瀬戸と夏希の背中が見えた。合流できる距離。
手を離した。
離した後の自分の手のひらが、熱かった。音羽の脈拍の残像がまだ指先に残っている。
花火が上がった。空に赤と金の光が開く。四人で見上げた。瀬戸が「おー」と声を上げ、夏希がスマホを構えた。
俺は花火を見ていなかった。
視界の端で、音羽が右手首を左手で押さえていた。俺が掴んだ方の手首を。
花火の光が音羽の顔を照らした。赤い。花火の光だけではない赤さ。頬から耳にかけて、はっきりと色が変わっている。
暗い。祭りの夜だ。花火の光は一瞬で消える。今の赤さも、きっと暗闇に紛れて見えなくなる。
見えなかったことにする。
見えなかったことにしないと、俺の顔も同じ色をしていることがバレる。
「きれーだな」
瀬戸が空を見上げて言った。
「……ああ」
花火は見ていない。でも、きれいだと思った。何がきれいなのかは、考えない。
祭りが終わって、駅前で解散した。瀬戸が手を振って帰り、夏希が反対方向に歩いていく。
俺と音羽は同じ方向だった。しばらく無言で歩いた。
秋の夜の空気が冷たい。祭りの喧騒が遠ざかって、足音だけが響いている。
「……今日は、楽しかったです」
音羽が言った。声が小さい。いつもより近い距離で歩いているから、小さい声でも聞こえる。
「ああ。楽しかった」
「射的、当たりました」
「見てた」
「……見ててくれたんですか」
「四人で来てるんだから見るだろ」
「……そうですね」
分かれ道が来た。音羽が足を止めた。
「それじゃあ、また月曜日に」
「ああ。また月曜日」
音羽が数歩歩いて、振り返った。
「真白くん」
「ん」
「……手、ありがとうございました」
そう言って、早足で去っていった。暗い住宅街に音羽の背中が消えていく。
一人になった帰り道。自分の右手を見た。
音羽の手首を掴んだ右手。まだ温かい。
はぐれそうだったから掴んだ。それだけだ。反射だ。
反射なら、心臓がこんなに煩いのはおかしい。
手首に残る脈拍。あれは音羽のものだったのか、自分のものだったのか、もう分からない。




