失敗から学んだこと
お便りのテーマは「失敗」。語っているうちに、自分の失敗の意味が変わり始めた。
十月第四週の木曜日。昼休み。放送室。
赤いランプが灯る。いつもの十五分間。
今日のテーマは「失敗」。先週と先々週で俺と音羽澪がそれぞれの過去を語ったこともあり、お便りには「失敗」に関するものが大量に届いていた。
一曲目を流してから、お便りを読む。
「『中学のテストで名前を書き忘れて零点になりました。それ以来、テスト用紙を受け取ったら最初に名前を書く癖がつきました。失敗って、習慣を変えてくれるものだと思います』」
読み終えて、マイクの前でコメントした。
「名前の書き忘れ、あるな。俺は経験ないけど」
「私はあります」
音羽が即答した。
「……マジか」
「中学一年の英語のテストで。名前の欄が裏面にあるタイプで、気づかなかったんです」
「結果は」
「再テストでした」
「……それは辛いな」
「先生は優しかったので、笑って許してくれました。でも自分では立ち直るのに三日かかりました」
リスナーに向けて話しているが、音羽の声にはいつもの硬さがない。放送の中で過去を二度語った後だからか、マイクの前での自己開示に慣れてきている。
次のお便りを読んだ。
「『部活の試合で大事な場面でミスをして負けました。自分のせいで負けたと思うと、練習に行きたくなくなりました。でも先輩に「お前がミスしたから次は勝てる」と言われて、泣きました』」
「……いい先輩だな」
「はい。失敗を次につなげる言葉ですね」
二曲目を流している間に、音羽が小声で言った。
「このテーマ、選んでよかったです」
「お便りの質が高い」
「みんな、失敗を語れるようになったんだと思います。私たちが先に話したから」
「……俺たちの影響か」
「分からないです。でも、もしそうだったら嬉しい」
曲が終わる。マイクに戻る。
最後のフリートーク。俺は台本にないことを口にした。
「失敗って、したくてする人はいないと思います。でも、失敗したから気づくことがある。声を上げて状況を悪化させた俺は、それ以来ずっと黙ってました。でも黙り続けたから、声の使い方を考えるようになった。間違えた経験がなかったら、たぶん今この放送はやってません」
隣の音羽がこちらを見ているのが分かった。
「……失敗したから今がある、ってことなのかもしれません」
自分で言って、自分で腑に落ちた。片桐の件がなかったら俺は声を恐れなかった。声を恐れなかったら放送部に入らなかった。放送部に入らなかったら音羽に出会わなかった。
失敗が今につながっている。全部。
マイクを切った。赤いランプが消える。
「……今日の放送、良かったです」
「そうか」
「最後のコメント。『失敗したから今がある』。あれ、台本にありませんでしたよね」
「思いつきだ」
「思いつきの方が、声に力があります。真白くんの声はそうです」
褒められている。素直に受け取ればいいのだが、音羽に声を褒められると心拍数が上がる。
片づけをしながら、お便りをクリアファイルに戻す。音羽がドアの前で立ち止まった。最近の定位置だ。
「真白くん」
「ん」
「私も、同じこと考えてました」
「何を」
「失敗したから今がある、って。合唱コンクールで声が出なくなったから、声が怖くなって。声が怖いまま転校して、この学校に来て。放送部に入って」
音羽の声が少しだけ下がった。
「それで、真白くんに会えた」
心臓が跳ねた。物理的に。肋骨の裏側で何かが暴れている。
「……偶然の連鎖だな」
「はい。でも、悪くない連鎖です」
「……ああ。悪くない」
音羽が小さく頷いた。そのまま帰りかけて、ドアノブに手をかけたまま振り返った。
「あと、一つだけ」
「何だ」
「……ピアノを、もう一度弾きたいなって。少しだけ、思いました」
声が小さかった。独り言のような音量。でもマイクがなくても、俺の耳はその音を拾った。
「弾けるのか」
「……分かりません。中学から触ってないです。でも、指は覚えてるかもしれない」
音羽の目が揺れていた。言うつもりのなかったことを口にしてしまったときの顔だった。
「弾けばいい」
「……え」
「弾きたいなら弾けばいい。失敗しても、それが次につながるって、今日の放送で言ったのは俺たちだろ」
音羽が目を丸くした。それから、ゆっくりと口元が緩んだ。
「……ずるいです。自分の言葉で返してくるの」
「覚えていただけだ」
「……はい。覚えておきます」
音羽が出ていった。ドアが閉まる。
一人の放送室で、俺は自分の胸に手を当てた。まだ鼓動が速い。
「真白くんに会えた」。
あれは偶然の連鎖の話をしていただけだ。失敗が今につながっている、その文脈で出てきた言葉だ。深い意味はない。
……深い意味はない、と思わないと心臓がもたない。
「ピアノを弾きたい」。その呟きを拾えたのは、ずっとこの人の声を聴いてきたからだ。




