ゲスト出演
放送室に三脚目の椅子が増えた日。嬉しいのに、胸がざわつくのを止められなかった。
校内取材の放送は好評だった。図書室の回に続いて美術室、理科準備室と取材を重ね、お便りでも「いろんな場所の話が聴けて面白い」という反響が増えた。
その流れで、次の企画が持ち上がった。
「ゲストを呼びませんか」
放課後の放送室。音羽がメモ帳を開きながら言った。
「ゲスト」
「取材は場所の声を拾う企画でした。今度は人の声を直接届けたいんです。放送室に来てもらって、一緒に話す」
「なるほど。誰を呼ぶ」
「……瀬戸くんはどうですか」
予想していなかったわけではない。瀬戸は番組の初期リスナーで、感想を直接伝えに来るくらいだ。知名度もある。サッカー部のエースで、クラスの人気者。ゲストとしてはうってつけだ。
うってつけなのだが。
「瀬戸か」
「はい。毎週聴いてくれてますし、話も面白い方なので」
「……確かに。適任だな」
適任だ。客観的に見て適任だ。瀬戸は誰とでも自然に話せるし、場を盛り上げる力がある。音羽の緊張を和らげる効果もあるだろう。
ただ、放送室に瀬戸が入ってくるということは、「二人だけの場所」にもう一人増えるということだ。
取材のときは外に出ていた。あくまで放送室の外での出来事だった。でも今回は、放送室の中に第三者が入る。
「真白くん?」
「……ああ。いいと思う。瀬戸に声をかけてみよう」
音羽が頷いた。俺の返事が遅かったことに気づいたかもしれないが、触れなかった。
翌日。教室で瀬戸に話を持ちかけた。
「マジで? 出ていいの?」
「音羽が提案した。お前ならゲストとして面白いだろうと」
「音羽さんが? ……嬉しいな、それ」
瀬戸が素直に喜んでいる。裏表がない。本当に嬉しそうだ。
胸の奥がざわつく。もう名前は分かっている。嫉妬だ。でも嫉妬する理由がない。俺が瀬戸を紹介しているのだから。音羽が提案した企画を実行しているのだから。
「いつ?」
「来週の木曜。昼休みの放送に出てくれ」
「おっけ。何話せばいい?」
「お便りのテーマに沿って雑談する形で。構えなくていい。普段通りで」
「普段通りが一番難しいっての」
瀬戸が笑った。俺も笑い返した。……笑えたな。大丈夫だ。嫉妬はある。あるが、それで瀬戸を嫌うほど狭量ではない、と信じたい。
木曜日。放送室。
いつもの二脚の椅子に加えて、もう一脚を桐谷先生の部屋から借りてきた。三脚。テーブルの周りに三人分の席。
瀬戸が放送室に入ってきた。
「おー、ここが放送室か。初めて入った」
「狭いだろ」
「いや、いい感じじゃん。秘密基地っぽくて」
瀬戸がきょろきょろと部屋を見回す。ミキサー卓、マイク、CDプレーヤー、窓からの光。俺が最初に見たときと同じ反応をしている。
「音羽さん、今日はよろしく」
「……はい。よろしくお願いします」
音羽の声がやや硬い。教室モード寄り。ガラスの壁が一枚。でも放送室にいるから、完全には閉じていない。半開きの状態。
十二時三十分。赤いランプ。
「放課後のふたりごと、始めます。今日はゲストが来てくれました」
「どうも、二年C組の瀬戸颯太です。サッカー部。呼んでもらえて嬉しいっす」
瀬戸の声がマイクに乗った瞬間、空気が変わった。明るくなった。瀬戸の声質は華やかで、場の温度を上げる力がある。
一曲流してから、お便りコーナーに入る。今日のテーマは「秋にしたいこと」。
「お便り読みます。『秋にしたいこと。体育祭で活躍したい。去年はリレーでコケたので今年こそ』」
「あー、分かる。リレーでコケるのマジでトラウマだよな。俺も中学のとき盛大にやらかして」
瀬戸が即座にリアクションした。俺一人のときとはテンポが全然違う。瀬戸がいると会話がポンポン飛ぶ。
「瀬戸くんもコケたんですか」
音羽が口を開いた。
「コケた。しかもアンカーで。最終コーナーでバランス崩して、ビリになった」
「……想像できないです。運動、得意そうなのに」
「いやいや、中学のときはまだドジだったから。サッカー始めてマシになったけど」
音羽が小さく笑った。マイクがそれを拾っている。
瀬戸と音羽が自然に会話している。音羽の声が、いつもの半開きから、もう少し開いた状態になっている。瀬戸の場を和ませる力が効いているのだろう。
俺はその様子を横で聞いていた。
嬉しい。音羽が放送室で俺以外の人間と会話できている。それは成長だ。音羽にとって大きな一歩だ。
嬉しい、のだが。
胸の奥の小さなざわつきは消えない。
瀬戸の冗談に音羽が笑う。瀬戸が音羽に「音羽さんの声、やっぱいいな」と言う。音羽が「ありがとうございます」と答える。
そのやり取りを聴いているとき、俺のマイクの前の沈黙が長くなった。
「真白、次のお便り」
「……ああ。悪い」
我に返って、次のお便りを読み上げた。進行を忘れていた。パーソナリティ失格だ。
放送は無事に終わった。瀬戸がいた分、いつもより賑やかな十五分間だった。
「楽しかったわ。また呼んでくれよ」
「ああ。ありがとう」
「音羽さんもお疲れ。声、前より出てたぞ。いい感じ」
「……ありがとうございます」
瀬戸が放送室を出ていった。ドアが閉まる。三脚あった椅子のうち、一脚が空く。
二人きりに戻った放送室。
「……瀬戸、やっぱりいいやつだな」
「はい。話しやすかったです」
「音羽も声出てた。良かった」
「……真白くんのおかげです。隣にいてくれたから」
隣にいてくれたから。また同じ言葉。でも今日は、その言葉の重みがいつもと違って聞こえた。
瀬戸がいた十五分間、俺は「隣にいるだけの人」だった。進行役ではあったが、会話の中心は瀬戸と音羽だった。それは企画として正しい。ゲスト回なのだから。
でも。
「真白くん」
「ん」
「今日の放送、途中でぼんやりしてましたよね」
「……気づいてたか」
「声のトーンが下がってました。考え事をしているときの声です」
見抜かれている。完璧に。
「何を考えてたんですか」
「……別に。進行のことを考えてただけだ」
「嘘ですね」
「……」
「声が言ってます」
反論できない。俺が音羽の声を読むように、音羽も俺の声を読む。この関係は便利であると同時に、逃げ場がない。
「……少し、考え事をしていた。大したことじゃない」
「大したことじゃないなら、声は下がりません」
音羽がまっすぐこちらを見ていた。追及しているのではなく、心配している目だった。
「……来週の放送の構成を考えてた。ゲスト回の後の通常回をどうするかなって」
「……そうですか」
音羽は一瞬だけ唇を引き結んでから、「分かりました」と言った。信じていない声だった。でも、それ以上は聞かなかった。
このバランス。聞きたいけど聞かない。知っているけど触れない。
俺たちはずっとこれをやっている。核心のまわりを旋回し続けている。
帰り道。イヤホンから流れるのは、今日の放送で使ったフリー音源。
瀬戸の笑い声が耳に残っていた。音羽の笑い声も。あの二人の間に生まれた自然な空気が。
俺は嫉妬している。認めている。
でも嫉妬の裏にあるのは、失うことへの恐怖だ。音羽にとっての「隣の人」が、俺じゃなくなる可能性。
考えすぎだ。音羽はさっき「真白くんのおかげ」と言ったじゃないか。
でも、言葉と声は違うことがある。言葉は選べるが、声は選べない。
……音羽の声は、どうだった。
思い出す。「真白くんのおかげです。隣にいてくれたから」。あのときの声のトーン。
安心の音だった。柔らかくて、ゆっくりで、語尾が消えずに残る。
あの声は、瀬戸に向けたものとは違った。俺だけに向けられた音だった。
……たぶん。
たぶん、大丈夫だ。
隣にいるだけの人。それが一番大事な役割だと、まだ気づけていない。




