続けたい
「どうして放送を続けているのか」。その質問に、まだ正直に答えられない。
二学期最初の放送は、盛況だった。
テーマ「夏休みにあったこと」には五十通近いお便りが届き、放送後のポストにも感想が殺到した。夏休みの間にラジオのことを友達に話したリスナーが多かったらしく、新規リスナーが一気に増えた。
桐谷先生が放送室に来て、嬉しそうに報告してくれた。
「教室のスピーカーをつけてるクラスが、全学年で半数を超えたわよ」
「半数、ですか」
「ええ。先生たちの間でも話題になってるの。生徒会からも問い合わせがあったわ」
「問い合わせ」
「学園祭で何かやらないか、って」
学園祭。十一月。
「考えておいてね」
先生はそれだけ言って去っていった。
放送室に二人きりに戻る。
「学園祭か」
「……はい」
音羽の声が小さくなった。学園祭。大勢の前で。放送室の防音壁はない。
「まだ先の話だ。今は考えなくていい」
「……はい」
音羽の「はい」に安堵が混じっていた。この話題は今日はここで止めておこう。
代わりに、お便りの整理を始めた。今週届いた分を確認する。
一通、目に止まるものがあった。
「『放課後のふたりごと、毎週楽しみにしてます。質問です。二人はどうして放送を続けているんですか? 最初は廃部を免れるためだったと思うんですけど、今はもう立派な番組になってますよね。続けるモチベーションは何ですか?』」
読み上げてから、音羽の方を見た。
「これ、来週のテーマにするか」
「……テーマ、ですか」
「『続けている理由』。リスナーにも聞いてみたら面白いんじゃないか。部活を続けている理由とか、趣味を続けている理由とか」
「……いいと思います」
「じゃあ決まりだ。ただ、このお便り自体にも答えないとな。俺たちが放送を続けている理由」
音羽が黙った。
俺も黙った。
なぜ続けているのか。最初は廃部を免れるためだった。月一のノルマ。それが週一になり、テーマ制になり、トークが入り、番組名がついた。リスナーが増えて、お便りが来て、学校中に知られるようになった。
でも、それは全部「外側」の理由だ。番組が成長したから続けている、という理由。
「内側」の理由は違う。
放送室にいたいからだ。音羽と。
その本音を、放送で言えるわけがない。
「俺は……リスナーが聴いてくれるから、かな。お便りが来ると嬉しいし、反応があるとやりがいがある。そういう真っ当な理由で」
「……真っ当な理由」
「音羽は?」
音羽がメモ帳に目を落とした。白いページの上で、指がゆっくりと動いている。言葉を探しているのだ。
「最初は、部室を失いたくなかったからです。静かな場所が欲しかった。それだけでした」
「うん」
「でも今は、違います」
音羽が顔を上げた。
「放送を通じて、声を出すことが、少しだけ怖くなくなりました。お便りを読んでもらって、相槌を打って、時々コメントして。そのたびに、自分の声が誰かに届いているんだって思えて」
「……ああ」
「それが嬉しくて。だから続けたいです」
声が嬉しいときのトーンだった。半音高くて、語尾がはっきり残る。
「……ありがとう。それ、来週の放送で言ってくれないか」
「え」
「音羽の口から、直接」
音羽の目が丸くなった。
「でも、そういうのは真白くんが……」
「俺が代わりに読んでも伝わらない。音羽の声で、音羽の言葉で言った方がいい」
「……」
沈黙。長い沈黙。
踏み込みすぎたか、と思った。音羽にとってマイクの前で話すことのハードルは、俺が思っているより高い。相槌ではなく、自分の言葉をまとまった形で話すのは、まだ。
「……やります」
音羽が言った。
語尾が消えかけていた。でも、消えなかった。ぎりぎりのところで残っていた。
入部したときと同じだ。「やり、ます」。あのときの声。
「短くていい。三十秒でも十秒でも。音羽が話したいことだけ話せばいい」
「……はい」
「俺はそのとき、隣にいる」
言った後に、これは甘すぎないかと思った。でも撤回はしなかった。
音羽がこちらを見た。目が少し潤んでいた。蛍光灯の光のせいだと思いたいが、違うのは分かっている。
「ありがとう、ございます」
「何が」
「隣にいる、って言ってくれたこと」
「……当然だろ。パーソナリティなんだから」
「パーソナリティ、ですか」
「それ以外に何がある」
「……いえ。何も」
音羽が小さく笑った。何か言いたそうで、言わない笑い方。俺も何か言いたくて、言わない。
二人とも、言いたいことを飲み込んでいる。声にしない言葉が、放送室の空気の中に溶けて消えていく。
防音の壁は、外の音を遮断する。でも中の沈黙も閉じ込める。
「……来週の放送、楽しみにしてる」
「私も、です」
帰り支度。ドアの前で音羽が立ち止まった。
「真白くん」
「ん」
「さっきのお便りの質問。真白くんが続けている理由」
「ああ」
「リスナーが聴いてくれるから、って言ってましたけど」
「……」
「それだけじゃないですよね」
音羽の声が静かだった。問い詰める声ではなく、確認する声。知っている、と伝える声。
「……たぶん」
「たぶん、じゃなくて」
「……たぶん、じゃない」
認めた。「たぶん」を取った。
音羽は何も言わなかった。ただ、小さく頷いた。
「いつか、聴かせてください。真白くんの声で」
「……ああ。いつか」
「急がなくても大丈夫です」
三度目だ。音羽がこの言葉を言うのは。急がなくても大丈夫。考え事は、答えが出るまでが楽しい。
でも、今回は少し違った。音羽の目は「急がなくていい」と言いつつ、「でも聴きたい」とも言っていた。
ドアが閉まる。足音が遠ざかる。
一人の放送室。椅子が二脚。テーブルが一つ。ミキサー卓。マイク。西日が壁の高い位置に届いている。
俺が放送を続けている理由。
音羽がいるからだ。音羽の声が聴きたいからだ。音羽の隣にいたいからだ。
それを声にする日が、いつか来る。
今はまだ、この部屋の中にしまっておく。
でも「いつか」は、思ったより近い気がする。
「続けたい」の理由は、最初と今とでは全く違う。最初は「場所」のためだった。今は「人」のためだ。




