表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
放課後のふたりごと 〜廃部寸前の放送部で始めた二人だけのラジオが、いつの間にか学校一の人気番組になっていた〜  作者: Studio SASAME
放送室の二人

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/37

夏休みの放送室

夏休みの学校は、別の惑星みたいに静かだ。その中で、放送室だけが息をしている。

夏休みが始まって一週間。


 メッセージのやり取りは毎日続いていた。


 最初は選曲の相談だけだった。「この曲どうですか」「いいな。二学期に使おう」。業務連絡。


 三日目あたりから、内容が逸れ始めた。


「今日見つけた曲です。放送には合わないかもしれないけど、好きです」


「聴いた。確かに放送向きではないけど、悪くない」


「真白くんの『悪くない』は、かなり気に入ってるときの言い方ですよね」


「……なぜ分かる」


「テキストでも声が聞こえます」


 テキストで声が聞こえる。音羽らしい言い方だった。


 五日目には、曲と関係ない話もするようになった。


「宿題、進んでますか」


「数学が死んでる」


「私は英語が終わりました。数学教えましょうか」


「音羽が数学できるイメージがないんだけど」


「……失礼ですね。成績、真白くんより上です」


「……マジか」


「マジです」


 こういうやり取りが、日に三往復、五往復、十往復と増えていった。放送室で交わす会話の何倍もの量を、テキストで交わしている。


 声は聞こえない。でも音羽の文面には、声のトーンが透けている。丁寧な言葉遣いの中に、時々くだけた表現が混じる。それが嬉しそうなときの音羽だ。


 一週間目。約束通り、放送室で会うことにした。


「二学期の放送に向けて、プレイリストを組みたい」


 それが建前だ。建前であることは、たぶんお互い分かっている。


 夏休みの学校は異様に静かだった。部活動をしている生徒がまばらにいるだけで、校舎の大半は無人だ。廊下を歩く自分の足音がやけに響く。


 放送室の前に着いた。ドアを開ける。


 音羽がいた。


 制服ではなかった。白いブラウスに紺のスカート。私服。当たり前だ。夏休みなのだから制服を着る必要はない。


 でも、制服以外の音羽を見るのは初めてだった。


「……こんにちは」


「こんにちは」


 声を聞いて、安堵した。テキストでは分からなかったものが、声を聞いた瞬間に戻ってくる。音羽の声のトーン、呼吸の間、言葉の温度。


 椅子に座る。向かい合う。いつもの配置。


 でも、いつもと違うことがいくつかあった。


 まず、音羽が少し日焼けしていた。肌の色がほんのわずかに暗くなっている。


「どこか行ったのか」


「……近くの公園を、散歩してただけです。でも日差しが強くて」


「帽子かぶれ」


「……はい」


 それから、テーブルの上にタッパーが置いてあった。


「……それは」


「あの。クッキーを焼いたんですけど。よかったら」


 音羽がタッパーの蓋を開けた。中に丸いクッキーが並んでいる。形は不揃いだが、焼き色は均一で香ばしい匂いがする。


「……お前、料理もできるのか」


「クッキーは料理に入りますか」


「お菓子作りは料理のカテゴリだろ」


「……じゃあ、できます。少しだけ」


 一枚手に取って食べた。バターの風味がしっかりしていて、甘さは控えめ。さくさくとした食感が心地いい。


「うまい」


「……本当ですか」


「声は嘘をつけないんだろ」


「……はい。本当みたいですね」


 音羽が笑った。口元だけじゃなく、目も。最近、音羽の笑顔を見る頻度が上がっている気がする。


 クッキーを食べながら、二学期のプレイリストを組む。夏休み中にそれぞれが見つけた曲をスマホで聴き比べる。イヤホンを片耳ずつ分けて、同じ曲を同時に聴く。


 近い。


 イヤホンを共有しているから、必然的に距離が近くなる。肩と肩の間が十センチくらいしかない。音羽の髪から、シャンプーだか何かの匂いがかすかにする。


 曲に集中しろ。集中するんだ。


「……この曲、出だしがいいですね」


「ああ。ピアノのアルペジオが綺麗だ」


「二学期の最初の放送に使いたいです」


「いいな。これを一曲目にしよう」


 作業は進んだ。二時間ほどで、二学期最初の三回分のプレイリストが完成した。


 イヤホンを外す。距離が元に戻る。十センチが一メートルに。


「……あ。そうだ」


 音羽が鞄から何かを取り出した。小さなUSBメモリ。


「前に言ってた、聴いてほしい曲です」


「準備ができたってやつか」


「はい」


 USBメモリを受け取った。ラベルには何も書いていない。


「何の曲?」


「帰ってから聴いてください。ここでは、恥ずかしいので」


「恥ずかしい?」


「……はい」


 音羽が視線を逸らした。耳が赤い。


 恥ずかしい曲。音羽が俺に聴いてほしい曲。帰ってから聴けということは、反応を直接見られたくないということだ。


「……分かった。帰ってから聴く」


「感想は……メッセージで、いいですか」


「ああ」


 USBメモリをポケットにしまった。軽い。数グラム。でも、妙に存在感がある。


 帰り支度をして、放送室を出た。夏休みの校舎は、夕方になるとさらに静まり返る。廊下に人影はなく、自分たちの足音だけが響く。


 下駄箱。


「じゃあ、また」


「はい。また連絡します」


「ああ。……クッキー、ごちそうさま」


「……お口に合ったなら、よかったです」


 校門を出て、別々の方向に歩き出す。


 帰宅。部屋に入る。鞄を置く。パソコンを起動する。USBメモリを挿す。


 中にはファイルが一つだけ入っていた。


 MP3ファイル。タイトルは「ジムノペディ第一番」。


 最初の放送で流した曲だ。サティのジムノペディ。音羽が選んだ一曲。


 再生ボタンを押す。


 ピアノの音が流れ出した。


 違った。


 CDの音源とは全く違う。演奏が違う。テンポが少し揺れている。タッチが繊細で、一音一音に迷いと覚悟が混じっている。プロの演奏ではない。もっと生々しくて、もっと近い音。


 音羽が、弾いたのだ。


 「昔は」弾いていたピアノ。中学の途中でやめたピアノ。


 それを、もう一度弾いた。


 曲の途中で、一箇所だけ音が途切れるところがあった。0.5秒ほどの空白。弾き直したのか、手が止まったのか。でもすぐに音が戻って、旋律は最後まで続いた。


 三分半。曲が終わった。


 俺はヘッドフォンを外して、椅子の背もたれに体を預けた。


 天井を見る。部屋の蛍光灯。放送室のそれとは違う光。


 スマホを手に取った。メッセージを打つ。


 何を書けばいい。「良かった」じゃ足りない。「すごい」は安っぽい。「感動した」は大げさだ。


 一分ほど考えて、打った文字は短かった。


「途中で音が止まったところ。あそこが一番良かった」


 送信。


 一分。二分。三分。


 返信が来た。


「あそこで手が震えて、止まってしまいました。録り直そうかと思ったけど、やめました」


 もう一通。


「完璧じゃなくても、声にした方がいいって。前のお便りの人が言ってたから」


 完璧じゃなくても、声にした方がいい。間違えても、黙ってるより百倍いい。


 お便りの言葉が、音羽の指を動かした。


 返信を打つ。


「また聴かせてくれ」


 送信。


 返信は早かった。


「はい。二学期に」


 それだけだった。それだけで十分だった。


 USBメモリの中の音を、もう一度再生した。音羽のジムノペディ。途中で止まるところ。震える指。それでも最後まで弾ききった音。


 これが「声」だ。音羽の声だ。言葉ではなく、音楽として出てきた声。


 イヤホンから流れるピアノの音を聴きながら、俺は目を閉じた。


 放送室の夕日が、瞼の裏に浮かんだ。

完璧な演奏ではなかった。途中で止まったし、震えていたし、プロには程遠い。でも、それが音羽の声だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ