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放課後のふたりごと 〜廃部寸前の放送部で始めた二人だけのラジオが、いつの間にか学校一の人気番組になっていた〜  作者: Studio SASAME
放送室の二人

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安心する声

あの一言を聞いてから、放送室の空気が変わった。変わったのは部屋じゃない。俺の方だ。

雨の日から三日が経った。


 放送室の空気は、元に戻っていなかった。


 元に戻った、と言い張ることはできる。いつも通り放課後に来て、いつも通り本を読んで、いつも通りお便りを整理する。会話の量も変わらない。「これ、来週のテーマに合いますね」「ああ」「こっちのお便りはどうですか」「いいんじゃないか」。


 でも、間合いが変わった。


 音羽が話すとき、俺は前より少しだけ早く顔を上げるようになった。音羽の声が聞こえた瞬間、本から目を離す速度が上がっている。自覚はあった。やめようと思ってもやめられない。


 逆に、音羽も変わった気がする。俺が何か言うと、以前より反応が早い。「はい」の前にあった数秒の間が、短くなっている。


 互いの声に、チューニングが合いすぎている。


 放送室で二人きりの時間が、前より濃くなった。同じ十五分の準備時間なのに、密度が違う。空気中の酸素が少し減ったみたいに、呼吸を意識してしまう。


 ……面倒だ。


 木曜日。放送当日。


 今日のテーマは「夏にやりたいこと」。お便りを五通選んで、読み上げとコメントを入れる。いつもの構成だ。


 十二時三十分。赤いランプ。


「放課後のふたりごと、始めます」


 一曲目。フリーの音源から選んだアコースティックギター。夏らしい爽やかな曲だ。


 お便りコーナー。一通目から四通目までは無難にこなした。海に行きたい、花火大会、かき氷を食べ比べたい、何もせずに昼寝したい。それぞれにコメントして、音羽が相槌を打つ。


 五通目。


「『夏にやりたいこと。それは、好きな人に気持ちを伝えること。夏祭りの夜に告白したいです。でも怖くて、まだ言えてません』」


 読み上げた。


 コメントをつける番だ。何を言えばいい。恋愛相談のプロでもなんでもない俺が、告白の話にコメントをつける。


「……気持ちを伝えるって、勇気がいりますよね」


 当たり障りのないことを言った。まあ間違ってはいない。


「でも、伝えなかったことを後悔するよりは、伝えて後悔する方がいいと思います。……受け売りみたいですけど」


 受け売りだ。どこかで聞いた言葉。でも嘘ではない。少なくとも、今の俺にとっては。


 隣の音羽が相槌を打つタイミングだった。


「……はい。私も、そう思います」


 音羽の声は落ち着いていた。でも、いつもの相槌とは少し違った。言葉に体重が乗っている、という感じ。


 放送は問題なく終わった。最後の曲を流して、マイクを切る。赤いランプが消える。


 片づけをしながら、五通目のお便りのことを考えていた。好きな人に気持ちを伝えたい。でも怖い。


 他人事じゃない。


 と思った瞬間、自分で自分に引いた。他人事じゃない、ということは、自分にも当てはまるということだ。好きな人がいて、伝えるのが怖い。


 いつの間にそこまで来ていたんだ。


「真白くん」


 音羽の声で、思考が中断した。


「今日の放送、五通目のコメント」


「ああ」


「受け売り、って言ってましたけど。真白くんの言葉に聞こえました」


「……そうか」


「はい。声が、本気でしたから」


 声は嘘をつけない。何度目だ、この法則。


「真白くん」


「ん」


「前から言おうと思ってたことがあって」


 音羽が椅子から立ち上がった。お便りのクリアファイルを鞄にしまう手を止めて、こちらを向いた。


「真白くんの声が好きです」


 時間が止まった。


 いや止まっていない。時計の秒針は動いている。でも俺の体は止まった。手に持っていたCDケースが止まった。瞬きが止まった。


「……え」


「安心するんです。真白くんの声を聴いていると」


 音羽の目はまっすぐだった。照れている様子はなかった。いや、耳が赤い。それを自覚しているのかいないのか、声だけは安定していた。


「最初の放送のとき。『いい曲だな』って言った声。あのとき思ったんです。この人の声は、安心する声だって」


「……マイクが入ってたやつか」


「はい。事故の声が、一番自然でした」


 事故の声が一番自然。つまり、作っていない声。俺が無防備に漏らした声が、音羽にとっては一番心地いいということ。


「それから、お便りを読むときの声も。コメントするときの声も。全部、好きです」


 好き。という言葉が、放送室の中に残った。防音の壁がそれを外に逃がさない。


「声が、です。声が好き、という意味です」


 音羽が慌てて補足した。耳だけでなく、頬まで赤くなっている。


「……ああ。声、な。うん」


 俺の返事も壊滅的にぎこちなかった。声が好き。声が。声だけ。それ以上の意味はない。ない、と音羽も言っている。


 でも。


 「声が好き」と言うとき、音羽の声のトーンは、嬉しいときのそれだった。半音高くて、語尾が消えずに残る。


 好きなものについて話すときの声だ。CDを選ぶとき、雨の音を聴き分けるとき、番組名を提案するとき。あのときと同じ声。


 つまり、俺の声は、音羽にとって「好きなもの」のひとつに分類されている。


 音楽と、雨と、「放課後のふたりごと」と、俺の声。


「……ありがとう」


 ようやく出てきたのがそれだった。もう少し気の利いたことが言えなかったのか。


「いえ。ずっと言いたかったので」


「ずっと」


「……入部したときから」


 入部したとき。最初の出会い。五月。俺が放送室のドアを開けて、音羽と目が合ったあの日。


 あの日から。


「……そうか。ありがとう」


 二回目のありがとう。語彙力が消失している。


 音羽が鞄を持って立ち上がった。


「それじゃあ、また明日」


「……ああ。また明日」


 音羽が出ていった。


 一人になった放送室で、俺は椅子に深く沈んだ。


 天井を見上げる。蛍光灯の白い光。いつもの光景。


 でも今日から、この部屋の意味が変わった。音羽がここで俺の声を聴いていた。「安心する」と思いながら。入部したときから。


 俺は音羽の声のトーンを分析していた。嬉しいとき、安心しているとき、蓋をしているとき。


 音羽は俺の声を聴いて、安心していた。


 互いの声を聴いている。互いの声に、救われている。


 それを恋と呼ぶのかどうかは、まだ分からない。


 でも、認めたくない何かを認め始めている、と昨日自分に言ったはずだ。


 今日、それがもう一段進んだ。


 音羽の「好きです」が耳から離れない。声が好き。声が。


 ……声だけ、なのか。


 聞けなかった。聞く勇気がなかった。


 帰り道、イヤホンは外した。外の音をそのまま聴きたかった。車の音、人の話し声、遠くの電車、風の音。


 どれも、放送室の音ではなかった。


 どれも、音羽の声ではなかった。

「声が好きです」。その言葉が耳に残って離れないのは、防音の部屋で聞いたからだ。逃げ場のない空間で受け取った言葉は、どこにも逃がせない。

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