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放課後のふたりごと 〜廃部寸前の放送部で始めた二人だけのラジオが、いつの間にか学校一の人気番組になっていた〜  作者: Studio SASAME
放送室の二人

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誰もいない部室が欲しかっただけなのに

静かで、人がいなくて、誰にも邪魔されない場所。それだけが欲しかった。

放送室(ほうそうしつ)のドアを開けると、夕日が目に飛び込んできた。


 西向きの窓から差し込む橙色の光が、ミキサー卓の上をゆっくりと這っている。埃の粒子がその中を漂い、時間が止まったように見えた。


 六畳ほどの小さな部屋。壁際にマイクが二本と古いCDプレーヤー、隅にはパソコンが一台。防音処理された壁のおかげで、廊下の足音も、グラウンドの掛け声も、ここにはほとんど届かない。


 小さなテーブルと、椅子が二脚。


 俺――真白陸(ましろりく)は、椅子のひとつに腰を下ろした。鞄から文庫本を取り出す。ページを開く。


 静かだ。


 窓の外からかすかにホイッスルの音が聞こえるが、それはむしろ静寂の輪郭を浮き上がらせるだけだった。紙をめくる音と、壁掛け時計の秒針。それだけが、この部屋の時間を刻んでいる。


 ようやく見つけた。俺だけの場所。


 部活探しに三日かけた。運動部は論外。汗と声と連帯責任の詰め合わせだ。文化部もいくつか覗いたが、文芸部は合評会で騒がしいし、美術部は席がない。写真部に至っては活動場所が「校内全域」で、もはや部活として成立しているのか怪しかった。


 放送部は、今年の部活動紹介パンフレットに名前すら載っていなかった。掲示板の部員募集一覧にもない。部員ゼロ。三年間活動休止。来年廃部(はいぶ)予定。


 完璧だった。


 顧問(こもん)桐谷(きりたに)先生――国語科の三十代の女性で、穏やかだが芯のある目をしている――に入部届を出したとき、先生は少し驚いた顔をした。


「一人だけの部活になるけど、いいの?」


「はい」


 即答した。一人だけ、がいいんです、とは言わなかった。言わなくても伝わった気がする。先生は何かを見透かすような目で俺を一瞬だけ見てから、入部届にハンコを押してくれた。


 それが昨日の話。そして今日、俺は誰もいない放送室で文庫本を読んでいる。


 最高だ。


 一時間ほどそうしていた。夕日の角度が変わって、光が壁の高い位置に移動している。空気がわずかに冷えてきた。五月とはいえ、日が翳ると肌寒い。


 文庫本を閉じて、窓の外を見る。校舎の影がグラウンドに長く伸びていた。


 明日もここに来よう。


 鞄に本をしまい、帰り支度を始める。椅子を元に戻して、電気を消して、ドアを閉める。廊下に出た瞬間、運動部の掛け声と吹奏楽のチューニングが一気に耳に流れ込んできた。


 この落差がいい。放送室の中と外で、世界が全く違う。


 ――そう思っていたのは、一日だけの話だった。


 翌日。放課後。


 教室を出る前に、後ろの席で小声の会話が聞こえた。


「ねえ、あの転校生の子さ」

「音羽さん? ほんと静かだよね。話しかけても『はい』しか言わないって」

「でも顔は綺麗だよね。男子が結構見てるのウケる」

「ほっといてあげなよ。まだ慣れてないだけでしょ」


 五月の連休明けに転校してきた生徒。音羽澪(おとわみお)。自己紹介のときの声を覚えている。教壇に立って名前を言うだけの三十秒ほどが、妙にぎこちなかった。「音羽、澪です」と言い終わる頃には声が糸のように細くなっていて、最後の「よろしくお願いします」は聞き取れなかった。


 それ以来、言葉を交わしたことはない。席が近いわけでもないし、共通の友人もいない。


 他人の事情に興味はなかった。俺は自分の放課後の楽園に向かうだけだ。


 二階の廊下を端まで歩く。この辺りは特別教室が並ぶ一角で、放課後は人通りがほとんどない。放送室の前に着いて、ドアノブに手をかけた。


 引き戸をずらす。


 椅子に、誰かが座っていた。


 黒い髪が肩の少し下まで伸びている。窓からの夕日を受けて、輪郭が淡い橙色に縁取られていた。膝の上に文庫本を開いているが、ページは動いていない。


 彼女がこちらを振り返った。


 目が合う。


 一秒。二秒。三秒。足が床に貼りついたみたいに動かない。


「……あの」


「……あの」


 声が重なった。


 同じ言葉。同じタイミング。同じ戸惑い。


 沈黙が戻る。防音の壁に囲まれた部屋は外の音を遮断していて、自分の心臓がやけにうるさく聞こえた。


 音羽澪(おとわみお)。教室のあの女子達が話していた転校生。


 彼女もここにいるということは。


「……放送部?」


「……はい。先週、入部届を」


 先週。俺より先だ。


 この部屋を最初に見つけたのは彼女の方で、誰もいない放送室を「自分だけの場所」だと思っていたのは、俺だけじゃなかったということになる。


 どうする。引き返すか。いや、俺も正式な部員だ。引き返す理由がない。だが入り口に突っ立ったまま相手を見下ろしているのは明らかに気まずい。


 かといって、何を話せばいいのか分からない。


 助け舟は、廊下の奥から歩いてきた。


「あら。二人ともいたのね」


 桐谷(きりたに)先生が放送室のドアから顔を覗かせた。手に書類を持っている。


「ちょうどいいわ。話があるの」


 先生はミキサー卓の横に寄りかかると、俺たち二人を交互に見た。


「放送部、部員ゼロのまま三年間。廃部の予定だったけど、二人が入ってくれたおかげで存続の目が出てきた」


「……はい」


「はい」


 返事が微妙にずれた。先生の口元がわずかに緩んだのを、俺は見逃さなかった。


「ただし、条件がひとつ。月に一回でいいから、校内放送を実施してちょうだい。内容は何でもいい。音楽を流すだけでも構わない。放送設備を使った記録があれば、廃部は免れるから」


 月に一回の校内放送。


 俺は音羽の方を見た。


 彼女もこちらを見ていた。夕日を受けた暗褐色の目が、何かを探るように俺を見ている。一瞬だけ視線が交差して、同時にそらした。


 俺はここを失いたくない。静かで、人がいなくて、誰にも邪魔されない場所。月に一回の放送くらいなら、その代価として安い。


「……やります」


 俺がそう言った。


 間があった。壁掛け時計の秒針が三つ鳴る。


「……やり、ます」


 音羽の声だった。


 小さかった。語尾が消えかけていた。でも、防音の部屋では不思議と輪郭がはっきり残る。


 ぞわり、と。


 背中の真ん中あたりを、何かがかすめた。


 風じゃない。窓は閉まっている。何だろう、この感覚は。聞き覚えのない声を聞いたときに体が勝手に反応した、みたいな。


 ……気のせいだ。たぶん。


 桐谷先生が頷いた。


「ありがとう。じゃあ放送部、活動再開ね。二人とも、よろしく」


 先生が去った後、放送室にまた静寂が戻った。


 俺はようやく部屋に入り、もう一脚の椅子に腰を下ろした。テーブルを挟んで、音羽と向かい合う形になる。


 何を言うべきだろうか。月一の放送について相談するか。まずは自己紹介をやり直すべきか。


 考えているうちに、音羽がゆっくりと文庫本を開いた。何も言わず、読書に戻っている。


 ……なるほど。


 俺も鞄から文庫本を取り出した。


 放送室に、紙をめくる音が二つ。


 居心地は、思ったほど悪くなかった。一人の完璧な静寂は壊れたが、代わりに出来たものがある。何と呼べばいいのか分からないが、一人とは違う種類の静けさ。相手がいるのに気にならない、という不思議な空気。


 五時半。音羽が本を閉じて立ち上がった。


「……お先に、失礼します」


「ああ」


 それだけだった。音羽は小さく会釈して、放送室を出ていった。引き戸が閉まる。足音が遠ざかる。


 一人になった部屋で、俺は天井を見上げた。


 誰もいない部室が欲しかった。


 それは叶わなかったが、なぜか文句を言う気にはならない。理由は分からない。分からないし、今は考えない。


 ただ一つだけ、妙に引っかかっていることがある。


 「やり、ます」と答えたときの、音羽の声。あの消えかけの語尾が、帰り道になっても耳の奥にずっと残っていた。

完璧な孤独は、二日しか持たなかった。代わりに何が始まったのかは、まだ分からない。

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