【064】シモーネへの使命
バーンズが部屋を出て行くと、入れ替わるようにシモーネが姿を現した。
フーバーにとってシモーネは、三人の娘たちと同じように幼い頃から手元で育ててきた存在であり、実の娘のように思っていた。
シモーネは今年二十四歳。末娘アルルより三歳年上で、二人は本当の姉妹のように仲が良かった。
まだ幼さの残るアルルに比べ、シモーネは十代の頃からフーバーの仕事を手伝い、若々しい容姿からは想像もつかないほど、重要な折衝や交渉の場にも立ってきた。
今や彼女は、商都ハンザの行く末を左右する場面で欠かせぬ存在となっていた。
「シモーネ、よく来た」
「先ほどまでバーンズ様とお話をされていたようですね」
「ああ。新たにルトニア王国の王となったルーク王へ祝いの品を届けるよう、頼んでいたところだ」
「そうでしたか。バーンズ様にルトニア王国の実情を見極めさせ、そのうえで今後の方針をお決めになるのですね。
では、私はアンドラ公国への使者ということになるのでしょうか」
フーバーは、次の役目を既に準備しているシモーネを好ましく思った。
「その通りだ。アンドラ公国をこれからも商都ハンザにつなぎ止めておくために、ひとつ頼みたいことがある」
「命令ではなく、頼みたいのですか」
フーバーはゆっくりとうなずいた。
「そうだな。シモーネのこれまでの実績を考えれば、もはや私が一方的に命じる必要はない。
すでにシモーネは、自ら判断して動けるだけの実力を身につけている。
それに、シモーネなくしてこの商都ハンザが大陸で今の地位を保てるとは、私には到底思えぬのだ」
「過分なお褒めの言葉、心より感謝いたします」
シモーネはゆったりと頭を下げた。
その姿は落ち着きに満ち、王侯や貴族の出身だと言われても誰も疑わないだろうと思わせるほどに、優雅で洗練されていた。
「サイサリス公国を攻略した祝いとして、手土産とともに若い娘を三名ほど送るつもりだ。
それに加えて、必要があれば金銭の貸し出しも準備していると伝えておこう」
「アンドラ公国のシュール大公に、美しい女性三名ですか。
これ以上ないお祝いだと思います。
それでしたら、女性たちと共に、私もアンドラ公国に残りましょうか?」
フーバーは目を大きく見開いた。
「アンドラ公国のシュール大公にシモーネを与えるなど、とんでもない話だ。
そんなことをすれば、我が商都ハンザの方が損をすることになる。
アンドラ公国とシモーネを天秤にかければ、シモーネの方がこの街にとってははるかに貴重だ」
「ありがたいお言葉を頂戴いたしました。
私とアンドラ公国を比べて、私を選んでいただけるほど高く評価していただけるとは、嬉しい限りです。
では、もうひと仕事というのは、捕らわれたサイサリス公国のビアトリクス公女の件ですね」
「それだ。
アンドラ公国が強大になりすぎた時の対抗馬になる可能性が十分にある。
それに、まだ十八歳だと聞いているが、エデッサでアラスター侯に勝った戦も、退却戦で副官八百名がルーク王の軍勢を混乱に陥れた戦いも、非常に見どころがある。
将来有望な公女だ。
アンドラ公国がうまく活用できないのであれば、我々がそれを担ってもよいのではないか。
そのためには、ビアトリクス公女が不遇な今こそ、近づく好機であろう」
「わが父上には、いたいけな十八歳の少女を籠絡する好機と言われるわけですね」
シモーネは、三年後や五年後を見据えて手を打つフーバーが好きであった。
あらゆる可能性と将来性を考え、次の一手を生み出すその姿は、商都ハンザそのもののように思えた。
「そうだな。
捕らわれたビアトリクス公女がどのように扱われるのかは不明だ。
しかし、一般的に考えれば、シュール大公の息子であるブレント第一公子か、ザルファ第二公子と結婚させられるであろう。
ビアトリクス公女は軍事の才を見せた。
その他の才はどうか。
言われた通りに結婚するのか、それとも全く違う未来を選ぶのか。
そこで我々が手を差し伸べた時、どのような結果になるのか。
また、我々の関与で結果は変わるのか。
それを見てみたいとは思わないか。
私は、ビアトリクス公女の行く末が知りたい」
「わが父上は、商都ハンザと義妹アルルを求めたファルジュ王を亡き者にしようとした。
そのために、サイサリス公国がルトニア王国を攻めるよう仕向けた張本人であることを、お忘れになられたのでしょうか。
その張本人が、サイサリス公国の公女を気にかけるとは、少し矛盾しているのではありませんか」
シモーネは微笑みを絶やさぬまま、会話を楽しむように尋ねた。
「大人は矛盾しているものだ。
その点、若者は良い。
その行動と結果には、あらゆる可能性を感じることができる。
ビアトリクス公女についても同じだ。
シモーネ、ぜひともビアトリクス公女と仲良くなり、その行動や言動に注意を払ってほしい」
シモーネは、フーバーの回答に満足した様子で、小さく頷いた。
「父上、ただいまのお話は十分に理解いたしました。
アンドラ公国に向かえば、しばらくお会いできないのは残念ですが、父上が期待される以上の働きをしてまいります」
シモーネが部屋から出て行くと、フーバーは腕を組み、一人で考え込んだ。
彼には三人の娘がいたが、今、手元に残っているのは末娘のアルルだけであった。
上の二人の姉は、それぞれフランク王国と、ドライゼン帝国と戦う西側諸国の国に嫁いでいる。
それぞれの嫁ぎ先は、すべてフーバーが決めたものであった。
商都ハンザがこの大陸で生き残るためには、各国の行く末をしっかりと見届ける必要がある。
フーバーは、この乱世はまだしばらく続くと考えていた。
その理由は、現在、飛び抜けた国力を誇る国も、絶対的な力を持つ国主も存在しないからだ。
三百年前に生まれたアルバート大王のような人物が現れれば、その国王と国を支持し、大陸統一の手助けをしてもよい。
だが、今のところそのような国は存在しない。
また、さまざまな情報を集めても、傑出した人物の噂は耳に入ってこなかった。
だからこそ、各方面に情報網を構築し、商都ハンザが生き残る道を模索しなければならない。
それがフーバーの信じる生存戦略であった。
娘の幸せを考える父親ではあったが、何よりも先に、フーバーは自分を商都ハンザの代表だと位置付けていた。
商都ハンザのために娘の嫁ぎ先を考えるのは当然であり、それを決めるのは自分である。
隣国のルトニア王国の、それもファルジュ王に決められる謂れはない。
だからこそ、彼はサイサリス公国を動かした。
その結果、ルトニア王国は滅び、フランク王国との同盟によって再興した。
同時に、サイサリス公国は滅亡し、アンドラ公国が隆盛を誇ることになった。
動きのあったルトニア王国とアンドラ公国には、それぞれ信頼できる人材、バーンズとシモーネを送っている。
さらに、フランク王国には娘を嫁がせている。
一方で、ドライゼン帝国と西側諸国との争いは、いまだ終わりを見せていなかった。
ドライゼン帝国は西側諸国の攻略に手間取っており、現状ではさほどの脅威ではないとフーバーは考えていた。
今この瞬間に、自分にできることはあるのか。
そう自問したが、何も思い浮かばなかった。
まだ考えるべきことは多い。
しかし、今はやれることがないと感じていた。
そう思ったフーバーは、ようやく一息つけると感じながら、執務室を後にして帰路についた。




