【025】リアム侯爵とベネット侯爵、再興の鍵
王宮奥の一室で、ルークはラルフと向かい合っていた。
捕らわれの身ながら、秘密の地下通路を使って訪れた忠臣と、情勢の確認を続けている。
「近日中に、西側でフランク王国と対峙しているリアム侯爵も、戦いの矛を収め、領地へ退かざるを得なくなるだろう」
その声には、情勢を冷静に読み切った者の確信があった。
ラルフもすぐにうなずく。
「ルーク王子の仰る通りになるかと存じます。
リアム侯爵はフランク王国との前線から退却し、自らの領地へ戻らざるを得ないでしょう。
ここから約四百キロ離れた遠い地のこと、うまく兵をまとめていただければよいのですが。
南部のベネット侯爵に、リアム侯爵への援軍を命じられますか?」
「ベネット侯爵か。
先ほどの話であれば、裏切り者のコンラッド侯爵本人は王都に残っている。
だが、その軍勢はすでに南部のベネット領へ向かっているはずだ。
しかし、距離がある。こちらの思惑通りにはいくまい」
王都からベネット侯爵領まで南に三百キロ、さらにそこからリアム侯爵領まで西へ三百キロを超える。
伝令を飛ばしても、とても間に合わないだろう。
ルーク王子には、もう一つの懸念もあった。
ベネット侯爵は、ルトニア王国内で序列二位の有力者である。
しかし、父王の治世下では王家と疎遠で、政務に積極的でなかった。
自分自身も、数度会ったに過ぎない。
そのような人物に、コンラッド侯爵を迎え撃ち、同時にリアム侯爵への援軍を望むのは、無理があろう。
そう胸の内で考えていた。
ルーク王子の胸中を察したように、ラルフがうなずいた。
「確かにご懸念ももっともです。
ファルジュ王と疎遠だったのは事実ですが、ルトニア王国そのものには忠誠を示していた方です。
コンラッド侯爵とは違い、裏切りの心配は少ないかと思います。
その領地は国境に敵勢力を持たず、内政に注力できたため豊かです。
ただしその軍勢はあまり強くありません。
王国内での精強さを挙げるなら、第一がリアム侯爵、次いでコンラッド侯爵、その次がベネット侯爵です」
ラルフの説明を聞きながら、ルークは頭の中で兵力を計算していた。
正規兵に加え、徴募兵と徴収兵を合わせれば一万を超える。
周辺地域も含めれば、一万五千に届く規模となる。
それはリアム侯爵の二万に次ぐ兵力であった。
「ならば、軽んじることはできん。取り込み方を誤れば敵にもなり得る」
ここでルークは少し声を落とした。
「そのベネット侯爵だが、先ほどのオリバー大公との話で、コンラッド侯爵の言葉が引っかかっている。
王家が南部のベネット侯爵の領地を一部上げるという噂を信じていたらしい。
確かに父王は考えていたが、実行される段階ではなかったはずだ。
誰かが意図的にそのような噂を流したとしか思えん」
ラルフが眉をひそめる。
「商都ハンザの影響を感じますが、確証は持てません」
ルークはしばし考え込み、やがて決意を込めた声を出した。
「よし、私が現状を整理して手紙を書こう。
ベネット侯爵は南部最大の兵力を持つ。
味方に引き入れられれば、王国再興の戦いそのものにおいても、再興後の安定においても、大きな力となる。
ルトニア王国再興の暁には、今以上の待遇と地位を約束すると明記する。
加えて、私が健在であり、王家の名の下に行動していることを伝えるのもよいだろう。
それでも動かぬなら、説得の使者を送り、あらゆる手段を尽くす。
この機を逃せば、敵に回る危険もあるからな」
ラルフがうなずく。
「承知しました。ベネット侯爵については、できる限りのことをして結果を待ちます」
「ああ、そうしてくれ。
それから、リアム侯爵の件だ。
我が国の崩壊と王都陥落の報せがフランク王国に届けば、敵は一斉に攻めてくるだろう。
そのとき、リアム侯爵の軍勢は各個に撃破され、四散する危険がある」
その言葉には、率直な不安と現実を直視する覚悟が込められていた。
「そうなると、ルトニア王国の王都はサイサリス公国に奪われ、西の領地はフランク王国に呑まれることになる。そして北からは、商都ハンザが謀略の手を伸ばしている」
ルークは、外敵の脅威を整理するうちに、ふと足元のことが気にかかった。
ルトニアの民衆は、この事態をどう受け止めているのか。
むしろ喜んでサイサリス公国の支配を受け入れるのではないか。
そんな不安すら胸をよぎった。
「それと、ルトニア王国の民は、今回の件をどう受け止めているのだ」
ラルフはわずかに表情を曇らせて答えた。
「ファルジュ王とオーウェン丞相の変わり果てた姿が、立て札に記された事実と共に民の前に晒されております。
その光景を目にした人々は、人目を避けて静かに涙を流している状況です。
また、コンラッド侯爵の行動は、これまでの恩義を踏みにじる裏切りとして受け止められております。
そしてルーク王子の行方は不明とされておりますが、もしご生存が確認されれば、その知らせだけでも喜びのあまり泣き崩れる者が多いことでしょう」
ルークは少し黙ったのち、苦い笑みを浮かべた。
「それが、鞭打ちの刑に処されている姿であっても、か」
ラルフは首を振った。
「その刑は、サイサリス公国が民心を操るために仕組んだものです。
捕らわれた経緯は別にあり、それを知る者は決して少なくありません。
むしろ、それほどの辱めを受けてもなお耐えておられる姿に、敬意を抱く者も多いはずです。
サイサリスの思惑通りには運ばないと、私は信じております」
なるほど。民衆はまだ私を、そしてルトニア王国を見捨てたわけではないのだ。
サイサリス公国に王都を奪われ、東のコンラッド侯爵には裏切られた。
それでも民衆は王国の再興を信じているのか。
それを知っただけでも、心が少し軽くなった気がした。
ラルフは静かに問いかける。
「ルーク王子。今後は、どのような方針で再興を進めるおつもりでしょうか」
「状況は理解した。再興の鍵を握るのは、やはりリアム侯爵の動きだな。
ベネット侯爵に関しては、どうなるかわからん。
積極的に再興に手を貸してくれるなら、これに勝る喜びはない。
だが、あてにできない者を期待することはできないだろう。
リアム侯爵を主力と考えたい。
ベネット侯爵については、こちらが手を尽くして味方にしたいと思う。
が、最終的には敵にならなければ良いと見ている」
ルークは思案を込めた口調で続けた。
「まずは彼と連絡を取り、至急兵を率いて自領に戻り、防衛体制を整えるよう伝えてくれ。
というのも、現時点でサイサリス公国とフランク王国が連携しているとは考えにくい。
ならば、リアム侯爵であれば正面衝突を避けつつ、フランク王国を引きつける程度に戦線を維持できるはずだ。
ただし、ここでリアム侯爵が崩れれば、すべてを一から見直さねばならなくなる。
そうならぬよう、兵を四散させぬこと。それを第一にしてくれ」
そして、最後にひときわ強い語調で言い添えた。
「それから、彼にはこう伝えてくれ。
ルトニア王国再興の暁には、その功に応じて褒美は望むままに与えると」
ルークの口から「褒美は望むままに与える」と告げられたとき、それが王族ではないリアム侯爵に向けられた言葉であったことに、ラルフは思わず息を呑んだ。
今この瞬間、命を賭して王国の再起を支えているのは、リアム候であり、ラルフ自身であり、他ならぬルーク王子である。
その現実を思えば、褒美を口にする資格が誰にあるかなど、もはや明白だった。
ここまで追い詰められた状況にありながらも、冷静に現実を見据え、前を向く主の姿を見て、自分たちが命を懸けて守るべき存在であることを、改めて実感させた。
そんなラルフの表情に気づいたルークが、ふと問いかける。
「ラルフ子爵、なぜだ。おまえ、ずいぶん嬉しそうな顔をしているな」
ラルフは少し照れくさそうに微笑み、やがて口を開いた。
「もう一度ルトニア王国が再建できると思うと、自ずと、このような顔になっていたようです」
「気が早いな」とルークは軽く言ったが、その声音にとげはなく、目元には微かに笑みが浮かんでいた。
その穏やかな空気の中で、ラルフはふと思い出したように口を開く。
「ルーク王子は、まだお気づきでなかったようですので、この機会にご報告しておきます」
「何だ」
ラルフは慎重な面持ちで言葉を選びながら口を開いた。
「ルーク王子。実は、ハンナは我々の仲間です」
その一言に、ルークは眉をひそめ、次いで目を細める。
「仲間、とは」
ラルフはうなずき、淡々と続けた。
「ハンナは、サイサリス公国の兵士という肩書ではありますが、正確にはルトニア王国が代々送り込んできた潜入協力者の家系に生まれた者です。彼女の祖父の代から、すでに任務は始まっていました」
ルークは驚きのあまり言葉を失い、やがて低く押し殺した笑い声を漏らした。
「なんと。あの女兵士が、我々の側の人間だったとは」
笑いが次第に大きくなり、ついには声を上げて笑い出した。
「ラルフ子爵、お前たちはどこまで用意周到なのか。本当にお見それした」
ラルフは控えめに微笑みながら首を横に振った。
「光栄ですが、私の手柄ではありません。
これはルトニア王国がまだ健在だった頃に築かれた遺産です。
今回、偶然にもルーク王子付きとして配属されたのは、正直なところ幸運にすぎません」
ルークは深く頷いた。
「だが、その幸運を無駄にはしないさ。
サイサリスの色に染まることなく、この場にあって自由に動ける。
これほど心強いことはない」
隠し通路を使ってラルフが出入りでき、身の回りの世話はハンナが担っている。
この部屋では、サイサリス公国の影を感じさせるものは何一つない。
捕らわれの身でありながら、再興を目指すうえでこれほど都合のよい環境はなかった。




