表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/27

【015】セミラミスとビアトリクス、馬車の中の約束

アンドラ公都からティモール王朝の王都サボーナまでは、およそ三百キロ。

行程にして十日を要する道のりである。

ゼインたちが公都を発って、すでに三日が過ぎていた。


本来なら八人全員が馬を駆けたいところだが、それでは目立ちすぎる。

そこでアンドラ領内の移動は馬車を用いることにした。


馬車の中で、ビアトリクスは静かに悩んでいた。

ゼインにどう接すればいいのか分からなかったのだ。


公女として育った彼女は、上下関係のある人間関係には慣れていた。

だが、対等な関わり方はほとんど経験がない。

「友人」と呼べる者はいても、互いを呼び捨てにするような関係は持ったことがなかった。

だからこそ、ゼインから「ビアトリクス」と呼び捨てにされることに、どうしても慣れなかった。


自分はもはや公女ではなく、かといって盗賊の仲間でもない。

ゼインは経験も存在感も抜きん出ており、セミラミスやエルヴィスたちもそれぞれの力を示している。

マザランにしても年は下だが、確かな実力で仲間の信頼を得ている。

そんな中で、自分だけが立場を持たない存在であることを、ビアトリクスは痛感していた。


どう接すべきか思いあぐねていたその時、隣に座るセミラミスがふと声をかけてきた。

彼女はこれまで公女に好意的ではなかったが、屋敷を抜け出した後の姿を見て印象が変わりつつあった。今は無事にアンドラ公国を離れたこともあり、わずかな余裕が生まれていたのだ。

不安げに座るビアトリクスを、自然と気にかけようとする気持ちが、セミラミスの胸に芽生えていた。


セミラミスが、柔らかな声で問いかけた。


「姫様、どうされました?体調が優れないのですか?

それとも、何か思い悩んでいらっしゃるのでしょうか。

これからしばらくは共に過ごすのです。

気になることがあれば、何でもお話しください。

私はそのためにここにいると思っていただいて結構です」


ビアトリクスは、ゼインたちとの距離感について相談したかった。

けれど、それをどう言葉にすればよいのかがわからなかった。


「馬車に乗ってはいますが、気分が悪いわけではありません。

普段は騎馬での移動が多かったので、こうした移動に慣れていないだけです。

ですから、あまりお気遣いなさらないでください」


セミラミスはその答えを聞きながら、優しく微笑んだ。


「ということは、その顔色が冴えないのにはやはり別の理由があるのですね。

お互いに気楽に話しましょう、と言うのはさすがに無理かしら。

姫様がそんなに硬い表情をなさっていると、私まで緊張してしまいます。

正直に言えば、もう十分に緊張していますけれどね」


「私はあなた方とはほとんど初対面ですし、私が緊張しているのは当然だと思っています。

でも、あなたも緊張されているのですか?」


セミラミスは小さく頷き、言葉を続けた。


「姫様、その話し方なんです。

あなたの言葉遣いは、まさに公女そのもの。

きっと今まで大変なご苦労をされてきたのでしょう。

政治や経済を担い、一人の武将として責務を果たし、ただ一人の跡取りとして国の未来を背負い、戦場では兵を率いて命を預かる。

そういう日々を歩んできたのだと分かります。

けれど、世間の十八歳の娘はそんな口調をしないんですよ。

だからこそ、不器用なあなたが、私はとても好ましく思えるんです」


その声には、優しさと真剣さがにじんでいた。


「私たちは言いたいことがあれば、はっきり口にします。

あなたがどう感じているかは分かりませんが、私たちはもう、あなたを仲間だと思っているんです。

もちろん、盗賊の一味になれという意味ではありません。

あなたが困っていたら私たちは助けるし、逆に私たちが困っていたら、あなたにも助けてほしい。

ただそれだけのことです。

たとえサイサリス公国の再興までの期間限定の関係だとしても、私たちがあなたを見捨てることは決してありません」


思いがけないセミラミスの言葉に、ビアトリクスは胸の奥が温かくなるのを感じた。

これまで、自分はあまり好かれていないのではないかと、どこかで思っていたからだ。


「ありがとうございます。そのお気持ち、とても嬉しく思います」


そう返したビアトリクスに、セミラミスは微笑みを浮かべながらそっと手を伸ばした。

彼女の両手がビアトリクスの頬を包み、その顔を正面へと向かせる。


「ビアトリクス、違うの。そういうときは、「わかったわ、セミラミス」って言うのよ」


唐突な仕草に、ビアトリクスは恥ずかしさを覚え、思わず目を伏せようとした。

だが、セミラミスの両手が優しく頬を押さえ、それを許さない。


「言ってごらんなさい」


柔らかな声に促され、ビアトリクスは頬を赤らめ、小さな声で答えた。


「わかったわ、セミラミス」


その瞬間、セミラミスは姉が妹を包み込むように、ビアトリクスをそっと抱き寄せた。

その腕の中で、彼女の頭を優しく抱きかかえる。


「ビアトリクス、よく言えたわね」


セミラミスは穏やかに微笑み、優しく語りかける。


「経験が少ないのは仕方ないわ。でも、気にしすぎることはないの。

それに、ゼインやエルヴィスたちは、あなたが思うほど何も気にしていないと思うわ。

まずはサイサリス公国を再興して、大公に就くところまで頑張ってみて。

その先のこと、ゼインたちとの関係をどうするかは、そのときのあなた自身が決めればいい」


ふっと表情を緩めると、セミラミスは冗談めかして言った。


「たとえ、あなたがこの再興の途中で私たちを裏切ったとしても、私はあなたを恨まない。

その代わり、ゼインを問い詰めるでしょうね。「どうしてあんな女を助けたのよ!」って」


そう言ってセミラミスは、ビアトリクスからそっと離れ、馬車の小窓から外を眺めた。

やがてふいに振り返り、やわらかな笑みを浮かべる。


「ゼインのことも、エルヴィスのことも、みんな呼び捨てでいいのよ。

彼らは変わらない。でも、あなたが変われば、きっと世界の見え方も変わってくる」


その言葉に、ビアトリクスは恥じらいを含んだ笑みを浮かべながら答えた。


「わかったわ、セミラミス」


そして、馬車の中にはふたりのささやかな笑い声が、やわらかく響いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ