タイイクサイ 1
「なぁ、大輔。もうじき5月だな」
ここは学校の屋上。
2人の制服を着た生徒がそこにはいた。
快晴の空の下、凛々しい顔立ちの青少年が屋上の安全柵に寄りかかりながら口を開いた。
俗に世間で言うイケメンという奴だろう。
「ああ、そうだね、悟」
一方彼の足元にグッタリと座り込む大輔と呼ばれた少年はいかにも平凡な顔付きをしていた。
「5月と言えば?」
「五月病」
悟が尋ねる。
大輔が答える。
「5月と言えば?」
「井上陽水」
悟が尋ねる。
大輔が答える。
「ヒントは当校、有馬学園国立高等学校の伝統行事」
「……体育祭?」
少し間をおいて大輔は答えた。
「ご名答」
「それがどうかしたの?」
「いや、ただの世間話だよ。あと10日くらいで体育祭ってのに、相変わらずうちの学園は練習すらしないのな」
「あんな予定調和の行事で真面目に練習してたらそれはそれでオカシイでしょ」
「それもそうだな」
大輔と悟は軽く笑い合った。
彼らの通う、有馬学園国立高等学校は国内でも屈指の進学校として知られている。
国立の高校は国内には4つしかなく、その中でも有馬国立高等学園は特に歴史の深い高校だった。
その歴史の中で特に異彩を放っている行事がある。
それが、5月の頭に行われる体育祭だ。
普通の高校ならば、体育祭は適当に3つか4つ程に各学年が分割され、全学年入り乱れて1チームになるだろう。
しかし、有馬学園国立高等学校は1年、2年、3年同士が戦うのだ。
当然のように、毎年結果は3年が1位で2年が2位、1年は3位だ。
これが覆されたことは過去一度もない。
進学校の有馬学園では、3年生の学園生活最後の行事として、全員が1位で気持ち良く受験に向かっていけるようにという配慮があるという。
2年の大輔と悟は2位が確定しているようなものだった。
そんな通過儀礼のような行事に練習などということが面白おかしかったのだ。
「退屈だね」
少し笑い合った後の1分近くの2人の間の静寂を大輔は破った。
「確かになぁ」
「悟はお得意の株でもスマホでポチポチやってれば退屈は紛れるんじゃないの?」
大輔は軽く笑いながら言った。
悟こと、矢島悟は容姿端麗、成績優秀、さらに剣道部で運動もできるという、文句の付けどころのない男だ。
しかも、彼はひけらかしてはいないものの、趣味の株取引でも大きく成功していた。
「昼休みは取引無いし、しかもあれは退屈を紛らわせるような代物じゃない。大輔の方こそ、お得意のネット将棋でもやれば暇つぶしになるんじゃないか?」
「言っちゃ悪いけど、この時間帯は僕の相手になるような人ログインしてないんだ」
「そういやこの前もその話聞いたなぁ」
大輔こと、風間大輔は容姿普通、成績は中の上、将棋部幽霊部員と、そこそこどこにでもいそうなスペックの持ち主だ。
しかし、ネット将棋界ではアマチュア強豪として彼の名を知らないものはおらず、ネット将棋の中では、プロも平手で普通に倒してのけるような天才棋士だった。
しかし、今さらプロになろうと奨励会に入る気もさらさら無く、彼はネット将棋ばかり指すという表立っては目立たない棋士であり、彼がアマ強豪だということを知る人物はこの学校には指折り数えるくらいしかいない。
「…………」
2人は、こうやって他愛のない会話がありながらも、時に静寂を楽しんでいた。
中学の時から2人ははずっとそうだった。
2人は小学生時代からの幼馴染だ。
成績が2人とも優秀で、同じ中学に入り、ともに勉学にはげみ、都内最難関と呼ばれる有馬学園に2人一緒に入学した。
その時からずっと、彼らはこうやって屋上で過ごすのが日課だった。
「なあ、大輔」
数分の静寂を破って、また悟が喋り始めた。
「ん?」
「体育祭、順位予想で賭けようぜ」
「は?」
悟のやつ、何言ってんだ?
大輔は突然おかしなことを言いだした悟に疑問を顔に出す。
有馬学園の体育祭は絶対に3年が勝つ。
これはいままでの伝統から火を見るよりも明らかだった。
「俺は3年が1位を取る、に賭ける。大輔は?」
無視かよ……
「僕も同じのに賭けるから、賭けは不成立だよ」
「いや、同じのに賭けるのは禁止だから、大輔は2年か1年に賭けろよ」
悟は楽しそうにしながら大輔に無理難題を押し付けた。
「いや、それ俺が絶対負けるじゃん?」
「そうとも限らないぜ。俺達が本気を出せば、覆せるかもしれない」
ああ、そういうことか……
「つまり、悟は体育祭を本気でやって、退屈を紛らわせようって言いたいんだね?」
「ご名答。俺は200万くらいなら賭けてもいいぜ」
「200万って、負ける気さらさらない金額だよね?」
「俺が勝ったら……そうだな、大輔の好きな人を全校生徒に言いふらす」
「ふぁ!?」
大輔はいきなりの話題に思わず声を上げた。
彼には、大輔が密かに思いを寄せる高島美遊のことになると、気が動転してしまう癖があった。
高島美遊は歩いているだけで、男子からも女子からも注目を集めるような、そんな容姿端麗、成績優秀、才色兼備な人物だ。
吹奏楽部にも所属しており、スポーツもそこそこできる、超優秀な生徒だ。
そんな学園のアイドル的な存在に、大輔は一人、恋をしていた。
「はははっ!相変わらず高島さんのことになると弱いよな、大輔は」
「そ、そんな口車に乗るか!」
「まあ、この賭け、大輔が拒否した時点で俺は全校生徒に大輔の大好きな愛しの高島さんのことを言いふらすけど」
「や、やめろ!ひどすぎる!まさか悟がこんな奴だったなんて!僕はもう一生、悟に秘密をしゃべらないぞ!」
「ほう……いいのかな?そんな口利いて。第一、大輔が退屈だって言い始めたのが事の始まりだった訳で」
「ぐぬぬぬ……」
「一年の時の学園祭の時だってさ、講演会のゲストに来た、ほら将棋指しの……」
「はぁ……田中輝義五段ね」
「そうそう、そいつ。いい機会だって言って、大輔は俺に無理やり連れられて嫌々そいつと指したけど、プロ相手に圧勝したじゃん。今回も絶対勝てるって」
そいつって言うなし……
俺がやった30分切れ負け将棋はプロの世界の将棋とは違う。
しかも圧勝じゃない、一手遅れていれば普通に負けていた。
まあこのことは何度も何度も説明したし、今更言うつもりはないけど……
「将棋は一応俺の得意分野だけど、体育祭なんて中学の時からまともに参加したことないよ。俺が運動神経ダメダメなの知ってるだろ?」
「体育祭は一人の競技じゃない、みんなで協力する競技だ」
悟はニヤリと笑った。
それを見て、大輔はふっとため息をついた。
「僕に人を引っ張る力なんてないからね?」
「大輔は将棋得意だろ。いける、いける」
「現実世界は将棋とは違うよ」
将棋の駒は主の思い通りに動く。
でも、人はそうはいかない。
とても面倒くさい。
しかし、悟は大輔を無視してつづけた。
「俺を最初の手駒にしていいからさ、さしずめ俺は銀ってとこかな」
「悟は角かな」
主に相手にすると非常にめんどくさいところが。
「過大評価どうも、まあそういう訳で決定な。大輔がどうやって体育祭で2年を勝利に導くのか、見ものだね」
そう彼が言うのとほぼ同時で、学校にチャイムが鳴り響いた。
悟はひょいっと寄りかかった柵から状態を起こし、足元に座り込んでいた大輔の頭をぽんと軽く叩いて出口へと向かっていく。
「ほら、昼休み終わっちまうぞ」
「ちょっと、悟!俺はまだその話に同意してないからな!」