眠れない日々(2)
「……おい、どうした」
ふと、また手に触れるものがあって、我に返った。
「あ……なんでも、ない」
「……」
ラグヴィルは微かに眉を寄せている。
その手に手ぬぐいが握られていて、そっとレストの額に押し当てられる。
「我慢するな。俺ならお前が泣きわめいて暴れようが、押さえられるんだ」
「……知ってるん、だ」
バツが悪くなって、レストは瞬きをした。
昼間、神殿の治癒師という男に診察を受けることになった。その時、ちょうど痛み止めが切れかけ、激痛で、ほとんど自分でも正気ではなかったのは分かっていた。
その、初対面の治癒師に、どうしようもない拒否感と恐怖を感じてしまった。
おそらく、見知った人間以外、今は近寄ってほしくない。
「……俺でいいのかと、何度も念を押したんだが」
「え?」
「付き添いだ。だが、頼まれてな」
「……ビーテル?」
「あの爺さんにも、だ。俺はよそ者だっつうのに」
どこか呆れたような彼の様子に、すこし笑いたくなった。
「俺は……気にならないみたいだ」
驚くほど、彼に拒否感がない。
数ヶ月、あるいは数年前から見知っていたからだろうか。けれど、もっと、見知っている以上の安心感があるのだ。前から気づいていた、信用。
「……そうか」
すっと、無表情になる彼の反応はあまり見たことがない気がした。
手は、握られたまま。
このままで、いてほしい。
口に出すのは、勇気がいった。
「……ランプの、光」
「あ?」
「明るくしてほしい……」
「分かった」
もう一つ予備があったらしく、それも灯された。その時に離れた手は、離れたまま。
「……言いたいことがあるなら言え」
また手を動かしたらしい。唯一動かせるところだからだろう。
また軽く押さえられてしまい、けれどやはり、それがひどく安心する。
「……」
ラグヴィルは相変わらず読めない表情で——今度は、手を離されなかった。どうしても動かしてしまうと知られてしまったのかもしれない。
(なんでもいいや)
触れているところが、じんわりと温かくて……泣きそうになる。
「眠れないのか」
「——うん」
これも、バレてしまった。
「……何度も言うが、我慢するな」
ラグヴィルは、そっとレストの額に触れた。
静かな青い瞳を見ていると、不安が和らぐ気がする。
「俺が嫌なら別の奴に交代する」
「ち、ちがう……その、あんたさえよければ、手を」
「手?」
「そのまま、握っていてほしい……」
頬が熱い。
まるで子どものようではないか。
すっとラグヴィルの表情が消えて、さすがに嫌がられたかと思ったが、手は離れなかった。
「……眠るまで、いる」
「……ありがとう」
手は握られたまま、ラグヴィルがベッドに寄せた椅子のカタカタという音と、近くの気配。
面倒だと思われただろうか。けれど、レストはうれしかった。
彼が、そばにいる。ひとりじゃない。
一度わがままを許されたら、どこかタガが外れたようだ。
「……できれば、何か話してくれないか」
「話?」
「なんでもいい。静かだと、……」
恐い、と言うのは憚られた。
まるで、慰めてほしいと強請るようで、浅ましいのではないか。
「いや、いい、」
「たいして面白い話はできんぞ」
「……うん」
またひとつ、許されてしまった。
泣きそうだ。
「——ずっと気になっていたんだ、けど」
「なにをだ」
「エリメン殿と、ラグヴィル殿は、仲がいいだろう」
「……いいか?あれと?」
「うん、とても……」
羨ましいと感じるほどに。
「だから、仲間だと、思っていたんだけど、違うらしいじゃないか」
「……あいつ、何を言ったんだ?」
「いや?それ以上はなにも。だから……気になって」
「……そのうち話してやる。今は、話せねえ」
「?うん……」
不思議な言い方だ、今はだめだということは、何か彼らの任務に関わるのかもしれない。
「じゃあ、今、村とか王太子殿下の命令はどうなってるんだ?」
「それも話せねえよ」
どうして、と聞き返したかった。けれど、ドーイたちに聞いても今は何もありません、とか、言わないようにと命令されていますとか、そんな返事だった。ラグヴィルも同じなのだろう。
だが、彼がここに来られるということは、切迫した状況ではないと、少なくとも理解できた。
「他は?」
「……王都って、どんなところ?」
「王都、ねえ」
これは、聞いてもよかったらしい。
すこし考えるような気配と、布擦れの音。
「王都っていうからには、国王が住んでる。例の迷惑野郎だが」
「ふ……」
ぞんざいな言い方は、あまり聞き慣れない。おもしろくてつい息苦しいのに笑ってしまった。
「王城が真ん中にあって、それを中心に街ができてる。……」
低く、あまり起伏がない声。
けれど、その音が心地良いと気づいてしまった。
手には、彼のすこしひんやりとした体温。
少し戻ってきた眠気を追いかけた。
1刻と少し。
交代の使用人がやってきたので、ラグヴィルはレストの部屋を出た。
「ありがとうございます」
執事と、扉の脇に武衛衆のひとりが立っていた。
警戒が解けず、まだ突然の変容があるかもしれない重傷のレストには警護と付添人が必要だ。その人員を2人以上確保するのが難しく、ラグヴィルはひとりでどちらもできると判断され、ほんの少しでいいからと頼み込まれた。
……何か、別の思惑があるような気がするが、それは考えないことにする。
今後も、数日に1度は請け負うことになっている。
「レスト様のご様子は」
「今は落ち着いて眠ってる」
「おお……良かったです」
「ただ、たぶん暗闇と、静かなのを嫌がった。ランプはつけっぱなしで、介添人も増やした方がいいだろう。……精神的に不安定だ」
「……分かりました。ラグヴィル様にはなんとお礼を申し上げたら……」
「いい」
……正直、引き受けたくなかった。
ただ怪我人を見るだけなら面倒だが嫌というわけではない。そこが問題ではなく……ラグヴィルの心持ちだ。
レストに信頼を寄せられている。そのことに戸惑うし、自分の気持ちを自覚した以上、彼の一挙一足に気が気じゃない。
手を握っていてくれ、静かなのは嫌だから——今まで堂々とした姿しか見せていなかったレストが、どうしようもなく弱って、けれどそれでも自分を素直に出すことをためらって。
こんな時くらい、すがればいい。
いっそ怖いと泣いてくれれば、自分に縋らせておけるのに。
(……どっちにしろ、俺には荷が重い)
昼間、面識がなかった神殿の治癒師におびえたと聞いて、自分だってよそ者だろうと思ったのだ、執事やビーテルが頭を下げてこなければ、近寄るつもりはなかった。
それが、怯えるどころか、接触を喜んだレストに、何度自制をしなければならなかったか。
高い体温に、汗ばんだ手。まだ感触が残っている。
怪我人相手に、必要以上に触れるのは負担だし、何より男にベタベタと触られては気持ち悪いだろう。
「お疲れではないでしょうか。エリメン様が、ケルモ様と応接室にお待ちでして」
「ああ、分かった。すぐに向かう」
執事が一礼して、必要ないのに案内をしてくれた。
「ごくろーさん」
「どうだ、マイナイ様ってのの様子は」
応接室ではエリメンとケルモが、書類や筆記具を広げていた。
ケルモはレストと面識はないが、この村の首長と教え、置かれている状況を話すと同情的だった。
ファルゴには聞いていたが、お人好しの部類だ。
「良くもなく悪くもなく。……編隊をもう詰めるのか」
「一応な。武衛衆が協力的で、だいぶ話が進んでる。……」




