98 神実―かんざね―
「ふふっ、それでも『鍵』を選ぶ、かぁ」
水鏡を覗いていた僕は、紅葉の中で仲睦まじく寄り添う二人に笑みを浮かべる。
儚い願い。
愛しい人が『鍵』という秘密を抱えても、なお傍に居る事を選んだ特殊な血を持つ人の子。
「ふぅん・・・。もしかしたら使えるかな? まあ、ダメだったらまた考えよう」
僕は呟くと、水鏡に映る『鍵』の姿を消す。
さっきまで明るく色鮮やかな世界は、途端真っ暗な闇となったのを眺めて、僕は思い出す。
遠い、遠い昔。
僕がまだ、天之御中主神と呼ばれる前、前の天之御中主神が居た頃。
僕は天之御中主神としての役目を教えられていた。
天之御中主神の役目は、この世界を作る為の鍵の選定だ。
この島だけに生える選定の種を付けた綿毛を一本手に取ると、魂の卵と呼ばれる光玉が入った木箱の中に息を吹きかけ飛ばす。
その種が選んだものが「次代の鍵」の候補となるという。
種はいくつかの光玉に付くから、その中から最適な鍵を選ぶ事が重要だと先代は言った。
そう、綿毛がつく光玉はただの候補。
その鍵がどのぐらいの規模で、どのぐらい世界を維持できるのかはわからない。
いつだったか、先代は言ったんだ。
「虚しさがないと言えば、嘘になる」
造っては消えていく世界を何度も見送り、また選ぶ事。
自分は何の為に『天之御中主神』として此処にいるのかと呟いた。
僕が先代の元に来てから暫くして、先代はぼんやりとする事が多くなった。
「ねぇ、」
僕が声をかけると先代はハッとしたように僕を見る。
「・・・何だい?」
「何を考えているの?」
「・・・なんでもないよ」
いつも彼はそう言い、遠くを見つめる。
そんなある日、彼が僕に言ったんだ。
「ただ、自由と言うものはどういったものなんだろうと思ってね」
そう言いながら、僕の頭を撫でる。
「何物にも縛られず、自らの意思や本性に従うと言うものは、どんな気持ちなんだろうね」
見上げる僕には、先代の表情が良く見えない。ただ、その瞳には島の上にある、作られた青空が映っている。
僕も先代に倣って、見上げてみる。
この造られた空は、人の子の地に降り立つと見えるものを模して先々代が作ったという。
この島にある、緑や動物たちもそうだ。
人の子たちに関われぬのであれば、せめて人の子たちが見ているものをという気持ちで作ったものなのだと聞かされた。
創造主であれば、同じものを作る事は可能だろう。
自分自身が関われないからこそ、投影した世界がこの島だ。
「僕にはそんな事、わからない」
だって、そうだ。
僕が望む望まないに関係なく、僕は次代の天之御中主神として此処にいるのだから。
「そう、だな。其方にもわからぬか」
そう言いながら、僕を見下ろしたは先代の瞳が、ガラス玉のように見えた。
あの時、貴方は僕に「本意ではないかもしれぬが、これは定めと考えよ」と言った。
その貴方が僕にそれを問うのか、と思う。
だって、僕にも自由という選択はなかったのだから。
あの日、僕は先代に連れられて島の中央にある草原へと行く。
ここには、先代に教えて貰った選定の種を付けた綿毛が咲く場所だ。
「ここは全てが始まる場所だ」
そう言うと、先代は遠くを見つめる。
「我も天之御中主神として選ばれた時は、定めとして受け入れた。それしか道はないのだと・・・。だが、この地は孤独だ。すべての創造の原点であるが故に、孤独であらねばならぬと。だが、其方が現れて改めて思うのだ。我は何の為にここに存在しているのかと」
そう言うと、先代は僕の目線へと腰を落とす。
「宇宙の始まりを作ってもその成長が終わりを迎えたならいい、成長できないと切り捨てる時に、何とも言えない虚しさを感じてしまうようになった我は、天之御中主神としての神格を失ってしまったのだろう・・・」
じっと僕と視線を合わせたまま、先代が続ける。
「神々は、作った宇宙が不適合と判断すれば容赦なく宇宙を壊す。私が光玉の中から大切に選んだものを容赦なく、だ。選ばれた魂はそこで輪廻の輪から外れ、二度と輪廻に戻る事が出来ないというのに。神々の思う、理想の宇宙とはどんなものであろうな・・・」
「・・・天之御中主神様は、どんな宇宙を望んでいたの?」
「我の望みか。・・・我はいつまでも終わりを迎えない世界を作りたかった」
そう言うと、先代は小さく息を吐く。
「他の神々は『鍵』としか光玉を見ておらぬ。・・・見えておらぬ、というのが正解だろうな。魂にはそれぞれが繰り返した輪廻の記憶が刻まれている。やり遂げた事、やり残した事、思い、次こそは縁を繋ぎたい相手。それを全て我の手で断ち切るのだ。次の世代で出会える人、事柄、思いを全て。それを奪い、世界を作っても永遠ではない。選ばれた魂には人の子としての意識がないとはいえ、酷な話だ」
作られた空を見上げ、先代が呟く。
「・・・そろそろ良いだろうか、解放されても」
「・・・どういう事?」
そう呟く先代の瞳はガラス玉のようだ。
「其方が現れた時、我はほっとしたのだ。この役目から解放されると」
先代はガラス玉のような瞳のまま、口元に弧を描く。
「其方が、虚無で生まれたのも何か意味がある事なのだろう。其方は何もかもが今までの天之御中主神とは違うようだ」
先代の言う言葉に、僕はただ黙って耳を傾ける。
そうだ。
僕だって気がついていた。徐々に力が移行する、と、他の神々は言っていたけどこのひと月で一気に先代から力が僕に流れていく事を。
その為か、先代の選ぶ光玉が長くもたない事を。
上手く成長しない世界を、水鏡で見続ける先代のつらそうな顔を。
「虚無で生まれた天之御中主神は今まで居ないという。其方の根本が虚無であるなら、我のような思いを抱かずに役目を全うできるのかもしれぬ」
そう言うと、先代が目を閉じた。
「我を無責任と思うか? でもこれ以上、創造主として無駄に人の子を輪廻の輪から外す事は我には出来ぬのだ」
「・・・僕に対しては無責任だけど、貴方の心は理解できる。・・・同じ天之御中主神だから」
どの神にもそれぞれの担った役目があり、それに忠実に行なっているのだろう。
天之御中主神という役目は、人の子に一番遠いようで一番近い。
他の神々が知らぬところで『鍵』として選ばれた人の子を憂い、その魂を誰よりも愛しんでいた、という代々受け継がれた天之御中主神としての思いが伝わる。
「僕に、務まるのかな」
「さあ? それは我にもわからぬよ」
そう言うと、先代が困ったように笑う。
「其方は、本来あるべき天之御中主神とは少々違うようだ」
「それは、虚無で生まれたから?」
「それもあるが、其方は今まで連なってきた天之御中主神とは違うのだと、受け継がれた意思がそう伝えるのだよ」
そう言って目を伏せた先代の表情は、初めてあの闇の中で僕を見つけた時と同じ顔だった。
「さあ、お喋りはここまでだ。其方はこれから歴代のどの天之御中主神よりも長い在位となるだろう。そして、其方は歴代の意思を受け継ぐ事にもなる」
「僕が嫌だって言っても?」
「天之御中主神としての思いは、其方の中に力と共に引き継がれる。それは拒否は出来ぬ」
先代の言葉に、僕はムッとする。
「それなら、僕は成し遂げられなかった事を成し遂げた天之御中主神となりたい」
「成程、それもよかろう」
そう言うと、先代は僕の頭を撫でた。
「このまま力が其方に移行していくのを待つのも良いが、我が天之御中主神で居る事は我自身が本意ではない」
「・・・ねぇ、神で無くなったらどうなるの?」
「役目を終えた『鍵』と同じ。無にかえるだけだ」
「そっか」
「其方に我の力が全て移動したら、代替わりの鐘が鳴る。一気に其方の中に天之御中主神としての力が流れる為、其方は暴走しない事だけを心得よ」
そう言われ、僕は頷く。
「では、あとは其方に任せよう」
先代の言葉と同時に、頭に乗せられた先代の手から、一気に何かが流れて来る。
まるで身体中に熱湯を被ったようだ。
それと同時に、歴代の天之御中主神達の「心」と「記憶」が流れ込む。
孤独や切なさ、自分の神としての存在意義、喪失感、欠落感。
一気に押し寄せ、僕を飲み込む。
重責、重荷、負荷、自己否定。
作っても作っても終わりのある世界への虚しさ。
今度こそはという、微かな希望。
そして打ち砕かれ、大きな杭となる。
ならば、僕が見つけよう。
僕が思う、理想の宇宙を造る鍵を。
身体が沸騰するような熱が僕を襲うと同時に、先代が言っていた鐘の音が天界に響く。
―ああ、これが代替わりの鐘・・・まるで弔いのような悲しい音だな・・・
一気に流れてきた天之御中主神の力のせいか、ぼんやりする意識の中で、僕はそんな事を思う。
―あれは誰だろう、ああ、高御産巣日神様と、神産巣日神様だっけ・・・。
そんな事を思っていたら、僕の意識はそこで途切れた。
目が覚めたのは人の時間で約一年後。
高御産巣日神達は一体何があったのかと聞いて来たけど、僕は覚えていないと通した。
だって、これは歴代の天之御中主神との約束だ。
きっと、言っても理解できないだろう。
理想の鍵を見つけ、僕の理想の宇宙を作り上げる。
言えば、きっと横やりが入る。
歴代の天之御中主神の思いを叶えるために、さあ、計画をじっくりと練らなければ。