18 糸を引く(2)
「お待たせして申し訳ない」
咲子を抱いたまま、盈時は母屋に入ると、顔を伏せた女人へと声を掛け、向かい側へと腰を落とす。
膝の上に咲子を座らせていたが、その膝の上から咲子は降りると、盈時の隣へと座った。
「おや、咲子?」
「ちちうえさま、だいじょうぶです。ひとりですわれます!」
笑顔で答える咲子の言葉に、盈時が複雑そうな顔をし、それを見て控えている者たちに笑みが浮かぶ。
「浮島殿、今日はわざわざ来ていただき申し訳ない」
コホンと咳ばらいをし、気を取り直した盈時が向かいに座る女人へと声を掛けた。
「此度は、常寧殿の方様よりご紹介いただきました、浮島と申します」
そう言い終わると、『浮島』と呼ばれた女人が優雅なしぐさで顔をあげた。
年のころは三十半ばを過ぎた頃だろうか。
如月の月にあわせた、重ねた色目が美しい着物をまとい、瞳には理知的な光を宿す。
凛とした声と、薄めの唇が少々厳しそうとも感じるが、家庭教師としては信頼できる印象だ。
暁子からの紹介ではあったが、盈時自身も浮島の家庭教師として優秀という噂は耳にしていた。
咲子には「仲良くできるなら」といったが、咲子のこれからの為には、是非迎え入れたいという思いが盈時には強くある。
「こちらが我が娘の咲子です。咲子、挨拶を」
「おはつにおめにかかります。えみこです」
盈時が促すと、暁子に教えて貰ったのだろう、年頃の貴族子女のような言葉と共に、丁寧に頭を下げて見せる。
「これはこれは。しっかりとした小さなお姫様ですね」
浮島はそういうと眼を緩ませる。
「常寧殿の方様の話では、咲子が生まれる前に、紗子と面識があったそうだが・・・」
「はい、まだご懐妊される前でしたでしょうか。常寧殿の方様がまだ入内される前に、ご実家で桜の花見を行った際、琴の披露で招待されました。その際に亡き奥方様もいらっしゃいまして、琴の演奏についてお話させていただき、少しばかり琴の指南も致しました」
浮島の言葉にそういえば、と盈時が思い出すような顔をする。
「そのままでも十分お上手でありましたが、盈時様がたいそう紗子様の琴をお気に召しているから、もっと良い音を聞かせたいと」
そう言いながら、浮島が着物の袖で口元を隠し微笑む。
「とてもお優しい音色で、琴を演奏されるお方でございました」
「そうか、そんな縁が。咲子、この方は咲子が生まれる前に、母に琴を教えてくれたんだよ」
盈時が咲子に伝えると、先程琴の手習いを強請った事もあり、嬉しそうなキラキラとした瞳で咲子が盈時を見つめ返す。
「ははうえさまの、おことのせんせいですか?!」
「先生、と言うほどの時間ではありませんでしたが・・・。母上様は、とても上手な奏者でございましたよ」
咲子の問いに浮島が答えると、「そのようだよ」と柔らかく盈時が咲子に微笑む。
「先ほど、咲子から琴が習いたいとの願いがあったもので、家庭教師であれば、読み書き他の教養もだが、この子の希望する琴もお願いしたいと思うのだが、いかがだろうか?」
「それは有りがたき事でございます、ただ・・・」
「ただ?」
「今は京を離れ、山科で地方官様方のご子息を、五人ほどお預かりして勉学を教えております。今は上の者は今年十になる頃、下の者は姫様より一つ上でございます。その子たちはそのまま京での仕官を目指しておりますれば、今手を離すのは忍びなく」
「ああ、なるほど」
浮島の言葉に、盈時が思案するような仕草を見せる。
「幼いなりにも親の仕事を継ぐ事よりも、自分の手で道を開きたいという子供達ばかりで・・・。勉学教養は問題もなく、武芸に関しては私ではなく、須佐様より指南を受けておりますれば、有望な子供達でございます」
「須佐? もしかして須佐斉頼殿か?」
浮島から出た名前に、盈時が目を開いて驚く。
須佐斉頼と言えば、武芸では一流、この都でも指南を仰ぎたいというものが多数いる。
だが、本人の気が向かないと弟子を取らないという、知る人ぞ知る人物だ。
また一定の所在を持たず、ふらりと現れ、気に入った者には稽古をつけ、またどこかへと行ってしまう風変わりな男だった。
「なるほど。勉学に関しては浮島殿、武芸に関しては須佐殿となれば有望であるな。どうであろう、その子供達も、一緒にこちらに来ていただけないか」
「よろしいのですか?」
盈時からの提案に、今度は浮島が驚いた顔をする。
「それはとてもありがたいお申し出でありますが・・・」
「いや、こちらの都合でもあるのですよ。お恥ずかしながら、この屋敷は正妻の住まう場所であるが、正室亡き今は側室のあたりも強く、仕える者も紗子の時からの者が多いが、それだけでは少々心もとない」
そう言うと、隣に座る咲子の頭を撫でる。
「浮島殿が目を掛ける男子達で、須佐殿からの指南がある有望な者であれば、いずれ咲子を守ってくれよう。自出も地方官であれば問題はない。勿論咲子が成人してどこかに嫁入りとなれば、その後の事はこちらで職も探そう」
愛おしそうに目を細め、咲子の頭を撫でる盈時を浮島が黙って見つめる。
「勿論、その子らの気持ちもあるだろう。だが、前向きに考えていただけぬか?」
視線を咲子から浮島へと向けると、真剣な表情で言葉を続ける。
「衣食住はこちらで用意しよう。浮島殿は家庭教師という立場であるが、出来れば咲子の乳母としても務めていただきたい。子供達は、咲子の近衛をいずれ担うと考えて欲しい」
「・・・わかりました。私が言うのも身内びいきと思われますが、あの子達は姫様の将来の近衛としての素質は十分、須佐殿のお墨付きでございます。ただ、やはり子供達の気持ちを聞いてからのお返事としても宜しいでしょうか」
「ああ、それはもちろんだ。さて、咲子。浮島殿が咲子の先生となって貰えると父は嬉しいのだが、どうだろう? 正式な返事ではまだないが、浮島殿と一緒に五人の男の子たちが来るそうだ。そうだな、咲子に兄が増えると思ったらいい」
盈時の兄が増える、の言葉に咲子の丸い瞳がキラキラと輝く。
「おにいさまができるのですか?! いけでおふねにのったり、おさんぽしたりいっしょにあそんでくれますか?」
咲子の無邪気な言葉に盈時と浮島が微笑む。
「そうだね。浮島殿からは琴も含め色々教えて貰うといい。とても知識の豊富な方だ。これから大きくなる咲子には、どれも必要な事だと父は思うのだが。どうかな、咲子?」
「はいっ、とてもたのしみです!」
そう元気に返事をする咲子に、浮島が好きな物語はあるか、今までどんな事を教えて貰っていたかなど穏やかに語りかける。それに一生懸命答える咲子の姿を見て、周りの者も温かい眼差しと笑みを浮かべる。
盈時は、キラキラとした目で浮島と話す咲子に、亡き紗子の姿を重ね、目を細めた。
地方官 地方行政単位である国の行政官として中央(都)から派遣された官吏の事。当時子息は京に残る事もあったそうです。
当時の貴族は教養を身につける為、家庭教師をお願いするのが一般的でした。
因みに須佐さんは名前の通り、あの神様です。





