16 悠遠
延喜十六年-916年- 京の都
「これは珍しい、ひきこもりの思金神がおいでとは」
ふらり、と、稲荷山に訪ねてきた思金神に、宇迦之御魂神が揶揄うような声で迎入れる。
「あの二人ほどではないぞ。用があればそれなりに出歩く」
そう言いながら、勧められた座に思金神は腰を下ろす。
「さて、そう言われるという事は何かそれなりのものであると?」
宇迦之御魂神の言葉に、思金神は一つため息をつく。
「其方は天之御中主神より、次代の『鍵』についての達しはきたか?」
「藪から棒に・・・。こちらに届いたのは既に選定は終えたとの事。世に生まれ出るのが二年後である事と、生い立ちぐらいであるな」
「それだけか?」
宇迦之御魂神の言葉にふむ、と、いった様子で何かを思うように思案をする。
「何か『鍵』について気になる事が?」
「いや・・・」
そう言うと、また思金神は思案するように視線を下げる。
何かを考えだすと集中してしまうのは、思金神の悪い癖だ。それをよく理解している宇迦之御魂神は、根気強く返事を待つ。
暫くすると思案が終わったのか、顔をあげた思金神と宇迦之御魂神の視線がしっかりと合う。
「毎回の事だが、布刀玉命と天児屋命の占術で『鍵』についてみたところ、今回は色々引っかかる事がある」
「色々とは・・・?」
「うむ、『鍵』は人の子である事、女子である事、内侍司の目付の正妻の所に生まれる事。ここまでは通達されておるな?」
宇迦之御魂神は同意の意味も兼ねて、手にした扇をぱちりと手の中で鳴らす。
「ここまでは今までの代替わりと変わらぬ。それ以上は天之御中主神からは何も出ておらん。だが、・・・占術では今回の『鍵』の力は、今まで歴代の『鍵』より遥かに大きなものを示しておる」
「それならば、天之御中主神から通達がないのはおかしいのでは?」
「そう、それだ。ただ単にそこまで見抜いていないのかはわからぬ。いくら天之御中主神が創造主の一人であっても、天児屋命達のように未来を予見する力はない。しかし、これを天之御中主神が見落とすとは、我らも考えられぬのだ」
「して、その力とはどのぐらいのものと」
「・・・宇宙の理を覆す事の出来る程、と」
淡々と続ける思金神の言葉に、宇迦之御魂神が息をのむ。
この宇宙はいわゆる箱庭で、宇宙の代替わりは繰り返し行われてきたものだ。
箱庭の中が上手く成長しないと判断されれば、新しい『鍵』が選ばれ新たな箱庭が作られる。
『鍵』とは宇宙に変化を起こすものであり、それを受け入れる器が『中枢』である。
本来『中枢』はただの鍵の収納箱であり、『鍵』の力がどれぐらいの力を持つかによって、新しい宇宙の箱庭の規模が決まるというのが定説だ。
ゆっくりと詰めていた息を吐きながら、宇迦之御魂神は思う。
—それが今までにない宇宙の根底を覆すものとなれば・・・。
宇迦之御魂神の考えを正確に汲み取ったであろう、思金神が頷く。
「・・・手にした者によって、宇宙が善にも悪にもなる」
思金神の言葉に、宇迦之御魂神が目を伏せた。
「予見が外れればよいのだが、そうはならないだろうな。ただ、天之御中主神がこの事に触れない事が解せぬのだ」
確かに、選定した天之御中主神から何の沙汰のないのは違和感がある。いくら予見は出来なくても『鍵』として選んだのであれば、その人の子の『鍵』としての力は把握はできるはずだ。
「この事、天之御中主神には」
「通達以来、天之御中主神と連絡が取れぬし、どこに雲隠れしたのかもわからん。あれが姿を消すのはいつもの事ではあるが・・・」
思金神の言葉が、宇迦之御魂神の言葉に被せるように発せられる。
宇迦之御魂神やほかの神々のように、皆それぞれ拠点となる場所があり、大抵はそこに留まり神としての仕事を行うが、天之御中主神に限ってはその場所に留まる事の方が少ない。一度離れてしまうと捕まえる方が困難だ。
「思金神達が懸念しているのは、それだけではないのであろう?」
宇迦之御魂神の言葉に思金神が頷いた。
「・・・予見では此度の代替わりには『そのものとも無し輩』が動くとでておる」
神々が『あれら』と呼ぶ『そのものとも無し輩』
繰り返される宇宙の代替わりの中で度々『鍵』を手に入れようと暗躍する、根之堅洲國に住まう得体のしれない者達だ。姿は影のようで、実態があるのかないのかわからない。人の子だけではなく、力の弱い神域の者も惑わせ操る厄介な存在だ。
「それは厄介な・・・」
宇迦之御魂神の呟く様な声に、思金神が頷いた。
「『そのものとも無し輩』は『鍵』の持つ波動に敏感だ。多分『鍵』の目覚めと共に動き始めるであろう。もしかしたら、目覚める前から狙うかもしれぬ」
重い沈黙が二人の間に流れる。
「・・・それで我は何をすればよいのか?」
長い沈黙を破ったのは、宇迦之御魂神だった。
「察しが早くて助かる。我らが出来る事は『鍵』を保護し守る事のみだ」
「保護するとは・・・まさか、生まれた人の子の命を終わらせるというのか?」
すぅ、と宇迦之御魂神の纏う空気が冷える。
神々は神域に住まうが、現世でも留まる事は出来る。だが、人の子はその魂を宿したままでは神域に長く留まる事は出来ない。
宇迦之御魂神は人と近い神だ。五穀豊穣の神として慕われ、祭られる。また眷属となる白狐達も、人と近く慕われている。
慕われれば人の子達に寛容になり、また福を与えようとできる限りの事をしてやり、またそれに人の子は感謝をする。そうやって長きにわたり愛しんできた。その愛すべき人の子の命を我らの都合で命を断ち切るというのかと、宇迦之御魂神が憤る。
「ああ、慌てるでない。人の子を好いておる其方にそのような事は頼まん」
思金神の言葉に、冷えた空気が緩む。
「我とて我らの都合で人の子の命を奪う気はない。今、天之御中主神を捕まえられぬのであれば、『鍵』を守る事が第一。其方には現世で『鍵』の傍に居る事を頼みたい。我らが現世に赴くには少し敷居が高いが、人の子に寛容である其方であれば上手くやれよう」
淡々と今後の計画を話す思金神の言葉が、さらに続く。
「『鍵』の母親である内侍司の目付の正妻は、残念な事に長生きは出来ぬ。我が子を残して近い年月に現世を去る事が定めと出ておる。幼子には保護者が必要だが、正妻が儚くなれば子を守るものがいなくなる。目覚めとなるまで、現世での保護を其方に頼みたい」
「母が儚くなるとしても父親がおろう?」
「その父親も子を可愛がるが、どうにも一緒に住めぬ状況が出ておってな。人とは中々難しいものだ」
「我が現世に、か・・・」
「勿論、『鍵』を守る為には剣となり盾となるものが必要であろう。幼き『鍵』となる子の為、眷属から選んで連れていく事で、それも叶う。其方の所には優秀なものも多い。どうだろう、引き受けてはくれぬか」
悠遠 時間的・空間的に遥かで遠い事
基本三神様方はインドア派です。