10 玉響
店内には私しかいなかったし、お店の人も女性一人だった。男性はいなかったはず。
はっとその事に気がついた私は、髪留めからゆっくりと顔を上げ、次の瞬間には慌てて声の方へと顔を向けた。
隣にいたのはやっぱり店員さん・・・ではなく、背の高い男性だった。目が合うと切れ長の目を柔らかく緩ませる。
「その髪留め、気に入られたようですね」
そう言い終わると、形の良い唇が弧を描いた。
それを目にした瞬間、自分の顔が赤くなるのが分かる。店員さんだと思って答えてしまった事もだけど、柔らかい表情を浮かべた相手が、びっくりするぐらい綺麗な人だったから。
すっきりと整えた漆黒の髪に、切れ長の目。白い肌に形の良い鼻、薄めの唇。着ている洋服も、見るからに肌触りが良さそうなVネックのインナーに、上質な深い紺色の薄手のロングコート。すらりとした長身でモデルさんかと思う程。
「あ、ごめんなさい。私、店員さんだと思って・・・」
慌てて謝罪を口にしながら頭を下げる。そろそろと顔をあげると、相手はさっき見た、柔らかい表情のままでほっと安心する。
「いきなり声を掛けたのはこちらですから。びっくりさせてしまいましたね」
そう言いながら気を悪くしていない様子で、視線を私が持っている髪留めへと落とす。
「あ、はい。とっても。透かし細工もですが、この小さな石もきれいで・・・。青い光があるのはムーンストーンだと分かったんですけど、ピンクの石が分からなくて。でも可愛いなと思って」
私が髪留めを見つめながら思っていたことを伝えると、男性は「お借りしますね」と、私の手にある髪留めを手に取って自分の目の前にかざし、石を確認するとまた私の手へと戻してくれる。
「ピンクの石はピンクトルマリンですね。ピンクトルマリンは『愛情の引き寄せ』という意味があるんですよ。青い光の方はブルームーンストーン。『愛を伝える石』と言われています」
男性が教えてくれた内容に、思わず「縁結びの石が飾られた髪留めなんですね」と呟くと、それが聞こえたのか男性が穏やかに頷く。
「この場所で気に入ったというのは、ご縁があったんだと思いますよ」
「そうなんですけど・・・。実は恥ずかしいんですが、お値段が良いので・・・。普段使いできるものを探してたんです」
恥ずかしくて俯きながら伝えると、男性は軽く首をかしげる。
「その棚にある物は、セールになってたと思うんですが」
「えっ」
思わず男性の顔を見るとニッコリと微笑まれ、そのまま手を伸ばしてセール品と書かれた小さな札を見せてくれた。その札には「七割・八割引き、セール!」と書かれている。
「その台紙にも書いてあると思いますよ」
札をもとに戻しながら、私が握りしめている髪留めの台紙の裏を指すので、慌ててひっくり返すと小さく『八割』の文字があった。
―八割引きなら三千円ちょっとだ、うそっ、嬉しい・・・!
「ほんと・・・、ですね」
答える私の顔にしっかりと『嬉しい』と書いてあったのだろう。男性は口元に自分の手を当て、笑いを抑えるようにそっぽを向いた。
「セールの事、教えてくれてありがとうございます」
「あら、拓くん。お客様に無理やりおすすめしてはだめよ」
奥から出てきた店員さんがあらあら、と言いながら男性へと声を掛けた。
「ああ、多江さん。業者さんは帰ったの?」
「ええ。丁度、あの人も細工の途中で手が離せなかったから助かったわ」
きょとんと二人のやり取りを見ていた私に、多江さんと呼ばれた女性がこちらを向く。
「この子ね、私の甥っ子なのよ。今日は親戚で集まる用事があってね、こちらに寄ってくれたのだけど。工房の方に業者さんが来ちゃったものだから、お店番をお願いしたのよ。席を外してごめんなさいね」
おっとりと笑いながら男性、拓さんの事を紹介してくれた。そして私の手にある髪留めに目をとめる。
「あら、その髪留め気にいって下さったのかしら?」
「はい、とっても!」
私はそのまま購入したい事を伝え、レジへと進む。
―そっか、だからセールになっている事も、私に声かかけてくれたのも・・・うん納得。
いきなり声を掛けられてびっくりしたけど、お店の方の身内なら納得だ。
多江さんが台紙から髪留めを外してくれたとき、ふと思う。
―折角だから、つけて歩きたいな。
「良かったら、ここでつけて帰るといいよ」
声の方を振り返ると、レジ近くのテーブルセットに長い脚を組んで座っていた拓さんが穏やかに言う。
―びっくりした、思ってた事が顔に出ちゃってたのかな。
思い当たる事が多すぎて、ちょっと恥ずかしなってしまう。
「そうします? 旅のお供にしてくれたら、この子も喜ぶわ」
包装しかけた手をとめて、多江さんも笑顔で嬉しくなるような言葉を言ってくれた。
「そうします!」
心そのままに弾んだ笑顔で多江さんに伝えると、手元にあった髪留めは、いつの間にか私の隣に立っていた拓さんへと渡された。
「えっ」
「はい、ここに座って」
いつの間にか私の手を引いて、さっきまで拓さんが座っていた椅子に座らされる。
そのまま手際よく私のハーフアップの結び目についていたバレッタを器用に外してしまった。細くて癖があって絡みやすい髪質なのに、頭皮を引っ張られる事なく、だ。
―わわっ、えっ、ど、どうなってるの? というか、髪っ!
焦る私を気にする事もなく、拓さんは器用に髪留めを私の髪につけてしまう。
美容師さんは別だけど、男性にこういった事をされるなんてなかったから、変に意識してしまい顔に熱がこもる。
アクセサリーの飾ってあった棚から、多江さんがスタンドミラーを持ってきて、目の前に置いてくれると、そこには目の覚めるような美形と、茹でたこのような私の顔が映っていた。
多江さんが一緒に持ってきた手鏡を使って、拓さんが合わせ鏡にしてくれたので、ハーフアップの結び目に買ったばかりの髪留めがキラキラとしている様子が目に入った。
「思った通り、良く似合う」
鏡越しの、拓さんの視線と声音が優しく感じて、慣れない私には血圧が上がりそうだった。
玉響 ほんの少しのあいだという意味