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 ケヴィンは、特定の場所、状況において、ある種自分がすきなものへ執着がつよくなる癖を持っている。それは彼本来に備えつけられた、性格の傾向ともいうし、病気というほどでもなく、単にクセにということだ。

 いつも何かの欠落を感じ、時に、人から疑問を持たれるような行動を繰り返し行う事もある。例えば、フォレストベーレの庭の共同水道で水をくむとき、彼は気配りな性格のせいか、植えられた鑑賞用の木や花に水をやる事があるが、水をやるときジョウロをもつ。それは青いゾウの形をしたジョウロだが、そのジョウロをもつとってをいつもフー、と息を吹きかける、特に汚れを意識したわけでもなく、単にそれは“彼の望んだクセ”でしかない。その証拠に、彼以外の人物はそのジョウロに触れる事はないのだ。なぜならそれは百円均一で、彼がこのフォレストベーレ、の庭のために買って、勝手にこしらえたものだからだ。他にだれも触れたがらなかった。

 人から見てたいしたことでなくても彼にとって確かな欠落で、そのために彼はその行為へ逃避する事がある。この街で彼にとってもっとも枯渇しているのは、潤い、砂漠に降る雨、あるいはオアシスのようなもの。彼の中でこの土地は乾ききっている、なぜならこの街の事は、彼が生まれ落ちた土地よりも、彼にとって謎が多いのだ。彼はそれを渇きと形容した。もっとも、その表現も“大家エメ”にだけ打ち明けられたものだが。しかしそれを満たすのは、彼の知る中ではある少女のある歌だけだ。はっきりと、アラベラのものだ、彼女の歌声だ。大家エメにはそう伝えたのでエメはしっているのだ。そして、いつかのときに彼と彼らのすまい“フォレスト・ベーレ”にて、同年代の友人アラベラに直接その事を伝えた事があった。

 それは偽りない思い、歌への感謝の想いだ。しかし、その行動はおかしい、おかしいと形容するのには理由がある。

 こういう事だ。初めの出会いは新鮮で驚きに満ちたものだった、彼女のビンタは確かに彼の心をうち、しかし驚かせ、確かに苦しめもしたのだ。“なぜ被害者である自分がビンタをされなくてはいけないか”だがその後、いい方向に彼の信念をうごかしもした。一時期彼女がした事は、転校後の彼の心の欠落を深めたからその時はアラベラの事は好きではなかったのだろう。なぜなら、アラベラの一時の行動は、その時のケヴィンにとって個人的にふれて欲しくない絶対の、私的な領域に踏み込まれたような感じがしたのだ、横暴な行為だと思った。突然自分のやり方に、心に思っているだけの事に踏み込まれた。

 「どうしてやり返さないの?」

 なぜ、自分が叱られるのか。彼は、救われたアラベラの行動の中で、ビンタだけが、そのビンタだけが重くのしかかり、むしろ最の頃は彼女の事がはっきりと自分の意識の中で嫌いだった。けれど最初に心を開いたのは、アラベラのほうだった、冒頭いったように、彼女は頬を赤らめ、兄の付き添いのもと、同じアパート、フォレスト・ベーレの一室を訪ねてきて、しっかりと礼儀正しい言葉を用いて、謝罪を申し出たのだ。そして、おわびといって、この街の名物であるチョコレート菓子の包みを差し出した。

 それから彼はこの街の見方が変った、彼はいじめられっ子のような扱いをされる事をやめてもらうように、自分の口で威張り散らしている同学年の生徒にむけて、そのほとんどに対して、明確に苦言を呈したのだ。虎の威を借りる狐ではないが、そういう後ろめたさもありつつも、彼は、彼の中で英雄のようになった少女アラベラの事をいつも彼の心の中に抱いていた。だからこそ、この街の彼の中のひとつのアイコンとして、アラベラという、自分のしたことに素直に謝罪し、そして社交的な存在は、希望のひとつとなった。

 だがおかしい、ことわっておくが、普段は人見知りをするし、人と比べると引っ込み思案なところがある。そんな彼がなぜ、アラベラに執着し、感謝の思いを伝えられ、なぜすぐにカイという大人の男性と打ち解けるに至ったかを記しておこう。


 誘拐の日。ケヴィンが、突然マフィアに追われたあの日、カイから助けを受けた日のことだ。その夜あれこれと歩き回ってへとへとのケヴィンは、カイの運転する車にのさられ廃拠点ファラリスに案内され、ゆっくりと眠りについた。ひとことふたこと会話をかわしたが、ケヴィンは自分の事をきにするよりもカイのその組織を裏切るような行いを心配していたし、自分がまきこまれた事件の事をしきりにきにしていた。そして彼は優しいその性質から、自分と同じように彼のような目にあっているかもしれない人間の事を考えた。そうだ、彼と入れ違いでもともと追われていた少年の事だ。彼は無事なのか、あたまをかいたり、呼吸をととのえたり、挙動不審ぎみにカーテンのすきまから外をみたり。暖炉の前で、始終そんな様子だった。

 そんな事をしている間にカイはちゃんとそのしぐさをみていたし、その当日から少年のケヴィンの性質をみていた。くすりとわらって、すでにケヴィンが《ゴースト》について心配していることを、カイは確信的にみぬいていたし、実際その通りだった。ケヴィンはこんなことを考えてそんな態度をとっていたのだ。つまりあの日《自分と勘違いした誰か》は誰だっただろうか?

「彼は生きている」

 ケヴィンがカイに助けられたのち、初めのに拠点で迎えた孤独な夜、無口な彼はケヴィンに、本当に追われている少年について知るはずもないはったりをぶつけた。反応こそなかったものの、ケヴィンはそのカイの自信にみちた目を見つめ返した。だからケヴィンはその日、まだなれていない廃拠点ファラリスの中、長い長い夕方から翌朝にかけての心地よい睡眠を満喫する事ができたのだ。彼は生きている。ケヴィンは確信に近い感情を抱いた。カイの口走った言葉。その言葉の本質がどうであれ、きっとケヴィンは彼の事を信用したのだろう。そのやさしげな気配りと気さくな様子は、転校初日、ナナシの街に来た当初ケヴィンがであったアラベラを連想させたのだから。


 ケヴィンはあの時、あの時間、すでに自分自信より、自分が身代わりとなったであろう少年の心配をしていた。それはクローファミリーがいうところの“ゴースト”とよばれた少年の事だ。だから、ケヴィンはまだ、誘拐されてからすぐの頃はカイの事も、自分がまきこまれた事件の事もどこかうわの空というような感じで、現実感がなかったりもした。躊躇なくカイの事を信用したのも、うさんくささや裏社会への恐れよりもそれよりも大きな、彼特有の彼の中で判断基準が、人の信用を見抜く事でのカイへの信用度が勝った。彼ははじめに構成員であることも、マフィアであることも隠さなかったではないか。

 「ケヴィン、よく聞いてくれ、僕は君の事をよく思っている、同類だと思う。なぜなら、君はマフィアに追われる身、つまり僕らは二人とも厄介者。世界からいえば君の厄介さはもはや僕と同等だからだ」

 確かにその時、ケヴィンはその言葉を信用して、世界でいう誘拐犯罪者のごとき扱いをうける彼を、マフィア構成員カイを信用したのだ。それは同じ存在だと大人から言われた時の安心というよりは、同じ存在だと他者から肯定された時の安心だった。その時確かに彼等は同じような危機に直面していた。そのカイはといえばケヴィンの事を、別の意味で信用していた。それはむしろたんぱくな意味で、明確な基準を持ち人を信用し信頼する人間だと彼のセンスがさとっていたからだ。だからこそ、ケヴィンは余計な事を言わないし質問もしないのだろうとケヴィンの様子をみてカイはそう思っていた。

 しかし、その場所での生活も楽なものではなかった。なぜなら一時的な現実逃避のばにしかならなかったからだ。カイへの信頼、信用と入れ替わるようにして、彼は、彼女アラベラの声と歌が聞えない事に不快感をしめし、そして時にカイにたいしてぽつりと溜息やこれからの事への不安を語る事があった。窓辺にたち、森の奥に目をやって懐かしそうな潤った、かすかに未来への希望に燃える目でガラスの奥の彼だけの価値観にみた世界をみた。カイはその距離感を保つべきだろうと思っていた。

 「いつも聞いている歌が聞えない、それだけで僕は、平穏な日々が愛しくなる、本当に僕は、今の追われているような身から、どうにかしてにげたいと思ってしまう、僕は本当に助かりますか?」

 そんな風に、夕陽をながめ、二人でコーヒーを飲みながら、つい先日も話していた。




 ケヴィンの誘拐事件、それからもうまる8日。

 彼らとは別のところで、マフィア組織“クローファミリー”内部ではささやかな変化がおきていた。二人の男がボスの部屋で向かい合い言葉をかわしていた。おごそかな社長室のようなボスの部屋で、二人のスーツの男、腰を深く柔らかい椅子に腰かけ、リラックスをするボスクローと、それと机を挟んだ向こうに直立不動のようなきめ細やかなな姿勢で立ち尽くすコンシリエーレ、セナ。

 「つい最近、ラヴレンチは眠っているとき何かわめいていました、寝言ですが、“少女の名”をさけんでいました、リリカという、きっと彼の思い入れのある故郷の娘なのでしょう、いくら武術の達人とはいえ、ぬぐいされない過去の後悔があるのでしょう」

 「助かった、これからもこまめに情報をよこしてくれ」 

 長い髪を後ろに束ね、目を細めるスーツ姿の、しょうゆ顔の青年セナは、コンシリエーレだ。組織のボスクローから、密偵をおおせつかり、彼の直属の部下でもない、ある連中をみはっていた。それが“ゴースト”の正体を確かめるようにボスが直接頼み込んだラヴレンチと、ソスランの事。まぎれもなく、今ケヴィンがその身を隠している本当の理由だ。彼らはどうあってもケヴィンの事を日夜狙い、ゴーストのかわりにボスアデルに差し出そうというつもりだった。その様子をしっかりと、ボスクローは探りをいれていた。


 二人の男、ソスランとラヴレンチは彼等の拠点にいた。そこは仮にソスラン拠点と名付けられていた。彼らはその日、組織から反抗して8日目の昼をむかえていた。二人の中に近場での生活者の影も形もなく、賑わいのある街の風景も幾分遠ざかっていた。彼等はまるで人気のない場所でのうっそうとしげる大自然の木々の林中での山籠もりのようなそれそのもののような生活をしていた。

 「そういえば、お前の秘密兵器、“アレ”なんだよな、ボスも一目置くくらいだから、相当すごい武術とみえる」

 「あれって、何の事ですか?」

 知ったかぶりをしたようなしぐさをするラヴレンチにあきれ顔で、瞬間無表情で右を見て、コンビニ弁当をたべながら、ソスランはラヴレンチに瞬発的に回答をあびせた。

 「何って、死神拳」

 ふう、とひとつ溜息を吐いた。彼はほとんど、ここ数日ソスランのいうことばかりをきいていたが、こればかりは我慢ができなかった、きっと彼は自分の思想や価値観のために、ラヴレンチを利用しようとしている、それだけは武術の心得以外ほかに何も関心事がないラヴレンチにも理解ができた、だからこそ彼の言葉を無視して、ひたすらに日々の特訓に挑んだ。知られた軍隊の訓練、腕立て伏せや腹筋や、スクワット等々。地道な特訓、それから彼の両腕のサイボーグ部位を利用した、巨大な傍らの岩を持ち上げる特訓など、その様子をつまらなそうに、岩窟のすぐ傍に、パイプ椅子をたてて、弁当をたべおえて、机をもした岩にかかとをのせ、足をのばしきり、夜空や東区の夜景とともに見たり聞いたりしていたソス

ランは、やがてつかれきったように、うつらうつら眠っていた。

 彼ラヴレンチが日々の特訓の中で、瞬間不本意に別の意識が流れ込むことに気が付いたのは、そんな危ない状況、組織に歯向かっているというコクコクと迫りくる自分の未来への不安にかられていたから、ともいえるし、ある少女の記憶を取り戻したからともいえる。彼は奥歯をかみしめやがて奥歯から尋常ではない歯ぎしりと、血が流れ出た。

 (ふう)

 練習を終えると、どこかの草むらで小動物の足音がきこえた。彼はそれを目にも見えないのに気配を感じた、彼が、彼とソスランが一時しのぎの拠点としている穴倉に入ろうとしている、その背後の草むらで音がした、それは彼らが机としてつかっている大穴の入口の大きな平たいいわ。そのすぐ近くのしげみだった。

 「草むしりはしたはずだったが」

 ラヴレンチはこともなげにその草むらの中をあたりをつけて軽く蹴飛ばしたとおもえば、次の瞬間小動物は大蛇に絡みつかれたように恐れから行動をとめていた。草むらから驚いたようにとびだし、そして痛みをこらえている小動物の眼が夜の闇にきらりとひかり、小さな泣き声がした。

「みゃあう」

 それは子猫だった。彼はその気配を感じとってはいたが、動物の種類まではしらなかった。邪魔をしたもの、彼の練習の後、ふとひと呼吸をいれられてそこを邪魔されたようなイライラした気持ち。しかしその目、彼はじっとその様子をみるといつかみた少女の記憶を取り戻した、そしてまた少女の名前をくちばしった。

 「リリカ」

 はっと、自分の中の何かが揺らぐのを感じ、と同時にその小動物の瞳が少しも潤っていないのを見ると、死を覚悟した小動物の潔さをみた。立ち尽くすラヴレンチと、彼に睨まれて動けない子猫。

 (いってよい)

 小声で回答すると、小動物はおじぎをして、草木の影にはしっていた。

 かつて滅ぼされた小さな村、その村には受け継がれた伝統があった。その伝統に絡みついた記憶に、彼女、リリカの記憶がまとわりついている。リリカはそばかすの似合ういたいけな少女だった。彼ラヴレンチが頑なに女性を嫌う理由もそこにある。かつて彼には、少年時代とてもなかのいい女性、というより少女リリカがいたのだが、それはまた次の話。



 その夜、ジンクスファミリーの構成員カイは引続き一般人の少年ケヴィンを護衛していた。けれどどこかで後ろめたさとともに彼の正義を保っていた。暖炉の前で火にあたる。このボロ屋は隙間風をとおすくらいに、つぎはぎや腐食などの穴がところどころにあいている。ガラス窓はガタガタ揺れるし、そもそも窓としてのていをなしていないようなわれかかった窓もある。そんな中、彼は夜も更けてくるときに一人暖炉の前でぼーっと、ケヴィンと初めてあったとき交わした会話の、その言葉の意味を考えていた。その返答の言葉を持ち合わせてはいない。思考はまとまらず悶々と身もだえするそんな夜、暖炉の火はごうごうともえていて、そんな日に限って火の番をしていたかれが、たったの数秒でさえ眠りこけることができず、座ったままの姿勢によって、自分を奮い立たせるように、追憶の日々と現実のはざまを行き来していた。ときたま視界に白い靄がさす、その中に一人の少年の後ろ姿がみえる、それはケヴィン少年の幻影だった。そこで連想した。

 (結局自分は嘘をついている)

 繰り返されるその言葉、自問自答の言葉とセリフ、その事で言い知れぬ不安をもっていた。彼はきっと、少年に同情をした。だからこそ、初めの日、助けて、その後に浴びせられるであろう世間からの“誘拐犯”という重圧と注目を甘んじて受け入れた。しかし彼の心にあるのは、少年の純真を弄んでいる、そんな自責の念がある。やがて彼の視界の中、もう一人の彼が現れて、青い輪郭とともに彼に微笑してみせた。彼はそのとき、暖炉のそばで、窓際の庭と向かい合うようにすわり、キッチンのカウンターを背もたれがわりに眠っていたが、うずくまり膝を抱える、その手を拾いあげる爽やかで静かな輪郭にふれた。それは手だった。手が拾い上げた彼の意思は、もうひとつの意識をともない、彼の両腕を拾い上げた、そのとき彼は無意識に体を起こし、幻影の残した言葉とともに、暖炉の前で一人たちつくしている自分に気付いた。

 (彼は消える前、なんといっただろう)

 ほんの数秒前まで、自分は幻想をみていたのだ、そのことに恐怖するとともに、ある“症状”との共通点をみる。それは“サイボーグ化した人間が見るという夢”。(アーキタイプ・ドッペルゲンガー)医学的にも科学的にも解明されていない現象だが、それはきっと、深層心理が見せる幻影、幻聴とされている。

 (彼はなんといったのだろう)

 そうもう一度となえたとき、その言葉は耳障りのいい夜風とともに飛び込んだ。そしてきづいた、彼は無意識に窓際のガラス戸をあけたのだ。きっともはや、屋内の雰囲気に耐え切れなくなっていた。

「ゴーストという少年は無事なのか?」

 それについて今でもまともで明確な答えなどもちあわせていなかった。それはアデルとのやりとりをしていなかった事、組織に無断で人助けをしたという後ろめたさもあったからだった。やはり彼は詐欺師のような事だという葛藤がある。しかし、明確にそれは、彼の中の正義に元づく行いだった。正義、それは世にいう善なる考え。

 クローファミリーとの違いはきっと、彼カイが組織内部で特別な役職を任されているからこそ成り立つものだった。役職とは、対サイボーグマフィアに対する兵士、組織の中では幹部や、そうではなくとも、コンシリエーレと同格の良い条件で良い待遇の扱いをうけていた。それにもか

かわらず組織への忠誠心や愛がたりないと嘆くのは、コンシリエーレベルノルトだった。ベルノルトがその日目の夜、次の日に何が起るかしってはいたが、ケヴィンにはだまっていた、全てはアデルとカイの選択次第だ。

 その日暖炉のそばでベルノルトは眠りについた。ただ、一度だけその日の朝、ある変化がおきた。

 (ベルノルトさん)

 朝早く冷蔵庫をあさって、庭を覗いて、それから本拠点への連絡をすませて部屋の中へ戻ってくる、やがてリビングへあがろうとすると、玄関側から手の裾をひっぱる反動を感じた。それが何か?きっと小さな人間が裾にすがっているのだろうとおもわれた。振り向くと、そこにたっていたのは、ケヴィン少年だった。

 【なんだよ、ケヴィン、脅かすな】

ケヴィンから、自分にできる事がないか、この拠点において、自分のすべき事は何か、と問われたとき、うろたえるケヴィン少年の表情を見て、何ともいえない少年の焦りを感じ取ったのは、その時のベルノルトだけだった。ベルノルトがケヴィンにとってどんな印象をもっていたか、いうまでもない、まるで使用人のように働く人だった。だからこそ、その拠点で自分のすべきこと、日常の中でできる事が、少年期特有の、勉学や遊ぶ事のみである事への、異質な恐怖を、たしかにケヴィン少年の心はもっていた。彼は時々、自分の所有するバッグから、AR対応の小さなノートパソコンをとりだして、なにやら文字をかいたり、調べ物をしたりしている。それさえあれば、彼は自宅の自室を取り戻す事ができた。

   そのころ世界は、ARやVRの発展の真っただ中。サイボーグや、アンドロイド開発も盛んにおこなわれた。ケヴィンのPCは本当にノートのような薄さのキーボード本体しかなく、AR眼鏡を使い操作するものだ。ファンタジー、sfを舞台にした世界のようになっていた。

 それでも人の悩みは、それほど複雑な形をもたなかった。結局、人にとって最大の謎は人なのかもしれない。カイは郷愁に襲われ、ある夢をみた。それはエメとの過去、かつて彼女はこう名乗っていた。

「エメ……いや、ジル……」

 エスピィミア――それは盗賊の追憶。仮面をした二人にとって、仮面をつけていたときだけが本当の人生だった。――どうしてあんなに優れた日々だったのか、今はエメと名乗るその人は、何も真実を話しはしなかったのに。彼は毎夜毎夜、うなされる夢の中で彼女の残像を見ていた。それにつかれると、いつものごとくトレーニングをしていた。深夜2時頃、かつての記憶をもって、それに抵抗するように一人の世界をつくっていた。誰にも知られないように、外で。

 「また、練習しているんですか、いつも大変じゃないんですか?いつか聞いてみたかったんですが」

 その夜、いやいつかもケヴィンはその夜な夜なの、大人の寡黙な特訓を見破っていた、彼は何かを恐れている、それは組織に対して自分勝手な行いをする自分自信かもしれないし、あるいはケヴィン少年の行く先を案じているのかもしれないと思った、だから、これまでは話しかけられなかったが、けれどその日は、なぜかアラベラの事がきがかりで、つい窓際まできて、彼の腕立て伏せをするその様子を俯瞰でみおろし、そう言葉をかけた。

 「なぜ、夜練習をするんですか?」

 口下手なテンポで、大人であるカイに対して、ケヴィン少年は自分の中の正直な混沌とした、倒錯の想いをぶちまけた。だから言葉は、まるで埋まれたての哺乳類の子供のように、おぼつかない足元でふらふらと自立を目指すような、未熟な社交性に包まれていた。

 「もとめてももとめても、必要な技術が手に入らない、そんな気がするんだ」

 彼カイの日々の特訓は毎日みてきた。腕立て、腹筋、背筋、あるいは軍隊でするような特殊なトレーニング(ライフルを用いた武術や、ケヴィ

ンの見た事もないような、カンフー的動作等)をしていた。暖炉にあたりながら、窓のすぐ下でトレーニングをしていたカイに、その日、少年は呼びかけたのだ、まるでいつか、少女アラベラにしたように勇気をもち話しかけ、そうしてその8日目はおわった。




 ケヴィンは、その次の日、その日は何も予定がないという事で、9日目にして、カイと長い事会話をかわした。おもったよりも社交的で、多彩な趣味をもっていたカイの話はおもしろく、ケヴィンの中の偏見を別の形に消化した。そして何より、

 「エスピミィア」

 という義賊の話は、カイから詳しく話をきいた。リビングで二人で向かい合って話をした。それは対等な立場で、情報を整理するという共通の目的をもっていた。ロムもベルノルトも黙ってみていたが、それを黙って聞いていた闇医者ロムはその話の全体像を【全て】ではない。と感た。

 かつてカイと、エメがどんな仕事をしていたかについて。簡潔に話すとすれば、それは盗賊の仕事だった。義賊だった。彼はマフィアになる前、エスピィミアという大きな盗賊団でしごとをしていた。それは世界をまたにかける盗賊団で、丁度7年ほど前の事だった。

 

 一通り話をおえて、それからよる7時にさしかかるころ、

実はその世界的義賊、“エスピィミア”の存在を、ケヴィンも知ってはいた。カイから過去が語られる事はこれで最初で最後で、その後はほとんどのことは周囲の人間にきいた。しかし、このとき距離をとって見守っていた闇医者ロムは、いつものサイボーグの検査のとき、二人きりになったケヴィンに語られた話は【あの話に限られた事ではない、全てではない】ではない。といいはなった。

 (え??)

 とまどうケヴィン、カイが風呂に入るといったきり午後7時、二人きりで二回のケヴィンの自室にて、つかわれていない肘ほどの高さのあるつくえに右腕を差し出して、彼は検査をうけていた。彼に聞いたエスピィミアの話を、ロムに話すと、丁度そのとき運悪く文句をいっていたとき、背後で物音がして、そのとき、風呂上りのタオルを肩にかけたカイが二人に声をかけた。気まずい様子でただ、たちつくして、ドアにてをかけて

 「ロム、おっちゃん……」 

 しかし、ロムは彼の状態を悟ってもなお、こんな具合にエスピィミアの昔話に茶々をいれたのだ。

 「全てを話しはしなかったか……」

 うなだれて思い悩むように肩をおとし、両手のひらをこうごにひたいにつけて頭をかかえた。しかし、カイはケヴィンにすべてを晒したと言い切る。

 ロムは、全てでないと知りながらも彼らの会話をだまってみていた。やがて夜になると、話しはやっとつきた。エメはその日外出をしていて後からきくとホラー映画を見るためにその日は遠出をしていたらしかった。

 カイが諦めたように部屋の前をあとにすると、ロムはまたしきりに、ケヴィンに今朝から昼にかけての、カイとの話し合いの内容を詰問をされた。

 「彼は自分の体がサイボーグだといったか?」

 闇医者ロムもその日は饒舌だった。とくにサイボーグにつかわれるヒヒイロカネの秘密について彼は彼なりの解釈を混ぜて話した。かつて失われた、一度完全に滅びた文明の滅びたはずの技術であること。血液型を模したような、適合試験となった理由。それらはすべて、ヒヒイロカネというものが、人工的な意図によってつくられた“考える鉄”と呼ばれる事に起因している。

 (そんな話は、初めてききました)

 そういうと、闇医者ロムは情けなさそうにこういって笑った。

 「隠されている事はたくさんある、見たくない人間がたくさんいるんだ、これらはすべて、太古の文明、この世界で核戦争を起こした人々の残したものだからな。患者は時折、もう一つの人格を、ヒヒイロカネの中に見る事がある、この現象に、病名はついていない。ヒヒイロカネ自体がブラックボックスのようなもので、我々子供たちは、ただ古い文明の遺産を、何としらぬまま分類し、使っているにすぎない」

 実はケヴィンはその左腕を、規格品から少し自分なりの改良を加えていた。彼自信、特別親密になった人間にしか話さない事ではあったが、

 「カイさんには、秘密にしておいてください」

 改造手術をしている隠し事、ロムはだまっていてくれた。

 「よし、おわったぞ」

 もはやロムとケヴィンとの信頼は確固たる特別な地位を抱いていた、年長者に抱くものよりは、年長者がその年齢を威張り散らす事のない

冷静さを持ち得ているというケヴィンの安堵感からくるものだった。



 カイはその夜、暖炉の今と同じ場所、ケヴィンをさらい初めてすごした拠点の景色と、交わした会話を追憶の中にみていた。未だ答えを持たないので思考はまとまらず悶々と身もだえするそんな夜だった。結局自分は嘘をついてしまっている、少年の純真を弄んでいる、そんな自責の念がある。

「ゴーストという少年は無事なのか?」

 それについて今でもまともで明確な答えなどもちあわせていなかった。それはアデルとのやりとりをしていなかった事、組織に無断で人助けをしたという後ろめたさもあったからだった。やはり彼は詐欺師のような事だという葛藤がある。しかし、明確にそれは、彼の中の正義に元づく行いだった。正義、それは世にいう所の善なる考え。彼の中にははっきりと自分が悪人であるという意識はあれど、悪人なりに存在する正義の信念があった。彼、“ケヴィン少年”は“闇社会とのかかわりを絶たなくてはいけない”彼が正義を信じられるのも、その拠点における、アデルという存在や、ジンクスファミリーの独特の組織の縮図が存在していたからだろう。

 クローファミリーとの違いはきっと、彼カイが組織内部で特別な役職を任されているからこそ成り立つものだった。役職とは、対サイボーグマフィアに対する兵士、組織の中では幹部クラスやそうではなくとも、コンシリエーレと同格の良い条件で良い待遇の扱いをうけていた。ケヴィンも彼の言葉を信用した。


 しかし、それにもかかわらず、組織への忠誠心や愛がたりないと嘆くものも組織内に存在していて、むしろ、拠点内にも存在していた。それは、コンシリエーレのベルノルトだった。ベルノルトがその日目の夜、次の日に何が起るかしってはいたが、ケヴィンにはだまっていた、全てはアデルとカイの選択次第だ、ベルノルトはそう考える。しかしもう一方の頭では理解していた、カイの過去に、それ相応の待遇に値する過去がある事―エスピィミアの黒鳥―としての異名をもつ男であること。黒鳥とは、エスピィミアという義賊団の団長に代々受け継がれる二つ名であり、そのマスクの形に由来する。ペスト医師の面にもにたマスクをもち、二つの眼は奇妙な中央の義眼をそなえて、グレーの強化ガラスでつながれている。そう、彼はクローファミリーの兵士(ソルジャー)とも他の一般構成員とも、コンシリエーレセナとも異なり、かつて裏社会において、異形をなしとげた“黒鳥”その人だった。だからこそ、そんな待遇が現実に存在できていた。


 その日暖炉のそばで。テーブルを隔てた窓際のソファでベルノルトも眠りについた。ただ、一度だけ、問われた事があった、数日前、二人だけでキッチンで昼食の用意をしていて、そのとき、まるでその場の雰囲気をくみ取り、まるでベルノルトに気を使うように、ケヴィンから自分にできる事がないか、この拠点において自分のすべき事は何かと問われた。そのときうろたえるケヴィン少年の表情を見て、何ともいえない少年の焦りを感じ取った。彼の苦悩をしっているのは自分だけ、寝返りを打っても寝付く事はできない、それはベルノルトも同じ、寝苦しい夜だった。

 ベルノルトがケヴィンにとってどんな印象をもっていたか、いうまでもない、まるで使用人のように働く人だった。朝から晩まで頼まれた仕事や、買い物などもベルノルトを頼る事が多かった。

 だからこそ、ケヴィンはそんなベルノルトをよく働く人という意味では信頼をおいていた。だが同時にわからなかった、ケヴィンは少年であるという理由で大それた仕事は与えられなかった。自分の置かれた状況の豊かさ、反対にある危機感。たしかに水くみだとか、食器類のあらいもの、外に洗濯などまかされているが、それは不満にもにた一種のストレスとして彼の中に蓄積されていた。それは例の、カイが小さな野生の鳥を撃ったときの衝撃にもにて、彼の奥底に突き刺さりぬけないかえしのついた釣り針のような違和感があった、それはその場で自分が役に立っているという感覚の欠如によるものだったのだろう。ケヴィン少年の心は飢えて乾いていた。だから彼は時々、自分の所有するバッグから、AR対応の小さなノートパソコンをとりだして、なにやら文字をかいたり、調べ物をしたりしている。それさえあれば、彼は自分の世界を取り戻す事ができた。“そのころ時代は、AR装置が発展して、学校用のノートでさえ、スマートフォンの併用によって、ノートパソコンのように、軽く記録、演算機能を兼ね備えた使い方もできるものになっていた”

 それだけ文明が発展して、それでも人の悩みは、それほど複雑な形をもたなかった。結局、人にとって最大の謎は人なのかもしれない。

 しかし、そんな彼の悩みとは裏腹に、ベルノルトは彼に拳銃の使い方も教えなかったし、カイが拳銃の使い方を教え込むのを良い目をしてみてはいなかった。護身とはいえ、こんな山奥で何が起るわけでもない、それが彼の考えであり、その意味ではケヴィンは彼の考えにも似た思いがあった。カイが考えている事も、そして彼の正義も全ての謎と答えも、未だに彼自信が語らない、ただカイの様を、ケヴィンとベルノルトが黙ってみるだけ、その見る間、全ての謎と答えは、日頃のカイの行い。そのすべてに自分たちの行く先を託すとおう、受動的な態度の決心に集約されていた。


 カイは朝まで眠りこけていたが、懐かしい思いにかられ、その日――エスピィミア――のある夢をみた。それはエメとカイの過去、出会からわかれ。エスピィミアの出来事・そのころ彼女はエスピィミア団長“黒鳥”の娘としてなのり、周囲に重要人物として扱われていて、彼カイもまたそれを信じていた。かつて彼女はこう名乗っていた。その名を、目をつぶり眠り続けるカイの口から不特定多数の人間につげられた。

「エメ……いや、ジル……」

 大家エメの本当の名はジルという名だった。

エスピミィア。それは盗賊の事。義賊。つまり彼らは富めるものから高級品、絵画、宝石を盗み金品にかえ貧しいスラムへとばらまいた。主に“アリア大陸セントラル”の中央で親しまれる、セントラルステイト。銀河橋とよばれる惑星エレベーターのある国。そこに定住する義賊エスピィミアはそのころ、世界中にしれわたっていて、彼らの活動範囲も全世界に向けられていた。彼らの居住する空間は熱空気飛行。それで世界をまたにかけて

犯罪を行っていた。目的は、おおよそ一般的意味のな義賊的活動であった。

 セントラルステイトは、世界中から、“第四次大戦”の残滓の科学が集積して、“平和の科学”をもとめ、宇宙へ新天地を求めて科学者が集まる場所だ。それは荒廃した北の大陸の左端にあった。彼女ジルは、これはのちに話す事だが、もともと出自が不明らしい、つまりみなしごで、そのセントラルステイトの路地裏に捨てられていたのを、北の州アミア、アラ街の人に拾われ、慈善活動をしている教会で育てられたという。

 「初めてあったときから、きっとあなたがどういう人なのか、私には想像ができたの、不思議ね、きっとあなたも本当の自分の姿を隠している今の私みたいに」

 “白鳥”はその代の“黒鳥”のつけた娘のための称号。当初彼女もまた仮面をつけていた。ただ、黒鳥ほどではなく、ただ鼻筋とめを覆うだけのするどいT字型のマスクだった。彼女の本当の出自を団員のだれも知らないときかされたのは、彼がかつて、その“エスピィミア”の用心棒として雇われてから1年が経過しようという頃だった。彼女は、本当の出自はどうであれ、まるで箱入り娘のような丁寧な扱いをうけているときで、エスピィミアの姫君だった。黒鳥は、それを暗黙の了解として団員に強要しながらも、しかしカイとの関係を周知の事実として、決してちょっかいをださなかった。それがそのころ、用心棒としてエスピィミアに所属していたカイのもっぱらの疑問だった。しかしそれはやがて組織に危機がせまるころ

団長“黒鳥”その人からカイに直々に告げられる事となる……。それまで、彼らの、“娘”と“用心棒”の関係は組織の中で暖かく見守られていた。

 「彼らの事は彼らの問題だ」

 その彼の柔軟な姿勢に、権力を持つ者としての誇りを感じていたのが、そのころのカイだった。やがて、二人が団の中で確固たる地位と実力

とを身に着けたころ、丁度カイが用心棒になり半年たつころ、彼女“白鳥”は自分の出自について、ある貴族たちの仮面舞踏会に彼カイを招待して

こう話して聞かせた。ダンスを踊りながらの告白だった。

 「私は幾度も顔と姿をいつわり、それを理由して幾多の場所土地であなたのしらない悪いはかりごと、盗みを働いてきました、私の弱さを知っ

て、それを正義に役立てようと、拾ってくださったのが黒鳥、父なのです。私は、教会でも悪い人間でした、行く場所はないとののしられ続け

そして卑屈に知識をためこみ、ため込む知識に居場所がないと思いこみ、やがて、盗みを働き追い出されたのです。私は父の事をあまり知りま

せんし、彼も私の事をそれ以上しりません、私は元アミアの路地裏のみなしごです。それでもよければ、私とずっと一緒にいてほしい」

 納得できるものだろうか?彼女はやはりミステリアスな存在だったのだろう、彼女が過去をつげようと、そうでなかろうと、彼女の積み上げた嘘というより、その仮面、嘘で塗り固められた言葉、しぐさがすべてを物語る。その時カイは気が付いていた、(彼女は天性のウソつきだ)きっといつも嘘をつかなくては、自分を守れない人間なのだ。そう覚っていた。だから一年がたつ頃、彼女の申し出を受け入れ、彼らは結ばれたのだった。 


 ふと目が覚めてしまう。

「ジル……」

 彼女は自分と出会ってからも二三度名前を変えた。いずれも単なる盗みを働くための偽名だったが、それより前も彼女はそうしていたらしい。

、初めに合ったのは、ある仮面舞踏会。カイは黒鳥の知り合いでしかなく、そのころまだカイは黒鳥を名乗っていなかった。それどころか用心棒

ですらないが、只知り合いの娘として紹介されたので、そうおもっていたのだ。

 目をつぶると初対面の彼女の印象が蘇る、ショートカットで、きりりとした目鼻立ち、そして凛とした輝きをもった瞳、それが濁りをもったのは

自分のせいだ。といまも考える。

 「俺は用心棒としての職責をはたせなかった」

カイのこぶしがぎりぎりと力をこめてにぎられた。


 話しは戻り、いつしか、二人は単なる団に公認の恋人同士になり、カイは単なる優秀な用心棒になった。時に盗みを手伝う事もあったが、表だって、黒鳥から、その団を任されるような様子も、言葉もなかった、ただ、その後大きな変化によって、“エスピィミア”は解体の危機に陥る。

 それまでは平穏は続いた。二人はたまの休みに、一般的な表の社会の日の当たる場所で、普通な生活をする人々と同じく、同じものに好意を抱き同じものを嫌い、同じファッションを身に着け、同じ時代の文化に触れた。

 やがて転機が訪れたのは、“エスピィミア”を地元の警察が煙たがり始めているという噂が、巷でながれはじめてからだ。そのころ、子供の誘拐事件が多発していて、その頃の社会の人々の不満、不服は警察の不手際にそそがれた。そこで“エスピィミア”にも容赦なく嫌悪のまなざしが向けられたのだ。

 ただ、しばらくは何もなかった、二人の幸福は、本当の自分を隠す若い男女の密会という事で、治まりがついていた。カイの過去は、先に話したように、単なる彼の過去に理由があり、“悪事を行う事から、善意を導きだす”という妙な彼の信念にもつながっていた。そんな二人の間の距離はそのころですら埋まりきらずに、その証拠に、カイが“ジル”という名が本当は、彼女の唯一の手掛かりである“彼女の母の名”であった事をしったのは、また半年がたったころだった。

「ペンダントのロケットに、母の名前と写真があったの」

「え?」

「今まで知っていて黙っていた?だから、あまり顔を合わせたがらなかったのか?」

 そのころすでに、エメが本名を名乗らなかった事をそれとなくしっていたカイは、疑心暗鬼になり二人の関係はギクシャクし始めていた。

 元々、警察とエスピィミアの関係は持ちつ持たれつのところがあったが、相次ぐ警察の不祥事で取り締まりをきつくせざるを得なくなり、かつ秘密を握るエスピィミアを厄介に思った“セントラル”の悪事を働く警察のグループは、“エスピィミア”と対立する国際犯罪組織にエスピィミアの情報を売り、エスピィミアは危うく解体の危機へ陥る事になる。それに優位に働いたのがある情報屋とそのグループという噂もあるが、結局今でもエスピィミアの危機とその後の顛末と“白鳥”“黒鳥”の行方は誰もしらない。最後に彼らがニュースに現れたのは2年前、彼らの熱飛行船がセントラルの北の山脈地帯で解体され、ぼろぼろになっているのを、地元の村落の人間が発見したというニュースだった。




 カイにとって、ジルとの日々は、どうしてあんなに優れた日々だったのか。ほかのどんなときより彼女のことが大切でいた。今はエメと名乗るその人は、何も真実を話しはしなかったのに。カイにはわからない。あんなに好きだった煙草もやめてしまった。なぜ、それほどに必要だった人を、取り乱し、失ってしまったのか、別れの追憶が何度も甦る。コップ一杯の水では、満たされる空腹ではない。

 彼はそうして毎夜毎夜、うなされる夢の中で彼女の残像を見ていた。それにつかれると、いつものごとくトレーニングをしていた。深夜2時頃、今日もかつての記憶をもって、それに抵抗するように一人の世界をつくっていた。誰にも知られないように、外にでて夜中一人、庭でトレーニングをつもう。今日もそうして、一人寝ぼけ眼で一回寝室のベッドからたちあがり、玄関を正面にみて右にあるキッチンへ向かい、水をいっぱいのむ。

 “ふう”溜息をついたら、腕時計をみると午前3時、そんな時間でも明かりはきえない、暖炉の明かりがある、そのすぐ傍でトレーニングをしようと思うが、すぐ傍では今日はケヴィンとベルノルトが眠っていた。

 その音をききつけてめをさますケヴィンも、窓際へと近寄るその一連の動作も、もはやデジャヴのようにその拠点で繰り返された日常の一環だった。ケヴィンは彼がうなされて目覚め、そしていつものように鍛錬をつむ動きをしっていて、彼の前向きのような、空回りのような夜中の生活を傍観していた、しかし今日は窓辺にたち、彼からわかるように物音をたてた、コップをとり、ごくごくと水をのみほす。

 「ごくごくごく」

しかし彼は気づかない。彼は嗚咽まじりの声をあげていた、なぜかそれを見下すように、少年は窓際のカーテンをにぎった。するとぴくり、相手の耳がうごいた、促されるように少年の瞳は光を取り戻し、月をみて、だれにいうでもなく言葉をはっした。

 「また、練習しているんですか、いつも大変じゃないんですか?いつか聞いてみたかったんですが」

 その夜、いやいつかもケヴィンはその夜な夜な大人の寡黙な特訓をただ傍観していられなかった、きっとカイは何かを恐れている。

それは組織に対して自分勝手な行いをする自分自信かも、あるいはケヴィン少年の行く先を案じているのかもしれない、だから、これまでは話しかけられなかったが、けれどその日は、なぜかアラベラの事がきがかりで、つい窓際まできて、彼の腕立て伏せをするその様子を俯瞰でみおろし、そう言葉をかけたのだ。

 「なぜ、夜練習をするんですか?」

 口下手なテンポで、大人であるカイに対して、ケヴィン少年は自分の中の正直な混沌とした、倒錯の想いをぶちまけた。だから言葉は、まるで草食性で、埋まれたての哺乳類の子供のように、おぼつかない足元でふらふらと自立を目指すような、未熟な社交性に包まれていた。

 「もとめてももとめても、必要な技術が手に入らない、そんな気がするんだ」

 彼カイの日々の特訓は毎日みてきた。腕立て、腹筋、背筋、あるいは軍隊でするような特殊なトレーニング(ライフルを用いた武術や、ケヴィンの見た事もないような、カンフー的動作等)をしていた。暖炉にあたりながら、窓のすぐ下でトレーニングをしていたカイに、その日、少年は呼びかけたのだ、まるでいつか、少女アラベラにしたように勇気をもち話しかけ、そうして彼らの8日目はおわった。

 ただ、少年の中に一歩謎に近づいたという爽やかな達成感をもたらした。

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