ドブネズミの歌。
2160年。実はその年もそもそもずっと何十年も前から、パンドラの国の歴史は、特権階級的な家柄と血筋、世襲の支配によって強権的に支配されていた。建前も事実上も議会政治政党“エクスロス派”による一党独裁政党制によって支配化におかれていた。市民があまりそうした政治的なものを嫌悪する事もあって、この派閥はセントラルに古くからゆかりのある派を率いるエミラ家とその周辺貴族、特権階級が代々受け継いできたものだ。そしてそれは長らく正常に機能していた。ここ数年何度か周辺地域への、暴挙ともとれるような土地の接収やそこに住まう他民族への迫害などもあった。
最期の大戦の教訓といってこの国に定着したのは、滅びた時代よりさらに古代とも思える原始的な文明支配構造だった。権威による支配は、人々を安心させた。エミラ家は元来科学者の家系であったが、戦争の教訓をもとにこんな矜持をもっている。いわく、“科学の進展をある時期にとどめておくため、権力者は強くあるべきだ”というものだ。その独裁さえ、社会にはびこる社会通念、弱者に強く、強者に巻かれるこの社会の古しき組織、社会、の在り方を、政治的にとどめておくための生贄のヤギのようなものにすぎなかった。背後にあるのは、やはり社会全体に蔓延する、そうした価値観だ。それを誰も壊せなかった。きっと古くからの宗教や、哲学がそうさせたのだと思う。
“科学の進展をとどめておく”とは世界に先立つ主張だが、パンドラの科学者もこの構想には同意している。エミラ家の財政は科学の発展と制御に寄与した。学問に対し敬意を払い、そして援助をおしまなかった。現代の科学はほとんどかつての戦争の教訓に基づいて研究が進められているが、科学者の暴走を止めているのも、やはり国というくくりなのかもしれない。かつての文明には、それをひもとく“パンドラの箱”のように古い、100年前に滅びた文明の科学は、国際機関UAによって、国際的な条約の元に、法律、貿易に制限がかけられている。
最後の戦争が起きて、世界がかわった。そういわれている理由がそこにある。社会の発展も科学の発展も放置しておくと、必ずかつてのような“戦争”が起こると、世界中、ありとあらゆる人々の中にそういう無意識にも近いある恐れがあり、それをくんだ“サイボーグ産業推進国パンドラ”は、50年以上前からそうした理念で科学と向き合っていた。個人というよりも、雰囲気。パンドラが奇妙なそうした団結の観点を持ち、そして楽園と言われる理由はその支配体制そのものよりも、科学者や学問との絶妙なバランスの良さにある。
拠点、午前6時、セビロ・スーツを着こなすベルノルトは、カイと暖炉の前で幾日かのスケジュールを合わせていた。時計を見たり、携帯端末に目を配る。ここ数日の組織の意向などを確認したり、もちろんケヴィン少年や外部の人間にもれてはいけない情報などもあり、暗号も利用したやりとりも加えていた。
しかし漠然とした不安はあった。なぜならこの問題の解決は、ジンクスファミリーボスいわく“カイに委ねられている”という事なのだ。それをコンシリエーレベルノルトは直接指示されていて、だからこそ廃拠点ファラリスに、ほぼ常駐というほど滞在していた。だから彼を頼ることもあった。
「本当にあんたのことを聞いていて、いうがまま、なすがままでこの先、大丈夫なのか?」
「ベルノルトよ?ひとつ頼まれてくれるか」
彼の頭の中でも、カイの言葉がアデルの言葉に置き換わって心地よく響いた。
「俺があんたの言う事をきく、アデルがそういって聞かせたんだろう、俺にまかせろ、うまくやる」
ーその日も少し命令口調でカイはベルノルトにつよくあたる。言い渡されたのは、調査と、少年ケヴィンの祖父ヴラドへの言伝だった。彼はしぶしぶこの廃拠点“ファラリス”にてわざわざ彼の言い分を聞いているのだ。この日も、そんな風にしてしぶしぶ廊下から玄関へと先にあるいていった。それをおってカイが見送りのために彼の後を追う。
なぜそれほどに忠実なのか、その理由はそれは彼にとって苦手な人間でもあるカイへの忠誠心によってではもちろんなく、単に富と名声と一時の権力をもつ“アデル”という組織の長への忠誠心にって突き動かされているだけだ。
とはいえすでに昨日のうちに、カイの頼み事に関する打ち合わせはすんでいた。だからもはや準備をおえて、彼に忠誠をつくすように、犬のようになって、玄関口で判断を仰いだのだ。あろうことか、そのときカイは、もっといくぶんラフな格好。tシャツとジーンズで彼に命令を加えた。
「昨日いった通りでいいが、くれぐれも少年ケヴィンが元気であることを、ご老人に伝えてくれ」
「なあ、本当に―—―本当にまた、またあの爺さんにあうのか、あんたの変わりに謝るのは、それはしかたないとして、俺はあの爺さんに一度会って、以前それであのアラベラという少女、少女に勘づかれたんだが?―」
その瞬間、ベルノルトの脳裏に思い出されるのは、ヴラドという老人に強烈な一撃を加えられた記憶だった。はっきりと思い出す右頬の痛み、それは殴られたときのショックだ。
「世間的にいって?あんたのしたこと、あんたがたのしたことは誘拐そのものだ、どんな理由であれ、あの子をすぐ私のもとへ返してくれ」
そういってかつて、ケヴィンと同居する老人は、ただ、言伝を頼まれただけのベルノルトに、殴りかかったのだ。
―溜息さえ消え失せそうだ。一度殴られた老人、あの老人のもとへ、再びいかなくてはならないとは……。たしかに、気持ちはわからなくもなかったが、あの時俺は、説明しただけなんだ、彼は無事で、警察も信用できないと……。
ベルノルトの胸中は複雑だった。複雑でありながら、フォレストベーレ、の近場にあるおいしい赤レンガのパン屋を自分への褒美として考えごとをして、拠点のそばの小屋に駐車してあったスポーツカーのような車高の低い、高級そうな真黄色の車に乗り込んだ。
ケヴィンはフォレストベーレでなく、今はそこが自分の我が家のようになったファラリスの廃拠点の窓ごしにその姿をみて、ノートパソコンをひらいて、今日一日の予定を立てていた。学校で勉強はできないが、自宅で勉強をしていた。彼は成績はわるいほうでなかったし、一人のほうがおちついた。
「ああ、今日はきっと、昨日よりもっとカイさんと親しくなれるかな」
そんな独り言を聴いた人は誰一人としていなかった。
10日目朝の練習の前、いつにもまして、ケヴィンとカイはやや長い事言葉かわした。初めに言葉を放ったのは、カイのほうだった。それがなぜだったか確かには思い出せないが、実際にはケヴィンが親しく話しかけてきて、カイのことをねほりはほりきこうとしていたからなのだ。だからその途中で、少し戸惑ったように、カイは何度かそれを交わす様なうけこたえをした。ああ、とか、そうだな、とかそれでかわせればよかったのだが、ケヴィンは、ベルノルトがいない事によって
【なあ、俺の過去に興味があるのか??】
いまでも、何度も、少年だった彼の心に残るような、初めの言葉がそこにある。目線は読んでいる本の一人の世界から、文字という形式をこえて、漠然とした空の中を視点をさがし、ターゲットをみつけた。敵は誰だ、敵ではない、そこにいたのはケヴィン少年だったから。
「朝の練習がまだですか?」
軽快な返答に驚きはしなかった、なぜなら昨日の夜の一件で、なにしろ二人は仲をふかめていたから。ケヴィン少年はその日、朝ごはんをつくった、といっても軽いもので、ハムとレタスとトマトを挟んだ、オーソドックスなパンのサンドイッチだ。
リビングにおいて、彼カイは腕組みをしたり、ひじをたてて両掌をあわせてみたり、深呼吸をしたりのびをしたり、そんな風にしながら、色んな話しをした。おもったよりも社交的で、絵画の話や、クラシック音楽の話彼は古典文学が好みであることや、あらゆる宗教へ興味を持っている事。かつてあった文明のロストテクノロジーの歴史への興。、文化、芸術とそのなりたちや哲学を読み解くのが彼の趣味である事。そんなおり、ふとカイは彼の言葉をさえぎって、冗談まじりのようなふうに鼻で笑いながらこんな言葉を少年にはいた。
「俺のしたこと、迷惑であるとは考えていないのか?」
「いえ、だって、僕はすでに死んでいた可能性すら、ありますからね」
彼が語りたがっていることは、彼の過去のこと、そしてきっと、一度目には隠されていた彼と、エメとの過去の事だとその時おもった。
エスピィミアという肩書をすてた覚えはないこと。文化も芸術も、クラッシック、古典的なものがすきで、そこには読み解くのに簡単なひとつのモデルがあるという。それらはすべて(死生観)を伴った表現であること、彼はその中に現代との典型的な違いを見出していた。
多彩な趣味、関心をもっていたカイの話はおもしろく、ケヴィンの中の偏見を別の形に消化した。そして何よりも気になっていたこと、やがてその話のひとつひとつと関連づけられるように、彼の頭ははたらき、少年へ言葉として届けた、義賊という過去。彼らの末路について、徐々に語られた。エスピィミアの“黒鳥”という、彼のもう一つの過去について。
ガタン、カランコロン。
扉の音に続き威勢よく店内に響くドア・ベルは、よく整理された飲食店のシンプルイズベストの店内をさらに印象づけた。
南地区片田舎のはずれの喫茶店には、昼間といえど人はまばらで、際立って人気の店でも、穴場というわけでもないごく普通の、田舎の不思議な店名“喫茶ユーモア”のなんてことない日常がそこにあった。ベルノルトは午前10時にはそこについていて、遅れて来た老人をまねきいれた。
ヴラドは白髪でめじりをさげた優しそうな老人。しわは中央に楕円形に細長くたてに伸びる。しかしその老人が時に血相をかえて鬼のようなスガオを見せる事を、その店の奥で、すでに待ち受けていた待ち合わせの相手はしっていた。
すっと立ち上がり、奥の左、丁度お手洗いを右の突き当りに見わたすことのできる位置にセビロ・スーツの彼は座っていた。そして立ち、ぴしりとスーツを整えると、通路側にたち、玄関口へこくりとあいさつをした。
「ご老人いえ失礼、ヴラドさん。ベルノルトはこちらです以前一度お目にかかりました、ベルノルトです」
ああ、そんなふうに溜息まじりに会釈をした。紺色のスーツに身をまとった老人は、まるでダンスパーティに参加するためのおめかしでもしてきたような様子だった。それにゆらゆらおぼつかない足元に、辺りを見渡す姿はどこかおびえた様子。無理もない、自分の立場を想えば、しかし、実はといえばベルノルトはこういう事は得意だ。たとえばビジネストークやら、商品のセールスやら。彼はかつて、ごく普通の社会人として表社会でごく普通の一般企業でサラリーマンとして働いていた経験をもっていたし。だからこそそれらの経験は豊富にあった。主に営業、トークに自信はある。もちろん、こういった状況自体はとてもやりづらい事なのだが。
ずかずかと音をたてて近づいて来た老人は、木の机をへだてて一礼をした。その角度はひときわ深く、何かしら意味深長な様子を帯びていた。その後ベルノルトは、老人からこんな言葉をきいた。
「あの時は、すまなかった」
そんな言葉をきいて安心していた。着席を促すと老人は再び深くおじぎをして、その動作に謝罪の意を込めた。
顔に焦点をむけると、老人はぼうっとたちつくして、その後目線をさげて、すっかり自分の前、出口側の座席に座った、そこからも向って右にみえるガラスのショーケースのような大きなガラスをみわたせた。さがりまゆげに動くとほとんど線状になる細くきりりとした瞳。短髪で逆三角形の老人の輪郭がみえた。
「まだ頬は痛むかい?」
理解できない裏社会の住人にたいして優しく発せられた言葉は、それを肯定するというよりも反発する意識を内包して、自分を自制するかのような、声の震えをともなっていた。老人の深くきざまれたしわは、筋肉が口と鼻もとをおおい鳥のくちばしの形ににて楕円形になっていた。もはや口元しか見られなかった、痛みはなかったが、不条理さは感じざるをえない。
(たしかにそもそもが、組織の中で、コンシリエーレより地位が劣るはずの、カイの暴走によって起きた事件、そのしりぬぐいに、関係者の保護者へ謝罪にきた前回の出会い、その時なぐられて、気を使ったのだろうか?しかし、それが初めの一言とは、前にあったときは、ケヴィン少年を返せと殴りかかってきた人だが……今は印象が随分違う、気がおかしくなっても、表情をかえず、落ち着きをたもっていそうなものだが)
きまずい沈黙、しかし、コーヒーを一杯のむと二人の間の沈黙は少し形をかえた。
「うまい……ここのコーヒーはやはりいい、しかしカフェ・モカも格別だ、君も今度たのんでみたまえ」
「は、はあ」
ぎくしゃくしながら、二人は話を徐々に軌道にそって動かし始めた。そこでやっと、単刀直入にベルノルトは“ある事”を対面にすわる老人に質問してみせた。店内には、せわしなく片付けをする店員と、退屈そうに通用口に佇む厨房のコックの姿がみえた。
「ケヴィン少年に“ある症状”がないかをお聞きしたいのですが」
「ある症状とは、もしや“COA,CLO、あるいはサイボーグ手術”に関係のある事かい?」
「はい、ど、どうしてそれが??」
紳士な質問に見えて、ベルノルトは探りをたてた、やはりこの老人がただものでもない、あるいは思慮深い人間であることを感じざるをえなかったからだった。
「かつて、“サイボーグ化した人間が見るという夢”といわれていたもの。(アーキタイプ・ドッペルゲンガー)”とよばれる現象・症状。
サイボーグ手術をした人間にはまれに、その以後、時折いもしないもう一人の自分の声を聴き、手術した部位の感覚を強く感じるという症状が現れる事がある。“幻覚、幻聴”の病気といわれる。この病気の生じる以前、サイボーグ手術に関係なく、医療では手足や、ある部位をうしなった人はあるはずのない部位の感覚を感じ、痛みを感じるという医学的な症状を発する事はあった。それには別の病名がついている。だがこれはそれとは異なるものだった」
老人は言葉をつまらせた、やはりきまずさがありそうな様子であった。
「う、ううん、“その症状”があるかどうかなんて、そんなもの、一番近くでみていた私がな」
そもそもがサイボーグ体は、ヒヒイロカネを動力にして、かつ組織体として使っている。かつて滅びた文明の遺産だ、未知の部分があるうえに国際組織UAにおいて“サイボーグ関連条約”によってわざわざ科学に未知の“ブラックボックス”を規定している。だから一般人には未知に包まれた部分が多い。その症状さえいったい何を意味し、どんな症状をもつのか、現代の地球医学でさえも深く知る事はできない。それもこれも、科学や再生医療が発展しすぎないためなのだ。
「ああ、なかったよ」
ケロッとして、ケヴィンの昔話をする老人が目の前にいた。そんな中、たったこれだけのことを、なぜベルノルトに頼んだのか、カイのことがやけに気がかりで、いらいらとして、老人と話すあいまに、独り言をぐちっぽくつぶやいた。
「何を考えているんだ、カイは、俺ならもう少しうまくやるのに」
「何かいったか?」
「いや、こっちの事です」
からん、からん、コーヒーカップにスプーンをまぜる手が間接的にふれて音をだす。
「なあ、最後にこの言葉を伝えてくれないか“ケヴィン、お前の幸福と健康を祈る”と」
「オッケー、わかりました、ミスターヴラド」
簡素な返事だが、前回の出会いでのエピソードもあったが、その無礼を老人は悔いていた様子だ。そう、実際に誘拐したは彼ではないのだからそれにマフィア相手に、一介の老人でしかない彼に何ができただろう、人知れず、カフェ。ユーモアの店内でたたずみ、ベルノルトを見送った老人は、再び人のいない店内の奥の手ごろな座席にすわり、こまったように八の字にまがるまゆをしわにあわせてゆがんで、しずかに彼は眉間に左手の人差し指とおやゆびでもんでマッサージをくわえた。
廃拠点“ファラリス”では、お昼すぎ、15時の鐘がなり、コーヒーとセンベイを机にならべて、一人の大人と、一人の少年が向いあっていた。カイはいつものように本をよんでいる、それが彼のスタイルだ。そしてときおり必要な事を話す。カイはふと、その手と目線をとめた。
「カイさん、お砂糖は?」
「ああ、甘い話しは嫌いなんだ」
ふと沈黙が流れる、冗談は言わない人かと思ったが、しかしそれとは別に、カイは申し訳なさそうにこちらをみていた。
「冗談は別に、僕はかまいませ……」
「少年、“ゴースト”の事だが」
カイの様子をみて、憂うような表情のケヴィンの心には不安が満ちていた。
「今、ベルノルトに調査させているからな、きっと無事だ」
ふう、と息をつき胸をなでおろす、優しい少年の姿がその場所にはあった。だからそれにつぐ言葉も紳士に受け入れたのだと思う。
「明日、ボスが来るんだ」
突然の事で一瞬、目を丸くした少年だったが、カイの落ち着いたしぐさと一点をみつめ、ものおじをしない姿勢に魅了され、ただ、はい。と快活な返事をした。




