創られた不自然
11月17日、午前6時頃にはクローファミリー拠点コリュバーン、すぐ前の街並みでは、商店やコンビニ、オフィスビルが通常の仕事の準備をはじめていた。警備員が交代し、シャッターが半分あけられ、通勤準備をする会社員や繁華街の商人が起きだしている時間帯だった。
クローファミリーのクローは、ただその時をまっているだけだ。セナは、最後の確認を取りにボスクローの住まう、地下拠点1Fへと移動する。ボスはもはや、蚊帳の外だった、クローファミリーの幹部やコンシリエレ、まとめ役以下は、だれもが自分勝手に振舞い、あるいは時折、重火器をいじって今日の朝行われる、クローファミリーとジンクスファミリーの構成員による一騎打ちを楽しみにしている。
《どんな事になるかな?》
「そもそも敵っていうのが、数人の男女だっていうぜ、いくらジンクスファミリーとはいえ、“地下闘技場の秘密兵器”にかつ事はできないだろう」
「科学者たちが開発した“赤い鬼”たちの出番も楽しみだ」
コンシリエーレ、セナは、自分だけ小さな一室で、5畳ほど、手洗いと寝食のスペース以外には何もない、その場を去る最後の準備をまとめていて、生活用品すべてと、重要な書類をスーツケースにため込んでいた。すぐその場を出ると、緊張した面持ちで、髪を整え、コンシリエーレの会議に向った。
同じ建築物の会議は地下3fで行われていた、スーツ姿の男たちが、面白くもない顔をして、しかめつらでむかいあい、発展のないテーマと、進展のない話題をいじりまわしていた。
「我らクローのめちゃくちゃなやり方が許されてきたのは、周囲のファミリーにこれまで、それなりの配慮をおいてきただけだ。」
「いくら、クローファミリーだといえど、決闘する人間の間に入って重火器を使うのは、この先やっていく事はできないだろう」
「セナさん」
「おお、来られたか」
突然ガチャリ、とその一室のひとつしかないドアがあく、セナの部屋の二倍はあろうかという室内に、パイプ椅子と長テーブルがならべられて、四角い形に配置されていた。
「おはようございます」
一礼をして、セナが入り込む、言葉すら必要がないほどに、その顔は自信が満ちていた。ガヤガヤとうるさい地下3fの室内を、穏やかな空気を運ぶほどの、彼には、統率力が備わっていた。
それから数分がたった。
「私は、今のやり方で構わないと思います、私たちにはまだ策はたくさん残されている、彼らに一時盗まれたクローのデータ、そしてジンクスファミリーの汚い交渉の痕跡さえ、他のファミリーに提示すれば、われわれ“幹部”連中は、まだ闇社会での行き場はある」
クローファミリーの会議室、地下3fの幹部会議場、その日、コンシリエーレのセナから語られたすべては、その場の雰囲気を一転させた、それがクローの最近のすべての事実を内包し、全ての秘密を打ち明け、そして幹部のこれからの身の振り方を新しく与えるものだったからだ。誰もが唾を飲み、言葉を失った。
「ならば、ここを捨てる……“エスピィミア”には、組織を壊滅させるほどの力と、手腕があると……?」
「いいえ、“呪い”といっていいかもしれない、これまで“エスピィミアの黒鳥”がかかわってきた組織はすべて、壊滅に追い込まれている、彼は、何かの業を持って生まれて来たのでしょう、それが正義とも悪とも呼べるものではないので、私は敬意をこめて、少々オカルトじみてはいますが、彼には“呪い”があるのだと信じます」
午前7時、ファラリスの玄関ぐちで話し声が響いた。小さなスーツケースと、スーツ一式、カイは準備万端で、庭を背景に奥でリュックを背後で背負っているのは、ジルだった。もう振り向く事もなかった。その二人に玄関の中から、ロム石がといかける。
「本当に何もいわないでいくのか?」
「ああ、そのほうがいいだろう」
がちゃん、と扉が閉められた、細かな作戦はこの後、ベルノルトが加わる事になる、ロム医師も予備戦闘員となっているが、ほとんどそれは形だけのモノ。ジンクスファミリーからは、支援部隊として6人の戦闘員が派遣されるらしい。
《いよいよ、クローファミリーとジンクスファミリーの構成員同士の、ケヴィン少年とゴーストに関する決着が行われる》
ロム医師とベルノルトだけが室内の、リビングにとりのこされた、テーブルにカーペット、自然の絵の飾られた絵画。ベルノルトはほとんど関心がないように二人を見送って自分とロム医師ようのコーヒーをキッチンにとりにいった。そしてコーヒーをいれると、のっそりのっそりリビングにもどってくるロム医師が廊下から入ってくるときに、それを手渡し話かけた。
「まったく、あいつは最後までむちゃくちゃですね、ここまで巻き込んでいて」
ロム医師が、愚痴っぽいベルノルトの肩をたたいた。
「人間はたった一人では、自分の考えている事も整理ができないし、自分のだした思考やアイデアが正しいかどうかすらわからない、私はあいつが正義や悪意に対する迷いを持っているのもわかるし、しかしあいつだけがもっている、それに対する結論もあるのだろうと思っているよ」
「はあ、そうですか、僕には優柔不断なだけに思えますが……」
「そうともいうかもね」
そういってロム医師はわらった。ケヴィンはまだ眠りつづけていた。
暖炉の火はこうこうともえていて、寒い景色を映すベランダを背景にしても、部屋の中は暖かく、朗らかな気分になった。
「わからんよ、カイの考えのすべては、ただ……」
その後も言葉にはださなかったが、ロム医師にはカイの考えがわかるような気がした。ケヴィンは、この拠点の中でさえ、いつものように繰り返すアラベラの音楽を自分の毎日の指標にしたように、カイは、暗闇の中から自分の善意を導き出す事にたけていて、こだわっているという感じもした。しかしなぜ、その反面、その見返りと言っては何だが、導きだされる幸福が確かな形になる事を確信することを期待している人のだ。少年はそうも思った。だから、理不尽な事件に巻き込まれた少年を放ってはおけなかったのだ。ただ腑に落ちない事もあった。ロム医師もそんな話をケヴィンから聴くにつれ、それはどうやら、カイの周囲にカイの存在をしめし確定させるのに十分な“彼の善意”の所在を明らかにするものらしいことにきづく、だからここでこんな話をした。
ベルノルトは、冷ややかに言い放った。
「あいつは、人の期待に応えられないだけだ」
ただ、とベルノルトは続ける
「腑に落ちないのは、どうして奴は自分の事を“悪人”であるといいきるのか、それが奴の首をしめていないか」
「そう、そこなんだよ」
少し、昔話をしよう。そういって、ベルノルトにたいして、ロム医師はある話を聞かせた。
「大昔の事、ケヴィンと同じような、何の変哲もない普通の家庭があったとする。彼らは普通の家庭における普通の喜びを、普通に享受するはずだったし、彼もまた、普通の人間だった、それがある日、あるスリ師によってか、あるいははたまた、ある殺人鬼によって幸せを奪われた。普通の家族の普通の一員であった彼は、その瞬間に幸福が彼の手をすりぬけてどこか遠くへ行く感触を覚えた」
「彼の抱いていた愛は、偏執し、孤独となり、半分は憎悪となった、誰でもない自分への憎悪、それを彼は“悪意や、悪、また自らを悪人と名付ける転機”ととらえた、彼はまだ当時5歳、生きるすべをしらぬほど幼かった。頼れる大人も、親戚もある事情で、もういなかった、だから悪に手を染めた。はじめはスリ、盗み、本当に小さな万引きだった。しかし徐々にそれが、悪へに対する正義の鉄槌に思えて来た、備わっていたはずの倫理観は、彼の幼少期のある日を境に、くるってしまったのだ、なぜ家族を通して、世界に愛を抱いていた自分が、落ちぶれてしまったのか、無関係な悪人のてによって不条理に巻き込まれてしまった事にすべてが原因がある、全ては、彼の幼少期に起きた出来事だ、まずは、俺の話を聞いてくれ」
「いいさ、どうせあいつの話だろう」
ああ、とまたロム医師も冷ややかに言い放った、この話が同情を求めていない証拠だった。ロム医師も、ベルノルトもコーヒーを見て、今付けたテレビを音楽代わりに、昔話をした。
「彼がなぜ、悪人からみた正義に依存するのか、その初めの指標をたてたのは、私だ……しかし、もっとも彼の答えは決まっていて、子供だった彼に、その先の少しの善行について諭しただけだった、彼の信念はそれよりも先にできていた、偶然に、必然に、だが私は小さな彼にこういった“善い行い”を諦めてはならないと」
ベルノルトは、唐突に始まった長くなりそうな話に少し咳払いをしつつ、ロム医師との会話の糸口に当たりをつけていた。
「驚いた、そんな昔から知り合いだったのか」
コクリ、ロム医師は返答もなくうなずいた。
「私と出会ったばかりの彼は、愛を喪失していた、すでに彼を救ったある人間からの愛をも失い、瞳からは生気を感じられなかった、愛を、抱くことへの恐怖、失われた愛と、悪事を働いた同族の人間に対する恨み、それだけがあった」
「悪人に対する恨み?あいつは、半グレみたいに生きて来たんだろう?たとえばゴーストみたいに」
「違う」
ロム医師は、自分の体をリビングのベランダのそばに移して、カーテンを完全にまるめこみ、おりたたみ片付けながらいった。
「彼は、初めて家族を失ったとき、ある人間に救われたんだ」
「???犯罪者か?」
「そう、別の犯罪者だ、殺人などではなく、軽微な犯罪を起こす、犯罪者、そいつがスリ師だった、だがそのスリ師が、家族が押し掛けた殺人犯と出会う動機、その、ある日出くわした不幸にであうきっかけとなった人間だ、彼はスリ師に救われたことで、同時に自分に罪をかしてきた」
「なるほど」
ベルノルトは頭を抱えた、だが大体の人物像がつかめた。
「その犯罪者が、あいつに関わり、あいつに犯罪をおしえこんだ、その上で善行を教え込むような悪人だったんだな」
「……少し違うが、似たようなものではある……」
ロム医師は、少し、ソファーに腰をおちつけて、テレビのほうに目線だけをおくった。
「 そもそも彼がある殺人事件に巻き込まれてな、休日だったためピクニックに行く予定だった、もともと、彼の家族はその途中で、軽微な犯罪にまきこまれていた、それがスリだ、それも関連して、家族たちは忘れ物に気付き、その後彼ら家族は出掛ける途中で家に帰る用事ができて、家に向かう事になる違う状況に出くわしたんだ 」
「それが、殺人……」
「ああ、強盗殺人……という事になるな、彼ら家族は、強盗にでくわしちまった、運悪く……」
ベルノルトは、その程度なら彼やジンクスファミリーのボス、アデルから聞いたことはあった。しかし、スリ師の話までは聞いたことがなかった、話しの流れからすると、カイはスリ師に悪意を持ちそうなものだったが、それよりも、ケヴィンは自我を喪失していたのだろうか?身内の死を、それも不条理な死を目撃して、大人だったベルノルトに、そんな事はわかるはずはない。そんな気持ちなど。
「家族の目線は悲惨なものだ、まずは一人二人、大人からやられた、小さな彼の妹は最後だった、彼は呆然と立ち尽くし、もう死んだようにあまりに呆然と立ち尽くしていたので、殺人犯――もともとは物取りだったろうが――、それをまるで掌の中で奇妙な動きをする小動物のようにみつめた、スリ師は、その家族が引き返したのを不思議に思い家族の後をおった、彼は自分の軽微な罪にも最新の注意を払うほど、神経質な人間だった、そして彼は家族の悲鳴を聴いたんだ、その家の目の前で、すぐさま駆け付けたスリ師は、目の前で大きな犯罪が行われたのを目撃し、そこに居合わせた少年一人を、救った、無我夢中でそのスリ師は、強盗犯に立ち向かったそうだ、そこからが、そのスリ師とカイとの関係の始まり、そして彼が、犯罪者や、不義の中から正義の道を見出そうと、そんなバカげたアイデアを思い付いたきっかけだ」
「な、そんなバカな話聞いたことはないぞ……」
報道はなかった、当たり前だ、いまですら、その事実を知っているのはカイくらいだとロム医師は思った。
「 そして、彼を救った犯罪者は、愛に対して鈍かった、彼のおいたちもストレートチルドレン、生きるすべも這い上がるすべも知らない、故郷すらしらない、ただ世界によって施しを得て生き延びた男だった、彼もまたみなしごだった、彼があまりにも愛をしらないので、愛をうしない、感情に鈍感になったカイは、彼をよりどころにしてしまったのだ 」
「……」
ベルノルトは唇に親指を立てて、拳をにぎった、不服だった。不服だからこそ納得できる部分もある。あいつと、自分は違う。だからこそ、カイに対して敵意を持っていたのだと思う。
( それがケヴィン少年を救った理由、少年と自分を、区別さえしないというのか、人の正義と人の不義の判断を人に委ねようとしているのか?それこそがあいつの業じゃないか )
ベルノルトは、部外者ながら、そんな事を想うのだった。
しかし、いわなかったがそれに対して、ロムはこの時点でも真逆の考えをもっていた。
【彼は、彼の正義が不義と必ずしも関わりがないという事、彼はかつて、ロムに打ち明けた、彼の中の苦痛を、悪と正義の葛藤を、幸福な人生のほころびから悪が生まれた、そして不義は生まれた、だから自分は、排除された側だと、それでいいんだと、それを救いだす事ができても、それに戻る事はできないのだと、だが彼は幸福をすでにしっている、諦めてはだめなんだ】
早朝、フォレスト・ベーレは静かだった。あれから、大家ジル(エメ)がいなくなってから、時折エメの関係者だという代理人を名乗るスーツにサングラスの男が仕事をしにくるくらいのものだ。
ケヴィンの祖父のヴラドも、大家が最近姿を見せない事と、今度の事件の関係性をかんぐるほどに、事件の全体像をしらないし、水やりをする人間のいなかった庭木や鉢の花たちの世話は、時折アラベラが行うくらいだ。アラベラは、最近歌を歌わない。きっとケヴィン少年が帰ってくるものだとおもっていたし、そのためにひびを全うしていた。だから約束などいらなかった。それよりも日常が慌ただしく忙しく、それでよかったのだ。たとえ少年が戻ってこないとしても。
午前8時、東区のさらに辺境の人気のない荒れ地に、カイは車をつけた。そこで少し、運動が必要だったのだ。あとから“仲間”と落ち合う約束もつけていた。アデルの支援だ。
拳銃の動作、毎日のトレーニング、軽いランニング、その様子を車のドアに肩手をのせて、そのそばでジルはみていた。
カイには、ただ確証がもてなかった。かつて自分が所属していた居場所は、全て自分の手の中で壊れて行った。その生活はあまりにも短く、幾度となく自分の居場所を失った。それがすべて自分のせいだと思う所はある。なぜなら彼の中で初めに壊れた幸福が彼を深く傷つけたため、彼の心で、幸福を求める事が、何か不幸のトリガーになるのではないかと、彼は思っていたからだ。
ジルとのことも、優柔不断な結論をもっていた。彼は、ジルと向き合えただろうか?
(なあ、いつか、ロム医師にいわれたことがあるんだ)
(なあに?)
(俺が人生の中で、隠された地位にいて、悪事を働くことも、正義を働くことも、そのどちらも、俺の中で決められたことで、俺が選んだことなんだって)
(ひどいじゃない)
そうかな?としか返せなかった。なぜなら、ロム医師にとって、それはいつだってカイは自由なのだという事がいいたかったのだろうから。
武術の形のようなものを披露すると、ジルはカイに、それによってジンクスファミリーに認められたかと尋ねた。カイは、ふっと笑いながら自分も君も変わらない、とにこやかに答えた。それからしばらくして、カイはやっと高鳴った心臓を沈め始める事ができた。急に運動をとめてはいけない。いよいよこの場所を離れて、向かう場所へと車での移動が始まる。
『そろそろ準備よ……』
『ああ』
ジルから呼びかけられた、カイはその急なリラックスの間に、少し自分の呼吸を整え、今日の任務の整理をする。そのうちにも“アーキタイプ・ドッペルゲンガー”の影をみた。彼は、ジルの隣にいて、談笑をしているようなしぐさをしている。しばらくしてカイのすぐそばにきて、何事かささやき始めた、それは悪い誘いの様に感じられた。ジャンキーのように手を前にだして、ラップをするように言葉をはく。
「なあ、お前にとって集中って何だ?この人生の重要なときに、お前は緊張によって自分を破壊しようとしている、お前はバカか?アホなのか?そもそもが効率の悪い人間だったお前が、そんなものでいい結果を出せるとおもっているのか?」
アーキタイプ・ドッペルゲンガーはいつもこうしてカイに語りかける。カイはそのときにも棒立ちをして、手や足のストレッチをしている。車とは3メートルほど空間がある。ヒヒイロカネを使う人間が見る幻想。ほとんど強制的だ。あまり知られていないことだが、カイは、つま先を二回ならすクセがある。それはとくに重要なものに立ち向かうときに限ってだ。だから彼はまた、つま先を二回けってならして、けれどその途中で、ジルに話かけられた。
『あなたは、一人でも生きていけるわ』
「えっ???」
「え?……何?」
「いや……」
二人の間に微妙な空気が流れる。カイは、そこにかつて死んだはずの彼女の影をみて、何ともいえない後味の悪さを感じた。もう、優柔不断な考えを巡らせている場合ではなかった。カイは強迫観念にとらわれる事をやめる事にきめたのだ。
午前9時、その日、クローの住まう地下1fの部屋に面会人のごとく訪れた人間がいた。せわしない午前中の事だったため、それは、おしやられるようにしてそうなったのだが、彼は組織の内部を自由に歩き回っていた。赤帽子の少年、ゴーストである。
『今日の午前10時か、セナはよくやってくれた、これで私の面目も……』
思考が何かで遮られている。自分の犯した罪、そして組織のまとまりのなさ、しかしクローにはもはや自我と呼べる自我さえなく、その消失こそが目下の課題にさえ思えていた。単にもはや、彼は意識の限界であるように思える。
その前に少年は、膝を抱えてすわっていた。クローはただ、木製の丸みを帯びた背もたれの堅い椅子に座って、ただなにもすることはなく、腰をおちつけていた。
『すみません』
もう10分ほど前になる、そういって入ってきた少年はここにいて、クローの様子をうかがっている。当のクローはただ一人事を述べ続けているだけである。そしてクローは、しきりに親指の爪を噛んでいた。まるでもうこの世界のどこにも安心できる場所がないような様子だった。
『はあ!!?なんでそんな事電話してくるんだよ!!』
午前9時半ごろ、廃拠点ファラリスに叫び声が響いた。そこでようやくケヴィンはまぶたをぱちぱちと開いたり閉じたりする事ができたのだが、電話の声はどうも穏やかではない様子だった。
『どうした』
『あいつ、しょうもない事で電話してきやがって、あの不真面目さが一番嫌いだ、何かといい嫌いなところはあるが……まったくしょうもないやつだ、これから一大事に巻き込まれるっていうのに』
ロム医師が落ち着かせながら聞いたことは、どうやらカイが、コーヒーをケヴィンに用意するようにとそんなくだらない用事で電話をよこしたらしいのだ。その会話の最中でやっとケヴィンは、昨日と今日でとんでもない事が起こるんだという事を自分が知っている事を、朧気な意識の中で思い出し。さっと起き上がろうとしたが、まるで明晰夢のように起きようとする動作を繰り返しては、自分がいま座敷でよこたわり、眠っているという事実に繰り返し出会うのだった。
ベルノルトには、たしかに嫉妬は存在している。それは、ベルノルトの過去に関係している。かつて彼は様々な企業で人事や組織をまとめる立場を担当し、学歴もありそれなりに有能であったにもかかわらず、彼には人望がなかった。そして運わるく、何度となく会社の倒産に立ち会ってきたのだ。
そんな彼にとって、彼を拾い上げ、そのジンクスを断ち切ると手を貸してくれたのが、アデルだ。ジンクスファミリーの中で唯一何もかもが信じられる人間は、アデルしかいない。
数週間前のこと、アデルに任務を依頼されて、ベルノルトはそのためにクローファミリーとの交渉を売ってでた。そのときに直直に、アデルの執務室に彼に直接たちあって、直談判した事があった。
『なぜ、彼だけを特別視するのか?』
ベルノルトにとって、組織というものの持続と発展が彼にとっての一番重要な関心事であって、そこに少しの余力も在ってはいけないと思う。だからカイはどこかで異物ではあるのだ。
11月17日、その日は休日で、アラベラは朝の水やりを終えて、ショッピングへでかけた。ヴラドは新聞やテレビで情報を得ようとするが得られず、パーソナルコンピューター、またはベルノルトへ連絡を取る事で心の安定をはかろうとしていた。胸騒ぎがした。コーヒーを飲んでもそれはおさまらなかった。
午前10時、時間がきてもカイとジル、エスピィミアは拠点にあらわれない。それもそのはず、ジンクスファミリーが派遣した構成員が色々あり、7人ほど手助けにきたのだが、彼等の車が重火器を所持していて、警察に怪しまれて右往左往していたのだという。しかしそこはナナシの街、根回しによって、アデルが解決した。こういう時のアデルほど力強い味方はいないだろう。やるときめたことは迅速に、連絡よりも早く、連絡に弊害がない範囲でバックアップをしてみせうる。優秀なリーダーだ。
構成員は、カイとジルの護衛という事になっていた。重火器の使用はなるべく控えなくてはならない。これを破れば、どちらの組織も、マフィア社会で生きていけなくなる。《決闘》も由緒正しき、マフィア界の、そのころのパンドラの掟である。
『入口がいる、重火器を持っているのはこちらだけではない、けれど、2人ですね』
ラヴレンチは、その拠点の地下で今まさにパンドラの結晶と名付けられたあの怪しい緑の液体を注射、注入されそうになっているところだったが、大きな物音によって科学者たちはその実験をとりやめた。
『くやしい』
丁度そのころ、エスピィミアの一行が見張りの、拠点の旧雑居ビルのすぐ手前の歩道に控えていた怪しいスーツ姿の男たちを、背後から忍び、急所をうち気絶させ排除したところだった。
ラヴレンチには、かつて滅びた村と、その再興の野心とがあって、このパンドラに生きていたのだが、かつて愛したともと、恋人関係になっていた幼馴染の裏切りに合った。それでも思い出せば、その二人を村から逃がすように誘導して、自分は村にいて、諸悪の根源を断ち切ろうという思いがないでもなかった。
しかしどこかで信じるものがあるからこそ、村を取り戻そうという気持ちにもなれた、が、今年になって聞いたのは、あの一体がパンドラの国有地と化して、村が取り壊されたという話。ユアンという男の行方も、ラヴレンチの父の行方もわからない。
ラヴレンチは立場上、本当に危機的な状況にはであわなかったが、しかし大罪と危険を冒して二人を逃がした。
ラヴレンチの父は、そのラヴレンチのつみによって、それを大義にして、祖父を殺す事をラヴレンチに命じた。そのころの記憶はもう、ラヴレンチの中には曖昧なままであり、それが女性に対する嫌悪と、自分の持つ技と伝統に対する嫌悪となっている。燃え盛る炎の中で、父は《通過儀礼》として祖父をラヴレンチの手によって屠る事を命じた。……。
いつかは、父もユアンも自分の手で葬りさる。しかし、それ以上の因果は、今のラヴレンチにはない。ラヴレンチにはあのユアンという退屈な悪魔が乗り移った。
ユアンはよそ者だ。だから感傷などない。ドグ村の繁栄と勃興、それらすべてを、単なる“流れ”としかみておらず、自分さえも存在する意義を失い、ただ権利と権力だけを求めて、奴はラヴレンチの父を唆したのだ、よそものによって、時代がすり替えられてしまった。その衝撃に対する復讐心だけが、今のラヴレンチを生かしていた。
《廃拠点ファラリス》では、ロムとベルノルトがまだ話をしていたが、次第に次の準備を始めるべき状況になってきていた。アデルからの連絡によってベルノルトはせかされ、本来《決闘》には立ち合い人はおかない規則だが、アデルの指示によって、ベルノルトはそのすべてを記録せよとめいじられた。
もっともすぐに、10時から30分もたたずして、相手方の拠点に到着する予定だった。不測の事態を避けるために、護衛は多いほうがいい。アデルはずっと、一構成員同士の争いで決着をつけるつもりだろう。しかし、ベルノルトにはきっと、カイから何かを学ぶ事を命じたのだと彼自身が思う。
『一体どのくらいでかたがつくのだろう』
そうぽつりというと、ロム医師は意外にも早く返答をよこした。
『やつの装備は30分と持たない』
思わずベルノルトは聞き返してしまった。
『え?何?何て言った?』
『やつの、カイの装備は、超高度な技術を使ってある、それも“失われた文明”の禁じられた技術スレスレのものだ、やつの特殊な血液とも関係しているが、な』
気になる所はあったが、それよりも、ロム医師のまるで当たり前の事を話すようなフランクな態度に疑問が持たれた。一体どういう事なのだろうか。どういうつもりで簡単にそんな事を言い放ったのか。突き詰めてみる事にした。
『本当にカイに勝機があるのか?それであんたはそんな粗雑なものを彼に私たのか?』
『さあな』
……ベルノルトは立ち上がり、テーブルにてをあてて口をあんぐりとあけてみせた。
『ともかく私はそのためにいるし、やつもそれを信じているからこそ、技術ばかりを当てにしていない』
なるほど、考えてみれば、エスピィミアとはそもそもが命知らずなものだ。しかし、カイのエスピィミアの防弾装備と、ヘルメットのような形をした仮面を見せてもらった事があるが、あれは特別頑丈な金属らしい、万が一の場合にも命はあるだろうが、相手は何をするか分からない相手である。そのときベルノルトは初めてこの作戦の無謀さと、アデルのカイに対する責任の取らせ方、その重さをしったのだった。
10時20分ごろ、カイとジルと構成員7名が、ようやくクローファミリーの拠点に到着した。表向き、雑居ビルで各フロアが別々の会社が営業している事になっているが、実質はクローファミリーがすべて管轄するエリアになっている。
『誰もいないな』
エントランスフロアの小さな扉がひらくも、屋内に人影はなく、右側と左側に柱を中心として廊下がつづいていた。
カイとジルはすでに“エスピィミア”として白い鳥と黒い鳥の仮面をしていた。民族衣装のような堀の深い、それでいて幾何学的な模様で、むしろ目立つためにその無謀さを象徴するような異形の形。彼等は重火器をもたなかった。その代わり、ジルはその腰のポケットから小さなビンをとりだした。あのとき、ケヴィンを救ったのと同じものだ。
別れた路の奥狭苦しい中に2メートルほどの鉄扉があって、装飾も何もないシンプルなものだったが、二人は確実に異変を感じ取っていた。
『この先、複数人の足音がするわ』
『わかった、臨戦態勢をとろう』
彼らの背後でも、重火器の安全装置を外す音や、リロードの準備をするような音が聞こえていた。
確かに敵の部隊は20名ほどが待ち構えていた。その扉の奥に、トラをたたえる鉄の彫刻のもりあがった鉄扉があり、それが今の扉よりもはるかに大きく、ビルの後方へとつながっている。見たところ駐車スペースはなく、その分だけ奥行きにゆとりがある、その扉のはるか後方で、ゴトン、ゴトンとエレベーターの鳴る音がしていた。
『《よく来てくれた、君たちが“エスピィミア”だね、ここからはよく見える》』
別の空間からしているだろう監視している人間の音声がきこえた。空間に響きわたるよくとおる声で、若い男の声だった。
『まずはいくつかの質問に答えてもらおうか?』
彼が、誰だ、彼女がだれだ。という質問のあとに、敵は引き連れている連中の事をことこまかにきいてきた。
『きみたちは、何をしにきたんだ??彼等をひきつれていて《決闘》などといううたい文句や大義名分をかかげるのか?』
そんな敵のせめるような、疑いの眼で人をなめまわすような言葉にカイは耳を傾けなかった。けれど、変わりにこれまでの積もる思いがあり、いまこそがその発散の場であるかのように声をいれるまえに大きく息を吸って、その呼吸をはらにためて、次に放った言葉が怒号と聞きまがうような凄まじい響きとなった。敵よりもよく通る、生の音声だった。
『 悪人には、悪人の通りがある、その中には正義が存在してはいけないという“道理”もない、一見矛盾することではあるが、悪人は悪人の仁義を持つ、であるため、君たちの行いを“粛清”しにきた、これは私刑だ、正義の断罪だ 』
カイがその文句を言い終わるか終わらないかの間に、相手も負けじと狂人のような大きな通る声を発した。
『 だはははは、ははははは、あっはっははは!!はははあ!! 』
まるで無理に笑いを込めたように、その場の多くある過ちを自分ひとりだけが知っているかのように、どこかでこちらの様子を見ているだろう人物は、一人だけが楽しんだような笑い声をたてた。
『 そんないいわけなど、この場に何の意味があるだろう、どちらが悪どいか、ずるがしこいか、ただ、それだけだろう? 』
カイは、もはや張り合いを別のところに見出したように、その言葉にかぶるように鋭く言い放った。
『 確かにな、扉の前の軍勢は、この場には不適切であるため、先行して始末させてもらう 』
『 ナッ!!!? 』
爆音が鳴り響き、つぎにカイとジルがよけたその先に、マシンガンの一方的な射撃音が響いた。それらはカイとジルのつれていたスーツとサングラス姿の味方達のみせた、凄まじい速度の不意打ちだった。
ロム医師は遅れていくといっていたが、ベルノルトは車に乗り、もう10時半過ぎには目的地についた。
しかし、すぐに車を降りるのをためらった。何か凄まじい物音がしたからだ。いくらカイでも、100人以上いると思われるクローファミリーを一人ですべて処理する事は出来ないだろうと思われた。先ほどロムから“対サイボーグ人マフィア”の弱点をおしえられてから、よけいにその焦りが大きくなっただろう。
しかし、カイに対する周囲の信頼は漠然としながらも、莫大な大きさをもっていた。まるでカイ自身が、それを彼とその他世界との接触の間にあえてそうして振舞いたような感じさえも推察されるようだった。彼のしぐさ、言葉、思想、そのすべてが一見受動的にみえて、他者がそれに接触する機会を待っているようでもあった。ここにきて、ベルノルトはボスアデルの言葉をたよりに、彼の特性を導き出そうとしている。
『あいつは、たしかに単独行動をこのむ傾向がある、だがカリスマというものは、実際人とは違う考えをもち、その考えを他者に理解されないという事さえ理解しているからこそ、苦悩するのだ』
『なぜ、彼は人助けを?それも組織の手助けもなしに、まず助けようとおもったのか、全てが謎ですよ』
時折仕事の合間に、アデルは話してくれることがあった。アデルはそのときもくせのように両手をくんで、胸をはったまま机の上において姿勢をぴんとただしていた。
『彼は敢えて自分を追い込んでいる節はある、もう本当に、彼の信じることはこの世では実現できないとでもいうように、彼は実直であり、それゆえに歪んでいるのかもしれないな』
……彼が正義を求めているのは事実だろうと思われる。それにはベルノルトも同意している。なぜだか彼の危機を間近に、身近に感じてこそかれの奇抜さと、奇抜さ故のストレートな誠実さを理解できる気がするのだ。ドライブの途中で、ゆっくりと軽くハンドルを左にきってつぶやいた。
『きっと正義は実現できない、彼はその露出をしたいわけじゃない、その実現できない理想に近いものをただ自分の出来る範囲で守りたいだけなんだ』
しかし彼等の思いとは別に、束縛されたままで救われるケヴィンの心情は別にあった。ふと目をさますと、今までの数人のスーツの男たちがいたが、他の誰も廃拠点にはいなかった。ただ空しく思ったのだったが、ロムが書置きをして、ロムの仕事場で待つというので、三人の構成員に連れ添ってもらい、マフィアグループの車と思われる車両で移動をすることにした。
『う、うう』
目をこする、やはり昨日飲んだ飲み物のいずれかに、睡眠薬がまざっていたんだ。未だにケヴィンの脳裏には、幸せな男女と浜辺の光景が目をよぎるのだ。
ケヴィンは助手席に座っていたが、車内で後部座席に座っている一人の構成員が、これをもっているように、とあるチップを差し出した。
『これは何ですか?』
『いかがわしいものではありません、ただこれを持っている限り、あなたの安全は保障されるでしょう、あなたは体の一部をサイボーグ化しているという、いくらかストレージが余っているはずです、コピーをしておきなさい』
『ドドドドド』
廃拠点の奥で、というより扉の開いた奥では、足音が階下つまり地下から響いていた。またたくまにピストルや盾をもっている色々な格好をした男たちがのぼってきた。けばけばしい原色が目立った。
すぐに躍り出た黒き鳥の時計内部機構のような装飾をあしらった仮面をつけたカイが、7人の構成員を手で制した。
『まて、援護はするな、少し遊ぶ』
そういうと彼はすぐに右に展開した。エントランスは入口よりも開く、鉄扉の先にあった。そのさらに奥に左右に地下へつながる階段があるらしかった。地面はつるつるとした石のタイルが並べられている。
その間、5分、カイが今や彼の護衛であり部下ともなった7人を制してその7人が、いかにするかという話をしている間にも、拳銃の押収をくぐりぬけ、彼の体のあちこちをカバーする防弾らしきサポーターで防御しながら、一人ひとりまるで遊ぶように、彼のエスピィミアとしての性質か、秘められし黒鳥の体術で裁きはじめた。踊るようにアクロバティックに、空中を前回転しながら、軸もぶらさず、銃口をさばきはじき、確実に敵の頸椎や、顎、頭部に打撃を加えて打倒していった。
『ふう……』
ざわめくのは敵ばかりではなかった、ジルも、柱に隠れながらも棒立ちをしていたし(部屋の中央はよく見るとつきだして左右にコの字がたにでばっているため、隠れるのは容易だった)護衛の構成員ですら、マシンガンを構えてはいるものの、彼の合図がでるまで、なすすべがないといった様子だった。
(まさか、これからすべて一人で相手をするつもりか?)
しかし組織の崩壊は、彼等“エスピィミア”が思うよりもはるか昔から、長くつづいてきたくすぶり続けてきた不満が発露した結果でもあった。地下よりもさらに地下、地下4fよりも下へ続くみちがあり、それは秘密の脱出経路だった。その前に重役だけが抜け出していた。
『こんな事ならもっと早くボスを説得しておくべきだった』
『どうします?セナさん』
ざわめくコンシリエーレや、重役のまとめ役たち。スーツの大の男たちの集団がまるで統率を失った鳥たちが逃げまどう電柱の風景のように、もうとりとめもなく浮足立っていた。
【くっそ、こんなに早いとは、早く封鎖をしろ!!この地下通路を知られてはいけない!!】
それからの事は、ロム医師はこう振り返る。“希望と絶望”が交差したのだと。ロム医師は少し用事があったので、カイやベルノルトと少し離れて、表の社会で知られることを嫌う、訳アリの患者たちが集う闇医者として勤める診療所にいた。ケヴィンが午前の10時半にロム医師の診療所にやってきて、荒い息をたててカイの行く先を訪ねたのだ。
どたどだどたどだ。
外で音がして、受付のロボットが外にでた。わざとらしい暖簾をくぐると、小さな体がスーツの男の前にでて、まるでくってかかるように起こった表情で足音をたてて受付の奥へながれこんできた。小柄な足にブーツをはいて、パーカーを着込んだケヴィンは、本当にロム医師につめよってつかみかかりそうになった。座って書類に坐っていたロムにむかって、ケヴィンはまるで叱るように上から叫んだ。
『僕をだましましたね!!皆で!!』
『……何?何だって??』
ロム医師は少し本当の戸惑いの表情をみせた。なぜ、ケヴィンがここまで彼等“エスピィミア”と別組織の実態を伴う衝突に関わろうとするのか、だからまず落ち着かせて、ケヴィンの思惑に思いを寄せてみる事にした。
『なぜ僕だけ放っておいて、何も話してくれずに、すべてを終らせようとしているんです?そんなので、本当に僕の生活は元に戻るんですか?』
『どうしたんだ、ケヴィン?ケヴィン、落ち着け、お前はカイを信じていないのか?お前には何度も、カイも私たちも、必ず元の生活に戻してやる、そう約束してきただろう』
『ぼっ、僕は、僕は……』
『なんだ、おちついていってみろ』
ロム医師がケヴィンの両肘をやさしく持つと、ケヴィンはゆっくりと呼吸をととのえて、少しふさぎ込むような目をしてうつむきながらいった。
『僕は、カイさんや、その仲間に妙な事件に巻き込まれたなんて思っていないんです、このままじゃ、もしカイさんがひどい目にあった場合、僕は何の思いも伝える事はできない、でも彼等は悪役ではありません、間違っているのは、誰ともはっきりといえないけれど今の段階で僕がそれを伝えなくてはいけなかったんです』
ロム医師は、ケヴィンの表情から責任や後悔の色を伺い知る事ができて、だからこそ、彼を落ち着けなくてはいけないとおもった。だからこそ、彼はあそこで、少年にあの言葉を放ったのだ。
『私もあとで彼を見に行かなくてはいけないし、お前を一人にしておくわけにもいかない、それに危険だ』
『けど、こんな置いてけぼりにするのはあんまりですよ、何か手伝えたかもしれない!!』
ケヴィンはロムの手をふりはらおうとした。
『ケヴィン、お前は、カイの希望だよ、お前が希望を持つのなら、すぐにでもその希望をあいつは理解するだろう』
『……』
ようやく15分ほどたってケヴィンはおちついた。あれからすぐあと、ケヴィンはロムに言いたい事をいったあとふらふらと倒れ込んでしまった。どうやらまだ薬の睡眠効果がつづいていたらしい。
ロム医師は、ケヴィンをなだめながら、自分の仕事を進めなくてはならなかった。すべてが終わるころには、もう11時をすぎていた。
11時20分、フォレスト・ベーレのすぐ手前に一台の車がとまった。駐車場はちらほら開いていた、すぐみぎに駐車場を構えている。車両から一人のスーツの男がとびだした。中では運転手はロム、助手席にケヴィンをのせて、ロム医師がケヴィンにといかける。
『顔をみせておかないのか?』
『僕は守られていますから、それより、きっと祖父が見たら僕を止めるでしょう』
車内で、ケヴィンから手渡された手紙を、そのスーツの男は胸ポケットにあるのを確認し、一人ケヴィンの住むフォレスト・ベーレ203号室へと向かった。
『すみません』
コツコツ、とたたくと中から応答があった。
『はい……』
しゃがれた声で、とても渋い男性の声だ、キッチンで何かをしていたのだろうか?慌ただしい食器と棚を閉じたり開いたりする音がきこえた。
『“ベルノルト”の使いのものです、少しお渡ししたいものがあり、立ち寄らせていただきました』
『……』
返事はなかったが、ドアがひらいた、シワくちゃのしらがまじりの、すこし強面の老人が顔を見せた。強面と思えたのは、どうやらすこし怒ったような表情をしているかららしい。だがそのスーツの男が胸元から例の手紙をだすと、老人は声を殺して嗚咽まじりに、スーツの男によれかかっていた。その後、2、3分してからまた別の足音が階下から駆け上がってくるのを感じ取り、スーツの男はその方をむいて、警戒を見せるように胸元に手を入れた。だが、そこにいたのは子供、ケヴィンだった。
『じいちゃん……』
『ケ……ケヴィン、お前……』
祖父ヴラドは、すぐに子供をだきしめた。ロムがせかしたあと、どうやらスーツ姿の男を、思わずあとをついてきたケヴィンは、たった二人暮らしの祖父それからしばらく抱き合い、向き合ったて。
『じいちゃん、元気だったか?』
『わしのせりふじゃ』
2、3最近の事や、アラベラの様子を尋ねる、大家以外のことに変わりがないが、どうやらフォレストベーレには、しばしの静寂ともの悲しさが漂っているらしい、早く帰ってこい、と祖父がせかすので、安心するつもりでケヴィンは、用事が終わったらすぐ帰れる予定だと話した。その後、ケヴィンが声をかける。
『これから、いかなくちゃいけないところがある、緊張することだけど、でもきりを付けておきたい事があるんだ』
『……そうか、大事なことなら、お前の人生だ、俺に何か言うしかくはないさ、だが、大事にしろよ、自分のことも』
二人の再開が終わると、責任をもって家に戻す、とベルノルトの言葉を祖父に知らせて、スーツ姿の男がケヴィンの肩をだいてあるいていった。
(自分で決めた事だから、もう少し、まっていてくれ)
ジルとカイの手助けがしたい。あとでどんな目に合おうとも、少しでも恩人に恩返しがしたい。そのためロムとともに敵拠点に手助けにいくともう心は決まっていた。祖父に手をふりながら、その場をあとにした。
そして再び、ケヴィンはロム医師の車にのせられた。
『どのくらいかかるでしょうか?』
『30分もかからないさ、ケヴィン』
しばしの沈黙があって、ロム医師は、ケヴィンのしたことをほめて、そしてこれからの事の安全を確保するために、といくつかの注意事項を話した。ロム医師から離れない事、ロム医師の命令に従うこと、屋内へは入らない事、等々だった。それが終わると本当に少しの暇ができたので、その間に、ロム医師はカイの昔話を話してきかせた。
『君は随分と感性が強いようだ』
そういう切り出しで、話しは始まる、それは数分で話されたことにしては、もちろんケヴィンのカイへの信頼がそうさせたのだが、あまりにも濃厚な重みのある話だった。
『だがそこにはいくつか間違いがある、その感性の始まりが、同情であることだよケヴィン、彼はもっとうまく立ち回る事もできるし、彼は敢えて自分を追い込む事もなかった、けれどそんな彼の、トラブルを巻き起こすような、物事を混同するような性質と不安定さを気に入って、誰もが彼を“エスピィミア”と呼ぶんだがな』
『はあ……』
ケヴィンは自分の同情や心情がある面で無力で、しかも醜い響きを持っている事をしっていた。改めてそこで否定されると普段の事から行いを正すべき必要性を感じる事はできるが、しかしカイの事に関しては何もいえなかった。彼には彼の正義があると思っているからだ。ロムはちらりと助手席にめをやりつつ、相槌をまって答えた。
『やつは、過去を後悔するあまり、現実と過去を混同している、それが悪い事とはいわない、ただそれに反して奴の信じる正義はあまりに重すぎるんだ』
『後悔って、彼のトラウマの事でしょうか?』
『トラウマ……そうだな』
ハンドルを握ってない方の手で、ロムは唇をなぞった。彼はいつも皮の手袋をつけていて、紺色が口元をおおった。
『彼の中の正義は、そもそもが初めに出会った“絶望”からうまれたんだ、悪人に幸福を奪われた絶望、そして悪人に絶望を救われた絶望、それから彼は、まるで自分を試すように危険を顧みなくなった』
『その間に何かがあったのでは?』
『ふう……するどいな、彼を育てた人間“ナゴリ”といったが、そいつは、彼が16になるころに、死んでしまった、それまではかろうじて幸福な過去の記憶を保ち、そして不幸ながらも、彼を認める存在がそばにいることで彼は敢えて自分を危険に追い込む事はなかった』
『いったい、彼の死で彼は何を理解したのです?』
運転手の老人ロムは少しためらった表情をみせて、窓から外へ顔そむけた。
『きっと彼を救った男、ナゴリも不運な人生を歩み、彼も孤独で、絶望していたという事さ、あいつは、それを、彼が死んでから彼と同じような立場になって覚った、それまでは軽い悪徳商売や、小さな悪さしかしていなかったのが、徐々にまるで自分の同情や技術を試すようになっていった、その中でもっとも武術が発達したんだ、もともと彼は、ただ単にナゴリには、スリの腕を気に入られていたんだがな』
『その人はなぜ……その』
いいづらそうな言葉を引き取ってくれるのをまつと、ロム医師はケヴィンの期待に応えた。
『大病にかかっていたそうだ、もともと彼は、遠い東方の国の出でな、その国にはまだ過去文明の科学技術は伝わっていない』
『そうですか……たった60年も前の事ですからね、あの“オーパーツの塔”が見つかったのも』
『そうか、若者はそう呼ぶ事もあるな、あの塔……マーニアの事を』
ロム医師は、そんなケヴィンのために、その話も詳しく知らせておくことにした。まだいくらか東区までは距離があった。ケヴィンの助手席からは、ロム医師の右からみた顔が見える。
『60年前に発見されたマーニア、それが休息に科学を発見した、ところで面白い話しがあるんだ、もしかしたら若者も知っている可能性もあるのだろうが』
ひといきをついて、ロム医師は傍らのドアのポケットからペットボトルをとりだした。
『初めは、崩壊した文明の遺産などとはだれもおもわなかった、60年前といえばまだあらゆる国や領土がそこら中で諍いを起こしていたころだ、それもみつけたのが、ほとんど発展していない未熟な小さな国の人々だから、彼等はそれを、神の残したものだとか、宇宙からの飛来物だとかいろいろと噂したのだというよ』
『へえー、そんな話があるんですね』
『ああ、だから、隣国は今でもそのマーニアの像を国のシンボルにしているっていう話だ、もしかしたら、あの国では今でもそれは、神によって与えられた神聖なるものだという考えがあるのかもな』
そのまま話をききつづけていたケヴィンは、少し眠りについた。それから到着の声を聴くまで、ロム医師もただぼんやりとそれを認識しつつ、すこし含み笑いをしながら運転を続けるのだった。
後から考えれば、ロム医師のこうした言葉は、そもそもケヴィンをつれていく事にせざるをえなかったケヴィンとの駆け引きも含め、間違っていたのかもしれない。
彼が運転の途中に懐の中に探ると拳銃は確かにある。いくらかまちがった反動をつくったのは自分が原因かもしれないかと、ロムはおもった。しかしもうカイのために制作した、ゆがんだ拳銃はその手のひらの中にあって、ケヴィンもまた、ひとつ護身用の拳銃をもっていたのだった。
一方クローファミリ-の拠点では、もはや扉の向うから何の音もせず、ただ一方的にカイがそのファミリーの下っ端の戦闘構成員をつぎつぎとなぎはらっていく。この薙ぎ払うという表現はまさにその様を表していて。自分からむかっていき、距離をつめるものの、まるで相手のすべを見て、それをそのまま映し返すようにときに遊ぶように敵を翻弄して弄んでいる。
『クッ』
『はあ、はあッ、フッ』
たださすがに敵の数が多すぎたか時折、敵の攻撃が弱まり、ひるむ間を縫って彼は呼吸だけを整える。彼の足はまるで宙をまうように彼の手助けをする。彼の戦闘技術は、ほとんどスリ師の技を盗んだようなものだ。相手に害を与えるでもなく、かといって、自分の目的を達する。彼は敵の攻撃を受け流し、その受け流した力によって相手の急所をつき、そして弱るのを待った。
『デアッ』
相手が体力を弱め、全身の力が弱まったときをまって、彼は真剣にその手を決めにかかる。肉と骨がよわまった急所ほど脆弱なものはない。彼の手はそのすり抜けるような動きと、相手の力を自分の力にする術と、相手のスキを生み出す力によって成り立っている。彼は敵を次々と薙ぎ払いなぎ倒し、そして集団は瞬く間にすべてかれの手によってうち放たれた。ものの5分もせずの間に彼らのほとんどが下に倒れていた。
受け身、その立ち居振る舞いもそうだが彼の人生のほとんどが、仮面をして、全て巻き起こる事に受け身であった。スリ師によって育てられたことも、家族の愛を失ってその欠落をうめるべくして、死んだように生きて来た過去もそうだ。ただ“必要悪”として社会にその立場を関わりを持つ事によってかろうじて彼は、“かつて死んだはずだった自分とその家族”へ恩を返しているつもりだった。だが、どこかで許しをもとめていたのだ。誰かがいつかそれを満たしてくれるときをまち、どこかでそれを望んでいなかった。もし自分が本当に新しい愛を受け取るときがくれば、そのときこそ、あの死にも等しい愛の損失をまた心に深く思い起こさなくてはいけない。その時こそが、本当にあの愛しい自分の家族の死を実感するときなのだと思っていたのだ。
“ケヴィンを手助けしたのも、結局は自分うけみなそんな心が巻き起こしたこと”
事実、彼はまるで止まった時の中のようにいるようなものだった。たとえば大規模な災害に遭った人々、たとえば大規模な事件に巻き込まれたもの、その中には自分の体にその痛みを刻みつけるものもいるときく。それはタトゥーだったり、ときに心の痛みであったり、つまり自分だけが生き延びたことへの罪悪感、それが彼の心と体を縛り、そして彼の時を新しい愛への疑問と共にしばりつけた。
ケヴィンと出会った後もまた、彼の時間が停まったままである事には変わりはなかった。彼を街で見かけたときも、まるで自分の生き映しのような善意を感じた。しかし一方で自分が彼を救えるかどうかという事には疑問があった。だがそのとき彼を襲う状態は、いいものではなくその時にこそ自分にだけがその状況を理解して救う事ができるという直感があった。それは確かだったし、自分には彼を救う覚悟もあったが、しかし頭の混乱を確かに理解してもいたのだ。
《ケヴィンの痛みと、自分の痛みは違う、そして彼が巻き込まれた事件と自分のまきこまれた事件は違う》
向き合うべき過去は、自分の中にある。“エスピィミア崩壊”の過去に、自分は救いを置いて来たのだ。しかしもっと未来にこそ、それはある気がしていた。
彼の手前で、一つ越えた鉄扉のすぐ傍らで、棒立ちをしているジルがいた。彼女もまた白い鳥の仮面をつけていて、体のふしぶしを丈夫そうなチューブのような宇宙服じみた防具をつけていた。
コーン、コーン、コーン。
『!!……ぃ……』
声にならない声で、ジェスチャーをしてみせて黒鳥はその背後の人物たちに合図をおくった。背後に控えていた彼等は、同じくこくり、と言葉もなく合図をした。
“コーン・コーン・コーン”
ようやく相手の姿が見えたとき、それが赤い、とても灼熱のように赤い凄まじい色をまとった生き物のような“何か”であることを理解させた。あれは、ケヴィンをラヴレンチの魔の手から救い上げたとき、“エスピィミア”と“ファラリス一同”が遭遇したあの化け物に相違なかった。そのとき、カイよりも早く、ジルの足はうごいた。もうすでに相方の体力と疲弊を戦場で誰より早く察知していた。一瞬、すきがあればいいと思った。
『スッ』
ジルは、実のところカイの事を愛した理由を彼に打ち明けたことはこれまでなかった。ただこうしてケヴィンの事によって古い関係が再び修復され、新しい関係になるにつれ、思い至る事はあった。だからちゃんと伝えたのだ。“私たちはお互いに仮面をつけた者同士”自然な運命によって結ばれたものではなかったなのかもしれないと。
けれど、一体何が自然なのだろう、カイも、ジルも、お互いの気持ちがつじつまが合わないながらもそのことによって覚っていた。何ひとつ運命らしきものも、必然らしきものも、決して常に自分たちの道しるべとなっているわけではないと、あとから考えると彼等にはそうして共通点はあったのだが、実際そのとき彼等を引き付けていたものはもっと純粋なお互いの違いでしかなかっただろう。
ジルは、軟体をくねらせ、まるで武術に体操をおりまぜたような、ヨガを織り交ぜたような奇抜な動きで相手を魅了し、そして相手の予測を“裏切る”、カイが完全に受動的な戦術を持っているのなら、彼女が持っているのは、フェイントの術だ。それはときにカイの先にでて、彼のための楯となることも可能としていた。
コーン、コーン、その音が響きゆく地底の奥底では別の動きもあらわれていた。別といってもむしろ自然で普通でもっとも日常的な音だった。誰だろう、それは解き放たれたラヴレンチが一人、一室を占拠して自分の武術の形を試し、訓練しているさまだった。外からははっきりとその動作の細かいところは理解できない。ただ布が瞬間的に直線的な動きによって、こすれ引っ張り出された時のような音と、きびきびとした足音と、リズムよく図れる呼吸と、拳や関節の先が吐き出す一息の休息が流れを紡ぐ旋律をかなでていた。
一人、猿のお面を付けたような妖怪じみた巨人が現れたころ、カイのすぐ前にも、胴長の赤い化け物が現れた。カイは背中のギターケースにもにたさやから、いつかみた赤いカタナを取り出し、その攻撃をふせいだ。胴長の赤い化け物は両手を赤い皮膚でおおわれて、その拳には長い爪がはえそろっていた。
ジルは、カイを援護するつもりで先に躍り出たまではよかったが、猿のお面を付けたような赤い怪物の奇妙な行動に違和感を抱きながら、距離をとりつつたちまわる。ジルは背中にライフルを背負っていたので、それをすぐに手元に構えた。そして距離をとりつつ、相手の行動の肝を探った。
というのも、ヒヒイロカネという物質は、必ずといっていいほど、それを扱う人間の“クセ”を誘発する、猿の仮面をよく観察をしてみる、太いからだ、体の半分はあるほど大きな太い赤い腕、そして尻尾、猿の仮面よりもリアルな首元の腹部に近いあたりについた人間の無表情な顔、その顔がふとぴくり、とにやけた瞬間に、背中からトゲのように鋭い尻尾がジルのすぐ近くに突き刺すようにとびでてきた。ジルは片手にライフルと首元にかかるストラップを軽くもちかえ、距離をとりつつ威嚇射撃を怪物のすぐ下に打ち込んだ。
地面には無数の構成員たちの倒れた後があり、足元はおぼつかない、すぐ右手前にはカイと他の構成員がいる。少し距離をとらなければ他の人間の援護は期待できない。ジルは少し距離をとりつつ、卑怯ではあったが、構成員たちが倒れて三体ほどの山になったその背後にに隠れ、遮蔽物としてつかった。しかし、猿の怪物は今度は尻尾を基点にして、自分の体をもちあげ大きな手のひらで倒れていた構成員がつかっていたくぎバッドのようなものをもちだして、それを天高く上げたかと思うと、おかしなことに、その威嚇のポーズのまま、彼は顔を覆うようなしぐさをした。
『あいつの弱点は……』
『ドドドドド』
ジルは撃たなかったが、ほかの構成員たちが気を聞かせて敵のお面の様な猿の顔面めがけて、そしてその下の人面めがけて射撃を加えた。
(あいつのクセは“生身の顔を触る事?”だとしたら、その近くにコアがある)
コアと、“クセ”の関係はよく知られているものだ。
『顔よ!!!顔をねらって!!』
ジルは他の構成員と一緒に顔面めがけて一斉に射撃を加えた。ライフルを誤って自分のわきに勢いよく引いてしまった。ふと思い出される走馬燈のような記憶。“お前はすぐ気を抜く癖がある、だから勢いよく銃器や刃物、得物を使うときに誤って、瞬間的に一息ついたとき自分の手元に勢いよく引き寄せてしまうんだ”その体制のまま、あてが外れた怪物は尻尾で勢いよくジルに横殴りの打撃を与えようとしている。
『しまっ(た)……』
カイは、瞬時にそれを理解して、二体同時に剣を振り下ろした。その剣はまるでムチの様に伸びて、その獣たちの尻尾をぶった切る。ジルのムチもやがてそれに追いかぶさるようにして、尻尾を編み目上にからみとり、その“心臓部”をつぶした。
これらは、知られてはいないがこれが純度の高いヒヒイロカネのもう一つの扱い方。そしてヒヒイロカネをこうして扱うのは、古代の隠された血液型を使う人間だけだ。それらは選ばれなかった人間でもあり、選ばれた人間でもある。カイもジルも、その体に宿した血液と、それに反応するヒヒイロカネも、特別な反応を示すものだった。
パンドラの東区のビルに拠点があり、クローファミリーのボス、クローがその地下にいた。だがそこにまた新たな訪問者が現れたのは、その一室にいる赤いキャップの少年、“ゴースト”の他に知る者はいない。
『ここで、何をしていらっしゃるんですか』
『……』
『あなたは、いったい……』
『君か、“ゴースト”用済みだな、君も僕も……』
ふいに足音がして、背もたれのない椅子にすわったクローが、扉のほうにめをうやる、すると徐々にがたがたとその扉がなる音がしている。青年の“ゴースト”もそれに気づき、ふりかえるも、物音がやんだので、すぐにクローに返事をした。
『僕の名前は、ソニーですよ』
扉が徐々にひらいて、そこに現れたのは機械じみたガスマスクをつけた、あの“情報屋ケネス”だった。
入口付近に駐車スペースはなかったので、近くのコンビニに車をとめた。ケヴィン少年はまたもや“ゴースト”と呼ばれる少年のことが気にかかって、ロム医師に話しかけた。
『僕が無事でも、全てが解決した事になるんでしょうか』
ロム医師には、いくらかわがままに見えた問だったが、少年にとってはきっと複雑で意味のあるテーマなのだろうか?ロム医師は自分の麻痺した感情ではあまりそういった、人の小さな機微のある感情を知る事ができない。
『どうしてそんな事きにするんだ、少年』
『だって……』
『まあ、なんでも、あいつにまかせることだ、信用してるんだろ?』
『カイさんですか?確かに』
会話の終わりがけに、拠点のほうをみつつ、二人は車をおりた。だがきっと、こういう事だろうということは理解できた。自分が自由を手にしても、自分に近しい年齢の“少年”が不自由なら、あまり気持ちのいいものではないのだろう。それはカイの“悪人の持つ善意”のテーマにもにて、一つの目線では奇妙なものだった。
拠点の一階では、体の一部を改造した悪魔らしきものが再び、3人ほど地上にはいあがってきた。
『ぐぉおあああ!!』
まるで知能が低下したように、それでいてかろうじて形態を維持した、まばらな赤にそまった肢体を持つものたちが、かわるがわるケヴィンとジルにくいかかってくる。戦闘凶のようにただ戦うために、ただ相手を困らせる悪意だけが行動の理由とでもいうようにがむしゃらな戦闘方で二人にくってっかかった。なりふりかまわず手や足をふりまわす。体の一部はゆがみ、とがり、あるいはそれ自体が重さと硬さをもった大きな錘のようだった。
『くそっ』
(きりがないな)いくら戦っても、相手の挙動も、そのくせもわからない。相手が思わず近接的な戦闘を望んでいるようなふるまいをして、牙とツメとを己の最大の武器であるかのようにジルとカイに距離を狭めて戦うので、後方に控えるジンクスファミリーは黙って様子をさぐるしかなかった。
ジルの蹴りも、カイの赤いヒヒイロカネでできた刃物も、熱を吸収して相手の体を引き裂く事はするが、その急所を探り当てる事ができず、仕方なく、その体の中心—―人間の本体であれば急所の集まる垂直の中心線—―を狙った。
しかし、カイはこんなところで体力を消耗するわけにいかず、相手のきりかかってくる歯や牙をかわし
、刃でかわし、ときに根にきりかかる防戦一方になっていた。それで相手はひるむことがあっても、まるで何事もなかったように、その部位は機械的に修復される。
『本当に(魔人)ディアヴォロスなら、コアを処理しなければ、体、四肢その他部位は自然に人工物で修復されてしまう、これらはCOAの……ナノマシンに関係する性質だ』
『カイ、落ち着いて、私にもまだ手があるから』
ジルは手に、いつかみたペン状のムチのとってを握る、しかしさらに奥の鉄扉の奥から、雑踏を歩く人々の足音がきこえて、ドアが開きかかる音がして、その時だった。
『うおおお!!!』
鉄扉がゆっくりと開く、すさまじい大きさの3メートルは優に超える人間にもにた巨大な魔人の影がせまった、味方さえも屠る、それが巨大なカエルの化け物だった。彼は目の前にいた、半端な赤い人造人間たちを手に取って、飲み込んだ。
『ぐわはあははははアアア』
その背後には、《セナ》らしき影と、それに並ぶように、三角形陣形をつくり、大量の黒スーツの部位は赤くないような群れがたくさんいすわって、たちつくしていた。
硝煙と刃物の音、ジルが満身創痍で建てた作戦で、彼女が耳にし、感覚を研ぎ澄ませたのはかつてエスピィミア崩壊の時に感じたそれと酷似していた。
『カイ!!あの化け物は私が』
『あははあははは』
彼女が瞬間的に意識的にみたものは、大きな、2メートルはゆうに超える巨大な扉が開いた扉、その向こうに一人を中心とした人影が現れ、それが噴煙に邪魔をされていたという事と、その背後にライフルを構えた人影がいたこと、背後に大きな一人の怪物がいた事。そして最前線にたつカカシの様な人形から鳴り響く声。
『なんてこった!!!お前たち、これは一対一の神聖なる決闘の機会だったのに!!邪魔者は排除しなければ!!』
と、高ぶった男の声が鳴り響いたことだった、直後、きづいたら自分はカイに仮面の内部にあるマイクから、無線で連絡を送った。
『わたしがあのでか物をなんとかするわ』
まるで小動物のように、最速の足をもつ四足歩行の肉食獣のように、瞬間的にジルは集団をかきわけて、巨大な……カエルをもしたでかく赤い人間のすぐ正面に接近した。
『で・か・ぶ・つ』
『うぉおおおお!!!』
巨体は、自分の事をハエがいるだのなんだのいっていたが、敵の一人としてジルの事を明確に補足することはできなかった。ジルの体は、透けて時折その姿を立ち止まる瞬間にふとあえてその巨体の前に表すだけだった。
『こっちよ!!』
そうしてジルは、でか物をなんとかして、地下へと続く階段へと誘導したのだった。外ではほかの構成員たちが、そのでか物が暴れまわり、狭い地下道の入口を破壊し始めるのをとめてかかっていたが、ジルはそんな事はしらない。それをいいことにあるものをその怪物の顔面めがけて投げた。
『ソンナモノ・デ、ワタシは……』
『そうね、でも入口はなんとかしたわよ』
『ぐ…………ぐお』
ジルはカエルの怪物の前で、ようやく通れるようになったその地下への入口を指さし、おちょくってみせた。
『どうしたの!!おばかさん』
『うぉおおおお!!!!おおおおおお!!!!』
(このファミリーの構成員は総じて頭の沸点がたかめだけど、彼もどうやら例にもれずっていう感じなのかしら)
そういうひと悶着があったので、ジルは一人で見知らぬビルの地下まで、巨大な滅びたとされる文明の力、魔人に支配されたと思われる、カエルににた怪物(元人間)をつれて、敵を手引きして、攪乱させる作戦にでていた。
一方そのクロー拠点のさらなる地下、最奥の最深部では、ケネスがクローの前に立ちはだかり、ある事にたいする押し問答をしていた。
『このままでは組織が滅びる、貴方の望みはそれか?一縷の望みは、この少年にたくされている』
本心は見えないがケネスは、どうやら建前上ジンクスファミリーのために二重スパイをしているという立場にあるらしい。だからこそ、クローを何かしら説得する。対するクローは、顔を覆ってまるで自分がその少年に対して何か感情移入をしているとでもいうように、ひいきして放そうとはしなかった。かおを両腕の前腕にうずめて、手のひらを頭の後頭部にあてている。
情報屋組織は世界各地で暗躍しており、個人主義ながら、グループの利益を守る団体としての横のつながりを強く保っている。ケネスとて、“情報屋”の犯したかつてのつみ“裏切り”をしっていた。それはエスピィミアという顧客に対する、情報屋の一部の裏切りであったが、それらはよこにつながりを持つ情報屋グループとしての、体制としての一大事でもあった。この数年は情報屋はそこで失った信頼を取り戻すべく、すべきことはした。いくらかある族長のうち、ほとんど半数が責任をとり、地位をたのものにゆずった。族長というのは、かつての文明が滅びたその世界では、ほとんど未開の文明から新しい人類が古い生活と牧歌的な生活から今の文明にまで発展させ、ようやく保っているからだ。だから民族、種族としった小さな人間組織と社会の形態が受け継がれ、その残り香として、情報屋組織は制御、統制されているのだ。ケネスの“ドブネズミ”のような形態や生体をもつ人々もおれば、もう完全に文明と相反する牧歌的な民族的に従事する事を選んだ人々もいる。これらは彼らが文明の発展と科学の発展をある程度抑制したお陰の効果でもあったのかもしれない。少なくとも、発達しすぎた文明が持たない議論と、横のつながりを重視しており、そしてその崩壊は、情報屋が個人としての信用を保つ事の危機を表す。なぜなら情報屋は表の社会、裏の社会ともに、組織全体の統制とその力量を推し量られることによって情報屋グループとしての信用が保たれて、個人の信用力にそれが上乗せされているのだから。
だからケネスの“ドブネズミ”族長もエスピィミアとかかわるときの駆け引きの方法や信用の保ち方。かつての“罪”への向き合い方を、ドブネズミがもっと若く小さなころから彼自身に教え込んでいた。今度の事もその信用を保つためのきっかけにすぎないのだと、もはや暗黙の了解としての誠意をエスピィミアに示さなければならなかったのだ。
『乙女は一人戦場を去るか……』
ジルが地下へと巨大な怪物を誘導したあと、何がおこったのかとクローファミリーの構成員たちはあたりを見渡す。コンシリエーレ・セナらしき人の影が、その一番先頭にあったので、ジンクスファミリーの構成員もカイも手を出さなかった。
『さあ、始めよう、こい!ラヴレンチ』
ジルが巨大な怪物をつれてきた方とは別の階段から、地下を上ってくるものの足音が響いた。
ファラリスの一味にとっては、三日ほど前から既に魔人の正体やその対処法など数多くの限られた議論が行われていた。そこでジルはあるものを要求して、ロムや情報屋のケネスがその用意を進めていた。だからラヴレンチの魔人化のことも分析されて、予測されていたことだった
。魔人化の詳細についてカイやジルはあまりその正体をしってはいなかったが、その対策法はある程度理解していた。それは旧文明における、ヒヒイロカネの古い型の特徴を持つものであろうこと、それらはジルとカイとに備わったものが大きなヒントになった。
『ジルは、大丈夫だ』
そういって、またカイは、構成員に下がっているように命じた。まるで短距離走の準備動作のようにひざまずいて、足の装置をいじっているような様子だった。そして右手に今までしっかりとみえなかった赤い短剣が姿を現していた。
ラヴレンチは左右の腕を揺らしながら、長い先の丸くなった鋼鉄の棒を持ち、ゆらゆらと階段をのぼってくる。構成員たちはそこできがついた。中央で立ちすくす影は、カカシのように少しも動いていない。ラヴレンチはほかの下級構成員たちをかき分けて徐々に前へ前へ、そして臨戦態勢で構えているカイのすぐ前にまできて、こう申し出た。
『エスピィミア、この衝突の原因を理解しているか?』
もくもくと噴煙がものものしいまま立ち上る中、両手をサイボーグの体をむき出しにして、人工皮膚をもいだような姿で現れたのはあの巨体ラヴレンチだ。初め、カイは質問の意図がわからなかった、というよりむしろ、この状況におけるカイの自然なふるまいを先に横取りされたような形だった。
彼の出現と同時に、カイは右足をひいて左足を前にだして腰を下ろした。瞬間風邪を切るような音が当たり一面に響いた。その時、大きな戦況の変化は一瞬にして訪れる……はずだった。カイの心は、小さな頃から大してかわっていなかった。
あらゆる盗賊的行いは、衝動にかられるかどうかが問題だった。盗むに値する芸術か、評価に値する物品か、心を揺さぶり、語り掛けてくる美術か。それであれば、世界に再び分配する意味が生まれる。だから彼は初めて犯した犯罪は、つまらないスリだった。今でもどこかで後悔する、あるいはその後悔は大人によって与えられたものだったかもしれないのだが、確かに彼の師であり父である存在はこういった。
『お前には、盗みの才能がある』
才能—―長らく聞いていなかった言葉。それまで子供の頃自分の得意なものといえば、早く走る事と、絵を描く事、その両方の才能を半分失ったようになったのは、心の欠落によってそうなったのだ。彼はスリに没頭した。それは失われた幸福がもっていた正義を追い詰める唯一の“生存の理由”となった。
それから幾度も自分の手を汚して犯罪に手を染める事があった。そのたびに自分の頭をかすめたのは罪悪感と失われた幸福を満たすような新しい苦しみだった。それが意味のある葛藤となったとき、彼はそこから逃げ出せなくなった。
だから彼の目の前でおこる事ほとんどは、それが彼が積極的に働きかけ、働きかけようとしてきたことであろうともなかろうとも、彼の気持ちの中ではむしろ受け身の様にただ受動的に立ち向かっているのだった。
そしてそれは彼の戦闘スタイルや、窃盗の態度にも、行動として形を成していた。
カイは前に進み出て、ラヴレンチと対峙するような、戦闘術の型をとって構えた、徐々にじりじりとにじみよる。相手のラヴレンチも、いつもの様子ではなくてに普通より短いような短剣をもっていた。
彼はその少しまえに、部下たちにいくつか命令をしていたが、まだその時ではなかった、もし彼の命令があれば、すぐにでもラヴレンチの相手はできた。しかし相手は集団でかかってくるつもりはないようだ。いくらかいる構成員は律儀にカカシ—―セナの形を模した人形の背後にずらりとならぶ—―。
そのとき、その脇の通路を、通用口と思われる奥のほうを人影が通るのがみえた。それをカイがよく見えるとじょじょにこちらに向かってきてそしてまるで自分の姿を隠す事を手伝うようにするようなしぐさをしてみせた。
「“ケネス!!?その少年は……??”」
その影はケネス、そして彼がつれていた少年は、カイが見た事もない力強い顔つきをした男だった。ケネスは、彼のすぐそばまできて、耳打ちをした。
「彼は“ゴースト”私はアデルの手引きでここまできた、そしてもう少しすれば、君たちには新しい構成員の増援がくるだろう」
その後、ケネスを見逃すようにいわれたので彼はその通りにした、無線で部下たちに命じると部下たちは2メートルほど距離のあったカイの背後から自分たちの背後にその存在を隠すようにかくまって二人の人影を自分たちの背後へと誘導したのだ。少年はフードをかぶり、顔は側面から確認できなかった。噴煙のせいか、敵はその行為をとがめることもなかった。その代わり、徐々に晴れる噴煙によって、相手のカカシの正体がはっきりとわかった。そこにマフィアのボスはおらず、かわりにセナというコンシリエレの……それをもした人形とくちにつけられた発声器の姿がみえた。
ケヴィンは車が拠点につくまでに少し夢をみていた。それはカイとの拳銃の特訓の夢であった。幻影はいつも優しく、けれどそれが夢という現実でないものという事を消して理解させる事がないように明確で鮮明だったので、そのどうきにたいする証拠はその時醸成されたのかもしれない。彼は夢をみたのだ。
『ねえ、どうしてこんなに丁寧に教えてくれるのですか?』
『ケヴィン、お前は、もう一人の自分を見た事があるか?』
『?どうしてそんな事をきくんですか?もしかして“ドッペルゲンガーアーキタイプ”の事でしょうか?』
『そうなんだよ、それだ、ヒヒイロカネと過去の科学技術、COAやCLO(CLO Chain linked organization 鎖状連結組織)の見せる夢なのかもしれないが、時折もうひと人格の自分を、COA、つまりサイボーグの体を持つ人間が錯覚する事があるんだ』
カイは時折夢の中でさらに幻影の体をもち、ときに実態をもちながら、ケヴィン少年に語り掛けた。ケヴィンが目がかすむようになって、すこし標準をブレて感じたときに、彼は少年のすぐ背後にきて、よりそい体をかぶせるように拳銃のフォームを整えてくれた。
『よく見てごらん』
そういう彼の傍らから、彼の実態を離れた幻想の半透明な彼があらわれて、ケヴィンの横で意地悪そうにその顔を見下ろしている。その腕は胸の上でくまれて、普段のカイから想像がつかないほどに粗雑に見えそうなしぐさをしていた。
『いつまでそんなおままごとをしているんだ、なあ、君は俺と何が違う』
組んでいた腕をおろして代わりに右手で人差し指を突き出して、ケヴィンの首のあたりを指し示してズイズイとカイとケヴィンの前に迫りくる、その圧が恐ろしくケヴィンは少し腰をひいたが、背後に微動だにしない実態を持つ彼の本体、カイがいたのでそこで引き下がる足を止めてしまった。
『ケヴィン少年に嘘を吹き込むな』
その実態のあるカイが、透明なほうのカイに呼びかけている。
『オイ、お前は優柔不断なんだから黙ってろ』
幻影のカイがいいかえすと、ケヴィンを突き飛ばすように二人はかってに喧噪をはじめてしまった。勢いあまってケヴィンはその背後につきとばされてごろごろところがっていったのだが、その回転の内にも周囲の情景が彼の師会をぐるぐると回ってすぎていった。そしていつかみたような、廃拠点ファラリスのそばの湖にもにたほとりにいることにきがついて、次の瞬間、カイに意図的に突き飛ばされる感覚と、蔑むカイと実体を持つカイが自分を突き落とした様子をみた。その腕と顔は距離をもって、大きな幻影となって徐々に消えていくのがみえた。
消えていく姿を見て、自分がまたカイのように二つに分離したように感じたとき、その実態を持つ方の自分はいつか見た湖のほとりに、自分としてぽつりと取り残されていて、カイの幻影の様に自分をみて卑しく笑った。彼は続けて、ケヴィンにとって恐れるに値する重荷となる言葉をはいた。
『なあ、お前はいつになったら……』
『……お前はいつになったら、まじめに対象を狙う?拳銃が手になじむのを恐れたのか?、お前はまじめに勉強をするし、お前はまじめにトレーニングをつむし、お前はまじめに読書をするだろう、生活にかかわるすべてをお前は許容するのに、人殺しの道具の存在を否定するのか?お前は、その社会の端くれ、つまりお前は責任の一端を担っているんだぞ』
その言葉の意味はよくわからない、しかし、実感は存在していて、ただ夢の比喩的な空間の中では、それは《黒》のイメージをもってそして悪意や憎悪の感覚をともなっていた。
『……あ……あ』
『……何だ?言い返してみろ、言い返せるのか?お前は……ザッ……ゴボ……お前は……』
『ナニ……が……あ……あああ、ああ』
『お前は、きづいてい……ゴボボボ……』
水面でゆれる大賞の輪郭が、遠く色をにじませて波紋が涙で見える景色のように空間にひずみを生んだ。けれど、彼の言葉はしっかりと聞こえていた。彼は最後にこういったのだ。遠ざかる中、彼の存在を知らしめるように、ケヴィンに対してこういった。
『お前は、俺のもう一人、そしてカイは……お前に近い、過去を持ち、お前に近い血を持つ、お前ははじめに彼と出会いこの広い世界の隅においやられて、それでも彼と接触したときお前は覚ったはずだ、“近い存在”だ、そして、もしくは対照的な存在なのだと、お前たちはかなり似ている、忘れたつもりか?』
いつだって、カイはやさしさをもっていた、それはケヴィンに出会うまえですらそうだったのだろう。しかし—―幻想崇拝—―現実に真の愛や真の善意が存在しうるだろうか?彼はきっと、悪に手を染めながら出会うものすべてにそれを与えようとしてきたのだ。ケヴィンはそんな事をふと直感的に理解した。
しかしおかしいのが、ケヴィンは一度も、その幻想“ドッペルゲンガーアーキタイプ”を見た事はなかった。たしかにこの街でアラベラの歌に依存してはいたが、かといってアラベラ自信に依存しているわけでも、自分の考えがないわけでもなかった。考えは自分と常にともにあって、つれだってその時々の判断を手助けしていた。切迫した状況も、緊迫したプレッシャーも、ケヴィンはそれでもあらゆるものに中立であり、どこかで達観していた。だから彼には、もう一つの人格は必要ではなかった。
差別なき正義があるとき、机上の空論は力をもたない、だからケヴィンには自信がなかった。自分の正義は、その場で作られた偽物の正義であるかもしれない。
カイはすでに、正義の形をためし、それがたとえ純粋な善意でなかろうと、正義をなしとげている
そのひとつがきっと大家エメであり、エスピィミアのジルなのだ。
それと比べて彼はまだ子供で、本当に人と接するうえで、自分の考えを試したこともない、その覚悟もない。むしろ受動的に未知の存在と立ち向かったときに彼は冷静にかりそめの正義を形づくるだけだ。そのことを誰よりも、少年は理解している。
そこでふと目を覚まし、ロム医師とともに作業を終えて、ひっそりと、先に施設に侵入していたベルノルトと落ち合う約束を取り決めたのだ。
ロム医師は便宜上、というより立場上ケヴィンや、ジンクスファミリーやカイの見方ではある。けれどその心中は複雑だった。あらゆる暴力は行使者の尊厳のために、大義名分をつくられ、無意識の秩序と強制力に基づいて行われる。マフィアの抗争などどうでもいい事だ。けれど、パンドラは正義を欺瞞で覆い隠している。なっぜならすべての人間に幸福な“二回目の生存”を与え、“代替可能な体の部位”を与えるはずだが、やはりそこは資本主義上のシステムに抗えない。富める者もいる。報われないものもいる。それらが求め行きつく先は、結局のところ正義や悪との二項対立だったり、富める者と持たざるものの二項対立に過ぎない。そして便宜上彼等は同じ神話を国の成り立ちの礎として抱いている。それらすべてをひっくるめて、誰もがそれを容認して、その欺瞞をもとに生きている。
持たざるものは、ただでは健康を与えられないし、手助けはされない。それをよしとしたときから、パンドラは、その産業によって国としてまとまりをもっている反面で、持たざるものを差別する事も、大衆の結束の一つの目的と化したのだ。それらの“当たり前な日常”が、そうしたものにあぶれた人間を作り出すことも事実だから、ロム医師は、持たざるものや不遇のモノに対して万遍なく医療の施しを与える。ロム医師にとって、矛盾した国の団結とはべつに、それこそが信念なのだ。
ロム医師は、車から降りて後ろのトランクを開けると、急いでしたくをして、大きな図多袋をとりだしてそれをケヴィンにもつようにいった。ケヴィンはそれにしたがい、ロム医師は拳銃を二丁ズボンの左右にいれて、ケヴィンにもひとつ手渡して、慌ただしい中で、噴煙と騒音とりまく、クローファミリーの施設の中に侵入したのだった。
カイは何に対しても受動的だ。それは本来自分がよくわかっていた。だからこの状況のこんな場面でさえ、敵の良いように名乗りをさせるのだ。噴煙の影の中から現われいでた敵の大将、というよりその場を仕切る役割をもつコンシリエーレが、ただのかかしか木偶の某だと知った時にも、心は平静だった。
『私たちは安全地帯にいる、私たちにとって、組織なんていうものはもはや、ないのも同じだ、ボスは対にくるってしまった、いまではただ、ボスのお気に入りだった最終手段でありかつて地下闘技場で名声をわがものとしたある人間と、エスピィミアの決闘を傍観して見ているだけさ』
カイには、相手方の動機などどうでもよかった、だからそんな言葉が最後まで吐かれるまでにその首を切り落とした。まるでジルがそうしたように、戦闘の名乗りさえもぶった切るほどの自分の持てる最高の速度で、その寝首を書いてやる必要があった。
『なるほど、それがエスピィミアのやり方か……』
落ちた首がそれを語ったかに思えたが、実際はその背後にたたずむ鋼鉄の手足をもつラヴレンチが、どっしりとした姿勢のままその言葉をはいたのだった。
実際カイはそうした卑怯さには何の痛む心ももっていない。むしろ人と自分の違いが明白だからこそ、彼は失われた心のために、心をいやすために、犯罪に手を染めているといっても過言ではなかった。
(こんなバカげた決闘は、初めにお前たちがけしかけたとき、終わったも同然だ)
しかし決闘者としては、その立場は別だった。カイは自分の持てる格闘技術と、戦術とをもって相手に立ち向かう意思があった。だが、その場合にもやはり彼は受け身だった。
『こいよ、ラヴレンチ』
ラブレンチもまたカイと向いうつべく、前に躍り出たのだが、その腕と体からは今までに内容な覇気にみちていた。
『さあ、“エスピィミア”、お前は本当に“正義”なのか、結局はお前の勝敗がそれを左右するだろう、見せろ、お前の罪の技能を、格闘技術を』
瞬間、ラヴレンチはカイと同じようにまるで陸上のクラウチング・スタートのような格好でもって、瞬間的に足に全筋肉と神経の威力をためて、呼吸をひくくふーとはいた。
次にカイが覚えているのは、絡みつく蛇のような相手の、体のふしや関節をかいたような動きだ。実際にそんな事はないのだろうが、そのひるみ、たゆみと可動範囲が常識では理解できないような動きをするので、まるで刃物を持って襲い掛かられるときのように、なすすべもなくその様子を客観的な視点で監視するしかなかった。
『急所をそらすか、それしかできないか、エスピィミア!!!』
だだだ、どどど、というような爆弾のはぜるような鮮烈ではげしい打撃がカイにくわわる、カイはまるで反撃もせず、いなすことさえためらってただ腹と顔をひじや上腕でガードして持ちこたえることしかしなかった。しかしそのうちにも、形勢は不利になっていく、ざしり、ざしりとあとずさりをする。地面には打倒されたクローの構成員たちがはいずり、気を失って倒れている。
しかし、受け身をとるカイも反撃のための監視をしていた。ただ単にやられ、思考を止めるためにそこに棒立ちをしていたわけでもなかった。徐々に腕をその眼前に構えているだけの姿勢から体全体をつかって、ひねるように、相手の動きをいなす動作を見せ始めたのだ。
カイにとってはそれこそが正攻法だった。何をいわれようと、何がおころうと、まずは相手の手の内をさぐり、そして自分の持てるすべを探る、つまりそのうちに、その場所の、その空間の、その組織の本当の実態が見えてくる。彼にとっての正義はそこに存在できる、究極に緊張し、うちのめされ、打ちひしがれたその瞬間に、彼本来の技と知能と信念が目覚めるのだ。
『もっとこいよ、ラヴレンチ!!!この雑魚がああ!!』
声とは裏腹に、体は傷だらけだった。その時点でラヴレンチは違和感を感じている。まさか人工皮膚をあえて古傷があるまま残す様な事を、この身なりの綺麗な男がするだろうか?彼は、対サイボーグ人マフィア、そして、かつて洞窟で出会ったとき、あの時逃亡によって敗北を期したといえ、彼の超人的な身体の秘密を眼前に見た。あれは、彼が、彼が、
『お前が、対サイボーグ人マフィアである証拠ではなかったのか!!?』
それはいら立ちだった。ラヴレンチは、早くカイの素顔がみたい、また、見なければならないとおもった。その使命感は、かつての彼の地下闘技場での功績と、不遇な過去によってもう狂気にみちた戦闘狂としての彼本来の技能だけが彼の存在意義になってしまったからゆえのいらだちだった。
『お前は、正義ではない、なぜならカイ、お前は少年を巻き込まなければ、自分の信念すら理解ができなかったのだ、今回の事で悪人は、お前だ、カイ!!!』
その瞬間、カイのからだがぐにゃりとゆがんだ気がした、それはラヴレンチからみると、自分のどちらか片腕の打撃によって彼の体が、よわよわしい人間の有機的実体が、ぐにゃり、と形態を維持できなくなるような“ゆがみ”のようにみえて、それはいつかみた、ドグ村のあの狂気の大人たちのような、体のふし節をかいたような奇妙な動きにもにていた。しかし、ラヴレンチはその気味悪さに怖気ずくことはない、むしろカイに、ある問をなげかけなければいけない、そのためには、彼はこの戦闘すらも単に自分のイデオロギーというつまらない問題のための困難であって、戦闘の中でその問いに相手が答えるのならば、それこそが彼にとっての本当の勝利とでもいうように、出鱈目な打撃を与え、そしていま、ゆがんだカイの体にもう一打撃を加えようとしていた。
『お前に、愛するものを失って、その愛が許されなくなるという苦痛がわかるか?』
カイが突然奇妙な事をいったので、ラヴレンチはそこでようやく自分の異常さにきがついた。なぜならカイと立ち会うときにおいて、ただ力と激情にまかせ、自分の本来の“型”をわすれていたのだ。そのために彼は一瞬、カイによる反撃をうけた。
『見つけたぞ、お前の戦いかた』
不敵な笑みとともに、カイの体がふたたびその“ひずみ”から実態をとりもどしたとき、その反動を許し、敢えて利用したかのような、強烈な突き上げる打撃を、ラヴレンチはその顎でうけとめたのだった。
『お前に正義はない』
『何をいっている』
カイの動きは、細かな攻撃を与えつつその動きを徐々に相手に補足されやすくなっていた。それはうすくにごった視界が確かになったことでもあり、人間特有の“疲れ”を感じたことにもあった。カイはそこで、新しい動きをしなくてはいけないのだが、先ほどの瞬間的な力からカイは足の機械(COA)をほとんどつかっていないようだった。
『お前はなぜ、あんなボスに使えているんだ?』
『……正しくは、仕えていた、だがな』
『ハッ何をいっている、クローは、お前たちのボスだ』
それには答えず、相手は耐性を整える、その動きは、先ほどまでの軟体動物のような動きともちがって、前進で勢いをつけて、力をためこむような動きで、あごをひいて右腕をはるか後方につきあげて肩を引いていた。
『お前は、この国の過ちに気が付いていないのだ、人間は、二度も甦ってはいけない』
(…………)
『そこに何の秘密があるという、お前には俺の過去は関係がないだろう』
『お前こそ何を……』
どうもかみ合わない返答をさせられて、カイは顔をしかめた。相手の手口を探るように、細かな打撃を相手の正中線(体の中心をとおる弱点の集まり)をねらってかるい一撃一撃を加えて行った。
『“機械天使の物語”なんてものには実態がない、人々が同じ目的を、科学に制限をかける目的を具現化した偶像の信念と大義名分にすぎない、私はそれに支配されているこの国が嫌いだ、私は私の村を破壊したよそ者が嫌いだ、なにより、私のその大義に同意するものがいなかったこの国の人間性と文化を憎む、私は破壊したい、私も、そして彼クローも、ソスランも狂った、だが、私の中にクローはいる、私のために彼等は時間稼ぎをして、二人の少年は犠牲になった、それがすべてだ』
『ふざけんな!!!』
カイは無防備な丸腰の相手にむけて、これでもかという狂気にみちた甲高い声をだした。
『怒った、それがお前の正義だ、お前の正義は、敵がいて初めて存在する、だが思い出してみろ、お前は偶然その相手に出会ったにすぎない、少年を護るという大義名分も、偶然にてにして、エスピィミアとしての過去も偶然その手にふれようとおもったにすぎない、それまでお前は一人の女性を、そして相棒を完全に“忘れて”いたのだからなああ!!』
そして丸腰の相手にむけて、その挑発にのっかって、拳銃をその頭部の中心にむけた、銃口は曲がっている拳銃だったが、その一撃は前触れもなくその腕の、手のひらの中から打ち出された。
ズドン!!!!!
小さなハンドガンから一発のたまが放出された。
人知れず裏通路をつたって、クローファミリーの喧噪の中から、その建物の裏路地へと這い出してきた二人の人間。細い宇宙服をまとったような男がフードの下に赤キャップをかぶったある少年だ、先にたつのは、あのドブネズミケネスである。やがて路地から少年をを路地裏にまでつれてきた、そこでぜえぜえと息をして、そのさらに奥へいくため、翻って大通りのほう、そして左右を探り、尾行の確認をしたが安全とみて、とある印のあるマンホールのふたをあける。それは情報屋“ドブネズミ”のブルーライトのレンズをとおさなくてはわからないドブネズミの彫刻のマークで、この街のいたるところにそれはある。やがて彼らは奥へいきマンホールのふたをあけて、その中へと下っていった。ひといきついたのは下水のどぶ川がながれるその中であって、ネズミたちがチューチューと逃げ去るそのさなかだった。いきをきらして、それでもドブネズミケネスは、ある事をその少年に尋ねる。
『疲れただろう』
そう言って労うのは、きっと本心ではない、ただ個人的に気になっている事があったためだ。ケネスは今では、フード上の頭の宇宙服を半分ぬいで、その頭をまるだしにして、ただガスマスクとマルメガネのようなレンズだけをその顔面にぶらさげていた。
『その、なんだ、……君の信念はよくわかる、例えば犯罪はそうだ、犯罪者は、人類の文明のために生きているわけではないし、それが生きる条件ではない、だが……不思議なのは君がなぜ、あれほどの人数を敵に回したのかという事だ』
少年は、彼が気さくにはなしかけてきたので、お礼をいわざるをえなくなった。ありがとう、とその上で、まるで敵の胸中をさぐるように、敢えて自分の過去を語ってみせた。
『父は、ある信念をもっていた、それは自分がある程度の犯罪的な技能をもっていることを見越していったことだ、それは、“無駄を信じろ”という事だった、無駄の中にその文化文明の秘密があるといって、それをよみとくと、その場所で生き抜く方法が見破れると』
『君、それが、君が“ゴースト”という、ある青年構成員の死を隠し、その後窯についた理由だったのか?』
『そうです、彼は私にとって、本当の父だったのですから』
二人はやがて更なる奥地へと足をはこんだ。それはマンホールと地下をさらに加工してくりぬいた、ある洞穴の中で、そこには財宝やら、執務室やら、会議場やら、たくさんの部屋がアリの巣のようにはりめぐらされていて、彼はその中を、案内人にそってあるいていった。少年は、ただ呆然として、今まで知らなかった、“ドブネズミ”の生きるすべをまざまざと体感し、逆にその生活感あふれる空間に違和感をもったのだ。やがて案内がおわると、長ぼそい廊下の先に、左右にそれぞれまるで牢屋のような格子の付いた部屋があった。その部屋の一室が自分の部屋だと、案内人のケネスがいう。たしかに5度それをとおりすぎたとき、その一室の前で彼はとまった。牢屋のような格子のドアをあけると、中は案外ひろかった。というのも凸の形をしていて、ただ入口だけがひどくせまいのだが、奥は本当に高級なマンションとでもいうような広さを持っていたので驚いた。入口の最中にどうやら更衣室のようなものがあり、そこを通るとき、彼ケネス、前をゆく小柄の大人は宇宙服をぬぎすて、それを全自動らしきドラムの洗濯機に放り込んだ。少年にもそれを促した。いわれるままにそうすると、彼だけが全裸になったので、何がおかしいのか、ケネスはそのさまをまざまざとみてわらった。その先に何があったのか、透明なガラス室でその中にあるものが異様だった。そこには30センチほどのある異様な断面が存在していて、そこには機械のアームと、その先にある掃除道具がつとりつけられていた。それはブラシだ、まるで自動車洗浄につかうようなブラシがアーチ状につくられた壁にずらりとならんで、それが絶えずうごく中を通らされた。それもただあらわれるのではなく、まるで霧のようなミストの中をものすごい勢いでガラス室の息苦しい空間を通らされた。それも一分の間だけで、それをガラス室をでたあとに、ケネスが説明するのだが、そのケネスの格好も、まるでローブにつつまれた優雅な王様とでもいうかのような様子だったので、ああ、これは後から通って正解だったと少年はおもった。
『この部屋は、完全殺菌室なんだ』
少年に下着と着替えをわたして、彼は説明した。少年にわたされたものは、着物の様な民族衣装のような白い簡素なバスローブのようなものだった。
やがてその奥のリビングに、ガラステーブルや、エアコン、テレビ、コンピューターや観葉植物などこれでもかというような贅沢品がおかれているのをみた少年は、緊張したが、あるとき案内人のケネスがきえたので、どこへいったかあたりをみまわしていると、ケネスはその手に湯気のたつコーヒーカップを二つそえてもってきたので、彼はすこしきをぬいて、ケネスが、ガラステーブルをさかいにむかいあうように細長いソファがおいてある、座っていいよ、と声がかかったので、彼はその右側に、彼はそこをリビング兼応接間だとみてとって、彼の言葉にあまえたのだった。
『あの、さっきの……』
『ああ、質問ね、質問……』
それからいくつか無駄話をしたのだが、それらは少年は忘れてしまった。その後、ケネスは、少年にこうこたえたのだった、というよりももちろんそれは質問だったのだが。
『その、さっきの話だが、君がみつけたものについて、詳しく続きをおしえてくれるか?』
二人はまず、自分たちの立場をあかし、自分がもつ情報と相手の情報の違いについてたしかめた。これはひどく手間だったのだ、なにより二人は大人と子供という違いがあったし、ドブネズミはこのときにも、それ以前にも少年に詳しく説明したが“情報屋ゆえに中立の心情を守らなくてはならない”と伝えた。そこでようやく二人は情報の違いの一番重いところをみつけだし、クローファミリーの一番の隠し事、その少年がもっていた秘密とその媒体としてのチップへと話が及んだのだった。
『まずは……私は、話した通り、父の言葉を大事にしたのです、彼が死ぬ前から用心深い性格だったし、“無駄を大事にしろ”といっていたので、彼はどこかに何か重要な秘密や、遺産を隠しているとおもったので、私はあるアパートに父と一緒にくらしていたので、その部屋のすみずみをまず疑った、というのは、父が死んだのは本当に当然のことで、そのことに私は一切関与していないし、見るから自然に、——薬物を大量に飲んで—―自殺に見える形でしんでいたからだ、私はその後の人生をまるであてにしていなかったし、父が突然死ぬことも考えていなかったので、父の生前の言葉を頼りに生き抜く方法を探した、そこで私は、部屋の隅々を探し、あらゆる小さな遺産や、へそくりや、無用に思える小さなメモなんかをあつめていった、その間も父に教わった盗みの手口でなんとかいきのびていたが、あるとき急に社会に子供一人放りだされたのだから、どうすればいいかわからなかった、日々将来に不安を感じ、そんなとき—―ある小さい古いざっしのきりぬきをみつけた、それがとにかく気になった、というものもそれが大して意味のある文脈をなしていなかったからだ、その雑誌をしらべていくうちに、ヒントとなる時代背景と年代がわかった、同じ年代の雑誌をみつけた、その中にあったんだ。秘密の情報が』
『その切り抜きに、何がかいてあったんだい』
『クローは三人目、そう書かれていたのです』
少年がいうには、USBチップにはでかでかとそうかかれていたという。一人目のクローは、父と母による凄惨な虐待で死んでいた。クローがなぜそれを秘密にしたがったかはわからない、そしてなぜ父にそのことを託したのかも。だがケネスは、そこで今度の混乱の本当の動機がわかるような気がした。クローファミリーは、すでに根底から、崩れかけていたのかもしれない、そうおもったのだった。
これにはさすがのケネスも驚いた様子をその顔と表情に浮かべてみせた。
『地下闘技場の天才……』
ケネスは、ひとことつぶやく、それはゴーストと呼ばれた少年、ソニーのに聞きたかった事だ。エスピィミアがたちむかう、あのラヴレンチという存在はどれほどのものなのか、情報屋ですら深い情報などもたなかった。
カイは、それよりも詳しくしっていたかもしれない。拠点地上一階エントランスホールでは、未だに始まったばかりのエスピィミアのカイと、クローファミリーのラヴレンチの決闘が行われていた。もつれあい、小さな打撃をお互いに加えてはいたが大きな変化はなく、ただ一定距離をたもちながら相手の出方をうかがいあっていた。
『“ラヴレンチ”地下闘技場の唯一の、無敗の王者か』
『“エスピィミア”などという栄光の過去を持つお前に、俺の醜い過去など分かるはずはない』
カイがクローファミリーの中で彼と、ソスランの2人に覚えがあったのは偶然ではない。二人がもとよりクローのお気に入りだったからだ。
『フン、醜い過去だと?どれほどのものか、お前は少なくとも、地下闘技場で一度たりともまけたことはない、負け知らずだったはずだ、ラヴレンチ、だから俺も幾度か、公共の場でクローがお前たち二人をみた』
『だからなんだ、エスピィミア』
先ほどうった弾丸は、たしかにラヴレンチの表情をゆがめはしたが、しかしその顔もまた機械的部品で、弾は跳弾してどこかあられもない方向へと逃げて行った。折れ曲がったカイの拳銃にたまは二発だけのこっていた。
『ラヴレンチ、しかし、それを知らなければ、お前の悪魔の手から少年を私が保護することもなかった、お前の過去の面など私はそれほどしか知らないし、興味はない、それに私は—―』
あえて話をぶったぎって、彼は注目を自分にひきつけて、まるで見下すようにして、その視線をおくった。
『ラヴレンチ、私はお前より生身の部分が多いんだ、お前より感情が豊かだよ』
『欺瞞!!欺瞞のエスピィミア!!義賊という大義名分もまた欺瞞!!お前たちは悪だ、悪の存在意義など、悪であることのほかにはない、人から物を盗む悪、そしてお前は大根役者だ!!その身のこなし、私の打撃を避ける奇妙な体幹の動き、お前は明らかに最新世代の“サイボーグマフィア”だろう!!』
『俺は、お前のおもちゃではない、お前の思う通りの返答などする覚悟はない』
『お前の欺瞞は聞き飽きた、だがカイ、お前の決闘術も、お前の戦闘の事実も、お前の過去につみあげられている、カイ、お前は何よりも他者に正義を求めている、たとえば私だ、私を悪としてとらえそうでなければあの少年や、あの白鳥にも接触はしなかった、すべてお前の書いた薄っぺらいおとぎ話の中の出来事だ、私は今まきこまれているのだ』
カイにとって、相手が何をいっているかなんてことは大して重要ではない、けれど意識しても意識や感情は揺さぶられやすかった。彼はいつもポーカーフェイスだったが、心の中までそうではなかった。たしかにすべては、この混乱は、私が、カイが引き起こした、そういう思いもどこかにあったのだから。




