35 冒険者ですが露天風呂です
#35
激流に飲み込まれてぐるぐると世界が回る。身体のあちこちを打たれ、両腕で頭を庇う。
あ、これ死んだな……。
私は目をつぶったまま流れに身を任せる。どちらが床で、どちらが天井かも分からない。鼻腔に水が入って焼けるように痛い。轟々と破滅的な音だけが聞こえる。
『【システム通知】:ネルソンの《戦技Ⅳ=大地陣》! 色物パーティに、増加装甲の魔法効果!』
睡魔に似た絶望のスクリーンに、ぽつんと明示盤が開いた。
ネルソン君が最後に頑張ったらしい。
私もちょっと頑張るか。
だんだん息が苦しくなり、頭の回転が鈍ってくる中、溺れそうな“私”を助けてくれた亜麻色の髪の人魚サーシャと、《水泳スキル》の存在を思い出した。
【マイ・キャラクター】
◆メインアーム:〈桜の鈴〉
アトリビュート・スロット1《水泳Ⅰ=水中適応》
コモン・スロット2《飛行Ⅴ=螺旋回避》
コモン・スロット3《飛行Ⅵ=臨界推進》
コモン・スロット4《風纏Ⅱ=行雲》
コモン・スロット5《疾走Ⅱ=疾駆》
コモン・スロット6《飛行Ⅳ=下方旋回》
◆メインアーム:〈桜の鈴〉
アトリビュート・スロット1《祝福Ⅰ=武運長久》
コモン・スロット2《祝福Ⅱ=交通安全》
コモン・スロット3《祝福Ⅲ=無病息災》
コモン・スロット4《祝福Ⅳ=商売繁盛》
コモン・スロット5《祝福Ⅴ=家庭円満》
コモン・スロット6《祝福Ⅵ=天壌無窮》
◆メインアーム:〈桜の鈴〉
アトリビュート・スロット1《鈴Ⅰ=リカバリー》
コモン・スロット2《鈴Ⅱ=キュアウェーブ》
コモン・スロット3《鈴Ⅲ=バリアブルフィールド》
コモン・スロット4《鈴Ⅳ=ブレイクマジック》
コモン・スロット5《鈴Ⅵ=ファンタズマルヒール》
コモン・スロット6《軽装Ⅴ=アルケミースタンス》
信条を曲げて、《飛行スキル》と《水泳スキル》を入れ替えた。反動でぐっと疲労感が増すが、水中呼吸できるようになるのは大きい。
クールタイムが終わり、能力が身体に馴染む。
ぼんやりと周りが見えるようになってきた。
《収納術》から鈴を取り出す。
「《鈴Ⅲ=バリアブルフィールド》《鈴Ⅰ=リカバリー》《鈴Ⅰ=リカバリー》」
私は薄暗い水流の中、大雑把に回復魔法を飛ばしまくった。濁流に流されるまま無心に回復を連打した。
不意にまぶしさに包まれた。
水流と共に光の中に打ち上げられ、何かに叩きつけられる。
「リーン」と澄んだ音がして、最後の【万能緩衝盾】の魔法効果が切れた。
「ゲッホ、ゴッホ、ンン? アレ? 生きてるのカナ? しょっぱー」
「す、い、え、い、もっ」
オズさんとネコジンさんが空を飛んでいる。《飛行スキル》のどれかをアイコンスロットに保持していたようだ。
飛ぶのは未だに難しいらしく、目と口から謎物質を撒き散らしながら、ふらふらと高度を下げていった。
「海の匂いだな」
すぐ近くで、ネルソン君の声がした。私は鋼鉄の胸鎧に激突したらしい。
私は顔に両手を当てて涙目になった。
「はなが、いたい……」
下を見ると、大草原の真ん中に湖がある。いくつもの巨大な水柱が立ち上がり、キラキラと虹を作りながら湖に降り注いでいる。
地上には白い砂浜が出来つつあった。拳王さんとイモスナさんが刺さっていた。 砂浜に下りて助け出すと、見た目どおり頑丈な二人は無事だったようだ。
まあ、プレイヤー・キャラクターであれば、死体を膝枕して看病すれば衰弱状態までお手軽に戻る。首がちょん切れていたらどうだか知らないが。
「溺れながら三百秒カウントしたわ。ぶっちぎりで新記録だわ」
「アレレ? 人魚でも溺れるんだ?」
「うむ、あれだ。水泳と深淵を間違えた」
「ブハッ、ウハハッ! 海水かよコレ! 喉イテェ!」
「はああああゲフッ、ブホッ! 拳王、《深淵Ⅰ=迷水百遷》!」
拳王さんが《深淵スキル》の能力を叫ぶ。
空から落ちてくる水しぶきが空中の一点に集まり、芋虫のようにニョロニョロと動き出す。
拳王さんはブルースネーク、カモンした!
死にかけたわりに元気そうである。
ちなみに《深淵Ⅰ=迷水百遷》は【常時】アイコンなので、叫ばなくても大丈夫だと思うのだが。なにか特別な意味があるのかもしれない。
「オズさん、オズさん、オズさん! 壊れちゃった……」
「あー。耐久0カナ? 海水被っちゃったしネ」
私は、左手の鈴を揺らした。
精巧な透かし彫りが潰れた桜の花鈴は、音が鳴らなくなっていた。
「溶かして作り直そっか?」
「うん」
私は壊れた鈴を両手で包み、さよならをした。
「ギルド温泉、芒に朏! 入浴料、銀貨二枚!」
拳王さんが野太い声を張り上げる。青と水色の怪人が白い砂浜を匍匐前進する姿はよく目立つ。
さっきまでプレイヤーの水死体が散らばっていた砂浜であるが、今は小屋が二つ建っている。小屋の近くでは、オズさんがノリノリで大浴場を組み立て中だ。
「すまん。乾燥しすぎて割れた」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
ネルソン君の《収納術》から、丸太がドサリと砂の上に落とされる。ネルソン君が木材を調達して、オズさんが加工するという布陣である。
私も木こりを手伝おうとしたのだが、《収納術》が満杯で断念した。
私はネコジンさんと一緒に、水着姿で洗濯屋さんを営業中である。《日焼止》完備! 水着はビキニタイプしか持ち合わせが無かった。もういっこは何処へいったのだろう。
ちなみにネコジンさんは、西部劇風のポンチョにウエスタンハットを被り、サングラスで中途半端に顔を隠している。
「洗濯物、十アイテムまで金貨一枚。金物は洗わないと錆びるよ」
「やべ、錆びるのか」「まじで」
ネコジンさんの発言を聞き、慌てて鎧を脱ぎ出す戦士たち。気の早い人は、鎧下まで脱いで行列に並んでいる。
二人がかりで《洗濯》するので、列はそれなりの速度で捌けていく。
何人目かのお客さんが私の前にやってきて、キラキラした上等そうなローブを手渡された。生活系スキルで洗っていいものか判断に困った。
「ねね、ネコジンさん。このローブ、《洗濯》して大丈夫かな?」
「これ使って」
「洗濯ネット……だと……」
ノイシュは洗濯ネットを手に入れた!
「あ、女神ちゃんのブラウスはシルクだから。洗濯ネットでもだめよ」
ネコジンさん謹製、異様に着心地の良いブラウスは、絹製品だったらしい。化学繊維みたいにキラッと光るのに極上の肌触り。確かにシルクしかないか。
ちなみにそのブラウスは、びしょびしょの制服と共に《収納術》に放り込んである。
手を動かしながら、ネコジンさんの薀蓄が続く。シルクは擦ってはダメだとか。アルカリ石鹸と直射日光は厳禁だとか。蚕の吐き出すタンパク質がシルクになるだとか。
「あとで、ブラウスに《日焼止》しとこう……。そういえば、人魚さんの亜麻髪の水着も、タンパク質?」
「そうなるわね」
「《洗濯》しちゃったけど……。《整髪》の方がよかった?」
「それは初期装備みたいだから、大丈夫」
「ふぅん」
私は亜麻色のビキニを指で摘んで、人魚のサーシャに感謝した。
ついでに、思いつきを口にする。
「シルクを《整髪》したら、どうなのかな?」
「なるほど。ちょっと試しに」
ネコジンさんが白い端切れを取り出し、濡らしたり汚したりして洗濯ネットに入れる。それを私が《整髪》する。
布を調べたネコジンさんが、重々しく頷く。実験は成功である。
私たちは洗濯待ちの行列をすべて片付けて、学校の制服もついでに綺麗にした。
「ふぃぃぃぃ……生き返るわい」
「ルビコン川を渡り損ねたぜ」
「ルビコン川? ステュクスの川じゃろ?」
一回死んで衰弱したプレイヤーたちが、思い思いに湯船につかってくつろいでいる。
浴槽の中央には櫓が立ち、天辺にある木桶からお湯がザアザアと滝のように落ちている。洗い場でお湯を使うときは、櫓の上のタンクから供給される仕組みらしい。
初期装備または水着着用の混浴風呂である。混浴だが、なんとはなしに湯の滝を挟んで、男女に分かれて座っている。イモスナさんが男性グループの方へ行こうとしたので、犬のように引っ張って連れ戻した。
私は湯船の縁に座って羽を伸ばす。
「ネエネエ、お湯そろそろ頼んでいいカナ?」
お湯を汲み上げる魔導ポンプを見ていたオズさんが戻ってきた。
魔導ポンプというのは、配水管の先端についたリング状の器具のことらしい。リングの表面には文字が刻んであり、ネオンサインのように明滅しながら光がぐるぐる廻っている。刻んでいる文字は、《上に参ります上に参ります上に参ります》。シュールな感じである。
「あいあい。《深淵Ⅳ=間欠泉》」
砂浜から「ドーン!」と温泉が吹き上がり、落ちて湯溜りを作る。
人魚の種族魔法を使った私の翼は、一瞬だけサーシャの青いウロコに覆われ、またすぐに純白の羽毛に戻る。
「ネエネエ、羽根みせつけてるの?」
オズさんが羽根をつんつんしてくる。くすぐったいので止めていただきたい。
「え、いや、いきなり入ると、身体に悪いし」
「もしかしてスッゴイお婆ちゃんだったりスル?」
「え、私8歳設定ですし……」
「80歳カナ?」
「《深淵Ⅲ=鉄砲水》」
私はオズさんをぶっ飛ばした。
ずぶぬれになったオズさんは、「やったナー?」などと言って湯船に飛び込んだり戦ったりしたが、すぐに飽きて犬掻きで泳ぎ始めた。いや猫掻きか。
「オズさんって、水に濡れると宇宙人グレイみたい」
「気にしてるみたいだから、言っちゃダメよ」
ウエスタン帽とサングラスで湯に浸かるネコジンさんも、充分シュールである。
やっぱり、種族を隠さないとまずいのだろうか?
オズさんは黒猫獣人の姿で泳ぎまくっているが。
横を見ると、イモスナさんも毛並みがクッタリした残念な容貌になっていた。
「女神ちゃん、何やってるの?」
パンドラさんが近くに寄ってきて、そう言った。
今回の冒険の一番の成果は、顔見知りが増えたことだろうか。
いや、前からフレンドだった。素で忘れていた。
「羽根、つけちゃ、ダメかと」
身体が温まってきた私は、第二段階に移行した。お湯の中でうつ伏せになり、えびぞり気味に髪と羽根を水面に出している。
水面が高いのでなかなか厳しい。かろうじて返事を返す。ながくは保ちそうにない。
「ハネはセーフじゃない?」
パンドラさんが助け舟を出してくれるが、それを受け入れる訳にはいかない。
羽根が痛むかもしれないし。
私が困っていると、ネコジンさんから助けが来た。
「何か作ろうか?」
「おね、がい、しま……」
「肌色の布ないけど」
私の水着をチラ見して、ネコジンさんはそう言った。
肌色じゃないが。
ネコジンさんは空中に【マジカルマネキン】を浮かべ、お風呂に入ったまま、靴下のようなものを作る。パンドラさんが「すごーい」とか「私も裁縫しよっかな」とかキャピキャピはしゃいでいる。
そして、くるくる巻き込んで団子にしたその黒い布を、私の純白の風切羽にあてがい、翼に被せていく。
「砂漠用の布地なのだけれど、防水も大丈夫のはず」
ノイシュは羽ニーソを装備した!
羽にニーソックスとか穿くのは、たぶん私くらいのものだろう。根元まで穿いてるからサイハイか。手羽先だし手羽袋か。いや、どうでもいいか。さらばナイス羽根また会う日まで。羽根が見えなくて生きるのが辛い。
こうして私は、ゲーム内で初めてのお風呂を堪能することができた。
筋肉と皮下脂肪のバランスが我ながらベストのキャラクリであり、もちもちのぷるぷるだった。
小一時間でお風呂を切り上げ、更衣室の小屋で制服に着替えた。名前を忘れたメイドさんに念入りに結われた白金色の長い髪は、洗って《整髪》することで元通りになった。変な癖が付かなくてよかった。
時刻はお昼過ぎである。そろそろオーレリア姉様のところへ戻らなければ、ヤバイ気配がギュンギュンする。虫の知らせかもしれない。
「らんらん♪ そろそろ落ちるね。NPCお願い」
「えー、バーベキューやろうよ」
「落ちるのかよッ! まいっか、じゃあの」「まったねー」
「バーイーバーイー」
銀髪の女の子が、パンさんやアリアさんたち圧縮ラブPTに別れを告げた。ログアウトの時間らしい。
私もいちおう手を振っておく。
銀髪の女の子の表情が急にやわらかくなる。そして、辺りをキョロキョロと不安げに見回したりしている。プレイヤーが落ちて、NPCに変わったようだ。
「モナはかわいいのう」
「あうー」
水色ツインテールのアリアさんが、銀髪の女の子のほっぺたをむにむに弄る。同じ年頃の女の子同士のじゃれあいなのだが、言わざるを得ない。
お巡りさんこっちです。
「モナ、パン食うか?」
「うん」
コッペパンを手渡されたモナちゃんは、両手に持って、モキュモキュと一心不乱にパンを食べる。なにこの子かわいい。
視線を感じたのか、目が合った。
「お貴族さま──!」
モナちゃんはパンをポロリと落とす。
ダッシュで駆け寄り、パンをキャッチする。私の反射神経が良い仕事をした。
「あ、あり、ありが、あ」
「どした? ……お、斧白姫さま!?」「なんやなんや?」
挙動不審なモナちゃんに釣られて、人が集まってきた。みんな私を見ている。
たすけてお巡りさん!
盾を背負った赤髪の戦士がやってきた。名前は忘れたが、金貨トレードの人である。片膝を突いて私の前に跪き、右手を胸に当て大仰にお辞儀をする。
「ご足労いただきありがとうございます。【Lの砦】遠征隊隊長ルーファスです。依頼書の認証押捺をお願いいたします」
「え」
「あれ? バグったかな? 【Lの砦】遠征隊隊長ルーファスです。依頼書の認証押捺をお願いします」
私は困惑して首を傾げる。ルーファスさんも首をかしげる。なんだこれ。
「こんなちっちゃな子だしな。やり方知らんのでは?」「そうか」
「お嬢様、青い石がついた木の棒をお持ちでは?」「木の棒はないだろw」
私は、巾着袋の中から、オズさん謹製の短杖を取り出す。翼のように広がった杖頭には青い宝石が埋め込まれ、シャフト全体に蛇の絡みついた彫刻が施されている。
それは、魔杖オズバーンという、オズさんっぽい名前の杖だった。
「おお! それです! お嬢様、こちらに宝石を近づけてください」
ルーファスさんが両手で掲げ持つ五角形の羊皮紙に、杖頭を触れさせる。
宝石の中の紋章が輝き、シックス伯爵令嬢ノイシュという名と、斧と鷲の紋章が書面に記された。
「ありがとうございます」
「帰るか」「《斧スキル》w」「いらねw」
「やれやれだぜ」「ロスト無しで助かった」
私への関心を急速に失ったプレイヤーたちは、軽口を叩きながら青いノイズの中へ消えていく。
後に残ったのは、色物PTと、パンさんと、モナちゃんを連れたアリアさんだけだった。
何これバグってる?
「ん? 何やってるんだぜ?」
アリアさんがモナちゃんの手を引いて、青いノイズに飛び込んだ。
「いまの何?」「さあ? なんダロ?」
「腹減ッタァ! 帰ろうゼェ」「であるな」「うむ」
残された私たちも、ワープゲートに飛び込んだ。




