想い人に贈る“一輪の薔薇”と“十二本の薔薇の花束” 後編。
温かな太陽の光が差し込む窓辺のソファに座りゆったりと読書の時間を楽しんでいたマリーロゼが、ふと誰かに呼ばれた気がして顔を上げ、紅茶の乗ったテーブルの上に読みかけの本にしおりを挟んでから置いて立ち上がる。
首を傾げながらも、バルコニーへと続く窓を静かに開けて外を見渡せば、マリーロゼの部屋のバルコニーから見える庭に見慣れた紅い頭が見えた。
「柊様? そのような所で何をなさっておりますの?」
「ま、マリーロゼっ?!」
頭上より降ってきたマリーロゼの声に身体をビクリと揺らし、背中に何かを隠して勢いよく立ち上がった柊の姿にマリーロゼはますます疑問符を浮かべてしまう。
「あ……あー……き、奇遇だな? こんな所で会うなんて!」
「……奇遇も何も、私の部屋の窓の下ですし……」
片手を頬に当てて首を傾げて不思議そうに答えるマリーロゼに、柊は余計に狼狽え言葉が続かなくなる。
「……その……すまん。」
山吹に背中を押される形でマリーロゼの元へと移動しようとした柊だったが、本人にいざ会おうとした時になり、一体何を言えば良いのか迷いに迷った挙げ句の果てに、取り敢えず考えすぎて熱くなった頭を冷まそうと庭へと移動したのだ。
しかし、柊は無意識の内にマリーロゼの部屋の近くの庭へと移動してしまい、うなり声を上げて悩み続けていた所をマリーロゼに発見されてしまったのである。
「何を謝られているのかは分かりませんが……柊様、もしも宜しければ一緒にお茶でも如何ですか?」
ふんわりと微笑んで柊をお茶に誘うマリーロゼの笑みを前に、柊のマリーロゼへともう一度格好良く想いを伝え直すという決心が鈍ってしまう。
「……うっ……お、俺は……」
どうしたものかと迷い、視線を泳がせる柊の姿にますます首を傾げてしまうマリーロゼ。
「本当に今日はどうされましたの? いつもの柊様らしく有りませんわ。」
「……うぐ……。」
ジイッと柊を観察してくるマリーロゼの視線に柊が耐えられなくなり始めた頃、何かに気が付いたマリーロゼが口を開いた。
「そういえば、柊様は背中に何をお持ちなのですか? チラリと紅い色は見えたのですが。」
「みっ見えたのかっ?!」
彷徨わせていた視線をマリーロゼへと向け、しまったという表情を浮かべた柊にマリーロゼの方が驚いてしまう。
「え?……私が見てはいけない物だったのですか?」
何処か悲しさと不安に彩られてしまったマリーロゼの表情に迷っていた柊の覚悟が決まり、緊張に強張る身体を無理矢理動かし始める。
「見てはいけないというか……お前に渡そうと思っていたんだ。」
マリーロゼのいるバルコニーへと転移した柊は、背中に隠していた一輪の深紅の薔薇を取り出す。
「私にですか?」
目の前に差し出された薔薇と、照れくさそうに視線を反らす柊を見比べてしまうマリーロゼ。
「……その……俺はあんな場所でマリーロゼに想いを伝える気は無かったし、流石にあんな場所が想いを通わせた場所なんて……何と言うか俺も嫌だからな……改めて告げさせて欲しいと思ったんだよ。」
「……柊様……まさか……?」
マリーロゼの大きな瞳がさらに見開き、期待に潤んでいく。
「……俺は……その、マリーロゼに初めて会った時から……惹かれていたのだと思う。 俺を恐れることなく、真っ直ぐに見詰めてくれるお前の眼差しに……花のような笑顔に。」
切れ切れになりながらも、一生懸命に想いを伝えようとしてくれている柊の姿にマリーロゼの頬が薔薇色に染まっていく。
「……永い時を生きてきた中で……マリーロゼだけが共に有りたいと、側にいたいと思えたんだ。……人と精霊である俺達が共に有り続けるためには悩んでしまうこともあると思う……だが、二人で悩んで出だした答えならどんな答えでも受け入れることが出来る。」
反らしていた視線をマリーロゼに向け、優しい微笑を浮かべた柊は手に持った一輪の深紅の薔薇をマリーロゼへと差し出す。
「……俺はマリーロゼと共に生きて行きたい。 どうか、俺の気持ちを受け取って欲しい。」
マリーロゼは柊から差し出された一輪の薔薇をしっかりと受け取り、大切そうに胸元へと引き寄せ幸せに満ちた微笑を浮かべる。
柊より差し出された一輪の薔薇。
それは“一目惚れ”であり、“あなたしかいない”“運命の人”であると、マリーロゼ一人を想っているのだという柊の心の表れだった。
「お受けいたします、柊様。 私を柊様のお側において下さいませ。」
マリーロゼの返事を受けて幸せそうに微笑んだ柊はマリーロゼを優しく抱き寄せ、耳元で囁く。
「……マリーロゼ……愛している……何時の日か、お前に十二本の薔薇を必ず贈ることを……約束する。」
「はい! マリーロゼはその日を心よりお待ちしております。」
抱きしめ合った二人は何時までも幸せそうに微笑み合い、どちらとも無く唇を寄せるのだった……。
※※※※※※※※※※
「うぅぅ……マリーロゼまで酷いよぉ……」
フェリシアにあるお気に入りの桜の大木の枝に座りながらゆうりは落ち込んでいた。
着せ替え人形の状態のまま逃げてきてしまったゆうりは、純白のワンショルダータイプの意匠のドレスを身に纏っていた。
肩の部分にある花飾りが可愛らしい、貴族の淑女達が好むような華やかなドレスではないシンプルなドレス。
己とは縁が無いと思っていたウエディングドレスを着ることが出来た事は、何気に嬉しかったゆうりは折角着たのだからもう少しだけこのままで良いか、と考えていた。
「……結婚……か……考えもしなかったな。」
桜の木の枝の上から片足だけを垂らし揺らしながら、ゆうりはヴィクトリアに突きつけられた結婚ということを考えてみる。
「……あは……女子高生だった頃は漠然と夢みてたかもしれないけどさ……どう考えたって無理でしょ……。」
自重する笑みを浮かべたゆうりは悲しげに呟く。
本当に大切で、愛しく想っているからこそ……愛する人の命を己という存在で縛り付けて、人としての生きて死ぬ道を奪ってしまって良いのかと、何気ないふとした瞬間にゆうりの心に繰り返し影を指す。
「……あーあ、もうっ! 私らしくないやっ!! これもそれも、ヴィクトリアが変なことを言うから悪いんだっ!!!」
うがーっと心の中に頭をもたげた気弱な考えを振り払おうと両手を振り、思わず奇声を発してしまったゆうりの足下から、此処に居るはずのない声が聞こえてきた。
「ゆうり様。」
聞こえてきた直前まで考えていた人物の間違えることなど有り得ない声に驚いたゆうりは、木の上に座っていた身体の均衡を崩してしまう。
「え……えぇっ?!」
「なっ?! ゆうり様っっ!!!」
均衡が崩れ重力に従い地面へと落ちていくゆうりの身体を、まさか己の声に驚いて落ちてしまうとは思ってもいなかったブラッドフォードが手に持っていた“物”を捨て去り慌てて受け止める。
「……あ……ありがとう、ブラッドフォード……。」
しっかりとお姫様抱っこで受け止めたゆうりに怪我が無いことを一瞥して確認したブラッドフォードは、安堵のため息を付く。
「……良かった……怪我は無いようですね。……本当に、ゆうり様の側にいると心臓が幾つあっても持ちませんね。」
クスリと苦笑しながらブラッドフォードが漏らしてしまった言葉に、ゆうりはピクリと反応してしまう。
「……私と一緒に居ると……やっぱり……苦痛……?」
「……ゆうり様、何を……?」
己の顔から視線を反らしながら、ぼそりと呟いたゆうりの普段とは違う様子にブラッドフォードは首を傾げてしまう。
ゆうりの身体をそっと地面へと降ろしブラッドフォードは、不安に駆られている様子のゆうりへと視線を合わせ優しく問いかける。
「ゆうり様、何を不安に思われているのですか?」
「…………っっ!……あはっ! 何でもないよ!!」
思わず漏らしてしまった己らしくない弱気な言葉にゆうりはしまった、という表情を浮かべ誤魔化すように笑ってみせる。
「ゆうり様?」
「うっ……」
しかし、ブラッドフォードはさらにゆうりへと追い打ちを掛けるように追及の手を緩めることはなかった。
「……別にさ……大した事じゃないんだよ。 君が、本当に私なんかの隣にいることが幸せなのかと少しだけ考えてしまっただけだもん。」
ぷいっと顔を背けながら告げたゆうりは顔を背けてしまったがために、ブラッドフォードの表情の変化に気が付く事が出来なかった。
「ゆうり様?」
「え?……いったたたたたたっ! いひゃいっ!」
清々しいほどに爽やかな満面の笑みを浮かべたブラッドフォードが、額に青筋を浮かべながらゆうりの両頬を伸ばしていた。
「おや、ゆうり様の頬は柔らかいからでしょうか? ふふ、よく伸びますね。」
「いひゃいっ! いひゃいってばっっ!! あうっっ!!!」
パチンッと音を立てて伸ばされていた頬がブラッドフォードの手から解放されれば、ゆうりの頬は紅くなってしまっていた。
うぅぅ……、と両手で紅くなった頬を押さえたゆうりは恨めしげにブラッドフォードへと視線を向けてしまう。
「何すんのさっっ?!」
「ゆうり様が自身の事を“なんか”と表現したことと、余りにも私のことを信じて下さらないので、ちょっとだけお仕置きしただけですよ。」
笑みを浮かべたまま悪びれもなく答えるブラッドフォードの言葉にゆうりは反論しようとするが、何と言うべきか迷い口を閉じてしまう。
「ゆうり様、人間である私を精霊にしてしまうことに貴女様が後ろめたい気持ちになっていることは知っています。 ですが、ゆうり様に想いを告げた際にも言いましたが私自身が選択した事です。 貴女様の所為ではありません。」
「……でも……」
不安定になってしまった心は、なかなか前を向いてくれることを許してはくれずゆうりの表情が晴れることはなかった。
「それに、私は嬉しいですけどね。」
「何が?」
首を傾げるゆうりの身体を腕の中に捕まえたブラッドフォードは、笑顔であるはずなのに何処か違和感を感じてしまう表情を浮かべて囁く。
「私を精霊にすることで貴女様の心の中に私への罪悪感が有り続けるでしょう? そうすれば、ゆうり様は私以外の異性に心を奪われることなど貴女様の性格上決して有り得なくなる。」
何処か暗い感情を宿したブラッドフォードの瞳と言葉に、ゆうりは目を見開いてしまう。
「……最初は例えゆうり様を手に入れることが出来なくとも、命が終わる前に貴女様への愛の言葉を囁いて自決すれば貴女様の心にずっと残ることが出来るなどと考えていたような……そんな男ですよ、私は。」
嫌われると思って黙っていたんですと、うっそりと色気を感じる微笑を浮かべたブラッドフォードは、ゆうりの頬を優しく撫でて唇を寄せていく。
ゆうりはそんなブラッドフォードの瞳に囚われ、いつの間にか視線を反らすことすら出来なくなっていた。
「……私が恐ろしいですか?……ですが、もう私の元から逃げることなど許さない。」
蜘蛛が捕らえた蝶を捕食するように、互いの吐息すら感じてしまいそうな程に唇を寄せ、そのまま味わおうとした欲に染まったブラッドフォードの瞳に抵抗すらままならず、囚われてしまったゆうり。
「……ゆうり様は私だけのもので、ぐふっ」
そのまま、無抵抗のゆうりと口づけを交わそうとしたブラッドフォードの腹部に、ゆうりの黄金の右手が深々とめり込んでいた。
激しく咳き込みながら両膝を付いたブラッドフォードを呆れた眼差しで見下ろすゆうり。
「……はあ……なんていうかさ……うん。 悩んだ私が馬鹿だった。」
額を手で押さえながらため息を付いて呟いたゆうりは、今までの恋に悩む乙女の雰囲気など霧散させてしまっていた。
「うん。 君みたいに色んな意味で危険な野郎の貰い手なんて、絶対に私以外いないね。 つーか、その思考回路やばすぎでしょ。」
未だに痛みに悶えるブラッドフォードを見詰めるゆうりは、色んな物を吹っ切ってしまっていた。
「……ゆ……ゆうり様……突然正気に戻るなど酷くありませんか?」
「全然。 君の方こそ、弱気になっている私に漬け込んで何をしようとしてんのさ。」
ジトッとした視線を向けてくるゆうりへと、ブラッドフォードは視線を泳がせながら、しれっと答えた。
「何って……珍しくゆうり様が弱気になっておりましたので、色んな意味で逃げ場が無くなるように囲ってしまおうかな、と……。」
「……絶対に君の前でだけは私は弱気にならないって決めた。」
ブラッドフォードの危険な発言、頬を引き攣らせ危なかったとゆうりは冷や汗を流してしまう。
「……そういえばさ……何でブラッドフォードってば、フェリシアにいるの? 私は連れてきた覚えがないんだけど。」
「山吹様ですよ。 陛下の執務室にゴーシュ騎士団長と共に特攻されまして……まあ、元々拉致されたと言いますか……」
殴られた腹部を摩りながら立ち上がったブラッドフォードは、苦笑してゆうりの問いかけに答えた。
「……山吹……ヴィクトリア……碌な事しないんだから。」
疲れたように項垂れてしまったゆうりへと、ブラッドフォードも力のない笑みを浮かべてしまう。
しかし、すぐに笑みを引っ込めるとゆうりを受け止めるために投げ捨てた“物”を拾い上げ、ゆうりへと差し出す。
「……薔薇の花束……?」
ゆうりの目の前に差し出されたのは十二本の薔薇の花束だった。
「これって“ダーズンローズ”?」
「やはりご存じでしたか。」
深紅の薔薇が十二本包まれていたことに気が付いたゆうりは呟き、ブラッドフォードは笑みを浮かべ続ける。
「ゆうり様、私は貴女様に十二の誓いを捧げます。」
薔薇の花束を受け取って欲しいと、差し出しながらブラッドフォードはさらに微笑む。
ダーズンローズの十二本の深紅の薔薇にはそれぞれに意味がある。
“感謝・誠実・幸福・信頼・希望・愛情・情熱・真実・尊敬・栄光・努力・永遠”
その十二の想いを愛する人に誓うという“ダーズンローズ”。
「……相も変わらず……ほんっとうに君は気障ったらしいね。」
「……お嫌ですか?」
照れくさそうにぼやきながら視線を反らすゆうりへと、にこにこと笑みを崩すことのないブラッドフォード。
受け取って貰えることを疑ってもいないように見える目の前のブラッドフォードに対し、何となく悔しい気持ちでいっぱいになってしまうゆうり。
「……君みたいに独占欲と嫉妬心の塊で、危ない思考回路の危険人物の相手なんて私くらいしか務まりそうもないからね。」
憎まれ口を叩きながらも、その表情は口を裏切り嬉しそうな表情を浮かべてしまっていた。
「……その誓い受けとるよ。」
ブラッドフォードの手より、薔薇の花束を受け取ったゆうりは十二本の中から一輪の薔薇を抜き出し、ブラッドフォードの胸元へと飾る。
そして、そのままダーズンローズの返事を貰えたことに安堵と嬉しさを滲ませたブラッドフォードが行動するよりも早くゆうりはブラッドフォードの胸元を掴み、その頬に唇を寄せる。
「どんなことでも、やられっぱなしは性に合わないんだよね。」
頬を紅く染めながら悪戯な笑みを浮かべたゆうりの行動に、頬に口づけを受けたのだと理解したブラッドフォードは目を丸くして、紅く染まっていく頬を押さえてしまう。
その姿を満足そうに見詰めたゆうりは、幸せで一杯の晴れやかな笑みを浮かべ続けるのだった。
御陰様で完結でき番外編を別に更新中でございますので、もし宜しければそちらもよろしくお願いします。




