星野夢2
その後、星野とは毎週会うようになった。今までにないくらいの誠実な付き合いだ。
彼女のドジぶりはよく分かった。待ち合わせ場所に一時間遅れたかと思うと、反対方向の電車に乗って、全く気づかなかったというオチや、東口待ち合わせを間違えて西口でずっと待っていたなど、怒りたくても怒れないかわいらしさ万歳だった。しかも、そういう時に限って携帯電話を携帯していないというオチ。
待ち合わせ自体がサバイバルで、無事に会える方が珍しい。やっとのことで会うと、星野はホッとした表情を俺に見せる。それまですごく不安そうで、泣きそうな表情だったから、俺はそんな星野をかわいく思い、思わず往来で抱きしめてしまうことも多い。
今日もまた無事には到着しなかった。あれだけ注意するように言ったのに、俺の姿を見て安心したのか、にこにこしながら俺に向かって歩いてくる。確かに、それまでは総てが無事だった。待ち合わせ場所を間違えることもなかったし、怪我をしている感じもない。だが、俺を見つけてホッとしたのだろう。俺だけに気を取られているらしく、すれ違う人たちにぶつかりそうだった。相手がどいてくれていたから免れていたが、最後の最後、見事に期待通り?星野を抜こうとした男にぶつかられ、前に倒れ込んだ。これは予想していなかったらしく、見事に豪快に転んだ。ぶつかった男は一瞬星野を見たが、無視をして去って行った。
「夢、大丈夫?」
俺が駆け寄ると、星野は作り笑みをする。
「またやっちゃった」
「今回は不可抗力だよ。せっかく絆創膏から逃れられると思ったのにね」
俺は星野を立たせた。まだ先週怪我をしたところは治っていなく、膝には見事なかさぶたがある。そこを見事に外して、怪我をするところはさすがだ。新たな傷は見事なものだった。そのほかに頬に擦り傷がある。顔面擦ったということか。掌は無事だが、肘から手首にかけてすりむいたらしい。洋服から血がにじみ出ていた。きちんと転んだところを見たのに、どう転んだのか謎だ。
「さあ、この前の公園に行こうか」
以前もここで待ち合わせし、見ごとに怪我をして、公園で手当てした。マンションがいくつか建っているところにある小さな公園だ。
「本当に、いつもごめんなさい」
「もう慣れたから大丈夫」
俺の言葉に星野は俯いた。
今日の星野の格好はかわいらしい。ピンクの花柄のワンピースは星野に似合っていた。胸元が少し開いていて、少しかがむと危ない。ドジな星野にはこういった胸元が開いている服は着させてはいけないだろう。胸を見放題だ。
今日の靴はウエッジソールで安定感はあるようだが、高さがある。どうしてこうも無理して慣れない靴を履くのか俺には理解できなかった。
星野の手当てを終え、約束のランチに行く。ホテルのランチバイキングに行きたいと先週言っていたのだ。人気のランチなので、少し待たされるだろうが、二人で待っていれば苦ではない。
ホテルに辿り着き、レストランへ行くと、入口のところで三十分程待つことを伝えられた。三十分なら問題ない。俺たちはそこで待つことにした。
「楽しみだね」
星野はにこにこしながら言った。
「食べ過ぎて歩けなくなるんじゃないの?」
「そうなっても呆れないでね」
「仕方ないね。抱えて帰ってあげるよ」
俺の言葉に星野はクスクスと笑った。
「安心していっぱい食べられるね」
にこにこしながら楽しそうに話す星野がかわいくて、思わず肩を抱き寄せた。
バイキングはあまり落ち着かないし好きではない。だけれど、星野が楽しそうに食事をしている姿を見ると、来てよかったと思えるから不思議だ。星野が何を食べようかと皿を持ち、迷っている姿を椅子に座りながら眺める。端から端へと往復している星野の姿は見ていて飽きない。
テーブルには星野がもってきた食事が何皿か置かれている。俺は早々に自分でとってきており、それを食べていた。そして、じっと星野が転ばないか見守っていた。食べ物に気を取られているから危ないのだ。今はまだ免れているけれど。豪快に転んだら、食べ物も無駄になるだろうなと思いながら、俺は星野を手伝おうとは思わなかった。
星野は様々なものを皿に乗せて戻ってきて、それを豪快に食べる。テーブルに広がるお皿の数。これを総て食べるのかと、眼が点になったが、俺の眼など気にすることもなく、いつものように豪快だ。
星野は俺の分も取ってきていたようで、差し出された。それを食べるたびに、星野は目顔で何かを訴えていた。何を言いたいのかは最後まで分からなかったけれど。
「口についているよ」
俺は星野の口の端についたソースを指差しながら言った。ローストビーフを食べていたからそのソースがついたのだろう。星野はペーパーナプキンを取り、口の周りを丁寧に拭いた。
「うん、とれたよ」
「ありがとう」
にこりと微笑み、再び食事に戻る。見事な食欲だ。本当に食べたかったようだ。
確かに目移りするくらいにおいしそうな料理が並んでいるから、いっぱい食べたくなるだろうけれど、ここまで豪快でなくてもいいのではないかと思う。でも、とても美味しそうに食べているから、まあいいのだろう。
結局、きちんとデザートまで食べて、もうなにもおなかに入らないと言うところまで星野は食べた。時間ぎりぎりまで店内にいて、おなかを落ち着かせるが、時間が足りなかった。
昼食の後、本当に歩けなくなった星野を約束通り抱え、公園のベンチに座った。喫茶店にでも入ろうかと思っていたが、飲み物もおなかに入らないと星野は言ったのだ。それほどまでに食べてしまったのかと呆れたが、こういうところも許せてしまうから不思議だ。
星野はベンチで凭れ、青い空を眺めていた。俺はその横顔をじっと見つめた。無言の時間だったが、嫌ではなかった。
星野はあまりおしゃべりではない。平日、仕事の時は小さな子どもたちとはしゃぐからかもしれない。こうやって静かに過ごすことも多く、それは会話が思いつかないとかつまらないとかそういうことではないようだ。それに気づいた時から、俺は気にしなくなった。
結局、公園で一時間程過ごし、少しショッピングを楽しみ、夕飯は軽くすませた。と言っても、星野は食べられないと言って飲み物を飲んでいるだけで、俺が蕎麦を食べただけだ。
そして、今日初めて俺は星野にキスをした。駅の見えづらいところでそっと唇に。本当に軽く立ったけれど。星野は嫌がらなかった。それよりも照れるように微笑み、俯く姿が初心な感じがしてかわいらしかった。そんな姿が嬉しくて、ぎゅっと強く抱きしめた。
今日も彼女はすごい姿でやってきた。すでに怪我を負っているのだ。もう止めればいいのに、ヒールは必ず履いてくる。履き慣れていないのではなくドジだから転ぶのだ。膝から多量の血を流したまま、小走りで俺のところまで来た。ヒールなのだから走らなくてもいいのに、かわいらしく走る。俺はハラハラして仕方ない。周りの人間の注目ももちろん浴びていた。そして、お約束のように、俺の眼の前で豪快に転んでくれた。
びっくりして駆け寄ると、照れ笑いを俺に向ける。そんな事より、立ち上がりなよ、と思いながら手を差し出す。一層ひどい怪我だ。俺のもとに辿り着いた星野は息を切らしている。すでに六月下旬。走れば汗もかく。俺はハンカチを彼女の額に当てた。
「危ないから走らないでよ。待たされるのは慣れているから大丈夫だよ」
「もう、意地悪な言い方。わたしが焦るんだもん」
「でも、俺、心配になるからさ。分かってくれるでしょう?傷が絶えないじゃないの」
星野の膝をわざとらしく見た。
「ちょっと待っていて」
星野は座れるところを見つけ、バッグから常備している消毒液を取り出し、慣れた手つきで治療していった。消毒液、ポケットティッシュ、様々な形の絆創膏は必需品だ。星野が忘れた時のために俺のボディバッグの中にも入っている。
「このファッションに絆創膏は似合わないね。しかも両膝」
服装は大人っぽかった。グレーの透け感のある長袖のロングシャツにデニムのショートパンツ。雰囲気は年相応に若々しいのだが、色合いが大人っぽい。黒のパール風のアクセサリーもまたそんな雰囲気だ。
「一緒に歩くのが恥ずかしい?」
座ったまま見上げ、俺に言うその口調は、計算なのかと思うくらいに幼く感じられる。なんと言うか不貞腐れている感じなのだ。
「いや、そんな風には思わないよ。さあ、転ばないように俺にしがみついて」
これ以上意地悪をするのはよくないと思い、用意していた言葉を呑み込んだ。俺は星野に手を差し伸べて、立たせた。
「早く映画館に行こう。始まっちゃうよ」
「うん」
星野は当然のように俺の腕を掴む。手をつないでいても、足を捻ることが多いので、いつ転ぶかひやひやさせられるのだ。なので、しがみついてもらっている。
目的の映画を見終えると、俺たちは昼食を食べにカフェに向かった。星野が興味を抱いていたカフェだ。解放感いっぱいの入口を入ると、店内は気軽なカフェとは思えない高級なイメージだ。白のテーブルに焦げ茶の布張りのソファ。添えられた同色のクッション。壁も焦げ茶で高級感がある。初めて入るとビビるかもしれない。
星野はこの店一番人気のミートパイセットを、俺はホットドッグセットを注文した。星野は俺に一口ミートパイを分けてくれたので、俺はホットドッグをがぶりつかせた。星野は気にすることなく、遠慮なく大きな口を開けてそのホットドッグを食べる。嫌がる事なく食べるその姿が好きだ。
「口にケチャップがついているよ」
俺が自分の口の端を指差しながら星野に教えると、星野は慌ててペーパーナプキンで口を拭いた。少し朱い顔をしている。
「恥ずかしい」
下を向いたまま念入りに拭く星野を見て今更だと俺は笑った。なんの心境の変化だろう。すると、星野は両手で顔を隠す。
「ほら、もう笑わないから」
「嘘。笑いながらそんな事言われても、説得力ない」
星野は落ち着かせるように長い息を吐き、気を取り直したように両頬を軽く叩いた。
「さあ、食べますよ」
そう言って再びミートパイを口にする。俺はその姿をじっと見つめていた。
このセットにはサラダとスープがついている。今日のスープはコーンスープだ。それをスプーンで上品に星野は飲んでいたが、俺がスプーンを遣わず、直接カップに口をつけて飲んだのをきっかけに、星野もスプーンを遣うのを止めた。こういうところもお気に入りだ。
こうやってみると、今まで付き合ったことのないタイプで、だけれど、気に入るところがいっぱいある。今までの失敗はここにあるのだと思った。根本的な問題だ。好きなタイプではないタイプと恋人同士になっていたから、本気になれなかったのだ。この年齢で気づくなんて本当に馬鹿としか言いようがない。
仕上げにこの店オリジナルのバウムクーヘンのフレンチトーストを星野は食べた。俺は物足りなかったが、デザートの気分ではなかったので、コーヒーを飲んだ。星野の表情はとても幸せそうで、何で女の子は甘いものを食べるとこういう表情になるのだろう、と不思議に思う。桃香はプリンを食べると最高にかわいらしい幼い表情をする。それに似た表情を今の星野はしている。それを眺めながら飲むコーヒーはおいしくて、こんな時間をずっと楽しめたらどんなに楽しいかと思った。
少し休憩をしてから、店を出て、ウインドウショッピングを楽しむ。その間も、星野は俺の腕から離れることはない。少し歩きづらいのだが、転ばれるよりはましだ。
街中をぶらぶらしていると、見知った男の姿を見た。姿を隠そうと思ったが、遅かった。しっかり眼が合ってしまったのだ。にやりとからかいの笑みを浮かべた保坂。一番会いたくない男だ。隣には、スレンダー美女がしっかりといた。モデルのような体形で、化粧は濃い。二人は指を絡めて手をつないでいた。俺が足を止め、眉根を寄せているのに気づいた星野は、俺の視線の先を見た。
「保坂さん?」
覚えているらしい。
陸君と夢のデート風景ですね。夢は相当ドジのようです。会うたびに傷が増えている、と言ってもいいくらいに。
次回は陸君暴走。また、やってしまった……。
次回もお付き合いください。




