星野夢1
土曜日、久しぶりに一人ぶらぶらと歩いた。私服がほしいと思ったのがきっかけだが、部屋にぼうっとしていても仕方ないとなぜか思ったのも本当だ。いつもの俺らしくないが、にぎやかだった叔母の影響もあるだろう。
Tシャツやズボンを買った後、うろうろしていると、眼の前で何もないところで転ぶ女性に出くわした。豪快な転び方だった。慣れない靴だったのか、足首をひねり、転んだようだ。スカートは捲れ、下着が見えていた。
通り過ぎる際、大半の人がその姿を見る。そして、通り過ぎて堪えていた笑いを惜しみなく漏らす。俺は転んだ女性に駆け寄り、そのスカートを直した。直す事に気をとられ、少し彼女の身体に触れてしまったが、彼女は全く気にしていないようだった。
両手に大きな紙袋を持っていて、その中身も盛大にぶちまけていた。それを一緒に拾い、立ち上がると、女は俺をじっと見つめた。大きな眼が瞬く。
「あ、えっと……加賀山さん!」
指を差され、俺は戸惑った。知らない女だ。
「あ、覚えていませんよね」
にこりと笑ったそれはとてもかわいらしくて、若々しかった。
「以前、合コンでお会いしたんです。星野夢です。石井幸和子と高校時代同級生の」
ここでやっと思い出した。と言っても石井幸和子を思い出したのであって、彼女がその場にいた事を今はもう思い出せない。あの時の合コンに彼女はいたということだ。
「あの、ありがとうございます。格好悪いところ見られちゃいましたね」
「ねえ、その靴履き慣れていないんでしょう」
「はい。わたし仕事が仕事なので、普段はスニーカーなんですよ。だから、休日くらいはヒールを履いて過ごそうと思っていて。そうしないと女子力がダウンしそうなので」
幼い顔の星野はにこりと笑うと一層幼い。
「わたし、幼稚園の先生をしているんです」
言われてみればそういう雰囲気を持っている。茶色の髪は柔らかそうで少し癖がある。それは、肩にかかるくらいの長さだ。前髪はしっかりあり、眉毛をきっちり隠している。今日は大人っぽく見せようとしているのか、服装は雰囲気に似合わず大人っぽい。化粧もしっかりしている。
「荷物は仕事に遣うもの?」
両手に持っているものは生地や画用紙などもろもろだった。
「はい。慣れないヒールを履いてバランスが取れなくて、結果こんなんです」
彼女は右足を軽く上げて見せた。膝には擦り傷があり、血が出ている。
「おっと、気づかなくて悪かったね。どこかで消毒液や絆創膏を買っていこう。落ち着ける場所で手当てをしてあげるよ」
「いえ。大丈夫です。これ以上ご迷惑はかけられませんから」
「もう帰るだけだし、これも何かの縁でしょう。こんな姿を見て無視して帰ることはできませんよ」
俺はそう言って、星野から二つの荷物を奪った。両手がふさがっているから、こんなひどい傷ができるのだ。よく見れば手の平もすりむいている。
「すみません。でも、消毒液などは持っていますから」
申し訳なさそうに頭を下げた彼女に微笑んで見せ、俺はゆっくり歩きだした。それにしても消毒液などを持っているということは毎回の事なのだろうか。これこそ用意周到というのだろう。
近くの公園で、彼女の傷の手当てをした。短いスカートを穿いていたせいで、眼のやり場に戸惑ったが、彼女は全く気にした様子はなかった。
まずはそこから女子力を磨かなければならないのではないだろうか。
「ありがとうございました。お礼に、夕飯をご馳走させてください」
「いや、そんなことが目的でした事じゃないので」
俺の言葉に星野はクスリと笑った。
「そんな事は分かっていますよ。わたしに下心を抱いているなんて思っていません。純粋にお礼がしたいんです。本当に助かりましたから」
俺は悩んだが、彼女が純粋にそう言ってくれていることを感じたので言葉に甘えた。それに、最後まで荷物持ちはしてあげたいと思っていたこともある。
改めて星野を見ると、無謀な服装をしている。大きな胸を強調するようなワンピース。胸の下が絞られているようなラインなので、嫌でも胸に眼が行く。スカート部分はふわふわしていて柔らかく、丈は短い。ストッキングなどは穿いていなく、少々筋肉の付いている足はきれいなラインを描いていた。そして、履き慣れないサンダルは、高さは五センチ程だが、ヒールが細い。星野はスタイルはいいのだ。身長は一六〇センチ程のようだが、それ以上に感じられる。
星野に連れられて入った店は韓国料理の店だった。そこでお酒を飲みながらおつまみをいただく。店内は朱色の壁でテーブルと椅子は焦げ茶、椅子の座るところは白の皮張りだった。奥の椅子の席に座り、初めからマッコリをいただいた。つまみは、海鮮とねぎのチヂミ、白菜キムチ、牛肉と野菜のチャプチェを注文した。鍋がおいしそうに感じたが、出逢ったばかりの二人で食べるのには少々抵抗があった。
「本当に助かりました。荷物まで持ってもらって。これ重くて大変で、ちょっと後悔していたところなんですよ」
豪快に食べるところは好感が持てた。計算のない笑みがまたいい。
韓国の箸は少しつかみづらいから、俺は食べるのに苦労したが、星野は食べ慣れている風だった。よくこの店に来るのかもしれない。
「幼稚園の先生って体力遣って大変?」
「慣れてしまえばどうってことないですよ。わたしの場合、少々ドジ踏むので、他の先生たちに迷惑をかけることもありますけれど」
何かを思い出したのか、星野はクスクス笑い出した。
「はさみ遣っていて、なぜか向かいに座っていた先生のエプロンを切っていたり、子供たちと歩いていて、わたしだけ段差に気づかないで転んで顔面強打したり、子供に胸触られて追いかけたら、砂場の砂に足をとられて転んだり、いろいろしちゃうんですよね」
これはネタなのかもしれない。合コンで少しドジなところを見せて興味を持たせる作戦なのだろうか。それにしても最後の胸を触られると言うのは、今時の幼稚園生は結構ませているのかもしれない。それとも、純粋な子供なりの興味なのか?確かに、胸は柔らかそうに見えるし、どんな手触りなのだろうと興味を抱いてもおかしくはない。これだけ大きければ尚更だ。
「加賀山さんは今、お付き合いしている女性はいらっしゃるんですか?」
「いや。今はいないよ」
俺としてはこの話の展開は好ましくはなかった。だけれど、こういう興味は抱くものだろう。好きとか嫌いとかそういったものは関係なく。
「もったいないですね。もてそうなのに」
「もてないよ。どこを見てそう思うの?」
「見た眼は当然ですけれど、持っている柔らかな雰囲気とか、話し方も物腰柔らかですよね。甘い口調と言うんでしょうか」
「そんな話し方をしている?」
「営業職でしたっけ?だからですかね。とても甘い口調ですよ。しかも時折見せる笑みが甘い」
星野はマッコリを一気に飲み干した。そして、注文のため、テーブルに置いてあるボタンを押した。豪快で、気を遣わなくていい女性だ。
「初めて言われたよ」
「それって武器だと思いますよ。女性は勘違いしそう」
「勘違いしてくれるの?」
キムチに手を伸ばした星野の手がピタリと止まった。俺は甘いと言われた笑みを星野に向けた。
「えっと、それってわたし口説かれているって事ですか?」
「そう言うことかな」
「酔っています?」
「まだ、マッコリ二杯だけだよ。これだけじゃ酔えない」
ここで店員が来た。俺はマッコリを二つ注文し、店員を追い払った。
「どう?また会わない?大丈夫だよ。距離はゆっくり縮めればいい。無理やりキスをしたりしないから。お互い、まだ何も知らない状態だからね。もっと知ってもらいたいし、もっと知りたい」
「わたし、こんな口説かれ方したのは初めてです」
「俺も初めて」
先程よりも笑みを深めた。酔っているせいなのだろうか。俺がこうやって女性を口説くなど今まであり得なかった。だから、余計に自分に期待した。本気なのではないだろうか、と。
仕上げに俺は冷麺を、星野はお粥を食べた。俺は金を払おうとしたが、星野が断固拒否した。「奢ると言ったでしょう」と頑なな言葉。なので、お言葉に甘えることにした。会計を終え、重たい荷物は駅まで俺が持った。その後は違う路線だったので、駅で別れてしまった。なんとなく別れがたかった事は内緒だ。
星野夢登場です。覚えていらした方すごい記憶力!陸君の恋心誕生ですかね?さて、どうなることやら。
次回も星野夢。甘い時間と……。陸君、珍しく優しいです。
次回もお付き合いください。




