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限りなく続く  作者: みこえ
本編
29/57

棚島彩季2

 次の日の夜、すごく複雑なテンションの桃香が部屋にいた。

 二十三時過ぎ、桃香はほろ酔いで帰ってきた。俺の顔を見た途端、俯き、逃げるように自室へ籠った。このような変な反応は予想していなかったが、多分、棚島は俺に言った通りプロポーズをしたのだろう。その結果があの桃香の態度なのだ。だが、あれが喜んでいる態度なのか困っている態度なのか俺には分からなかった。


 あまりにも桃香が部屋から出てこないので、俺はドアをノックして、桃香を呼んだ。桃香は少しだけドアを開け、顔を少しだけ出した。真っ赤な顔をしている。これは喜んでいるのか?


「何かあった?」

 なるべく冷静を装って尋ねた。桃香は何かを思い出したように、眼を大きく開け、俺から視線を逸らした。可笑しくて笑ってしまいそうだ。


「何かあったようだね。嫌なこと?」

 桃香は俯いたまま首を横に振った。そうか、嬉しかったんだ。俺はそんな桃香の姿を見て嬉しくなった。俺も嬉しい。棚島が桃香を好きになってくれたこと、桃香が棚島を好きになったこと。棚島が桃香の事をきちんと考えてくれていること、桃香がいつになくかわいらしい反応をしてくれること。


「なら嬉しかったこと?」

 桃香はハッとしたようで、勢いよく顔をあげた。

「お兄ちゃん、話があるの」

「うん、桃香をこんな風にした元凶を俺は知りたいよ」


 元凶という意地悪な言葉を選んだのは意図的だ。案の定桃香は黙ってしまった。本当に兄にとって元凶かもしれない。そう思っているに違いない。素直に根源と言ってあげた方が優しさだっただろうか。


 俺はリビングのソファで桃香が部屋から出てくるのをじっと待っていた。意を決したような堅い表情で桃香が出てきたのは「元凶」発言から三十分も経った後だった。そんなに悩ませてしまう言葉だっただろうか。桃香はゆっくりと俺の隣に座った。


「きちんと話すから、冷静に聞いて」

「いいよ」

「わたし――わたしね、棚島さんにプロポーズをされた」

「それで?」


 やはり、分かっていても桃香の口から伝えられる現実は俺の冷静さを掻き雑ぜてくれた。俺が望んだ展開なのにまったく我が儘にも程がある。分かっているが、やはり桃香をとられると思うと悔しい。


「わたしは棚島さんと結婚したい。あんなに素敵な人はなかなかいないと思うの」

「本当に愛しているの?一生共に暮らしていけるくらい愛しているの?」

「お兄ちゃんに対しての感情とはまた違うから、一生と保証できないけれど、このタイミングを逃したくないと思えるくらいには愛している」

 桃香は俺をじっと見ていたが、俺は桃香を見ることはできなかった。


「分かった。いいよ。結婚しなよ。これで俺にのしかかっていた重荷は無くなる。荷が下りたってやつだね」

 桃香の手が俺の手を包み込んだ。


「わたしにとっての一番はきっと一生お兄ちゃんだと思う。それは確信しているの。それを伝えても怯まなかったのが棚島さん」

「モモは棚島の事を『棚島さん』と呼ぶの?」

 これは純粋な興味だった。


彩季さいきさんと言っていたの、最初はね。とても響きのいい音だから。だけどね、何度か仕事中に口にしそうになって危なくて、棚島さんに変更。棚島さんは壁ができたみたいだとがっかりしていたけれど、失敗したくなかったから仕様がないよね」

 最後は照れた笑みを見せた桃香の手を握り返した。


「今度三人で食事をしよう。後は、お墓参りもしないとね。報告は大切だから」

 俺がやっと桃香の顔を見たからなのか、穏やかな表情になり、そして、俺の言葉を聞いた途端、桃香は破顔した。安心したのだろう。


「覚悟を決めたよ。モモがそれを望んでいるのなら叶えてあげたい」

「ありがとう、お兄ちゃん」


 最初の食事は落ち着いたレストランで、少し奮発した食事をしよう。その次の食事はおでん屋だ。そして、墓参りに行って、あの蕎麦屋だ。きっと桃香の両親も俺たちの両親も歓んでくれるだろう。


 俺はそんな未来を想像しながら桃香を抱きしめた。あとどのくらいこのように抱きしめる事を許されるのだろう。感傷的になりながらも俺は嬉しかった。やっと桃香は幸せを手に入れるのだ。普通の楽しい幸せを。




 次の日、水曜日の昼は騒がしかった。保坂が原因だ。俺をからかうような態度は、もう棚島と桃香の婚約の情報が耳に入っていると言うことなのだろう。保坂の遊び相手は会社中にいる。だから、どこから漏れてもおかしくない。というより、早く広がってほしいのだ。


 桃香は棚島と上司に報告をしに行くと言っていた。善は急げ、これは棚島の提案だろう。桃香は多分、時期尚早と思っていたはずだ。もう少し形になってからでも遅くはないと桃香は思っていても、こちらには早めなければならない理由があった。すでに行動を起こした時は遅かったわけだから。


 そして、それはタイミングなのだ。こんな事がない限り停滞していた二人の関係だ。そして、こういう事がない限り、総ては前に進まない。戸惑う桃香を棚島は説得したようだ。そして、俺がとどめに背中を押した。昨日の夜の話だ。


 そして、他人事のように語っているが、その場に俺もいた。そうしないと意味がないからだ。俺は桃香の保護者としてそこに同席し、「これからもよろしくお願いします」と上司に頭を下げてきた。


「おまえも大胆な方向に持っていったな。よく踏み切ったよ。踏ん切りがついて良かった」

 楽しそうに話す保坂は水をごくごくと飲んだ。


 今日の昼は頑張った俺へのご褒美だとご馳走してくれるらしい。なので、少しいつもよりも豪勢にと思って提案したレストランは却下され、定食屋へと連れて来られた。まあ、贅沢は言えない。いつもなら注文しないこの店で一番高いステーキセットを奢ってくれるだけでありがたいのだ。


「口から滑って落ちてきたんだ。言葉にした俺自身が驚いたんだよ。大胆だったな」

「だが、棚島さんにとってはラッキーだったよな。色々な面でさ。棚から牡丹餅ってやつだよな」


「言い得て妙、と言ってあげたいところだけれど、別にうまい事は何一つ言っていないな。まあ、その通りではあるんだけれどな。こんな事件がなかったら、俺は棚島を誘って食事になんて行かないし、プロポーズしろ、なんて言わない。況してや二人の上司に報告する場面に同席なんて過保護なこともしない」


「だが、よくやったと思うよ。俺に教えてくれた女の子には広めるように伝えておいたから。女たちは楽しんで広めてくれると思うよ」

「こういう時、保坂は便利だな」

 俺の言葉に苦笑しながら、俺の頭を保坂は軽く叩いた。


「もっと友達甲斐のある時はあるだろう?」

「さあ、俺は馬鹿だからすぐに忘れるんだ」

 ああ、いっぱい助けられている。そう言える。だけれど、そんな事面と向かって言えるはずもない。彼だって言ってほしいなんて思っていないと思うけれど。


 初めて食べるここのステーキは肉肉しい。牛肉の味を主張するこの肉は、若い男向けかもしれない。だが、ステーキを食べていると実感できてこれはこれでいい。さしがたくさん入っているからっていいというものでもないと思う。まだ、胃が凭れるということはないけれど。


 よく噛んで食べなければ飲み込めないこのステーキを無言で片付け、食後のコーヒーに舌鼓を打った。


「それにしても今時出逢えないステーキだったな」

 保坂は俺にしか聞こえない小さな声で言った。

「ああ。だけど、俺は悪くないと思ったよ」

 決して奢ってもらえるから言ったのではなく、本心からの言葉だ。

「俺もそう思う」

 保坂は楽しそうに笑っていた。


急展開で婚約です。


キャラクターの苗字を考えるのは結構面倒で、いちいち存在しているか確認しています。それに比べて名前は考えるのが楽しいです。響きとかキャラクターの性格とか考えながら付けるのが楽しい!彩季はキャラクター通りの名前だなって思っています。


次回はまたもや過去の女。しかもまたもや陸君の気まぐれ発生。


陸君に呆れずにお付き合いください。

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