佐原誓1
クリスマス近くになるとなぜか学生のようにみんな落ち着きなくなる。不思議な光景がそこにはある。
新人は特にそうで、恋人とどう過ごすか悩んでいる様子だった。社会人になって初めてのことで、自分で稼いだお金でプレゼントをわたし、一日を楽しむ。そんな日を待ち遠しくしているようだった。
だが、今年のクリスマスイブは平日だ。クリスマスもまた平日だ。有給休暇を遣いたいなどと言ってきた怖いもの知らずの新人を上司たちは一蹴する。クリスマスイブに「休みをとるなんて百年早い」とそこらで響く。かわいいものだと笑えてくる。
この頃になると的場の視線は熱いものになっていた。相変わらず的場の頭を撫でる事を止められない俺が悪いことは知っているけれど、あの視線はからかわれる元なので止めてもらいたい。
「あの……」
熱い視線に耐えられなくなって事務所から出た俺に声をかけてきたのは的場ではなく事務の女の子だった。
「何?何か不備があった?」
「いえ。ちょっとお話が」
何となく嫌な予感がした。こういう予感はよく当たる。
「仕事の話?」
「いえ、違うんですが」
「仕事中でしょう?」
クリスマス前で焦ったり浮き立ったりするのは分かるが、場所と時間を考えてもらいたい。
「すぐ終わるので」
早足になった俺に小走りでついてくる彼女を邪険にもできず、談話室で話を聞くことにした。
彼女にミルクティーを買ってあげると、嬉しそうに微笑み、両手でそれを包んだ。席に座るとそれを開け、一口飲む。ホッと息を吐いて、俺をじっと見つめた。マスカラでしっかりと上にあがっている睫毛。大きな瞳。ぽってりとしたピンクの唇は艶があった。ボブの茶色い髪はピンで留められ、出ている耳には花のモチーフのピアスがついていた。
「加賀山さんは恋人はいるんですか?」
さすが早く終わると言っただけのことはある。ストレートに聞いてきた彼女に少し戸惑った。それと同時にチャンスだとも思う。
彼女のことはよく知らないが、仕事に対する姿勢はまじめだ。就業時間内にきちんと終わらせようという意気込みが感じられ、無駄な時間を過ごすことはない。後輩の面倒見もいい。女らしいところを見つけたことはないが、真正面にいる彼女は女らしい。
「いや、今はいない」
「クリスマスイブの予定は?」
「特に誘われてはいないよ。みんな大事な予定でもあるんじゃないかな」
「なら、わたしと一緒に過ごしませんか?」
「佐原さんは俺なんかと過ごしていいの?」
「加賀山さんと過ごしたいんです。的場さんに取られる前に勇気を出して誘いました」
直球も直球で俺は彼女がかわいく思え、クスリと笑ってしまった。
「それはパーティ?」
「え?」
「だから、何かの集まりなの?」
「いえ、二人きりで、というお誘いです。嫌ですか?」
「ううん。嬉しいよ。佐原さんって結構まっすぐでかわいらしい人なんだね」
俺の言葉に佐原は顔を朱くして下を向いてしまった。かわいくて俺は手を伸ばして頭を撫でた。
「じゃあ、携帯電話の番号とメアド教えてください」
こんな告白久しぶりだな、と思いながら俺はそれに応えた。彼女なら守ってあげたいと思えるかもしれない。かわいいと思えるかもしれない。そんな安易な感情だったけれど、恋の始まりなんてそんなものだと思う。
佐原と一緒に事務所に戻ると不安そうに俺を見つめる的場と眼があった。俺は的場の近くに行った。
「何?何か問題でもあった?」
「いえ」
「そう。今日は十六時からお客様と打ち合わせがあるから、十五時にはここを出るからね。できれば仕事を終わらせて」
的場の頭を軽く二回叩き、俺は席についた。
お客様との打ち合わせが終わったらそのまま直帰する算段だった。なのに、見事にそれを狙ってか、保坂からの呼び出しを食らった。仕方なく的場を帰し、会社に戻った。
事務所に行くと、女性陣のにぎやかな声が響いていた。他にいるのは保坂だけだ。女性陣の輪に入るでもなく、不機嫌そうな表情でパソコンと睨めっこしていた。
「ただ今戻りました」
俺の声にピタリと女性陣の声が止まった。その止まり方が不自然に感じたが、気にしなかった。保坂は俺を睨みつけて、手招きをした。女性陣の声がいきなりひそひそ話に変わった。悪口でも言われていたか?
「おつかれさん。もうすぐ終わるから待っていろ。ちょっと用事がある」
俺は保坂の隣の席に座った。もう仕事をする気はない。中途半端に始めると中途半端に終わることは眼に見えている。
保坂は隣にいる俺のことなど気にもせず、仕事を続けた。女性人たちはバツが悪そうにそそくさと帰って行った。本当に俺の悪口を言っていたのかもしれない。
保坂に誘われて駅近くの小さなおでん屋へ入った。カウンタに六席、四人用の座敷席三つの個人でやっているおでん屋だ。
俺たちはカウンタ席の一番奥を陣取り、日本酒を注文した。ぬる燗だ。それをチョビチョビの舐めながらおでんをいただく。
俺の好きな大根にからしをたっぷりつけて頬張る。熱くて口の中で大根を躍らせる。熱々のおでんの醍醐味だ。そんな俺を見て保坂は楽しそうに笑った。そして、グイッと日本酒を飲みほした後、俺をじっと見つめた。
「本題に入らせてもらう」
「ああ、そうか。用事があったんだっけ」
「おでんを一緒に食べたかったわけじゃないよ」
「寒くなってきたし、おでんが恋しくなったのかと思った」
「だったらおまえじゃなく女の子を誘う」
保坂らしい。だけれど、何も飾らずおいしいものをおいしく食べたいのなら、同性同士の方がいいだろう。口にはしないけれど。
「おまえさ、佐原と付き合うことになったの?」
「へえ、情報が早いね」
だから女は面倒くさい。俺はそう思いながら、大根を口にする。
「おまえが出ていってすぐに、佐原がみんなに言いふらしていた」
「そんな言いふらしたくなるような男かな、俺」
「おまえが思っているより少しはそうかもな」
「でも、付き合っているというのとは少し違うな」
「はあ?だって告白してオッケイをもらった。て言っていたぞ。すっごく嬉しそうにさ」
「違うよ。クリスマスイブ一緒にすごそう、と誘われたから『いいよ』って言ったんだ。それだけだよ」
「だから、それが恋人同士になったって事じゃないのか?」
クリスマスイブを一緒に過ごすのが恋人だと誰が決めた?なんて屁理屈なことを言ったら保坂は呆れるだろう。
「俺の都合のいい解釈で、うまい具合に逃げられるなって思ったから、何も言わなかったんだよ。中途半端な関係が気楽でいいなって思った」
「ずるいな」
「そう、ずるいだろう?でも、はっきり言わない彼女が悪い。はっきり言われたらまた違う返答だったかもしれないな」
「かもっていうのが気になるなあ」
「その時の気分しだいだからね。現にあの時ちょっとだけかわいらしく見えたしね」
俺は御猪口に日本酒を注いだ。保坂はそんな俺の手元をじっと睨むように見ていた。
「おまえらしくない」
ぼそりと呟かれ、俺の手は止まった。言われた通りだ。
「俺もそう思う。でも、どうでもいいんだよ。可能性があるならそれに賭けるのもいい。それが相手を傷つける事だとしてもさ。俺はモモさえ傷つかなければそれでいいんだ」
「そう思っている時は恋人を作るべきじゃない」
保坂ははんぺんをパクリと食べた。きっと佐原は本気の気持ちを俺にぶつけてきたのだろう。それに対する俺の不誠実さに保坂は怒っているんだ。それが口調と態度で分かって俺は苦笑した。
「だけどさ、モモが言うんだよ。恋人と一緒に過ごす時に俺も一緒に、ってさ。それが当たり前だと思っているんだ。嬉しいけどさ、酷だろう?それこそ相手をいじめ倒しそうだ」
「みんな居心地悪いだろうしな」
俺が頷くと、保坂は溜め息をついた。
「それは最悪な事だと思うよ。でも、それとこれとは違う」
「だからさ、俺にも一緒に過ごす女性がいるって分かればモモは俺に気遣うことなく恋人と楽しい一日を過ごせるわけだ。誤魔化そうと思えばできるだろうけれど、取り繕えない何かが出てきたり、ヘマをやらかしたりしたら困るから、チャンスだと思った。ひどい事だけれど佐原さんを利用させてもらったんだ」
「巾着ちょうだい」
聞いているのか聞いていないのか、保坂はカウンタの中にいる男性に注文をした。俺はその男性の手元をじっと見る。五十代くらいの優しそうな男性だ。
「俺はちくわぶ」
俺の注文に保坂は鼻で笑った。
「小麦粉の集まりかよ」
「好きなんだよ。仕方ない」
「小麦粉と結婚したら」
「小麦粉を擬人化したらどんな姿かね」
保坂は巾着を箸で持ったまま、少し悩んでいた。すごいお題を与えてしまったようだ。俺は保坂が話しだすまで、ちくわぶをいただく。
「性格的には柔軟性があって、誰にでも対応できる人懐っこさがある人かなあ。でも、一人だとただのつまらない人で、仲間といるからこそ際立つというか際立たせるというか。まとめる?」
「いい答えだね。そんな女性いないかなあ」
「おまえなあ、ちょっと考えれば分かる。いない」
保坂はやっと巾着を口にした。
「本当に佐原さんには悪いと思っているんだ。だけれど、俺も焦っている。モモがいなくなったら俺の居場所がなくなるんだ。俺のやるべき事が無くなる。存在価値を失うんだ。だから、モモと同じように、俺が守ってやりたいと思えるような女性に出逢いたい」
「俺はおまえを理解できないよ」
「理解できないのは当たり前だろう。それに、的場さんの事もあるんだ。俺の勝手だけれど、あの態度は別に恋愛感情じゃないって事を知ってもらいたい」
「なあ、どちらかといえば的場の方が守りたいと思うんじゃないか?」
妙に納得できるが、恋愛感情を抱いていない以上、彼女を傷つけたくはない。俺が守りたい対象だから余計なのかもしれない。佐原のおしゃべりなところや、猫を被っている雰囲気は正直気に入らないが、だからこそ傷つけても痛くないというか。こんな事口が裂けても言えない。
「だからこそ傷つけたくないんだろうな」
俺はそう呟いた後、日本酒を飲み干し、芋焼酎のロックを注文した。すでにおでんで身体が温まり、ぬる燗より冷たい飲み物を欲していた。保坂はそのままぬる燗を注文した。
「おまえはクリスマスどうするの?」
「俺は適当。最初に誘ってきた女の子と付き合うシステムなんだ」
「はあ?」
「それで、珍しいことに秘書課の女の子がものすごい速さで誘ってきた。まだ八月だった時にさ。別れるかもしれないという不安は全く無かったみたいでさ、かわいいよな、そういう子」
何を思い出したのか保坂はクツクツと笑いだした。
「あの時さ、『ホテルも何もかもプランは任せてください』なんて真っ赤な顔で言うんだ。見事にホテル予約するつもりなんだって思ったら、顔や態度に似合わず好きなんだなあそういうこと、って思っちゃったよ」
だからかわいいんだろうなあ、と小さな声で呟く保坂をじっと見つめた。
俺も保坂のようにうまくやればいいだけかもしれない。一人に絞るから期待させるだけで、数人と付き合っていれば誰も期待しないだろう。でも、俺にはそんな器用さはない。というよりも面倒くさい。
「保坂は疲れないのか?」
「なにが?」
「複数の女性とそういう関係になって、気を遣ったり、なんだり、ってさ」
「性分ってやつ?別に嘘を吐くのも罪悪感がないんだ。抱き合っている時なら『愛しているよ』くらいはいくらでも囁いてやれるしね」
恐ろしい奴だ。俺だって嘘を吐くことに罪悪感はない。だけれど、求められる事をやってあげるなんて面倒で疲れるだけだ。苛立って、当たり散らして終わるのではないだろうか。
「なんだ、その苦そうな顔はさ」
「いや、そうできたらいいのになって思っただけだよ。別にお前に対して嫌悪をもったわけでもない。どちらかといえば羨ましい。想像しても俺には到底まねできないからね」
「馬鹿にしているのか?」
「だから違うって。相手に求められた事をホイホイとできていたら俺もこんな風になっていないだろうなって思ったの」
保坂は興味なさそうに「ふうん」と言った。
「まあ、なんだ。後ろから刺されるような事だけはするなよ。慣れていない奴は別れ方がスマートじゃないからな」
「モモを泣かせるような事はしないさ」
俺が刺されたら、モモの精神がおかしくなってしまうではないか。
新たな女性が登場です。そして、今度はおでん屋。小麦粉を擬人化したらどんなでしょうね。
次回からは積極的な佐原誓。
次回もお付き合いください。




