的場幸菜2
十二月に入ったのにもかかわらず、寒さはあまりなく、過ごしやすい。まだコートを着る必要もなく感じ、スーツの上は何も着ていないが、的場はしっかりとコートを手にしていた。
朝のエレベータ前。後姿だけで的場だと分かるくらいには的場とそれなりに接してきた。だからと言って的場がどんな人間かまでは把握はしていないけれど。
「おはよう」
俺があいさつをすると、やはり擦れることなく、身体ごとこちらに向け、深々と頭を下げる。
「おはようございます」
若くてかわいい後輩。
「今日からお願いします」
小さいから上目遣いで、女だと意識させられる。
――危ない。
別に欲求不満とかそんな事はないのだけれど、こういった女の子は希少だと思う。あまり出逢った事のない純粋さに磁石のように惹かれる。
「こちらこそよろしく」
的場のかわいらしい微笑みに桃香の面影を見た気がしたのは感傷だろうか。少し懐かしい気持ちになり、思わず頭を撫でそうになった。すんでのところでそれを抑えられたのは救いだろう。二人でエレベータに乗り、全く会話のないまま事務所に着いた。これから先、うまく立ち振る舞う自信がなかった。
午前中から営業回りをし、担当者に的場を紹介する。ずっとやってきた事だから、的場はそつなく名刺のやり取りを行っていく。若い女の子の営業ということもあって相手の表情は柔らかい。フレッシュさだけで武器になるのにそこに誠実な女の子が加わり、俺には到底敵わない信頼が生まれているような気がして恐ろしかった。
「初めて会う時はやはり緊張しますよね」
ビル街を歩きながら、的場がぼそりと言った。
「これだけはいつまでも慣れないものだよね」
飛び込みの営業もまた緊張して手が震えて声が震える。大体は顔を見ることもなく追いやられるわけで、その拒否が怖い。
「今は先輩たちの後ろにいると言うか、後ろ盾があると言うか、責任がないところにいるのでまだいいですけれど、四月にはこれに慣れないといけないんですよね。というよりも、これ以上の緊張する場面に出逢うんですよね」
「真面目だなあ。大丈夫だよ。誰でも通ってきた道だからね。この緊張感が仕事でしょう」
偉そうな事を言っているな、と思いながら、少しでもその緊張や重りを軽くしてあげたいと思った。こういうことは慣れていない。いつも『桃香にするようにする』しかできない。その人に合った言葉やアドバイスを与えるだけのスキルを俺は持っていない。それだけ人間と関わってきたわけでもなく、最低限の関わりしかなかった。そのツケだろうか。女の子はまたやり辛い。
「そうですよね。緊張をしていなければ失敗するでしょうし」
「素直だよね、そういうところ。反発精神とかないの?」
「なんで、ですか?」
「煩いおじさん、とか」
「ああ、しつこくグチグチ言われたら思うかもしれませんね。もう分かったよ、見たいな感じで」
「それを聞くと、普通の女の子って感じで安心するな」
的場は口元を軽く隠してクスクスと笑った。
「わたしは普通ですよ、何でも」
的場がまたクスクスと笑った。口元に添えられた手がやはり女の子なのだと意識させられる。なんか俺が変だ。久しぶりのこのタイプに狂わされているのだろうか。どのくらいぶりだろう。
「的場さんくらいの年齢の女の子と接する機会なんてないからね、ちょっと戸惑うんだよ。みんな言っていなかった?」
「いえ、特には。日野さんは結構話を振ってくれました。とても優しい口調でわたしの緊張もほぐしてくれました。保坂さんはそんな日野さんとは少し違いましたね。でも、戸惑っている風には見えませんでしたよ。物腰が柔らかで、緊張がそれだけで解けるような感じでしょうか」
「保坂はね、そういったことに慣れているんだよ。相手を観察して、どうすればいいのか分析することに長けているの。すごく羨ましい事だよね」
「物腰が柔らかいのは加賀山さんも一緒ではないですか?」
「どうだろうね。心の中ではドキドキしているんだけどね」
的場は楽しそうにクスリと笑った。
「そうには見えませんけれどね」
クスクス無邪気に笑う的場を見て、どうにかうちとけていると感じ、ホッとした。だけれど、こんな表情を見るたび、声を聞くたび、頭を撫でたくなる衝動が生まれ、困った。
「でも、加賀山さんの仕事モードと、わたしに接するモードのギャップはおもしろいですよ。仕事の時は何であんなにガチガチなんでしょう」
「ガチガチ?」
俺たちは交差点のところで止まった。赤信号になったばかりだ。
「はい。口調がもう」
「へえ。そうなんだ」
意識してそうしているわけではない。ただ、やはり仕事だと言う気持ちが大きいのだろう。
「どっちの方がいい?」
「え?」
「仕事をするにあたって、ガチガチと物腰柔らか」
「仕事の時はガチガチでいいと思いますよ。『できる男』って感じです」
「実際はできない男だけどね」
「それはこれから観察すれば分かりますよね。四ヶ月も一緒ですし」
若さだろうか。柔軟性はあるようだ。俺の心を溶かしたのは多分彼女だろう。心配するまでもなかった。
青信号になり、道路を渡る。
「あの洋食屋だ」
俺が指差すと、指した先を的場は見た。
「はい」
今度は手をつなぎたくなった。もう、桃香とも手はつながないのに。
ということで、的場とこれから四ヶ月お仕事です。
次回はあ、まずい!!と言う感じです。
外食のシーンなどで、どんなものを食べさせようかと考えるのが結構面倒。いろいろネットで調べていい感じの店内を想像して(あまりそこは書かないけれど)メニューを考えるのですが、なんせ食べたことがないので、どう表現していいのか分からないのです。
そんなシーンが次回は出てくるのです。難しい……。お付き合いください。




