闇市
ジャックに手を引かれていると地下へと通じる階段に連れてこられた。闇は深く、俺のドラゴンの瞳をもってしても見通すことができない。
「ここからが私達の手下さんのいる場所だよ!この先に見せたいものがあるんだ」
「……あ、あの。こここらはニールちゃんは行かない方がいいと思うな。せ、せめて行くなら、ヒヒイロカネの仮面を着用して欲しいかな」
自慢するように笑うジャックに反してシルビアを筆頭とした並列思考達の顔は一様に暗い。まるで何かを心配しているようだ。
「……何故ヒヒイロカネの仮面なんだ?これじゃ駄目なのか?」
俺はズラしていた仮面を正面に持ってきた。笑った道化の面が顔を完全に隠した。
「シルビアが言ってるのはそういう事じゃないと思うぞ」
「フッ、深淵が与えた祝福の証に侵されたか……。即ち、世界の変革が行われる」
「あの、ニールさんがその、ーーならないか心配なんです」
「……今何て言った?上手く聞き取れなかったんだが」
本当にどうしたんだろう?まさか本気で俺の顔がバレるのを恐れてるの?ほら、ジャックも不思議そうにしてるよ。
「皆急にどうしたのニャ。行くなら早く行くと良いのニャ!ここは変にゃ匂いが充満してて嫌ニャ!」
「私もシルビア君達がそこまで心配する理由が分からないね。一体どうしたんだい?」
ほら、2人もこう言ってる事だし早く行こうよ。ジャックの紹介したいのも見たいしさぁ。
「あ、あれ、ニールちゃん?」
「……ん〜、何?」
「……え、もしかしてもう影響出てるの?」
「嘘だろ。あたし達に全く影響無いのに何であんたはそんな簡単なんだい?」
「はぁ……、仕方ありません。【解毒】」
ジャックと一緒にシルビア達を不思議そうに眺めているとルルが頭に魔法を掛けてきた。俺の頭が電球みたいにペカーッと光り、同時に意識が覚醒する。
「あぁ、シルビア君達が心配してたのはそういう事だったか。私は君達と比べて五感は平均的だからね。気づかなかったよ」
「い、一体何の話をしてるのニャ!?全く話についていけないのニャ!」
うぅ……。恥ずかしい。まさか俺がここまで酒に弱いとは。酔った影響で思考力も低下して気づけなかった……。穴があったら入りたい。
そう、俺は自分でも気づかないうちに何処かで酒の匂いを嗅いで酔っていたのだ!恐らくは地下からの匂いだろうが、まさか自分がこれ程酒に弱いとは思っていなかった。
「……あ!ニールちゃんがお酒に弱いの忘れてたよ。今更だけど、この先お酒を飲んでるおじさん達がいるから気をつけてね」
そう言ってジャックは無邪気に笑った。その顔は汚れを知らない純粋だったが、やはり以前見た時と同じく、どこか危険な感じのする笑顔だ。
「……もう少し早く言って欲しかった」
「ごめんね?次からは気をつけるから。はい、これ。解毒の石だよ。許してくれる?」
ジャックは俺の顔を不安気に覗きこみながら魔力が込められた石を渡してきた。僅かに光を帯びていて、あまり光の届かないここではとても綺麗だ。
「……別に怒ってない。それとこれは返す。見た感じ大事なやつなんだろ?俺にはヒヒイロカネがあるから大丈夫だ」
「うん……そうだよね。要らないよね。だってニールちゃんは何でも創れるもんね。私達が用意した物なんて必要ないもんね」
解毒の石を返したら何故か落ち込んでしまった。その姿を見ていると何も悪くないのに罪悪感を覚えてしまうから不思議だ。後ろの並列思考達の視線が異様に気になるし。
「……やっぱり貰っておく。ありがとうな」
「うん!えへへへ、また何か欲しい物があったら言ってね。可能な限り用意するからね!」
「……分かった。欲しい物ができたら頼む」
「うん!遠慮なく言ってね」
解毒石を手渡したジャックはもういちど俺と手を繋ぎ、階段の奥へと連れていこうとした。今度はシルビアも何も言わなかったので抵抗せずに着いて言った。
「……そう言えばお前の前のトップはどうしたんだ?」
「迷宮の街の偉いおじさんと一緒にいるよ。私達はよく知らないけど共感出来るんだって。何にだろうね?」
うん、今ので大体想像出来たな。ジャックからの二度の報告でこの組織とそれぞれの街の支部長達はジャックの拷問を平等に受けてるからね。俺が内容を聞くだけで嫌になる程だ。当事者達はさそれはもう恐ろしかっただろうな。
「……しばらくその人達に休暇を与えてやれ。数日でもいいから」
「ニールちゃんが言うんだったらそうするね」
「……そうしてやってくれ」
別にこれは可哀想に思ったからではない。ずっと恐怖を忘れずに仕事をしても効率が落ちるだけだ。一度息抜きをして気分を切り替えた方が良いだろうしな。……まぁ、仕事した事ないから根拠はないが。
「ふふっ。ニールちゃんは優しいね。会ったことない他人にそんな事出来るのは凄いよ」
突然、背後でシルビアが笑った。振り返って見てみるとその表情はとても嬉しそうだ。
「……別に俺は優しくない。これだって打算のある行動だ。善意でやってる訳ではない」
「そうだとしても私は優しいと思うよ。だって、私はそんな考え思いつかなかったもん。ニールちゃんが優しいから休ませる案が出せたんだよ」
「……わざわざ記憶を消しに行くのと休暇をとらせることを比べただけだ。他意はない」
「ニールちゃんはそう言うよね。……今は仕方がないかな」
ふむ、シルビアがここまで言うなんて珍しいな。口調もいつもの自信のない弱々しい口調じゃないし。そんなに俺を優しくしたいのか?……分からん。
「はい、着いたよ!貴族のおじさん達のいない場所だから私達がいれば絡まれる事はないから安心してね?」
どうやら話している間に到着していたようだ。目の前には長い間ずっと使われていたと思われる年季の入った扉があった。先程の貴族部屋の様な豪奢な感じではなく、黒塗りされただけだが存在感は先程の比ではない。
「……ここがそうなのか?凄く酒の匂いがするんだけど、いつもこうなのか?」
「ううん、今日は特別だよ。一昨日に欲しかったの物が入荷したから皆で祝ってるんだ!」
「うぅ、凄く美味しそうな匂いがするニャ!早く行きたいニャ!」
「……落ち着け。後で自由に動いてもいいから」
ふむ、それにしても確かにいい匂いがするな。食欲を失ってからはステータスだけを高めてきてそれ以外は興味なかったけど、久し振りに食事をしてみるのも良いか。コアなんかさっきから腹が鳴りっぱなしだし。
「それじゃあ、皆待ってるみたいだし行こう。もう近いから待っててね」
ジャックはそう言って扉を開いた。扉の先には市場のように床に物が置かれ、それを気にせずに酒を片手にはしゃぐ酔っ払い達がいた。
「あっ、ボス!ご苦労さまです。それと、ご馳走様様です」
「うん、遠慮せずにもっと飲んでね!それと私達の後ろの人達には絡まないようにね。気をつけてね」
「はっ!末端の部下にまで速やかに伝えます!」
部屋に入ったジャックを認識するなり酔っ払い達は一斉に道を開けた。中から若干頬を赤くした酒臭い男が出てきて跪き礼を述べた。どうやらこの中で一番偉い人らしい。
それに慣れた手つきで滞りなくジャックが答えて命令すると、男がこれまた慣れた動作で部下を呼んで何かを命令した。
「うん、頼むね!私達も後で参加するから楽しんでね」
ジャックが笑うと周りから戸惑いの声が上がった。「ぼ、ボスが笑った」とか「ボスがご機嫌とか逆に怖い」など聞こえるな。それほどここでジャックが笑うのは珍しいのだろう。まだ数日しか一緒にいないのにここまでイメージが確率されているのは凄いと思う。
「あ、あと今ニールちゃん達に刃向かった貴族のおじさんがいるから掃除お願いね」
「了解です、ボス」
「それじゃあね。また後で楽しもうね!」
「はっ!」
ジャックは返事を聞かずに歩き出した。俺達もそれにならって後ろをついて行く。男は俺達、というかジャックの姿が見えなくなるまでずっと跪いた姿勢のまま動こうとはしなかった。
「あとちょっとだよ。ここら辺は静かだから安心してね!」
騒がしかった推定市場を抜け出るとジャックが振り返ってそう言った。その表情は笑顔だが若干不満の色が見える。
「……俺はうるさかった事は気にしないぞ?ここよりもダンジョンの魔物の方が煩かったからな」
「う、思い出すだけでも耳が痛くなるのニャ。あそこの獣達は知性がないから威嚇してばっかで鼓膜が破れるかと思ったのニャ!」
そう言えば猫の聴覚は人間の4倍はあるんだったな。そんなのであの中にいるのは控えめに言って地獄だと思う。……そうだな、もしあそこを例えるならば大音量スピーカーに不協和音を流して仲の悪い動物が十数匹いる空間を思い浮かべて欲しい。地獄だろう?……分かりにくいか。
「ニールちゃんが許してくれるなら私達も良いかな。お仕置は無しだね。見せたいものはこの扉の先にあるから見に行こ。えいっ」
とても可愛らしい掛け声で開けているが、実際は小柄な少女が自分の身長の数倍ある石造りの扉を開いているのだ。本来これを開ける役目だと思われる左右に控える2人が目を見開いてこっちを見ている。
「こっちだよ。私たちと似てるから大切にしてるんだ」
昔を思い出すかのようにここではない何処か遠くを見つめながらそう呟き、ジャックは歩き出した。
「……それじゃあ、今から会うやつは孤児なのか?」
「そういえば、前世でジャックちゃんは何をしてたの?」
俺が反応すると、今まで静かだったシルビアが横から顔を覗かせずっと我慢してきたであろう疑問を口にした。
「……復讐」
「え?」
「ううん、何でもないよ。知りたかったらニールちゃんに聞いてね」
ふむ、以前見せてもらったジャックの記憶では、どうやら娼婦の子供達の亡霊の集合体のようだな。それの代表として人格に現れているのがジャックだ。……まだ全ての記憶を見せてもらった訳ではないけどな。
「着いたよ!この娘がニールちゃん達に会わせたかった娘だよ」
目の前には大きな檻がある。中のものを閉じ込めると言うよりは外界からの干渉を最低限にしてる印象をうける。
「私達を守ってくれる人を連れてきたから安心してね」
ジャックが優しく声をかけると、中にいた人物が顔を上げた。さっきまで顔を伏せていて分からなかったが中に居たのは幼い少女だった。
「うん、起きてるね。ニールちゃん達に私が会わせたかったのはレイ・サザーランド。親を亡くして犯された被害者だよ」
少女が虚ろな目でコチラを見る。その目はまるで亡霊のように生気のない淀んだ瞳をしている。
「……久しぶりね、5年振りだね。元気にしてた、成田?」
そこには俺と同じ転生者――元クラスメイトの霊山美結がいた。




