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⑨居場所

 三人は、芝の上に円を作るように向かい合って座った。


「ハングルって言われだした、きっかけは、小学校4年生の時。学校で英語の授業があった時」


 彩羽いろはが話し始めた。


「先生が日本語も日本人も同じ、ジャパニーズっていうの、中国語のことも中国人のこともチャイニーズ、英語ではそう表現するのよ、って言った時………。 教室のどこからか、


『じゃあ、韓国語は?ハングル文字っていうからハングル?韓国人、もハングル?』って声が上がって………。


 先生、パニクったみたいで。先生にもわかったんだよ、その子の意図が。とっさに対処できなかったんだね。『あら、そうかもしれないわね』って言って。あたしはその時背中がひやっとしたの。そしたら、やっぱり、その子は私をターゲットに決めたみたいで、それから、ずっとハングルって言われてきた。………英語だとハングルじゃなくって本当はコリアンなのにね」


「さっきの馬鹿?」麻友はそう言い、困ったような顔でうなずく彩羽を見て、「馬鹿だと思ったら、本当の馬鹿かっ!」と言った。そして、「教師も教師だよ!」と付け足した。


 彩羽はそんな麻友の様子を見て、


「ありがとう。でも仕方なかったんだと思う………。先生、新卒でまだ、教師一年目だった………。そういう流れって、止めていいのかどうか、わからなかったんじゃないかな?わからなくて、怖かったんじゃないかな」


「何、言ってるの、彩羽。それを止めるのが、………」教師の勤め、と言おうとする麻友を遮るように、


「仕方なかったんだよ」と彩羽は重ねて言った。

 麻友は、黙るしかなかった。当事者である、彩羽の気持ちは、彩羽の悔しい気持ちは、麻友にも、そして、正人にも伝わっていた。かといって、今、彩羽に何をしてあげることもできなかったから。そして、ただ、今まで、彩羽がどれくらい、同じような場面に遭遇し、その解決方法として「仕方ない」と思うことで、自分の気持ちを抑えるようになったのか、ということをおもんばかるしかなかった。


 沈黙の後、彩羽は、


「さっきの子ね、家が近所でうちの事情はよく知っててね。小学校卒業する時、向こうが校区外へ引っ越したから、中学は別になって、それっきりだったんだ」と言って遠くを見ながら、続けて自分の家のことを説明した。


「私のお母さんは韓国で生まれ育った、生粋の韓国人なんだ。いわゆる在日っていう人たちとは違って。旅行で日本に来た時、お父さんと知り合ったんだって」


 もともと日本の映画『HANA-BA』を見たのがきっかけで日本にあこがれ、手に入る限りの録画された映画やドラマを見、それで覚えた彩羽の母の日本語は、アクセントも発音も完璧で、外国人だと気づかない人も多く、近隣にも溶け込んでいた。何より本人が日本が大好きで、日本に対して好意的な気持ちしか持っていなかった。


「でも、日本の人は違う。やっぱり、韓国を下に見てる。戦争の時、一度、制圧したからなのかな?自分たちのほうが上だって、偉いって思ってる。大昔には朝鮮半島経由でいろんな文化を取り入れてきたのに。自分たちだって、敗戦国なのに」と言ってから、ハッと麻友の顔を見て言った。「ごめん。日本のことを悪く言いたいわけじゃない」


「わかってるよ。それに、その通りだよ。続けて」と麻友は彩羽を促した。


「お母さんは、日本が大好きで、それと同じくらい韓国のことも誇りに思ってる。でもあたしは………、日本も韓国もどっちも嫌い」


 彩羽は暗い目で下を向いたまま話した。


「韓国人は日本人を決して許さない………。自分たちを侮辱したことを決して忘れない。とても頑固で、ほかの考え方はできない。日本人は、戦争を知らない人たちまで、………日本と韓国との間に何があったかも知らない世代まで、まるでDNAに刻まれているかのように韓国を馬鹿にし続ける。あたしは」


 そこで言葉が続けられなくなった彩羽は、涙をひとしずくおとすと、すすり上げ


「どちらの国の人間にもなりきれない」といった。


 彩羽はある痛みを思い出していた。


 毎年、先祖の祭礼のため、母とともに訪れる韓国で、幼いころには共に走り回って遊んだ従兄弟たちから、『お前たち日本人は』と言われる痛みを。それは、一緒にスーパーに買い物に行ったときなどに、韓国のりなどの韓国食のパッケージのハングル文字を見るだけでなつかしそうな顔を見せる母にも打ち明けられない痛みだった。


 麻友も正人も黙り込んだ。



 三人の周りには少し離れた場所に、問題集を広げた男子生徒や、学校のイベント時によく似られる光景の、男子に告白している女子の姿があった。



「ねえ」麻友が口を開いた。


「あたしの中学の時のあだ名、テラっていうんだよ。」


 唐突にそんな話を振られ、彩羽は涙が引っ込んでしまった。


「テラ?お寺とか神社とかの?」


 ううん、と微笑みながら麻友は首を振り、


「その前のあだ名はギガ。その前はメガ」


 あっと彩羽も正人も同時に悟った。体格のいい麻友をからかってつけたあだなだった。


「あたし父親似でね。この体型、しっかり受け継いだってわけ。アーア!ほっそり女子に生まれかったー!」麻友が大声で叫ぶと、それまで、こっちに全く無関心だった三人の周りの人たちがこっちを見、そして、少し笑った。


「自分じゃどうにもできないっていう意味ではおんなじだよ!」

 麻友はそう言うと笑って彩羽の顔を覗き込んだ。


「ねえ、彩羽」


「なに?」


「彩羽のは必ず強みになるよ」


「強み?」


 うん、とうなずいて麻友は「いつか必ず」といった。


 彩羽は納得がいかず、


「そんなこと」あるわけがない、と言おうとした。


「マージナル」麻友が言った。


「え、なに?」彩羽が聞き返す。


「マージナル。中間。どちらでもない。だから強いし、価値がある」と言い切った。そして続けて、


「彩羽は彩羽だってこと。どっちかじゃなくてもいいってこと」と付け加えた。


 その横で、開いた単語帳を手にして、今まで、ただ二人の話を聞いていた正人が突然「イグザクトリー、その通りだ」といった。


 それはまるで英単語を覚えるために音読しているような言い方だったが、正人の目は彩羽を見ていた。正人の応援だった。


 彩羽はすっと心が軽くなるのを感じた。


 すべての人に認められる必要などないのだ。ただ一人でも自分を認めてくれる人ができればそこに生きる場所ができる。今、彩羽には二人の友人が、居場所ができたのだ。


「ありがとう」彩羽は一度引っ込んだ涙がもう一度湧いてくるのを感じながら言った。だが、その涙はさっきの涙とは大きく違い………安堵して流す、うれし涙だった。


 麻友は彩羽の肩を抱いた。


「indicate、~を指し示す、または~を示す、inform、~に通知する………。」

 正人は照れ隠しに単語帳にかじりついていた。





参考文献・・・旺文社 でる順パス単英検2級



*……………1998年(平成10年)10月に、大韓民国大統領金大中が来日し、国会衆議院本会議場での演説で「日本の大衆文化解禁の方針」を表明。以降、日本の大衆文化を順次受け入れ始めた。日本映画の韓国での一般映画館公開第1号は、映画監督北野武の『HANA-BI』であった。(ウィキペディアより抜粋)

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