59 血しぶき
さて、久遠の糞長い説明を受けて、俺が『ディスタンシィア・レックス』の事を本当に理解したのは、それから十分ほどあとのことだった。
「と言う訳なのよ〜。凄いでしょ? ねぇねぇ褒めても良いんだよ? 頭なでても良いんだよ? それどころか性行為に及んでも良いよ?」
久遠はまたしても白衣の裾をチラチラと捲りながら太腿とパンツを露出させると、投げキッスを飛ばしてきた。勿論、俺は無視を決め込んだ。パンツなんてたかだか布切れでしか無いのだ。だがある意味、作り物となった身体がどうなっているのかについては興味が無いわけではない。俺は彼女が死んでからは、性行為に及んだことがない。今のように茶化した感じで迫ってくることはあるが、本心のところはこいつが俺のことをどう思っているのかは謎なのだ。今も愛感情があるのか? いや、そもそも生きているときですら、本当に俺のことを好きだったのか? 愛があるのか? それ以前に、俺が今のこいつをどう思っているのか……それについては頭の隅に追いやってしまって考えないようにしている。頭を悩ませるのは、今月の家賃が払えるかどうかでもう充分なのだから。
「しかし、お前はいつもとんでもないものを造るとは思っていたが、まさかホムンクルスを造っちまうとはな……。ってか、お前錬金術師だったのか?」
「うーん。私は錬金術師ではありませーん。ただの可愛らしい女の子、(死んでるけどー)だよ」
久遠は両ほっぺに人差し指を突き立てて、何が嬉しいのかわからないが満面の笑みを浮かべてみせる。
「しかし、ホムンクルスなんてどうやって造るんだ? あれか、孔明先生のと同じ感じなのか?」
「うんにゃ。孔明先生? の場合とは違うよー。あれは、実際の人間の魂のデータを依代に移し替えたものだからね。それに対して、ホムンクルスは完全に私が一から造ったものだもの」
「ほーっ。しかし、三国志時代の諸葛孔明の魂のデータなんてどうやって調べたんだ?」
「え? そんなの調べれるわけないじゃん」
「は?」
「まもっちにあげた巻物に入ってたのは、三国志の諸葛孔明が大好きなおじさんの魂のデータだから」
「はァァァァァ!?」
「それもどっちかと言うと、ノーマルの三国志よりも、三国志キャラを美少女化させたゲームが大好きなおじさんの魂だからねっ」
「だからか……だからなのか……」
希代の天才軍師『諸葛孔明』とは似ても似つかぬ糞っぷりは、そのせいだったのか……。すると、俺はただのギャルゲー大好きおじさんに助言を求めていたってことになるわけで……。そりゃ、何の助けにもならないのは当然なはずだわ。
「しかし、何処からどう見ても完璧な美形だよな……。これお前の趣味なのか?」
俺は今も久遠の横で直立不動で微動だにせずにいるレックスに視線を向ける。その立ち姿も見事なもので、まるで王侯貴族のような風格が漂っており、思わず平伏してしまいそうになる。
「カッコいいっしょ? それだけじゃなくて色んな能力もあるんだからね!」
久遠は自慢気に胸を張る。心なしか褒められてレックスも嬉しそうにしているように見える。
「ほぉ〜。どんな能力があるんだ?」
「お買い物に行ってくれる!!」
「は?」
「だーかーらー、レックスは私の代わりにお買い物に行ってくれるんだよ。見ての通りの美形さんだから、お店のおばちゃんとかにおまけしてもらったりでお得なんだぜ! 凄いっしょ?」
久遠の言葉に、今度は確実にレックスの頬が緩んでいた。よく見ると、小さくピースサインすらしているではないか。どうやらマスターである久遠に褒められることはとても嬉しいことらしい。
しかし……
「お前……俺には原理はさっぱりわからんが、こんな凄いホムンクルスを造っておいて、お使いをさせているだと……」
「うん。だって私、引きこもりだし〜。お店から出ないし〜」
そうなのだ。死んでしまってからの久遠はいつも常人には見つけられないような辺鄙な所に店を出し、そこから一歩も外へ出ようとはしないのだ。理由を聞いてみても『引きこもりだもん』としか答えようとしない。きっと何か理由があるのだろうとは思うのだが、俺はその件に対して突っ込めないでいる。いや、久遠のことだから本当に引きこもっているだけということもあり得るのだけれども。
「レックスが完成するまでは大変だったんだよ! Amaz○nさんに頼りっぱなしの生活だったんだからね」
よく見ると、店のアチラコチラにはAmaz○nのダンボールが散乱していた。
「Amaz○nさん、よくこんなところまで配送してくれたな……」
「うん! 神だったよ!」
……
……………
……………………
とまぁ、美味しい紅茶を飲みつつ(実はこの紅茶はレックスが入れてくれたものらしい)割とどうでもいい雑談に花を咲かせていたわけだが、不意に俺は胸ポケットに忍ばせておいたものを思い出した。そう、それは青く輝く宝石。着物幼女が最後に託してくれたもの。
――そう言えば、こいつにもあの巻物に記されていたのと、同じような文字が書き込まれていたような……。
俺は悩んだ。この宝石を久遠に見せて良いものか……。久遠は天才だ。だが、まともな天才ではない。もしこの宝石を見せてしまえば取り返しのないことになる可能性だってある。けれど、俺がこれを持っていたとしても、これから先どうすることも出来ないのも確かなのである。
だから、俺は賭けることにした。ギャンブル運などまるで無い俺だが、大博打に出ることに決めたのだ。
「ちょっと見てもらいたいものがあるんだが……」
俺は恐る恐る胸ポケットから今も青く光り続ける宝石を取り出す。それはまるで何かを語りかけているかのようにも思えた。
そして、その宝石を目にした途端……久遠の目つきが変わった。今までの道化めいたものではなく、獲物を狙う鷹のような目へと変質したのだ。
「レックス!」
久遠の声は楽しげなものではなかった。今日初めて耳にする、支配者として命令を下す声だった。ただ一言名前を読んだだけ、その一言だけでレックスは全てを理解したかのように、俺の眼前へと迫りくると、有無を言わさぬ剛力で、手に持っていた宝石を奪い取ろ等とする。俺は必死に抵抗を試みるが、レックスの力は人間のそれを遥かに超えていた。俺の腕の関節を通常でありえない方向に曲げさせられる。
「いてぇぇぇ」
痛みのあまり俺は声を上げていた。それと同時に、宝石を持っていた俺に手からは力が抜け、レックスによって容易く奪い取られてしまう。
俺は痛みに耐えきれずに床の上を無様に転げ回った。そんな俺を一瞥もせずに、レックスは主人である久遠へ宝石を手渡す。
「凄い、凄いよ。これは凄いよ。これさえあれば……」
床に這いつくばっている俺が見上げた先にあったものは、歓喜と狂気に打ち震える久遠の姿だった。久遠は十秒程恍惚の眼差しで宝石を見つめ続けると、ようやく倒れている俺に目を向けた。
「うわぁぁっ、まもっちどうしたの!? 床になんて寝転んじゃだめだよ。自慢じゃないけど、うちの店あんまり綺麗じゃないだよ」
いつもの久遠の口調だった。
「いやな、お前ん所のホムンクルスに腕をひねられてこうなったわけなんだけど……」
俺は外されかけた肩を回しながら、皮肉を込めて言ってやった。
「レックス! 私の大事なまもっちに何してくれてんの……」
おいおい、お前が命令して俺から宝石を奪わせたんだろうが……。と、突っ込んでやりたかったが、その刹那。
俺の目の前に血しぶきが舞い上がり、視界が真っ赤に染まった。何が起こったのか、俺には瞬時に理解できなかった。だが、俺の前には右腕が切り落とされて大量に出血している美形が立っていた。そう、顔色人使えることなく直立不動で立っていた。この血の雨の原因は、レックスの腕を久遠が切り落としたせいなのである。
「ああ、心配しないで、まもっち。こいつは人間じゃなくてただの《モノ》なんだから、壊れても直せば良いだけなんだよ」
ケタケタと笑う。眼鏡を血潮に染めて、白衣を赤く染めて、久遠は何もなかったかのようにただケタケタと笑った。




