世界をつくる物語 第85章
「――でも、クレアノンちゃん、あたし、思うんだけどお」
ハルディアナが、フッとため息をついた。
「クレアノンちゃんは、これからずっと、このハイネリアに、『住む』つもりなのよねえ?」
「え? ええ、そうね、この国の人たちが反対しなかったら、そうさせてもらうつもりだけど?」
「なるほどねえ」
ハルディアナは、パチパチと目をしばたたいた。
「それで、クレアノンちゃんは、こんなに――こんなに、なんというか、おとなしくて優しい、人や亜人と仲良くしたがってる、すっごく珍しい竜なのよねえ」
「私は別に、『珍しい』竜なんかじゃないし、それに、ハルディアナさんが言うほど、おとなしくも優しくもないと思うけど――でも、そうね、私が人や亜人と仲良くしたがっている、っていうのは、そのとおりだわ」
「だったら」
ハルディアナは、指先でフニフニと、ポッテリとした、やわらかそうな唇を意味もなくいじった。
「これから、ハイネリアには、淫魔が集まってくるかもしれないわねえ」
「え、どうして?」
「ハルさんは、どうしてそんなことを思うんですか?」
クレアノン、のみならず、当の『淫魔』である、エルメラートまでもが首をひねった。
「あらあ、だってえ」
ハルディアナは肩をすくめた。
「エーメちゃん言ってたじゃない。『淫魔』っていう種族は、とっても他の種族の影響を受けやすいって。そして、その影響の受けやすさは、年が若ければ若いほど激しいって」
「え? ええと、ええ、確かにぼく、そう言いましたけど――?」
「そして、いま現に、あたしの子供と、アレンちゃんの子供は、クレアノンちゃんの竜の力を受けて、『大きく強く』なっていってるわ」
ハルディアナは、再びため息をついた。
「あ、あの、私の子供もですか?」
人間と淫魔の間に生まれ、今現在、妊娠の初期にあるアレンが、おどおどと目をしばたたく。
「だと思うわよお。確かにアレンちゃんのおなかの子は、あたしの子より淫魔の血が薄いけど、それでも、何の影響も受けないってことはないと思うわよお」
「そ、それは、そうですよね……」
「クレアノンちゃんや、エーメちゃんにはわからないかもしれないけど」
ハルディアナは、じっとアレンを見つめた。
「アレンちゃんには、わかるんじゃない? 『竜の力を身につけた、強い子供』をほしがる人は、きっとたくさん、たくさんいるだろうっていうことが――」
「ははあ、ぼく達淫魔は、そういうことにはあんまり興味がありませんねえ」
エルメラートは、ケロッとした顔で言った。
「だって、好きな人との間にできた子供は、どんな子供だって、可愛い可愛い、大切な子供ですから。竜の力を身につけるとかなんとか、そんなの別に、どうでもいいです」
「そうね。エーメちゃん達は――『淫魔』っていうのは、そういう種族よねえ」
ハルディアナは、小さく苦笑した。
「でもね、エーメちゃん、世の中には、そういう種族ばかりがいるわけじゃあないのよお?」
「……それは、よくわかります」
アレンはポツリと言った。
「そう――私も、ファーティスで、『兵器』として扱われてきましたから。竜の力を身につけた、『強い』子供達を、強力な『兵士』、それとも、『兵器』達を生み出したいと思う人達は、きっと、たくさんいるでしょうね――」
「いやあ、ぼく達淫魔は、そういうことにはほんとに興味がないんですけどねえ」
エルメラートは、げんなりとした顔で言った。
「でも、エーメちゃん、淫魔っていう種族は、その性質上、っていうかなんていうか、とにかく、すっごく、他の種族に惚れっぽいでしょ? それは、エーメちゃんを見ててよくわかるわあ」
と、ハルディアナはおかしそうに笑った。『淫魔』という種族は、その血をつないでいくために、必ず、他の種族に協力してもらう必要がある。そのため、かどうか定かではないが、確かに、淫魔という種族は、他種族に対する惚れっぽさでよく知られていた。
「そうですね。私の母も、私の父に『惚れて』、そうして私は生まれてきたんですからね――」
アレンの唇に、ふと、優しい笑みが浮かんだ。
「――それ自体は、とても素晴らしいことだと思うわ」
ハルディアナの目が鋭くなった。
「誰かが誰かに惚れて、そして、愛しあった者達が子をなす。それは、それ自体は、とてもとても、素晴らしいことだと思うわ。でも――でもね――」
「でも?」
クレアノンは小首を傾げた。
「ハルディアナさんは、いったい何を思いわずらっているの?」
「――でもね」
ハルディアナは、厳しい表情で言った。
「その、純粋な思いを、利用しようとする人達だって、きっとたくさん、たくさんいると思うのよ――」
「…………わかります」
アレンが再び、ポツリと言った。
「私の父は、私のことも、そして、私の母のことも、愛してくれていたんだ、と思います。でも――でも――父にとって、自分の国は――『祖国』は、まさに、自分の命と同じくらい、大切なもの、だったんです。いえ、今この瞬間だって、父にとって、『祖国』とは、もしかしたら、自分の命よりも大切なものなんです。だから――だから――」
「アレンちゃん」
ふと椅子から立ち上がったハルディアナが、アレンの肩に、そっと手を置いた。
「いいのよ。――いいの。あなたがね、言いたくないことを、無理に言う必要なんてどこにもないの。言いたくないことは、言わなくていいの。あたし達、だあれも、あなたに言いたくないことを言えだなんて、命令したりなんかしないから。――ね?」
「はい――ありがとうございます、ハルディアナさん――」
「……よく、わからないわ」
クレアノンは、困惑しきった顔で言った。
「あなたがたが言いたいのは、つまり、こういうことなのかしら? 『淫魔』という種族の、血統に秘められた力と、私の竜の力があわされば、強い『兵士』や、『兵器』になる子供たちを生み出すことができる。だから――だからきっとこれから、そういう子供達を、『人為的』に生み出そうとする人達が出てくるだろう、って――そういうこと?」
「ええ、そうよ」
ハルディアナは、重いため息をついた。
「ねえ、クレアノンちゃん、今までね、そういうことをしたっていう話が、ほとんど聞かれないのは、あのねえ、正直言って、あなたがた竜が、気難し屋で、群れるのが嫌いで、しかもその、なんていうか、ものすごく長命なくせに気まぐれで、そんな、なんていうか――ちゃんとした、『兵器』や、『兵士』を生み出すほど長い間、チビで邪魔っけでうっとうしい、人間や亜人なんていう邪魔者達を、自分のそばに置いてくれるはずがないって思われていたからよ。っていうかその、それって、ほぼ事実なんだけどね。クレアノンちゃんみたいな例外はともかくとして」
「ハルディアナさんの言っていることは、正しいと思うわ。私も実際、竜ってそういう種族だと思うし」
クレアノンは、いたって真面目な顔で言った。
「ごめんねえ、ずけずけ言っちゃって。でもねえ、今までそういうことをしたっていう話があんまり聞こえてこないのは、主にそういう理由からだと思うのよねえ。――だから」
ハルディアナは、再び重いため息をついた。
「クレアノンちゃんみたいな、おとなしくって優しい、しかも、あたしたちと仲良くしたがっている竜が身近にずっといたりしたら――そういう、馬鹿なことをやりたがる人も、出てきちゃうかもねえ、もしかしたら――」
「……そうなの」
クレアノンは、眉をひそめた。
「そう――そうなの。……不思議だわ。私は、こういう気持ちになることなんてめったにないんだけど――」
「どうしたの、クレアノンちゃん?」
「そういうのって――不愉快だわ」
クレアノンは、眉をひそめたまま吐き捨てた。
「そう言ってくれてうれしいわあ」
ハルディアナは、静かに微笑んだ。
「でも、クレアノンちゃん、それじゃあ、ねえ――それじゃあ、あたし達といっしょに暮らすの、もう、やめる?」
「いいえ、やめないわ」
クレアノンは、驚いたように言った。
「だって、あなた達は、そんなことがしたくって私のそばにいるわけじゃないんでしょう?」
「もちろんよお」
「当然じゃないですか!」
「も、ももも、もちろんですッ!」
クレアノンの問いに、それぞれ力強く答える、ハルディアナ、エルメラート、アレン。
「だったら、私が考えを変える理由なんてどこにもないわ」
「それは、そのとおりねえ」
ハルディアナは、クスリと笑った。
その、小さな笑い声に。
「腹へったー、腹へった! あっ、なんか食ってる! なあなあ、おれにもくれよ!!」
「ミラも、ごはん、食べたい」
昨日遅くまではしゃぎまわったせいか、目をこすりながらようやっと起きてきた、蜘蛛化けリヴィーと、蝶化けミラが、朝食のテーブルを囲む一同を見て、元気よく叫ぶ声が重なった。




