月夜の白兎
深夜――
「せ、先生…………お願いします」
「わかりました」
高齢の女性の言葉を聞き、白は手に持った注射器のプランジャーをゆっくり押した。
「先生、ありが、とう…………」
その言葉を最期に、老婆は息を引き取った。
ここは白が院長を務める病院にある、一室。主に回復の見込みがない患者が入院する特別個室である。
白は、様々な理由で死を切望する患者を秘密裏に、患者の同意を得て苦しみから解放させていた。いわゆる、安楽死である。
「…………」
今、白が安楽死させた患者は回復の見込みはないものの、治療を続けていればあと数年は生きられる状態にあった。
だがそのためには、多額の治療費が必要になる。
夫とはすでに死別。唯一の身寄りは普通の会社員の息子ただ一人。貯金もすでにほとんど底を尽いている。
息子は、借金してでも治療費は用意すると言っていたが、息子に迷惑をかけたくはないと、白に安楽死を希望した。
その願いを、白は聞き入れた。
老婆の最期をしかと見届け、白は部屋を出た。
「…………ふぅ」
窓から見える月を見上げ、白は息を吐いた。
安楽死を法的に認めている国もあるが、この国では現在、安楽死は法的に認められていない。
(大抵のことは責任と引き換えに認められている国ですが、死を選ぶ自由は認められていないのですよね)
だから、明日息を引き取った患者の検死を白自身が行い、嘘の死亡診断書を書いて、自然死であると偽装する必要がある。
「…………」
しばらく窓から見える月をボーッと見続け、白はとある部屋へと向かった。
ガラガラ
自動扉の開いた先、誰もいない部屋の中央には一つの台と周囲にはごちゃごちゃした機械類がたくさん。ここは、この病院の手術室。OPE室とも言われる場所である。
「さてと、それじゃ、始めますか」
白がここに来たのは、当然、手術をするためではない。手術台の上には、先ほど黒から受け取ったスーツケースが置かれている。
「おお、これはこれは」
スーツケースの中には、黒の言っていた、自分たちと似て非なる怪物。黒に息の根を止められた、野良怪物の死骸が入っていた。
(黒の言っていた通り、確かにパッと見、僕らと類似している点が多そうですね)
外見の観察はほどほどに、白は早速メスを取った。
(ふむ、ふむ)
ドラマでよく見る、メスで胸を垂直に切り裂き、野良怪物の内臓、
(ほう)
臓器の位置や骨格、
(これは――)
筋肉の付き方など、見た目では分からない部分を観察していった。
「…………」
しばらくして、白は一つの結論に辿り着いた。
(この野良怪物――僕たちよりも人間に近い、種の生き物だ)
顔こそ黒にぐちゃぐちゃに潰され、詳しくは調べることができなかったがその下側――特に骨格と筋肉の付き方が人間に酷似していた。
「まるで人間に僕たちの被り物を着せたみたいな感じですね」
ガンッ
扉を勢いよく開く音が突如、室内に響いた。
(こんな時間に…………)
深夜の病院、白が今いるのは手術室。
今、院内にいる医師は白のみ。緊急手術の連絡は受けていない。
(ということは――)
「グラァア」
襲撃である。
「「「「…………」」」」
(全員で四体)
力づくで手術室の扉を破り、入って来たのは先ほど解剖していた野良怪物とよく似た見た目をした怪物、四体。
「グラ」
「グララ」
手術室、内部へと侵入を果たした怪物たちは室内を見渡し、仲間内で何やら会話のようなものを始めた。
「ふむ…………(黒の話では、知性皆無の獣という話でしたが)」
今、目の前にいる怪物たちは明らかに白の知らない言葉で会話をして、互いに意思疎通を図っている。
明らかに知性ある獣の動きである。
「グラッ」
周囲に誰もいないことを確認すると、怪物の一体が手術台の上に無造作に放置された同胞(恐らく)――解剖途中の野良怪物の死骸に手を伸ばした。
「おっと、それはご遠慮いただこう」
野良怪物の死骸に触れる直前、音もなく現れた白が死骸に触れようとした怪物の首をメスで切り裂いた。
ブシャアアアアアアア
勢いよく血を噴き出しながら、首を裂かれた怪物は絶命した。
(先ほどの解剖で首からは下は基本、人間と同じ構造なのは把握済み。体の構造が同じなら、当然急所も――)
「グラッ」
誰もいなかったはずの室内に突如現れた白(謎の生命体)に怪物たちは慌てふためいた。
「「「「…………」」」」
咄嗟に怪物たちは、白から距離を取った。
(知性はあるようですが、あまり賢くはないようですね)
白は怪物たちが手術室内へ侵入すると同時に跳躍して、今の今までずっと天井に張り付いて、怪物たちに様子を観察していた。
「少し視線を上げれば、すぐに私を見つけられたはずですが」
そもそも、こんな時間に手術室の電気がついている時点で、室内に生きている何者かがいるのは明白。それなのに、辺りを見回しただけで怪物たちは室内には誰もいないと判断をした。
「「「「…………」」」」
(こちらの言葉は通じないようですね。彼ら独自の言語体系があるのでしょうか、それとも同族同士だからこそ分かる特有のシンパシーのようなもので意思疎通していると考えるのが妥当でしょうか)
しばらく白の様子を伺っていた怪物たちだが、アイコンタクトでもするように仲間同士互いに目をほんの一瞬合わせた。次の瞬間――
「グラァ」
一斉に白に向かって襲い掛かった。
「さすがにこの姿でこの数を相手にするのは無謀ですね」
そう言うと、白は元の、本来の自身の姿である耳の長い、白い怪物の姿に変化した。
「っ――」
白は本来の怪物の姿に変化すると同時に、ありったけの力で床を蹴り、襲い掛かってくる怪物たちに突進。
先頭を切って襲い掛かって来る怪物の腹目掛けて、渾身の飛び膝蹴りを繰り出した。
「グラッ」
腹を強く蹴り飛ばされた怪物は蹴られた衝撃で内臓ぐちゃぐちゃ。蹴られた勢いのまま、壁に激突して、怪物は絶命した。
(あと二人)
目の前で起こった出来事に、呆気にとられる残り二体の怪物。
飛び膝蹴りを繰り出した白はすぐさま、ちょうどいい位置にいたもう一体の怪物の側頭部目掛けて、渾身の回し蹴りを敢行。
「ギャッ」
見事、怪物の側頭部を捉え、怪物の脳を頭蓋骨ごと粉々に粉砕した。
(ふむ、さすがに頭蓋骨は僕らの方に似ているだけあって、硬いですね)
倒れた怪物の死骸を白は戦闘の邪魔にならないよう部屋の隅目掛けて蹴り飛ばした。
「グラッ」
圧倒的な力の差に後ずさる、残った一体の怪物。
「逃しませんよ」
「っ――」
すぐに床を蹴り、残りの一体に迫る白。
「グラッ――」
最初――厳密に言うなら二体目に倒した怪物同様、腹部に渾身の飛び膝蹴りをかまそうとした、その瞬間――
「がっ…………はっ――」
白の腹と胸を二本のナニカが貫いた。
「くっ――」
それでも、白は目の前の怪物の首を渾身の力で蹴り飛ばし、へし折って絶命させた。
背後から、自身の腹と胸を貫く、見覚えのある触手のようなナニカ。
「…………シオン」
「久しぶりだな、白」
そのナニカの先、後頭部から伸びる自身の貫く二本の触手以外、自身とよく似た見た目のの、紫色の怪物――人間の姿に擬態できるようになる前、樹海奥深くで一緒に黒たちと共同生活をしていた同族――シオンの姿がそこにあった。
「どうして君が…………」
「………………………」
白の問いに、シオンは答えた………………………………
★★★
「おいおい、まじかよ」
翌日――
解剖結果を聞くため、白が院長を務める病院に向かうと、病院の周囲を警官たちが取り囲んでいた。
「近くにいた知り合いの警察官に聞いてみたんだけどよ、どうやら昨日の夜、病院内で事件が起こったみたいだぜ」
「事件」
「ああ、手術室の壁が鉄球でもぶつけられた見たいにぴしゃげてたってよ」
((手術室の壁が――))
黒と銘の脳裏に、嫌な想像が思い浮かんだ。
「それで白は」
「わからねえ。今、病院内のスタッフと警察が捜索してるそうなんだが…………」
「そうか」
昨日の時点ではまだ黒の頭の中に数ある可能性の一つでしかなったことが、目の前の事実で、確信に変わった。
「先生」
銘の言葉に、黒はソッと目を閉じた。
怪物たちの中で一番、律儀な白が自分の意思で医師である責務と黒たちとの約束をすっぽかして行方をくらませたとは考えにくい。
強引に身柄を連れ去られたと考えるのが、自然である。
二日前の夜、黒と対峙した野良怪物。
人間の身体能力を遥かに凌駕していたが、黒と比べれば圧倒的に劣る。
余程多勢に無勢でもない限り、脚力以外ほぼ黒と身体能力が変わらない白が後れを取ったとは考えにくい。
と、いうことは――
「俺たちのかつての同胞の中に、何かとんでもないことを企んでいる奴がいるってことだな」
野良怪物と初めて遭遇した日から、そうではないかという考えがずっと黒の脳裏にこびりついていた。それと同時にそうであってほしくないという思いも黒の心内にずっと貼り付いていた。
現実は、黒の想いを容易く引き千切った。
★★★
同時刻・某所――
「どうぞこちらです」
「どうも」
迷路のように入り組んだ建物内をみすぼらしい白装束を着た女に案内され、スーツを着た緑髪の青年は目的の相手がいる部屋へと入室した。
「やあ、シオン」
「緑…………」
緑、こと黒たちの同族――緑間生が通されたのは落ち着いた雰囲気のある和室。
そこでは先ほどここまで緑を案内してきた白装束の女とは雲泥の差の、豪勢な紫色の装束に身を包む紫髪の青年――黒たちの同族であり国内最大規模の宗教団体の教祖――村上紫苑が畳の上で胡坐をかきながら、緑が来るのを待っていた。
「聞いたよ、シオン。白の病院を襲撃したんだって」
「相変わらず、政治家様は耳が早いな」
緑は現在、若手政治家の期待の星として、世間の注目の的となっている。
「いえいえ、私が人間至上主義の社会で政治家やれているのも、多くの信者様を抱えているシオン様のおかげですよ」
「嫌味か、てめぇ」
シオンに睨みつけられ、緑は肩を竦めてみせた。
「まあ、重い話に入る前の軽いジョークはこれくらいにして…………シオン、君――白を殺したのかい」
「っ――」
二人の間に緊張が走る。
「…………」
「…………」
しばらくの間、二人は互いに視線をぶつけ合い、そして――
「まさか」
「だよね」
二人は頬を緩ませた。
「俺が同族(お前たち)を殺すわけないだろ」
「シオンは俺たちのリーダーだからね」
人間社会に出る前――樹海にいたころ、黒たち七人をまとめあげ引っ張っていたのはシオンと緑の二人だった。
協調性の欠片もない我関せず唯我独尊集団を緑がいい感じにまとめあげ、シオンが引っ張っていた。
「白なら地下室で眠っている。一週間は起きてこないだろうな」
現在――白はこの、シオンを教祖として崇める宗教団体の総本山である建物の地下に休眠状態でいる。
「シオンの毒は強力だからね」
昨夜、シオンは部下たちに白を襲撃させた。
シオンと同等程度の強さを誇る白にシオンの部下たちが敵うわけがなく、あっさり撃退されたのだが、それでも白の注意を惹くのには役に立った。
白の隙を突き、シオンは自身の触手で白の胸と腹を貫いた。
「白にも俺たちの計画を話したんだが、協力はできないと」
「白らしいね」
白に協力を断られた直後、シオンは自身の毒を注入した。
シオンが流した毒は相手の息の根を止めるための致死毒ではなく、相手の身動きを鈍らせ狩りやすくするためのいわゆる、麻痺毒。
全身を強力な麻痺毒に犯された白は意識を失うと同時に、傷を負った体を癒すため深い眠りについた。
「意思を持って生き、意思を持って死ぬ。それが彼のモットーだからね」
「生きるも死ぬも本人の意思次第(自由)ってか」
「それを止める権利は誰にもない。そんな彼が、僕たちの計画に協力できないってのは、至極当然のことかもしれないね」
「同様に優れた種がそれより劣る劣等種を支配・管理することもまた至極当然の自然の摂理なんだがな」
緑とシオンが暗躍する目的――
「人間と比べて優れた生物である俺たちが俺たちより劣る人間どもの目を気にしながら、自身を偽って細々と生きるのは自然の摂理に反する――歪んだ摂理は正さなければならない」
食物連鎖の王座奪還。
「頑張ろう。僕たちのためにも」
シオンと緑の目的は、人間に成り代わり自然界(この世界)の頂点に自分たちが君臨すること。
二人は互いに力強く握手を交わした。




